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宇崎竜童さんがしたことって、芸能とロックのあいだに
突破口をひらいたっていうことだと思うんです。
もともと宇崎さんは芸能プロダクションにいて、
売れないアイドルのマネージャーをしていました。
そのことで芸能界に対してくたびれていたから、
自分たちが売れることには抵抗がなかったんですね。
当時、洋楽系のバンドの人たちは
芸能界で売れるということについての抵抗があったけど、
宇崎さんはそれがなかったから、
最初っからテレビにもメディアにもどんどん出ていった。
「売れちゃうことは、悪いことじゃない」っていうのを
体現する人が、出てきたんですね。
そして芸能界とブルース、ロック、異種文化が交流した。
さらに、阿木燿子さんというパートナーがいて、
たとえば南こうせつ「夢一夜」をつくり、
名曲であり、大ヒット曲が、CMから生まれる。
そういう境界域での市場が、できたんですよ。
(糸井重里) |
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コマーシャルソングは売れる。
70年代後半のタイアップ戦争はそこから始まっていた。
そのきっかけとなったのがやはり
大森昭男がプロデュースした1976年の資生堂の
「オレンジ村から春へ」だったことは前項で触れた。
歌っていたのはりりィだった。
「CM業界って何が新しくて
何が本物かということについては貪よくなんですよ。
時代を一歩先に行っている人たちとの異種交配。
それが出来ている時が一番の妙だと思います」
大森昭男はCM音楽の面白さについて常々そう話している。
資生堂という化粧品会社と
サングラスのロックンローラーという異種交配──。
70年代の資生堂は、
そんな試みを可能にする舞台でもあったのだろう。
キャスティングの妙。
その口火を切ったのがやはり大森昭男が手がけた
1977年の「サクセス、サクセス」だった。
作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童、
歌っているのも宇崎竜童だった。
「あのコマーシャルのコピーは
コピーライターの小野田隆雄さんでした。
夏でしたから、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの
持っていた情熱的な強さというのを
引き出せたらということだったんですけど、
あの時は田代さんも社内で苦労されたと思いますよ。
上の人たちの中ではサングラスはまだ
反社会的なイメージで御法度でしたし。
バンドとしてでなく宇崎さん個人になったのも
そういういきさつがあったと思います」
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドがデビューしたのは
1973年。デビューアルバム「脱・どん底」は
収録曲の中に放送禁止曲が入っていたために
いきなり発売が延期になるという
つまずきからスタートした。
ガソリンスタンドの従業員が着ているような
ツナギ・ルックとサングラスにリーゼントという
ツッパリ・イメージになったのは
二枚目のアルバムからだ。
最初のヒット曲「スモーキン・ブギ」は、
未成年にとって禁じられている喫煙がテーマだったし、
続けざまにヒットさせた
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」も、
行方不明の酒場の女を捜すという、
オシャレとはおよそ縁のない設定の歌だった。
異色のツッパリ・ロックバンド。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは、
そんな風に見られていた。
“ここまで来たらサクセス”──
歌の中で彼らはそう歌っていた。
世の中に対して斜に構えつつ
ヒットを飛ばしてきた彼らが、
いま、堂々とサクセスを宣言する。
“ここまで”という言葉はそう言っているように聞こえた。
宇崎竜童はバンドとは違うメジャーな存在として
お茶の間に認知された。 |
2007-08-31-FRI
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(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
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