1101
イナカモン外伝、逆襲のサガ。
都会の正体とはなんだろう?

<偉大なる告白、偉大なる佐賀の両親>


ども。初めての方も、再びの方もほぼにちわ。
高田馬場サガコです。
ご無沙汰でございます。
わたくし、この二十一世紀初のゴールデンウィークに、
またまたものすごいネタをぶら下げて『ほぼ日』へ
戻って参りました。

「佐賀県に勝るようなおもしろネタなんて、あるの?」

あるんです。
私、まだ持ってたんです、秘密兵器のリーサルウェポン。


発表します。

私、
明日から・・・

痔の手術で入院してきます。


参ったか!
参っただろう!
私が誰より参ってるぜ!
世間的に、これほど恥ずかしいとされている病気が
他にあるでしょうか。
痔。
漢字一文字、発音一発。
ただ、ぢ。
ちにてんてんの、その字面。
これだけで人の失笑を買ってしまう病気が
他にあるでしょうか。

私はまじでまじで悩みました。
この出来事に関する文章を書くべきか否か。
悩んでなやんで、結局、この文章を書いている今も
本当の病名を知らされていない
知り合いの皆様も、たくさんいらっしゃいます。
ぜーんぶひっくるめて、かっこわるいったらありません。
本当に、悩みました。

悩んだ挙げ句、私はどうしたものかと両親に
電話をしました。
入院のことはもちろん、病気のことも全部知ってる両親。
電話には母が出ました。
「あのさぁ、「ほぼ日」に入院の一部始終について
 文章ば載せたらどう?って
 話の来とるとやけど、どがん思う?(どう思う?)」
深刻そうな私の声に、しかし母は、
「ああ、痔の手術のこと?書けばよかたい。
 ありがたい話じゃないの」
ずいぶんあっけらかんとした返事でした。
私はもちろん慌てました。
電話越しに
「・・・いや、でも、恥ずかしいっていうか、
 なんていうか・・・」
と、ごにょごにょ。
すると母は、意を決したようにこう言い放ったのです。

「サガコ、世の中にはね、
 多分、隠れて痔に悩んだりしてる人が
 いっぱいいると思う。
 その人達を救う意味でも、あんたが率先して
 細かくレポートをしてあげたら、
 恥ずかしがってないで病院に行こう!
 って思う人が増えるんじゃない?」

うーん、確かにそれはそうかも知れない。
だけど、そこで私がスケープゴートになれば、
そのリスクも大きいのではないだろうか?

「でもさ、でもさ、過剰な心配かもしれんけどさ。
 私が痔のレポート書いたとして、よ?
 それで世間的に【痔ライター・高田馬場サガコ】
 みたいに、あっさり思われたりしないかなぁ・・・?
 使い捨て芸人みたいになったりしないかなぁ?」

そしたら、母は言いました。

「お母さんがね、あんたにこの事を書いたらいいって
 言ってるのはね、
 あんたが決して「病気」っていう要素だけに飲み込まれる
 ライターじゃないって、
 そんな器じゃないって信じてるからよ」

嗚呼。
母の答は偉大であった。
受話器の後ろで、父親も「そうだそうだー」
とか言ってるのが聞こえてきます。
なんという両親でしょう。
なんて素敵な両親なんでしょう。
要するに、やれ、と。
やっちゃえよ、と。

「おもしろかったら、いいんじゃない?」
って、あなた達の娘は
決して芸人ではないんですけれども・・・。

「これで彼氏にふられて嫁にいけなくなったら、
 帰ってくればいいんじゃない?」
って、あなた達の娘はこないだ失恋したばっかり
なんですけれども・・・。

「もし帰ってきたら、あんた佐賀だわよ」
って、それは脅し文句がちょっと違うと
思うんですけども・・・。


偉大なる父と母に励まされ(だまされ?)、
高田馬場サガコ、
この度は失笑覚悟の出ケツ大サービスに
踏み切ることに致しました。
入院は一週間。手術は2日後。
ドキドキであります。
お尻の向こうに何が見えるでしょうか。
退院してから、仕事仲間には
何を言われてしまうんでしょうか。
ていうか、
次回、イトイさんにどんな顔して会えばいいのでしょうか。

