糸井 |
アメリカ進出を果たした
シルク・ドゥ・ソレイユは、
ショーの本場であるラスベガスで、
さらなる成功をおさめます。
ぼくらはショービジネスに関して素人ですが、
それでも、ラスベガスというのは
エンターテインメントの面においても
ビジネスの面においても、
一筋縄ではいかないプロ中のプロがそろっていて、
そうとうタフな状況だったんだろうと想像できます。
一方、シルク・ドゥ・ソレイユは、
たしかな実力と個性を持った有能な集団だとはいえ、
いわば、カナダから出てきた大道芸人の集まり、
だったわけですよね。
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ギー |
ええ、そうですね(笑)。
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糸井 |
そういうギーさんたちが、
世界一タフな交渉相手たちと対等に渡り合って、
最終的には、MGMミラージュなどの
巨大なホテルグループに
自分たちの常設ショーを開催するための
専属シアターを建設してもらうまでになった。
そんな難しいことが、どうしてできたんでしょう?
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ギー |
3つの要素があると思います。
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糸井 |
はい。
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ギー |
1つは、運です。
2つ目は、正しい場所を選んだということ。
3つ目は、正しい時に、それをやったということ。
その3つが重なって、
私たちは成功をおさめることが
できたのだと思います。
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糸井 |
時、場所、運。
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ギー |
はい。具体的にいえば、
MGMミラージュという
大きなリゾートグループが、
自分たちの系列のホテルのシアターを
とてもいいタイミングで
私たちのために開放してくれたんです。
そのシアターで、
私たちはラスベガスでの最初の常設ショー、
「ミステール」を行うことができました。
場所としても申し分ありませんでしたし、
当時、私たちの頭のなかには
新しいショーのアイデアが
あふれんばかりに湧き出てました。
そのタイミングで、
いい場所に自分たちの拠点ができた。
それはもう、空から
天使が舞い降りてきたかのようでした。
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糸井 |
そのときの、MGMとの交渉を、
ギーさんたちは、
自分たちのクリエイティブに対する
イニシアチブを失うことなく、
対等なままの関係で進めてますよね。
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ギー |
そうです。
クリエイティブについて
他者から干渉されないというのは、
私たちが絶対に譲れない条件ですから。
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糸井 |
シルク・ドゥ・ソレイユの物語を
読み進めていくと、
そこがやはり不思議なんです。
何度か訪れる転機において、
シルク・ドゥ・ソレイユは
自分たちのクリエイティブの可能性を
一度も狭められることなく大きくなっている。
たとえば、昔のアーティストというのは、
どれだけ才能があっても
ビジネスの面ではほんとうに非力で、
不当で不利な契約を結んでしまう、
ということが多々あったと思うんですね。
当時、おそらくビジネスの
プロとはいえなかったギーさんたちが、
経験量も、お金も、パワーも違う人たちを相手に
どうやって乗り切っていったのか知りたいんです。
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ギー |
もちろん、MGMとの交渉は、
簡単なことではありませんでした。
ですが、正直にいって、
かなりフレンドリーな雰囲気のまま、運びました。
MGMの代表の人と個人的に
親密な関係ができたということもあり、
お互いに言いたいことは
しっかりと言い合うことができました。
そして、なにより、根本的な部分として、
MGMグループのシアターで
私たちがショーをやるというのは、
シルク・ドゥ・ソレイユにとって
うれしいことであるだけでなく、
MGMにとっても
非常にうれしいことだったのです。
ですから、その交渉は、簡単ではなかったけれども、
すごく難しくもなかった。
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糸井 |
ああー、そうですか。
それは、やっぱり、演目というか、
シルク・ドゥ・ソレイユのショーという
コンテンツのクオリティーが非常に高くて、
自分たちがそこに強い確信を持っていたというのが
交渉にのぞむにあたって大きかったんでしょうね。
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ギー |
そうなんです。
なにしろ、当時の私たちのショーは、
チケットがかなり売れてましたから。
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糸井 |
それだ。やっぱり。
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ギー |
そうですね。
そういったさまざまなことが
バックアップしてくれて、
私たちにとってもMGMにとっても
結果的にすごくいい契約を
結ぶことができたんだと思います。
(つづく) |