「叩く」じゃ、できない。
- 糸井
- 書くことってさ‥‥
いまさらだけど、やっぱり思うのは、
「書く」ことって
「線を引く行為」なんですよね。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- たとえば、木や石を「叩く」という行為から、
「書く」ことは、できないんです。
あえて言うなら、
石に刻む篆刻(てんこく)は
あるかもしれないけど。
- 古賀
- ああ、篆刻。
- 糸井
- でも、いまは
なんでもタイピングになっちゃった。
たとえば、「あいうえお」にしても、
キーボードを叩いて
A-I-U-E-O って書くわけでしょう。
「かきくけこ」だったら、
K-A-K-I‥‥って叩くわけだよね。
「叩く」で文字を生み出すというのは、
「書く」こととは
ぜんぜん違う行為なんじゃないか、って。
- 古賀
- 違いますよね。
- 糸井
- そもそも、象形文字をなぞることで
コミュニケーションのツールを
つくってきたのに、
「叩く」で、ぜんぶを
済ませちゃうというのはどうなんだろう。
‥‥って、タイピングをはじめる前に
自分が思った疑問を、
いまごろになって、また思うわけです。
- 古賀
- よくわかります。
いま、ライターさんの中でも、
取材中にパソコンでメモをとる人が
多くなってきたなと思うんですよ。
- 糸井
- いますねぇ。
- 古賀
- でも、ぼく、個人的には
それじゃ、わからないんじゃないかな、
という気がするんですよね。
手書きとは、自由度がぜんぜん違いますから。
- 糸井
- そうだね。
- 古賀
- 線を引っ張ったり、
矢印を引いたり、下線を引いたり‥‥。
手で書くときって、
文字を書くだけじゃないところで
メモをとったり、アイディアをふくらませたり
するわけですよね。
- 糸井
- うん。
たとえば、キーボードを叩くだけでは、
こういうものはつくれないんですよね。
「古賀さんは、だいたい
このあたりにいますよ」とか。
- 古賀
- できないですね。
- 糸井
- 古賀さんが言ってる
手書きのメモって、
こういうことを含むわけですよね。
- 古賀
- はい、そうです。
たとえば‥‥
ぼく、字が汚いので、
お見せしづらいんですけど‥‥。
- 糸井
- (笑)
- 古賀
- これ、「ほぼ日の学校」のイベントで
橋本治さんがお話されたときのノートなんですが。
- 糸井
- ああ、12月のときのですね。
- 古賀
- ここで、矢印を引っ張ったりしています。
- 糸井
- うん。こういう自由な矢印は、
タイピングじゃ出てこないね。
- 古賀
- それから‥‥
「書いて、考える」ということについて
このふたつを並べて考えてみたら
おもしろいかも、と思ったんですが。
- 糸井
- おお。
- 古賀
- ひとつは、
糸井さんが岩田(聡)さんから
パソコンを薦められたときに、
岩田さんから教えてもらったという
ツリー型のツールの話です。
たしか、こういう図をつかって
どんどん枝分かれさせて考えていくと
思考をまとめられるというものでしたよね。
- 糸井
- そうそう。
岩田さんが教えてくれたのは、
なにかを考えるときに、
「男がいる、女がいる」というときには
ここで分けられますよね、と。
「男の中でも老人がいる、若い人がいる」というと
こうやって分けられる。
さらに
「老人の中でも病気の人がいる、健康な人がいる」
みたいに、分けていく。
なにか、ものを考えるときに、
このツールを使って考えていくことで、
「若くて健康な人がこうである」みたいなことが
言えますよ、ということなんだけど。
- 古賀
- ええ。
それで、そのときの話が、糸井さんには
「まったく響かなかった」と
おっしゃっていましたよね。
ぼく、その話がすごく印象的だったんです。
- 糸井
- 響かなかったですね。
おもしろくないなと思ったんです。
岩田さんは熱心に教えてくれたんだけど、
ぼくは「うーん、こうじゃないんだよね」って、
ずっと言ってた。
「たとえば何かのコピーを考えるときには、
その考え方だけではダメだと思うんだよ」って。
- 古賀
- はい。それで‥‥
こっちが、もうひとつのほうです。
このメモは、ツリーハウスの企画を考えるときに
糸井さんが書かれたものですよね。
今日の話で使えるかなと思って、持ってきました。
- 糸井
- ああー。
これは、まさしく、ぼくですね。
- 古賀
- こういう、考えの広がりのつくりかたとかは、
やっぱり手書きじゃないと、と思ったんです。
見ていて、よろこびの成分があるし、
おもしろいんですよね。
- 糸井
- そうだね。
- 古賀
- あと、糸井さんが昔、
矢野顕子さんといっしょに曲をつくるときに
FAXで歌詞のやり取りをしていらして、
そのときも歌詞のまわりに
絵とかを描いていらっしゃいましたよね。
- 糸井
- ああ、描いていましたねえ。
- 古賀
- それもやっぱり、
キーボードを叩くだけじゃ
できないことだなぁと。
- 糸井
- うん。
そのFAXに描いた絵も、
歌詞自体には関係ないことかもしれない。
でも、そばに絵が置いてあることで、
関係ないなと思いながらも、
どこかでちゃんと見えているんです。
それが、歌詞とか歌に
影響してくることだってあるからね。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- なんだろう‥‥。
たとえていうと、
花火の仕掛けみたいなものかもしれない。
- 古賀
- 花火‥‥ですか。
- 糸井
- 花火って、大玉の中に小玉が入っていて、
火薬の玉と玉がお互いに干渉しあって、
ひとつの花火が上がるわけですよね。
- 古賀
- ああ。
- 糸井
- そういう意味では、ぼくの脳みその中も、
手書きのメモに近いかもしれない。
なにかのそばに、なにかを寄せて考える、
ということを、絶えずやっているから。
だから、ぼくがツリーハウスのことを
考えるときにやっていたのは、
岩田さんが言ってた「分けていく」考え方よりも
「そばに置いていく」考え方なんですね。
(つづきます)
2018-05-31-THU