前回のつづき。
変わりました。
公演中に変えるのは大変なことだと思います。
疑問をそのままぶつけてしまったし、
演劇の素人だから、
トンチンカンなことを言っていたと思いますが、
それでも、耳を傾けてくれたマームとジプシー。
マンガ原作なんてどうでもいい、
原作者は黙ってろ、ということも言われるし、
正しい気もします。
もう、これはマームとジプシーの「cocoon」という
作品として考えなきゃと思っています。
しかし彼らは、2年間、向き合ってきたもの、
自分達が選んだものにさいごまで責任をとろうとしている。
この作品のなかに、原作・原作者も含まれている、
ということを、やってくれている。
面倒だし、苦闘している。
だから前回のはクレームでは無くて、
いつものやりとりのちょっときつい感じです。
彼らもわかっているからこそ、
掲載することを許してくれました。
それからも毎日、少しずつ変わっています。
きっと、私が言わなくても、
この舞台は変化していったでしょう。
先走って余計なことしちゃったかなあ。
(どういうふうに変わったのかは、
 観劇の楽しみでもあるのでここでは言わないでおきますね)

でも、やっぱり、納得できない部分もありました。
繭(マユ)についてです。
これは仕方がないのかもしれない。
何度も意見をきいてみたけど、
演劇とマンガの表現の違い、
わたしと藤田さんのテーマの違い、
いろいろあるのかもしれない。
でも、この繭がやぶれる瞬間こそ
原作『cocoon』を引っ張ってきたものだから、
原作とは違っていても、
なにか、舞台にとっての
「cocoon(繭)」というタイトルを冠する意味が欲しいなあとは
いまだにうじうじと思ったりもしていて。




舞台には原作にはない
いろんなキャラクターが出てくるのですが、
そのなかで「まとばさん」という生徒が出てきます。
「まとばさん」は確かに舞台にいるのですが、
影が薄いという設定のため、
「特にコメント無し」とされてしまいます。
沖縄で訪ねたひめゆり祈念資料館の最後の部屋は、
生徒達の顔写真が並び、
ひとりひとりにコメントがされていました。
どんな子だったか、性格、部活、どこで命を落としたか‥‥。
生き延びた生徒達の記憶から書き起こしたのだと思います。
そのなかに、たまに、顔写真が無い子、
コメントの少ない子が混じっています。
そういう差がなんだか生々しく感じたのを思い出しました。
誰かの記憶になることが死であるなら、
誰の記憶にも残らないことってなんなんだろうなあ。
記憶とか過去がこの舞台にとっての繭になるのかな? と
勝手に想像したりしています。
(とんだ見当違いかも知れませんが!)



8月12日、渋谷パルコの2.5Dにて
番外編イベントが開催されました。
Ustreamで配信もしたので
ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。
原田郁子さん、藤田さん、ライターの橋本さん、
役者の青柳いづみさん、吉田聡子さん、菊池明明さん、
今日マチ子が出演しました。
はりつめている舞台とは真逆の、
ゆるく楽しくやりましょう、というイベントでした。
主に沖縄取材の話をしました。
藤田さんと橋本さんはお酒を飲んでいた。
原田さんの歌と役者さんのリーディングの共演、
本当に素晴らしすぎてぼんやりしてしまった。
同じ壇上にいることが夢のようでした。
そしてすらりと美しいマユ役・菊池明明さんの
隣に座れて幸せでした‥‥。
このシーンはこの先の人生で
なんども繰り返し思い出すことになるはず。





2013-08-16-FRI