糸井 |
ええと、どこで話しましょうかね。 |
レダ |
じゃあ、ステージのところで。 |
糸井 |
開演前の準備が進んでますけど、
おじゃまになりませんかね? |
レダ |
ここなら、大丈夫。
座ってもいいですよ、糸井さん。
どうぞ、座ってください。 |
糸井 |
はい、じゃあ座ります。
‥‥おお、『ZED』の舞台に、いま。 |
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レダ |
(笑) |
糸井 |
じゃ、よろしくお願いします。
舞台がはじまる直前にごめんなさいね。 |
レダ |
いいえ、まったく問題ありません。 |
糸井 |
レダさんは、この『ZED』で
主役を務めるわけですけど、
シルク・ドゥ・ソレイユのショーにおける
主役というのはふつうのお芝居のそれと違って、
その世界への案内役というか、
狂言回しにあたるものですよね。 |
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レダ |
そのとおりです。
ひとつの舞台、ひとつのマジックを
つくりあげる要素のひとつとして、
主役のキャラクターがあります。
そのキャラクターが冒険をすることによって、
全体の世界観、物語をお客さんに伝えていく。
また、その世界での冒険を通して、
キャラクター自身も成長していく‥‥。
そういった手法は、
シルク・ドゥ・ソレイユのショーにおいて
しばしば用いられるもので、
じつは、私は『ZED』のまえに
『オー(O)』で主役を務めていました。 |
糸井 |
ああ、そうだったんですか。
ぼくも今年の1月に『オー(O)』を観たんですが、
すばらしかったです。
主役は、あなたじゃなくて、
おそらく、後任の方でしたけれども。 |
レダ |
はい(笑)。 |
糸井 |
あの、レダさんは、もともと、
どんなふうないきさつで
シルク・ドゥ・ソレイユに、入られたんですか? |
レダ |
すごくいい質問ですね。
でもすごく長く説明がかかります(笑)。 |
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糸井 |
開演前ですから、短めにお願いします。 |
レダ |
わかりました(笑)。
15歳か16歳のころだったんですけれども、
シルク・ドゥ・ソレイユが
ケベックの近くのサイトフォアという小さな町に
ビッグトップと呼ばれるテントを張って
ツアーショーを開催したんです。
「ヌーヴェル・エクスペリエンス」
というショーでした。
1989年くらいのことですから、
シルク・ドゥ・ソレイユはいまよりも
ずっと小さい会社でした。
そのショーは、シルク・ドゥ・ソレイユの
歴史の中でもごく初期のショーだったんです。
それで、私は、そのときに、
劇場内の、掃除、チケットもぎりといった
雑務をこなす、
「アッシャー」という仕事をしてたんです。 |
糸井 |
あ、観客としてめぐり会ったのではなく。 |
レダ |
違います。
仕事を探していただけだったんです(笑)。 |
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糸井 |
おもしろいもんだねぇ。 |
レダ |
で、当日に、劇場に行きましたら、
そこでリハーサルをしていたんですね。
そのリハーサルと、ショーを観て、
もう、私の人生はそれから変わってしまった、
ということなんです。 |
糸井 |
あ、終わっちゃった。
本当に短くまとめていただいて。 |
レダ |
(笑) |
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糸井 |
もう少し訊かせてください。
そこから、すぐにシルク・ドゥ・ソレイユに
入ったわけですか? |
レダ |
いいえ、当初は化学を勉強しようと思ってたんです。
で、実際に化学を1年間勉強したんですけれども、
成績があまりよくなかったんです(笑)。
それで、シアタースクールに入りまして、
4年間、勉強しました。その後、幸いなことに
『オー(O)』の主役をやることになりまして、
以後、いろんな機会に恵まれることとなりました。 |
糸井 |
あの、シルク・ドゥ・ソレイユに入るにあたって、
パフォーマンスっていうか、
なにか得意な技術があるわけでもなく、
入ったということですか? |
レダ |
そうですね。
私自身はジャグリングだとか、
ハイワイヤー(綱渡り)だとか、
そういう特別なスキルを持って
シルク・ドゥ・ソレイユに入ったわけではありません。
ただ、コメディア・デラルテという
16世紀に流行したイタリアのコメディを
ジャンルとして経験していた、というのはあります。 |
糸井 |
でも、空中ブランコができるわけでもないし、
体がメチャクチャやわらかいわけでもないし。 |
レダ |
バトンがうまいわけでもありません。 |
糸井 |
(笑) |
レダ |
ですが、なにより、
私はサーカスにとても興味をもっていて、
シルク・ドゥ・ソレイユのステージで披露されるような
肉体的なパフォーマンスが大好きなんです。
ですから、自分がここまで歩んできた道のりは、
自分としては自然な流れだと感じています。 |
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(続きます)
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