南極で越冬したネコ”タケシ”を知ってるかい? HOBO NYAKKAN ITOI SHINBUN 南極で越冬したネコ”タケシ”を知ってるかい?

雪が降ると、犬はよろこび庭かけ周り、
ネコはこたつで丸くなる。
‥‥と思い込んでいませんか?
どうやら、そうじゃないネコもいるようなんです。
第一次南極観測隊といっしょに、
ひと冬を氷山の南極で過ごしたネコがいました。
犬たちのようにソリを引くわけでもなく、
主には室内でぬくぬくと、
隊員たちと仲良く暮らしました。
そのネコ”たけし”のことを知りたくて、
絵本『こねこのタケシ』を書いた
阿見みどりさんにお話しを伺いました。
国立極地研究所さんからお借りした、
南極でのタケシの写真もたっぷりとお届けします。

みなさん、ネコってますかー?
こんにちは。ほぼ日動物係・ゆーないとです。
みなさんは、南極でひと冬を越したこネコがいたことを
ご存知ですか?
わたしは知りませんでした。
知ったきっかけは、矢野顕子さんの ツイート


えええぇーーーー!
なんじゃそりゃ~~~~?
寒くないの?
うちのネコたちなんて、いつもヒーターの横とか、
暖房の風があたるところで、
ぬくぬくして1日の大半を過ごしているというのに、
タケシときたら、雪の上で、毛をたくわえてふわふわに、
それでいてりりしく、我が物顔で南極の地に立っている。

▲冬毛で鳩胸になっている、タケシ。かわいい!

そんなタケシの写真を見たら、
もう、いてもたってもいられなくなってしまいました。
どうしてネコが南極に行くことになったのか、
だ、だれか教えて‥‥!

調べるうちに、1冊の絵本に出会いました。
1953年に南極へ渡った、第一次越冬隊が帰国して、
その後、だいぶ経ってから出版された 絵本『こねこのタケシ』
まずは、絵本のあらすじをお読みください。

 

あらすじ
1956年。
南極へ行く、第一次越冬隊が港から旅立つとき、
あるひとりの女性が、
「オスの三毛猫は、航海のお守りに縁起がいいので、
どうぞ連れて行ってください」
と、隊員に渡したのが、こねこのタケシでした。
(※現在は、南極への動物の持ち込みは禁止されています)
タケシは、南極へ行く船旅3ヶ月のうちに、
みるみる大きくなり、隊員たちとも仲良くなり、
みんなの仲間になりました。
南極では、タロやジロをはじめ、
犬とも仲良く暮らしました。
1年後、隊員たちの帰国といっしょに、
また3ヶ月の船旅で日本に戻ってきたタケシ。
このまま、日本で新しい暮らしがはじまる
のかと思いきや‥‥
タケシは姿を消してしまった。

という、ちょっぴりふしぎな、
ほんとうにあったお話。

 

この本を書いたのは、阿見みどりさん。
さっそくコンタクトをとり、
お話しをうかがえることになりました。
場所は、鎌倉にある「銀の鈴社」という出版社。
娘さんで「銀の鈴社」の代表をされている
西野さんにもご同席いただきました。

▲鎌倉の住宅街にある、一軒のお家です。

ーー
はじめまして。
今日はよろしくお願いします。
わたくし、大のネコ好きではありますが、
タケシの存在を、つい先日知りました。
「えー! 南極にネコが行ってたなんて!?
知らなかった~~~」
と、衝撃を受けて、
そこから極地研究所さんのサイトで
写真や残っている資料を見て、
阿見さんの絵本も、
遅ればせながら読ませていただきました。
タケシのことを、絵本でも読めてよかったです。
阿見
あらぁ、そうなのね。
のんびり売ってる絵本なので、
知らない方もいらっしゃると思います。
でも、1986年に初版を出したあと、
2006年に復刊をして、
ついこの間、増刷したんですよ。
ーー
そうでしたか、おめでとうございます。
阿見
わたし自身もね、同じでした。
「えー! 南極にネコが? なんじゃー!」
って、そこがスタートなのよ。