とりあえず、主治医の先生にインタビューとか、
いろいろ考えてますんで、
またしばらくおつき合いのほどをよろしうに。
痔を笑うヤツは痔に泣くぜ、マジで。

しかし、佐賀で、痔・・・あらためて最強ですなぁ、
わたくし。

2001-04-27-FRI

<入院一日目>

さて、そもそもサガコの痔が発覚したのは5年以上前。
気づいてはいたけど、そっと無視して暮らしていくうちに
あれよあれよという間に血流は悪くなり、
痔は悪化の一途。
ごまかし続けて一生送るのかなぁ・・・。
やや途方に暮れながらも、
それでも病院に行こうという気には、
どうしてもなれなかったのでした。
そんな私がなーんで今頃になって
「肛門科に行こう!」と思い立ってしまったのか。
「Dr.OKのまじめなおしりのはなし」
というサイトに出会ったからなんです。
http://www2b.biglobe.ne.jp/~dr-ok/
肛門科のお医者の権威である、
奥田先生がご自分で作られている痔のこのHPには、
切れ痔、いぼ痔、痔瘻、その他、
とにかくおしり関係についてのエトセトラが
細かく書かれている。
気になる手術の必要・不必要の指針から、
いざ手術となった場合の費用、入院の目安日数まで。
こんなに詳しくていいのかしら、
というぐらいホントに詳しいし、
何よりもコンテンツがおもしろい。
先生のセンスがびしばし伝わってくる。
ここまで読んで、読ませていただいて、
「恥ずかしいから病院行くのイヤだ」なんて言ってちゃあ、
これは奥田先生の心意気を無駄にするって
ことなんじゃないの!?と思いまして
私は奥田先生の病院へ、ふらふらり〜、
午前中から荷物を抱えてとりあえず病院へ行ったわけです。
途中、アナログ接続用のモジュラージャックを慌てて購入。
(病院内は携帯電話禁止のため)
この連載を書くためにiBookを背中に背負ってきたら、
看護婦さんに「なんか、荷物多くないですか?」
と言われました。
病室は6人部屋。
しかも、びっくりしたことに産婦人科病棟。
なるほど、ここだと女子しか居ないというわけで、
とても快適そう。
しかもお風呂も、一人ずつ個別に順番で入れるんだって。
すげぇっす。
病衣に着替えて、ベッドを「根城」に仕立て上げると、
驚異の「処置」が待ってました。

看護婦 「剃りますから」
サガコ 「なにを?」
看護婦 「お尻の毛を」
サガコ 「えええっ!」
看護婦 「産毛とか含めて、とにかく剃りますんで」
サガコ 「はぁ・・・」

さすがに固まりました。
かわいい看護婦さんに、お尻にカミソリあてられて、
これがホントのレディースシェービングとかっていう
問題じゃないです。
緊張してしまって、とにかく時の過ぎるのを待っていると、
「あっ」
と看護婦さんが声を挙げました。
「ど、どうしたんです?」
「すいません、少し切っちゃいました・・・」
き、き、切るなぁぁ!
ケツは明日切ってくれ!
今日は頼むから剃ってくれ!
「あ、いいですよー・・・別に、痛くないですし・・・」
「平気ですよね?」
「平気ですー」
これ、男の人だったら、もっと恥ずかしいんでしょうなぁ。
それとも、嬉しいんかなぁ。
明日の朝はいよいよ手術。
でも、15分ぐらいで終わっちゃうんですって。
むーん、不安半分。期待半分。。。
おやすみなさい。

2001-04-28-SAT

<手術はヒッパレ>

入院2日目。朝6時に起床を余儀なくされました。
「サガコさーん、おはようございまーす。
 お熱測ってくださーい」
「・・・うぁい・・・」
いつも寝る時間に起きるというのが
これほどしんどいとは思いませんで、
ほとんど徹夜状態。
自宅と病院、同じ新宿区内の移動ごときで
時差にやられまくりって、んなアホな。
いかに自分の日常が「まっとうな生活」から
かけ離れていたかを、改めて実感。

起きたらすぐ、座薬をもらってお通じを促す。
直腸を空っぽにして手術に望むっちゅうわけです。
患者として、執刀医の先生への最低礼儀と思えば、
納得の行為であります。
だんだん「痔主」としての身のわきまえ方が
理解できてきた気がして、
改めて肛門科の先生の皆様へ敬意を示しつつ、
私はトイレへ駆け込みました。
「手術していただくにあたり、
 あたしゃ便など欠片も見せませんですぜぇ!」
おそらく、そういう問題じゃあない。

