みんなCM音楽を歌っていた。 大森昭男ともうひとつのJ-POP


これまでにも何度か「ほぼ日」に登場している
CM音楽プロデューサーの大森昭男さん。
(ぜひ、「ほぼ日」の目次から検索してみてください。)
1960年、三木鶏郎さんの弟子として仕事をはじめ、
1972年に独立してからは、
若き日の大瀧詠一さん、山下達郎さん、
細野晴臣さん、坂本龍一さん、高橋幸宏さん、矢野顕子さん、
矢沢永吉さん、宇崎竜童さん、鈴木慶一さん、大貫妙子さん、
‥‥など、そうそうたる音楽家たちと組んで、
たくさんの楽曲をCMにのせ、世の中にひろめてきました。

47年間に1760の作品をつくってきた大森さんを、
音楽ライターの田家秀樹さんが取材。
長くスタジオジブリの雑誌「熱風」で行なってきた
連載が完結し、このたび、452ページというボリュームで、
1冊の本にまとめられることになりました。
どこをとっても面白いこの本なのですが、
ここでは、「立ち読み版」として、
「ほぼ日」の読者のみなさんになじみの深そうな章を
えらんで掲載していこうと思います。

この時代のことを知っているかたも、知らないかたも、
大森さんをめぐる「もうひとつのJ-POP史」に
ふれてみてください。
そして、興味がわいたら、
ぜひ、本を手に取ってみていただけるとうれしいです。

(毎回、糸井重里によるみじかい解説と、CM音楽の配信もありますよ!)








大森さんが仕事をはじめた時代、
「歌を仕事にしている人」と、
「コマーシャルの歌をつくる人」は別でした。
大森昭男さんがやったことは、
その「歌を仕事にしている人」を
CM音楽の世界に連れてくること、でした。
ちょうどその時代、
「ハイ、コマーシャルでございます」
じゃないものを必要とする、
たとえば資生堂のような企業が出てきます。
雰囲気をつくること、イコール、
コマーシャルをつくること、になりえるし、
商品を直接的に紹介するような
「ためにする」歌じゃなくても、
CMソングになる、
ということに気づきはじめる。
企業がそれを受け入れるようになっていったんです。

大森さんの40年の歴史は、
そのまま日本のポップスの歴史にリンクしています。
あなたのリスペクトするあの音楽家も、
きっとこの本のどこかで
大森さんと出会ってる場面があるんじゃないかな。

(糸井重里)




ON・アソシエイツは、1972年5月、
青山のワンルーム・マンションの一室でスタートした。

その年、彼(大森昭男)が手がけた主な作品は
こういうものがあった。

○資生堂「MG5 オオ兄弟」
 作詞・作曲・編曲・クニ河内 アーティスト・上條恒彦
○資生堂「'72秋の化粧品デー」
 作曲・編曲・嵐野英彦 アーティスト・スリーグレイセス
○マルマンTIMEX「約束」
 作詞・及川恒平 作曲・小室等 編曲・青木望
 アーティスト・南こうせつ&かぐや姫
○松坂屋「ケネスピリー 雨傘篇」
 作曲・編曲・広瀬量平
○不二家「ルックチョコレート」
 作詞・伊藤アキラ 作曲・編曲・樋口康雄
 アーティスト・樋口康雄
○住友金属「夜明け」 作詞・岡田冨美子
 作曲・編曲・瀬尾一三 アーティスト・オフコース
○味の素「ドレッシング・僕の贈りもの」
 作詞・作曲・編曲・小田和正 アーティスト・オフコース

クニ河内や伊藤アキラ、嵐野英彦らは
すでに以前からの仕事仲間である。
広瀬量平は、彼が冗談工房に入るきっかけを作った作曲家だ。
樋口康雄は、NHKの「ステージ101」で活躍していた。
瀬尾一三は現在も中島みゆきや吉田拓郎の
プロデューサーとして活躍している。
当時はフリーになったばかりのアレンジャーだった。
小室等は、前の年に「出発の歌」で
世界歌謡祭グランプリを獲得している。
かぐや姫は、デビューアルバム
「はじめまして」が出たばかりで
まだ海のものとも山のものともつかない状態だった。
1970年に三人組でデビューしたオフコースは、
「僕の贈りもの」で小田和正と鈴木康博の二人組として
本格的に活動を開始した。
まだワンマンコンサートすらやったことがなかった。

そんな顔ぶれは、ON・アソシエイツの一年目が、
独立の挨拶とこれまでのお礼も兼ねたいままでの仕事仲間と、
新たに起用した新しい才能の発掘を
両立させようとした年だったことを物語っている。

1972年という年は70年代という時代を
決定づけた年だった。

グループサウンズのブームはわずか数年で崩壊し、
その後に若者達の音楽として定着したのが
フォークソングだった。
吉田拓郎の「結婚しようよ」が、
チャートの上位を席巻し、
それまで長髪・反体制というイメージのあったフォークが
“売れる音楽”として脚光を浴びた。
その一方で、連合赤軍事件は、
政治の季節にピリオドを打ち、
若者達の間に“音楽の季節”が到来した。
吉田拓郎が、手がけた富士フイルムの
「HAVE A NICE DAY」がテレビから流れたのが
この年だった。

1972年
資生堂MG5「オオ兄弟」
作詞・作曲 クニ河内
アーティスト 上條恒彦

▲クリックすると音楽が流れます。

2007-08-27-MON




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イラスト:大原大次郎



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