漢字とマンガ。
- 糸井
- 最近、ぼくは
小学校の授業で、マンガを必修科目にしたらどうか
ということを考えているんです。
なぜかというと、マンガにしないと
どんな「感じ」なのかがわからないという人が
多くなっていると感じるからなんです。
- 古賀
- いいですね、マンガ。
- 糸井
- 文字だけの説明ではよくわからないけど、
丸書いて、目鼻つけて、
ふきだしをつけて説明すると、
ずいぶんわかりやすくなる。
そういうのも、キーボードを
叩くことではできないですよね。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- このあいだも、「万年筆持っててよかった」
という日があってね。
たしか1月の‥‥あ、これだ。
漢文学者の白川静さんの
お弟子さんにあたる校長先生の
講演を聞いたときのメモなんだけど。
- 古賀
- おおー。
- 糸井
- これはね、芸術の「藝」という字のもとなんです。
「人がひざまずいて、植物を育てている」
という象形文字から、
漢字ができていったらしいんですよ。
つまり「藝」は、
「植物を育てている」という象形文字に
くさかんむりがついた字なんです。
- 古賀
- へぇー。おもしろいですね。
- 糸井
- 日本では昔、先生を育てる学校には
「学芸大学」とつけていたんです。
学芸ということばは
「藝」の象形文字を見てわかるように、
「ひざまずいて、育てる」ということを
意味しているんですね。
- 古賀
- はい。
- 糸井
- だけど、ある時期から、
各地にあった「学芸大学」が
「教育大学」という名前に変わったんです。
さて、教育大学の
「教」えるという字は、
どんな象形文字がもとになっているのか。
実はこれが、
「鞭で躾ける」という象形文字なんだって。
- 古賀
- 鞭‥‥ですか!
- 糸井
- だから教育と学芸は、
同じような意味だと思われているけど、
じつは、似ているどころかぜんぜん違う。
- 古賀
- そうか。
- 糸井
- 芸術の芸も、園芸の芸もそうだけど、
ある時間の中で、
自然に手を入れて、育てている。
ひざまずいて、育てている。
そういうことを教わったんですけど‥‥
ちょっと感動するわけですよ。
こういう想像は、
キーボードを「叩く」ことからは
やっぱりできないです。
- 古賀
- そうですね。
あと、漢字の話でいうと、
「かく」には
「書く」と「描く」がありますね。
「てがき」は、「描く」のほうに近いですよね。
- 糸井
- そうだね、日本語は‥‥とくに漢字は
「描く」なんだよね。
養老(孟司)さんが、
「マンガが日本でこんなに発展したのは、
漢字とふりがながあるからだ」と言っていました。
漢字に対するふりがなが、
マンガの絵に対するふき出しにあたるもので、
その構造は同じである、と。
- 古賀
- うん、うん。
- 糸井
- 動いているものやら、人間の目に見えるものを
道具として使って、表現していくというのは、
音(おん)を並べていくこととは
ぜんぜん違うんですよね。
- 古賀
- 違いますね。
- 糸井
- だから、書くって意味がある行為だし、
書く機会がなくなっちゃったら
なんだか思考が失われるというか、
思想が失われるというか。
- 古賀
- ええ。
- 糸井
- 「愁い(うれい)」っていう字でも、
「秋」が入っていますよね。
日本人どうしのコミュニケーションだと、
秋が入ってるな、ということを
どこかで知りながら、語ってるんですよね。
あとは言わなくてもわかることだけど‥‥
「心」も入ってるじゃないですか。
- 古賀
- はい、秋と心。
- 糸井
- 「愁いを含んだ目」なんていうときに、
やっぱり外国の人は
理解するのがたいへんだと思うよ。
ひとつの漢字の中に、
いくつも要素が入っているということを。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- 腹とか、胸とか、
「にくづき」の漢字ってあるけど、
ぼくたちは「にくづき」自体が
体を意味していることを知ってるから、
まったく知らない漢字に出くわしても、
なんとなく、体のどこかなんだろうな
ということは、わかりますよね。
でも、どんなに
bodyという文字を見てても、
ボディーな感覚は出てこない。
- 古賀
- ほんとですね。
- 糸井
- teethとかだって、わからないでしょう。
「歯」なんて、いかにも歯だもんね(笑)。
- 古賀
- (笑)
- 糸井
- マンガを見てるんですよ、ぼくら。
(つづきます)
2018-06-01-FRI