▲こちらが阿見みどりさん。

ーー
もともとこの絵本を作られるきっかけは
何だったんですか?
阿見
わたしは今は、絵を描いたりもしているんだけど、
当時はずっと編集者で、色んな本を作っていました。
南極に行った犬タロ・ジロのお話を書いた
『タロ・ジロは生きていた 南極・カラフト犬物語』
監修者になっていただいた
第一次南極越冬隊の菊池徹先生が、
うちに居候してた時期があってね。
それがきっかけなんです。
ーー
居候!?
阿見
第一次南極越冬隊が、
無事に日本に戻ってきたのだけど、
「犬を置きざりにした」ということで、
だいぶ批判を受けていたから、
もう日本にいられなくなってしまったのね。
きっと‥‥。
(※第一次越冬隊は、第二次越冬隊が来る前に
やむをえず犬をつないで南極を去った。
第二次越冬隊はすぐに南極には到着できず、
1年後の第三次越冬隊が南極に到着したときに、
残っていたのが2匹の犬タロとジロだった)

とってもつらい思いをされて。
日本にいられない状況だったので、
カナダで暮らされていたんです。

あるとき、児童文学作家の方が持ち込み原稿で
『タロ・ジロは生きていた』を持ってきたんです。
ノンフィクションだから監修がないと出版できない
と思って、監修者を探しました。
第一次越冬隊員でタロ・ジロのお世話係だった
菊池徹先生を見つけたはいいけど、
その時は、カナダに住んでいらしたから、
カナダと少しずつ交流して。
西野
菊池さんはよろこんで引き受けてくださいました。
第一次越冬隊は、第二次越冬隊のために、
犬を役立つから置いていったわけです。
バトンタッチするつもりで。
1年、置き去りにするつもりなんて、
もちろんなかったから。
だけど、やっぱり
置いてきてしまったっていう事情を、
ちゃんと伝えられる機会だって。

▲右が、娘さんの西野さん。

阿見
カナダに住んでいても、
日本からもお呼びがかかって講演をしたり、
全国をまわったりされていたから、
帰国をしている期間には、うちを宿にして、
居候されていたんです。
ーー
阿見さんのお家を、拠点にして、
全国を巡回されていたんですか?
阿見
そうなんです。
その滞在中に、
とっても色んなお話しをしてくださって。
あるとき、
「タケシがさぁ~」っておっしゃるわけ。
え? タケシ?
誰のことかな?
でも、話しを聞いてると、
どうやら人間の話じゃないのよね。

▲「タケシです」

▲後輩こいぬとたわむれるタケシ先輩。

ーー
タケシの名前は、第一次南極観測隊の隊長
永田武さんから名前をもらって、
タケシになったんですよね。

▲こねこの名前募集は、行きの船の中で行われました。

阿見
そうなの。
みんなで隊長の名前を呼び捨てで呼ぶのが、
たのしかったみたいね。
こづいたりして。
「コラッ、タケシ!」って(笑)
みんなでかわいがってたお話しや、
氷の上だって平気で歩いてたなんて聞いたから、
絵本にしたんですよ。

タケシちゃんって、けなげだなと思って。
「愛玩業」というか、「かわいい」を仕事にして。
第一次越冬隊っていうのは、
敗戦後の日本で、
国、国民の大きな期待を背負って行ったんですよね。
大掛かりな国家事業なんだけど、けっきょくは
行く人、個人個人ががんばってやらなくちゃけない。
チームワークでやらなくちゃいけない。
11人の男性が集まって、それを背負っている。
そのチームを円滑にするお仕事を、
タケシちゃんはしてたんですよ。
だからね、1番えらい”ひと”だと思うの!

▲南極で覚えた「きをつけ」!

