糸井 |
しばらくまえからぼくは
シルク・ドゥ・ソレイユについて
取材しているんですが、
モントリオールでも、ラスベガスでも、
みんながあなたのことを
大好きだっていうんですよ。
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ギー |
(笑)
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糸井 |
で、あなたは、
そんなふうに言われているっていうことを
自分でご存じですか?
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ギー |
‥‥はい(笑)。
みんなからとても慕われていて、
愛されているということは認識しています。
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糸井 |
(笑)
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ギー |
シルク・ドゥ・ソレイユにとって、
人と人との関係というのはとても重要です。
私たちの活動の要となるのは、
おもしろいショーをプロデュースし、
つくっていくことです。
おもしろいショーをつくるためには、
与えられた仕事をきちんとやるだけでなく、
まわりの人との関係を密接にし、
おもしろいことをみんなで
体験していくことが重要です。
ですから、いいショーをつくっているとき、
私たちは同じ仕事をしているというだけでなく、
「いっしょに生活をしている」
という感覚を味わいます。
その意味では、まわりの人たちから
私が慕われているということは
たいへんうれしく、光栄なことですし、
組織にとってもいいことだと思います。
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糸井 |
なるほど。
カナダのケベックではじまり、
いまや世界的な企業に成長した
シルク・ドゥ・ソレイユですけど、
これまでに何度も転機があったと思います。
その、変わり目について、
どんなことを考えていたか、
どういう気持ちだったか、
覚えていたら、教えてください。
とくにぼくが知りたいのは、
カナダを出て、アメリカに進出する、
と決めたときのことです。
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ギー |
そうですね‥‥1987年のことです。
私たちはカナダでとても成功していました。
しかし、私は個人的にアメリカ市場が
非常に重要だと思っていて、
なるべく早い段階でアメリカに
進出したいと思っていました。
‥‥あまり私は忍耐強くないもんですから、
とにかく早く進めたいと思ってまして。
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糸井 |
あー(笑)。
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ギー |
いま考えると、1987年というのは、
シルク・ドゥ・ソレイユという集団が
かなりのリスクを抱えた年だったと思います。
というのは、当時は
カナダへ戻ってくる資金がないというくらい、
もう、とにかく、お金がない状態で、
とりあえずロスに行った、
という感じでしたから。
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糸井 |
どんな気持ちでした?
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ギー |
なんというんでしょう、
ほんとうに、震えるような思いで。
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糸井 |
うん。
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ギー |
ただ、その震えというのは、
とてもエキサイティングななにかが
待っているというわくわくした感じと、
そしてもちろん不安と、
両方が入り交じっているような状況でした。
シルク・ドゥ・ソレイユにとっても、
そしてわたしにとっても、
非常にギャンブルであったと思います。
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糸井 |
いままさに「ギャンブル」と
おっしゃいましたけど、
「勝つか、負けるか」で、
その後の自分たちの状況が
まったく変わってしまうというとき、
そこに飛び込んでいく自分を
支えてくれるものって
なんなんでしょうか。
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ギー |
うーん‥‥やはり、
自分が勇気を持って
そこに飛び込めるというのは、
根底に信念があるからだと思います。
ショーを信じている、
というところが、まずあります。
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糸井 |
うん。
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ギー |
新しいマーケットにチャレンジするときは、
もちろんリスクがあります。
けれども、私たちのショーは非常にユニークで、
オリジナリティーあふれるものでした。
自分たちのショーを信じていれば、
自然と勇気が湧いてきますし、
同時に、そこへ飛び込むということに
喜びを感じることさえできるようになります。
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糸井 |
うん、うん。
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ギー |
そして、もうひとつ正直なことをいえば、私は、
「シルク・ドゥ・ソレイユを
国際的に有名にするまで何十年も待てない!」
と思ったんです。
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糸井 |
忍耐強くない(笑)。
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ギー |
はい(笑)。
だから、カナダへ帰る資金の
目処が立ってないのに、飛び込んだ。
それはたしかにギャンブルかもしれませんが、
私は生まれつき、
そういうDNAを持っているというか、
若いころからそういうギャンブルを
繰り返してきたように思います。
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糸井 |
あの、ある個人がギャンブルを繰り返して
何者かに成っていくというのは
ありえることだと思うんですけど、
ギーさんの場合は、
ついてくるみんながいるじゃないですか。
チームの人たちがギーさんを信じて
ギャンブルかもしれないことについてくる、
それはすばらしいことでもありますし、
同時に怖いことでもあるんじゃないかと
思うんですが、いかがですか。
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ギー |
彼らが私についてきてくれたのは、
どちらかといえば自然なことだと思うんです。
というのも、出演するアーティストはもちろん、
私たちのショーに関わる人たちはみんな、
エンターテインメントが大好きなんです。
シルク・ドゥ・ソレイユというのは
いろんな人たちが集まった集合体です。
でも、進む方向はつねにいっしょです。
それは、「もっとショーを演じたい!」という
信念をみんなが共有しているからです。
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糸井 |
ああ、なるほど。
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ギー |
私たちがカナダを出て、
アメリカに進出するということは、
より多くのショーを
演じることができるということです。
そして、ショーに信念を持っている私たちにとって
より多くのショーが演じられるということは、
勝てる条件が整っていくということでもあるのです。
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糸井 |
そうか、そうか、
根拠のない気持ちだけの決意ではなく、
ちゃんと勝算をもってのぞんでいるんだ。
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ギー |
そういう意味でいえば、季候の問題もあります。
カナダでは、季候の影響で、
1年に4ヵ月か5ヵ月くらいしか
ショーを開催することができないんですけど、
アメリカの気候は温暖ですから、
1年を通してずっとショーを続けることができます。
そういったさまざまな要素もありまして、
私がアメリカ進出を決意したとき、
集合体としてのシルク・ドゥ・ソレイユが
自然と同じ方向に歩んでくれたのだと思います。
それは、いわば、
「生きるために我々は前に進んでいく」というような、
非常に自然な選択だったと思います。
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糸井 |
うん。いま、とてもよくわかった気がします。
アーティストたちはギャンブルに乗ったわけではなく、
大好きなショーを続けたかったんですね。
だから、負けるなんて思い浮かばなかったんだ。
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ギー |
そうですね。 |
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(つづきます) |