朝九時。友人がデジカメを持って病室に来訪。
なかなかの苦笑いっぷりです。
「ご、ごめんねぇ、こんなこと頼んで・・・」
「いや、頼むアナタが素敵だと思いますよ・・・
 尊敬しますよ・・・」
緊張しながら、自分のベッドで名前が呼ばれるのを待つ。
友人は、ぱしぱしと私の姿をカメラで撮っちゃあ、
苦笑い、また苦笑い。
「これ、ほぼ日に載せるんですか?」
「さぁ、どうやろ?」
「ギリギリですよ」
「笑える?」
「・・・ギリギリ」
撮っては確認し、撮っては確認して、私たちは苦笑う。
「うーん・・・婦女子がここまで身体はらんでも、
 という気がしないでもない写真になっちまってるねぇ」
「もっとネイルサロンとか、
 そういう取材は無かったんですか?」
「ほら、ワタシ、
 なんとなく恥さらし部門担当だから・・・」
「切ないですね・・・」
おちゃらけて笑ったり、ポーズを取ったりするものの、
手の内側にびっしょりと汗。
緊張するさね、そりゃあ。

さて、九時半。いよいよ名前が呼ばれました。
てくてく歩いて、手術部ヘ病棟を移動。
入り口では、担当の看護婦さんが
緑色の例のスタイルでお出迎え。
「名前、確認します。フルネームおっしゃってください」
「高田馬場サガコです」
「はい、では参りましょう」
手術担当の看護婦さんに連れられ、
青い術着に着替えて更に奥の手術室へ。
簡単なベストに、腰巻きだけという
ウルルン滞在記みたいな格好になって、
誰もいない廊下を看護婦さんと歩く。
「腰巻き落ちないようにしてくださいねー。
 見えちゃいますよー」
って、これからケツをさらすのに、
今更「見えちゃいます」って言われても。
「緊張してますかー」
「してますねぇ」
「痛くないですよー」
見え透いた嘘なのか、真実なのか、更にドキドキ。
さあ、いよいよ到着。手術室の扉が開かれました。
ドラマで見たような色合いの景色が、
ずあっと目の前に広がり、
体中に冷たい汗が噴き出してきました。
「高田馬場サガコさん、入られまーす」
「よ、よろしくお願いします」
ぺこりと、とりあえず一例。
しかし次の瞬間、私は聴覚に気を取られて、
ふと動きを止めたのです。
「・・・って、あのぅ・・・」
「はい?」
「看護婦さん、あのぅ、えーと、その・・・。
 ・・・この、スピーカーから流れてくるのは・・・?」
「そうですよー、今日は『あゆ』ですよー」
なんと手術室のBGMは、
浜崎あゆみのベストアルバムだったのです!
「その日の気分で私たちが選んでるんですよ〜。
 奥田先生もいいんじゃない、っておっしゃってますしー」

・・・いや、いいんですけども。

気分でも何でも、一向に構いやしないんですけども。
なんちゅーか、ファンでもなけりゃ、
嫌いでもないので、別にいいんですけれども。
「先生によってはラジオを
 BGMになさる方も居られますよ〜」
まぁ確かに、競馬中継とか、
大相撲ラジオとかよりはいいかな、とは思う。
(落語もイヤだし、演歌も泣きそうではある。ていうか泣く)
だけどそれにしても、あゆ・・・あゆっすか。。。
痔あゆ。。。
the.with.あゆ?
「・・・でも、これ今流れてるの、
 CDの(収録曲の)ラストの方ですよね。
 このままリピートするんですか?」
すると看護婦さん、マスクの向こう側でにっこり笑顔。
「うふふー、それはヒ・ミ・ツ。
 手術中のお楽しみですよぅー。
 さぁ、こっち寝てください」
ヒミツだと!
次のアーティストはお楽しみだとおっしゃるんですか!
しかも、ケツの穴、ばっさり開かれてる
真っ最中のお楽しみ、とな!