ーー
功労者ですよね。
隊員さんたちは、タケシの存在に
どれだけ助けられたことか!
タケシのことは当時、報道もされてなかったんですか?
阿見
そう、ぜんぜん。
きっと、隊員の一員だったのね。

▲大塚隊員の腕に抱かれて。

▲西堀越冬隊長の腕に抱かれるタケシ。

▲将棋も参加するタケシ。

▲集合写真ももちろん一緒に。大塚隊員の腕の中。

▲お正月のだんらんに、真顔で混ざるタケシ。
この写真は、最近発見された資料だそうです。

わたしは取材を進めました。
そこへ、たまたま若手の画家が売り込みに来てね。
ーー
それが、この絵本の絵を担当された
渡辺あきおさんですか。
西野
そうです。
この本ではじめてネコを描いて以来、
いまはすっかり「猫画家」さんなんですよ。
うちで出しているネコの詩集も、
渡辺さんに描いていただいて。

『ねこの詩』
▲牧陽子さんによる、ねこの詩だけを集めた1冊。

ーー
タロ、ジロの本も、タケシの本も、
どちらも復刊が発行されているんですね。
阿見
そうです。
隊員たちも、色んなことがあったから、
後から思い出すことがあるみたい。
『こねこのタケシ』は、
増補改訂版を出すことになったときに、
ネコ係だった作間さんに、
「復刊にあたって」と原稿を書いていただいて。
もともとは、作間さんはタケシのことを、
あんまり話したがらなかったんです。
やっぱり、責められると思ったんだと思うのだけど。
ーー
絵本の中では、
越冬隊と日本に帰ってきたはいいが、
タケシは港で姿を消してしまっていました。
阿見
そうせざるをえなくて。教えてくれなかったから。
でも、復刊するにあたって、わたししつこく聞いたの。
もう時間も経ったし、いいだろうって。
そしたらわかったのは、
連れて帰って、一週間くらい家でいっしょに
家族と暮らしたんですって。
作間さんがお家に連れて帰ったことすら、
知らなかったので、おどろきました。
復刊のときに、お写真もお借りできて。

▲作間さんとたけし。

ーー
絵本を読んで、タケシどこ行っちゃったんだろう‥‥?
と気になっていたのですが、
この写真を見たときに、
家族としてかわいがってもらった時間が
結果としては短かったんだけど、
あったんだなと思ったら、涙が出ました。

▲作間一家との写真。

阿見
そうでしょう。この写真を見ると、ほっとするでしょ?
奥様にも聞いたんだけど、
気づいたら、いなくなっちゃったんですって。
西野
「南極が家だから、タケシは南極に帰ったんだ」
って。
日本の家は、タケシにとっては家じゃないんだって。
ーー
そうなんですね。
タケシは隊員の中では、
作間さんに一番なついていたんですよね?
阿見
寝袋にタケシが来るんだって、
作間さんが自慢げに話してたのよ。
西野
作間さん、こうおっしゃってました。
「僕が名乗り出たんじゃない、
タケシが11人の中から僕を選んだ」
って。

▲タケシとカラフト犬のこいぬと、作間さん。

ーー
わ~、それは誇らしいでしょうね。
それで、作間さんの家で暮らすことになったんですね。
この作間家の写真が増えた、
復刊のこの本に出会えてよかったです。
阿見
そうね、事実は増えていくんですよね。
『タロ・ジロは生きていた』も、そうなんです。
西野
復刊のときに、菊池先生から、
色んな写真を追加でお借りしたり、
「復刊にあたって」というタイトルで、
文章を書いていただいたんです。
阿見
そこには、すごいことが書いてあるんですよ。
うふふ。
タロ・ジロは何を食べて1年間生きのびたのかが、
わかったの。
なんだと思う? うふふふふ。
菊池先生以降の越冬隊にいた
研究者が調べたらしいの。
ーー
えー、なんですか??
もともとは、ペンギンやアザラシの肉を食べていた
って聞きましたけど‥‥。
阿見
の、フン!

