みんなCM音楽を歌っていた。 大森昭男ともうひとつのJ-POP


CM音楽と山下達郎

糸井重里 CM音楽をつくることで
アーティストがギャランティをもらうわけだけれど、
これ、彼らもずいぶん助かったと思います。
CM音楽のギャラがあったから、
あまり本意ではない仕事をしなくてすんだし、
洋盤のレコードを買うことができた。
いま、みんな、音楽は1曲ずつでも
簡単に買うことができるけど、
当時、牛乳1本が25円の時代、
洋盤は1枚2000円とか2500円とかして、
日本には2、3枚しか入ってきていなかったりしました。
専門店に行かないと買えないし、
買い逃したら手に入れるすべがなかったくらい。
それを音楽をこころざす若者が買うことができた。
これってすごいことなんです。
その昔、リバプールでもね、
数枚しか入らない、アメリカのドゥワップのレコードを、
それがほしかったミック・ジャガーを制して、
先にジョン・レノンが買っちゃった、
みたいなことがあったわけで、
同じようなことが日本でも起きていたんですね。

彼らにとっては何でもインプットしたい時代です。
アウトプットはCM音楽だけど、
彼らのアルバムの中にきちんと入る音楽でもある。
コマーシャルが循環をよくしたんですね。

(糸井重里)




サイダーのシリーズは、
「'74」「'75」「'76」「'77」と5年間に亘って続いた。
「'76」のみが山下達郎で他は全て大瀧詠一である。

二年目の「サイダー'74」のレコーディングは、
1974年1月16日、17日と二日間、
大橋にあるポリドールの第二スタジオで行われている。
17日は、夜に場所を変えて目黒のモーリスタジオで
トラックダウンも済ませている。
ミキサーは笛吹童子、
大瀧詠一が自分でエンジニアをする時の別名である。
その最初の試みが「サイダー」だった。
作詞や作曲は多羅尾伴内の名前で大瀧が担当した。
これは60年代の東映の探偵映画
「七つの顔を持つ男」で片岡千恵蔵が扮した
探偵の名前だった。

この時のレコーディングで、
後に荒井由実と結婚するキーボーディスト、松任谷正隆、
はっぴいえんどのメンバーだった細野晴臣、
後にソロで活動し、佐野元春のプロデューサーにもなる
伊藤銀次らに交じって
ハモニカを吹いていたのが山下達郎である。
彼が自分のバンド、シュガー・ベイブで
レコードデビューするのは1975年のことだ。
1973年12月17日に青山タワーホールで
東京でのデビューコンサートを開いたばかりだった。
「山下さんにシュガー・ベイブとして会ったのは
 大瀧さんにお願いした三菱のオーディオ
 『JEAGAM』のコマーシャルの時だと思います。
 渋谷のジァン・ジァンの横にあった
 エンジニアの吉野金次さんのスタジオ。
 みんなでコードを見ながらほとんど顔を寄せ合って
 熱心にハーモニーを作る。
 そんな光景が印象的でしたね」

シュガー・ベイブは、日本のポップスグループの
草分けであり、スタンダードな形を作ったグループだった。

都会的で洗練されたビートとコーラス。
70年代の主流だった生ギターのフォークやブルース、
ハードロックが多かったロックバンドとも違っていた。

50年代や60年代のアメリカンポップスや
黒人のコーラスグループを消化したバンドは
当時は、彼らくらいしかいなかった。

日比谷の野外音楽堂などで行われていた
ロックコンサートでは、“軟弱”という批判も飛び、
実際に客席から投石を受けたこともある。
それでも他に、歌う場所がなかった。
彼らは、たいていのコンサートで、
最初の出演者として登場し、
数曲を歌って帰るというのが約束事のようになっていた。
つまり、“受けない”のである。
「コマーシャル音楽がなかったら、
 音楽活動を続けられなかったと思う」
山下達郎がインタビューでそう言うのを
何度となく耳にしている。

「三愛バーゲンフェスティバル」
「三ツ矢フルーツソーダ」
「資生堂バスボン」
「資生堂MG5 '76」
「不二家ハートチョコレート」
「サイダー'76」
「VAN Cap篇」。
1974年から1975年にかけて
大森昭男は山下達郎にそんなCM音楽を依頼している。

ちなみにシュガー・ベイブとして参加した
「フルーツソーダ」で彼らが手にしたギャランティーは、
シュガー・ベイブとして一人2万円、
山下達郎には作曲料として7万円が支払われている。
双方を合わせればサラリーマンの大卒初任給の倍にはなる。
「三愛」のレコーディングがされた1974年6月。
シュガー・ベイブのコンサート記録に残っているのは
三本だけだ。
レコードデビューもしておらずライブの本数も
数えるほどだったバンドにとって
CM音楽が支えにならなかったはずがない。
大森昭男は、その頃の彼らのことをこう言う。
「もちろんそういう生活面のこともあったでしょうけど、
 それよりは、CM音楽はオンエアがすぐにありますから
 ラジオやテレビから流れてきた自分達の音楽が
 どんな風に受け入れられるかが分かりますからね。
 レコードを出していないバンドにとっては
 それが嬉しかったんじゃないでしょうか」

大森ラジオ大森ラジオ 1976年
アサヒビール「サイダー'76」
作詞 伊藤アキラ
作曲・アーティスト 山下達郎

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2007-08-29-WED





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