素敵でポップな手術室。
響き渡る高音階をバックに、
さあさあ、腰椎麻酔を始めますよっ。
(って、わたしはベッド横に立ち尽くしてるそれだけで、
かなり汗びっちょりの緊張しまくりなのでありました。)

<つづく>

2001-04-29-SUN

<医学は偉大だった!>

さて、狭いベッドで仰向けになり、
血圧など測りつつ、まずは点滴の注射。
「この辺にやりますね」
と、右腕の手首と肘のちょうど真ん中の
柔らかい部分をさすられる。
術後もつけっぱなしになるから、
関節の曲げ伸ばしをしない部分に刺すんだそうです。
しかも、一度針を刺し、針を抜くと皮膚に刺さって残るのは
柔らかくて細いチューブだけ。
もし何かの弾みで動いても、針がぐりぐりっとなって
『痛ぇ!』なんつー悲惨な状況も無いわけです。
「はい、ちくっとしますよ〜」
ぢくぅ・・。
ふむ、ちょっと痛いだけ。全然平気。
「我慢できましたねー。実は手術の中で、
これが一番痛いんですよ」
「ホントですか?」
「ホントホント。腰の麻酔はね、
 これよりも細くて短い針だから。
 で、腰の方が腕より感覚鈍いじゃない?」
言われてみれば、確かにそうかも。

さて、しばらくぼへーっとしていると、
隣の手術室から麻酔科の先生が登場。
あ、お若い男性だわ、なんてうつつをぬかす暇もなく、
「はい、丸くなってください」
と看護婦さんに、背中側の術着をずるっと剥がされて、
押さえ込まれる。
ベッドの上で横向きになって体育座り。
ダンゴムシごろごろ状態。
それを動かないようにと、
ぎゅうっと看護婦さんが上から横から押さえ込み。
むにっと押さえ込まれて、看護婦さんの胸とか腹とかが、
直接肩とかに当たりまくるわけですが、

男性でなくとも正直、
ごっつい気持ちが良かった。

ほとんど裸状態で、丸くなって、
人の体温に触れるわけでしょ。
これって胎児レベルの快感なのかなぁ、ってぐらい、
変な安心感に襲われました。
で、妙にホッと息をついたところへ、ぷしゅっと針が。
でも、全然痛くない。
ホントにちくりっ、程度。
「液がはいりまーす」
入ってるらしいのだが、それもよく分からず。
針が抜かれた途端、看護婦さん達に
足をむんずと鷲掴みにされて、
「はい、うつ伏せになりますよっ。
 手をバンザイにしてください!」
と、速攻ではりつけの刑に。
腰から下がすぐに『もやもや〜ん』としてきて、
もう自分ではぴくりとも動かせません。
正座して、足が痺れたのの強力版って感じ。
下半身、あったか〜い。

そんなこんなしてるところへ、奥田先生が颯爽と登場。

「サガコさん、学会用に術前、術後の患部のお写真、
 協力していただけますか?」

はいはい、いいですよー。

「あ、名前とかプライバシーは守られますからね」

まぁ、そのぅ・・・
学会で守っていただくプライバシーすら、
こうして自らぶち壊しちまってるわけですけど、
それでもよろしいですならば、
どうぞどうぞ、撮ってくださいまし。
私のお尻が少しでも
「痔の治療の発展」に貢献できるのなら、
他の誰かの幸せのお手伝いになるのなら、
これほど幸せなことはないでしょう。
今から取られて、死滅してしまう
「痔」の患部の細胞さん達も、浮かばれましょうて。。。

「ところで先生、そのカメラで私の写真は撮れませんか?」
「どうだろう〜。接写用だからなぁー。
 一応、シャッター切ってみようか?」
「フィルムの無駄でなければ、お願いしますー」
というわけで、はりつけのワタクシも痔のフィルムで、
はいチーズ。
上手く写ってたら、焼き増ししてくださるそうです。
(どんな焼き増しなんだ・・・)

さて、手術自体は二十分程度。
先生との軽快なトークを楽しみながら、
時間は楽しく過ぎていきます。

「痔の研究って言うのはね、
 他のいろんな病気に比べて後れてるんですよ」

ほうほう。これは豆知識だぞ。

「痔になるのは2足歩行をする人間だけなんです。
 二本足で立ち上がってしまったばっかりに、
 お尻に負担がかかるようになって、
 こんな病気が生まれちゃったわけです。
 他のどんな動物も、痔になるってことは、
 まずないわけですよ。
 だから、ほとんど実験とかが出来ないんですね」

なるほどぉ・・・
簡単な病気だと思ってただけに、意外ですなぁ。

「昔ね、犬に痔を作らせる、
 という研究をやった人がいましてね」

はぁ?医学の進歩の為とはいえ、無茶な研究ですねえ。
それってどうするんですか?