ーー
えーーーーーーー?
西野
第二次越冬隊員が、タロ・ジロを離したら、
パーーっと走って、
アザラシのほうにいったんですって。
襲うのかな‥‥と思ったら、
横でじっとして、フンをするのを待って、
ほかほかのを食べてたんですって。
ーー
ええええええええええええっ!
西野
中には、アザラシが食べたエビや小魚が入ってるから、
栄養もあって、ごちそうだったって。
しかも、仲良くふれあってたそうですよ。
ーー
びっっっっっっっっくり。
なんか、よかったです。
ペンギンやアザラシを襲って食べていたんだと
思い込んでいたので‥‥。
南極の地では、弱肉強食なんだろうと。
阿見
そうでしょう。よかったのよ。
ーー
本当にあったお話なんだけど、
ちょっぴりふしぎで、
まるでおとぎ話みたいな話しですよね。

▲行きの船ではこんなにちいさかった、タケシ。

▲1年経ったら、こんなに。

▲大きく。

▲ふてぶてしく、なりました。
帰りの宗谷の甲板で、とってもきもちよさそう。
隊員の誰かが作った救命胴衣を着ています。

西野
そう。写真がなければ、本当のことだったのか
なんなのか、わからないですよね。
ーー
今日は、貴重なお話しをありがとうございました!
タケシ、ありがとう。
(おしまい)

 


1月。東京に4年ぶりにしっかりと雪が降った後、
極地研究所へおじゃましました。
最寄りの駅は、立川駅です。
バスに揺られて着いたのは、雪の中の国立極地研究所。

▲なんだか、南極にきた気分‥‥。

敷地内にある「南極・北極科学館」は、
誰でも無料で入場できます。

外には、東京タワーの下から移築された
カラフト犬のブロンズ像。
第一次越冬隊の帰国後に、彼らのことを忘れないように
と建てられました。

▲ほぼ実寸くらい。なでなでしてもOK。
東京タワーにあるときには、なでなではNGでした。
記念撮影も大歓迎!

現在、2月28日(水)までは
「南極観測隊と動物たち」という企画展を
開催中です。

研究所に保管されている資料を、整理していたら
タケシの写真がたくさん出てきたそうです。

▲お宝写真がたくさん。

▲南極でうまれたこいぬたちを率いるタケシ。

当時を記録したドキュメンタリー映画の、
一部が流れていました。
わ、動くタケシも!

▲隊員を置いて出港する宗谷を見送る隊員。 タケシはどこにいるでしょう?

▲ここにー! コートの中のタケシー!

▲岩の奥のタケシー!
(パソコンではこちらでも観られますよ)

今回、研究所の大坂さんが
いろいろ教えてくださいました。
色んな資料を読んでいるので、
行ってなくても、行ったかのように知識が豊富。
研究所のサイトのキャプションを書いたのも、
大坂さんです。

タケシの他にも、カラフト犬の色んな写真や、

▲展示されている写真は、研究所にあったものや、
隊員の方々から寄贈されたもの。

展示には、色んなパネルもあります。

▲7次隊までは、犬が行ってたそうです。
7次隊のときにいたホセは、16次隊のときまで、
南極で暮らしたそうです!

▲カラフト犬の相関図。
メスが1頭なのでモテモテ!失恋組も‥‥。

犬とネコの他には、カナリヤとハムスターも
一緒に行っていたそうです。

▲カナリヤの生む卵をタケシが取って、怒られた
というエピソードも書籍に残っているそうです。
カナリヤも、タケシと一緒に帰国しました。

そして奥には、常設展示。


▲これが実際に使われていた、犬そりです。

▲移動手段は、雪上車とそり。さ、寒そうだ‥‥。

なんと、南極の氷を触れるコーナーも!

▲南極の氷は、ふつうに冷たかった‥‥。

南極の氷は空気をたくさん含んでいるので、
耳のそばに持ち上げると、小さくプチプチと音がします。

今回、南極にたくさん触れて、とても興味がわきました。
ぜひ、立川の南極に遊びに行ってみてください。
国立極地研究所さん、大坂さん、
ありがとうございました!