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あっこちゃんと仕事をはじめたら、
おたがい面白くなっちゃって、
おたがいを必要とするようになりました。
大森さんが仲人なんだけれど、
あっこちゃんというすばらしいお店があって、
そこの仕事をぼくがしている、
そういう感じでした。
作詞って共同経営みたいなものなんでしょうね。
そして、この頃になると
抵抗なくほんとうに
うまくつくれるようになってきました。
あっこちゃんが相手だと思い切ったことができるし、
いろんなことが試せたし。
ものをつくることがほんとうに楽しいんです。
「自転車でおいで」に出演したのが
当時、状況劇場を辞めてフリーになったばかりの
小林薫さんです。
「不思議、大好き。」のナレーションもそうです。
音楽家もそうだけど、力のある役者も、
そうやって食いっぱぐれない状態にして
のびていくというのが重要だって思っていました。
食いっぱぐれそうになると、
我慢した仕事をせざるをえないし、
ややこしいばかりの中に入っていくから。
生活ができているんだ、というほうが
欲望の次元が上がるから、
ほんとうにいいものがつくれますよね。
(糸井重里) |
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矢野顕子と糸井重里のコンビが誕生したのは、
1979年の緑屋「amsオープン」である。
大森昭男が依頼した作品の三作目だ。
彼女は、糸井重里について
「矢沢永吉の『成りあがり』を書いた人」
という説明を受けていた。
糸井重里に彼女の起用を提案したのは大森昭男だった。
矢野顕子は、その時のことをこう言う。
「初めて糸井さんのところに行ったんですけど、
打ち合わせした様子も覚えてますよ。
あの頃まだセントラルアパートに
事務所があったんですけど、
この人、業界の人ですか、みたいな感じだった(笑)。
だけど全然チャラチャラした感じじゃなくて。
彼が出した最初の本の話をしてた気がする。
私が知っていたそれまでの音楽業界の仲間には
なかった視点を持っていたりして、
非常に印象深かったですね。
彼が書いてくる詞も、
作詞というよりはもっとコピーというか、
プロダクツ寄り、という感じで、
私には絶対に書けないし、すごく新鮮でした」
二人のコラボレーションで画期的だったのは、
1980年の西武百貨店「不思議、大好き。」だった。
“不思議”という抽象的な言葉と
“大好き”という感覚的な言葉の組み合わせ。
音が歪んだような音楽と彼女の独特の声。
一般的なCMのメッセージとも
通常のポップソングとも違う斬新なインパクトは、
二人だったからこそ生まれたと言って良いだろう。
彼女はこう言う。
「変な曲だったんですよね(笑)。
あれが西武の全館で繰り返し流れていましたからね。
従業員のみなさんはきっと嫌だったんじゃないかと
思ってるんですけど(笑)。
確かに不思議なCMでしたよね。
そういうものを許してくれたんですね、西武は。
太っ腹でした」
ただ、彼女の口から最高傑作ということで上がった曲は
「自転車でおいで」だった。
1986年、浅草ROXがクライアントである。
戦前からの歓楽地、浅草六区が若者向けに
再開発的リニューアルした時のCMである。
「コマーシャルソングということに限らず、
作曲・矢野、編曲・坂本(龍一)の
最高傑作の一つではありますよ。
悪いところは一つもないです。
パーフェクトだったんですよ。
糸井さんともあの『自転車でおいで』を
どう超えるかっていうのが
それから先の大きな命題で。
『あれよりも良い曲を書こう』っていう欲が
双方に働くくらいでしたからね」
浅草ROX「自転車でおいで」については、
すでにこの連載で糸井重里が登場した回でも触れている。
当初は“自転車でおいで”という
サビの部分しかなかったものを
急遽長くしたという経緯があった。
「その時は、そこまでの曲になるとは
思っていなかったんですよ。
狙って作れるものじゃないんですね、
ああいうものって。
それ以降に糸井さんと
何回もそういう話をしましたけど。
狙って作れるものじゃないよねって。
狙って作ったものはことごとく失敗しましたね(笑)」
矢野顕子と糸井重里──。
1980年の「不思議、大好き。」の後に出たのが
カネボウ化粧品のCMソングでもあった大ヒット曲
「春咲小紅」だった。
もちろん二人のコンビである。
その関係はいまでも続いている。
「私は言葉の部分で言うと、
私はこうでなければいけないとか、
例えば長渕剛さんみたいな、
何か分かりやすい魂のようなものが
あるわけではないんですよ。
自分で出す言葉というのはすごく語彙が少なくて、
ひらがなで書ける。
痛いとか熱いとか、それだけで済んじゃう。
だけど糸井さんが、私の代弁をしてくれる。
糸井さんは私の本質を理解してくれて、
私だったら、こう言うだろう、
こういう言葉は使わないだろうと
解析して書いてくれる。
それ以降、糸井・矢野で沢山曲を書きましたけど、
CMであろうが、
その後の『SUPER FOLK SONG』であろうが、
いつもそういう関係は
キチッとあってのことなんですよ。
その態度、位置関係が全く変わっていないわけです。
だから『不思議、大好き。』にしても、
糸井さんの表現であると同時に私の表現でもある。
それが、西武百貨店という、
あの当時、若者文化をリードしていた人達の中に
入れてもらえたというのは、
非常に幸福な出逢いでしたよね」
CM音楽から始まった切っても切れない関係──。
矢野顕子と糸井重里はまぎれもなくそういう二人だろう。 |
2007-09-11-TUE
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(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
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