「犬の上半身をひもで引っ張り上げて、
 無理矢理2足歩行の状態にしたら、
 いつか痔になるんじゃないかっていう・・・」

だいぶ発想が安直ですけども(笑)、
結果どうなったんですか?

「痔より先に、犬、胃潰瘍になりました。
 2足歩行状態のストレスが
 溜まり過ぎちゃったんでしょう。
 痔犬にならずに、
 胃潰瘍犬になっちゃったっていう、
 哀しいオチです」
「(笑)。あ、笑うとお尻が動きますね、すいまっせん」
麻酔してても、笑えば筋肉は動くのでありました。
不思議ー。

話はそれますが、
医学の進歩の影には、
たくさんの実験や動物たちの命があるわけです。
痔の治療の進歩は、
どうやら人間だけに依るもののようではありますが
どちらにしても「病気や怪我の手術ができる」
っていうのは、
本当はそれだけでありがたいことなんだろうなぁ、
なんて思いました。
だって「手術できる」んだし、
「手術すれば、治る」んですから。
そこまでには、多分、
ものすごくいろんな「積み重ね」があるんでしょう。
その上に、自分の「治療できる」という現実がある。
本当に、ありがたいことであります。

さて、そんなこんなで浜崎あゆみの曲が
「倉木麻衣」に変わった頃、
無事に手術も終了。
ストレッチャー(車の着いたベッド)に乗せられて、
病室まで帰ります。
寝たまんまで右に左にごろごろ転がされながら、
二大のストレッチャーを乗り継いで、病室へ。
寝かされて天井を仰いだまま移動し、
なおかつ点滴の袋が揺れる光景は
「病気なんだなぁ」という気持ちをかなり煽りました。

さて、根城であるベッドへ戻った後は、
2時間仰向けで絶対安静。
麻酔が引けていくのを待ちます。
同時に、何ともなかったお尻の部分が
「じ〜ん、じ〜ん」と
痛み始めました。
うう、さすがの医療もここまでか・・・。

完全に麻酔が切れて、
下半身が動くようになったら寝たままで軽い食事。
ビスケット、ゆで卵、オレンジジュースが
こんなにうまいのか〜、とやや感動。
そして、鎮静剤やら抗生物質、
加えて後日の「お通じ」のために
整腸剤やら緩下剤を
(かんげざい、って読むんだって。知らなかった)
まとめて5種類、飲み下して、再び横になって寝る。
さすがに痛みが増してきて、じんじんするお尻周り。
なんていうんでしょう。
「遠火の強火」って感じの痛みでした。
なんとなく理解いただけるかな?

術後5時間で、トイレへの歩行が許されます。
「したかったら、排便もどうぞ」
と看護婦さんはにっこり。
む、無理です・・・。
おならプーってすんのも怖いのに、
お通じなんかできるわけないっしょーぉ。

やがて点滴も取れて、
こっそり原稿用のメモを寝たまま書きつつ、
とりあえず安静に。
夕食はお粥食べて、薬飲んで、また横になる。
鎮静剤の効果が無くなると痛むんだけど、
薬さえ飲めばほとんど痛くない。
現代医学の発展に感謝しつつ、就寝。
長くて短い一日でありました。
とりあえずはやくシャワー浴びて、頭洗いたいよー。

<2日目、以上>

2001-04-30-MON

<まだ、出せません>

入院三日目。
朝、疼痛の連続で目が覚める。

先日の夕食が午後6時。
その時に飲んだ薬の効果が切れたらしく、
唸りながらも、とりあえず起きあがり、
急いで鎮痛剤を飲みました。
一時間後、痛みが和らいで、どうにか歩ける感じに。
術後たった24時間だもの。
痛みのレベルの上がり下がりは仕方がないらしいです。

確かに、ケツは痛いんですよ。
痛くないワケじゃないんです。
けれども、思っていたほど痛くない、
というのが正直な感想。
「痔の手術は、めっちゃ痛い!」とよく言われるけれど、
やっぱり技術は進歩してるんですよ。
研究されてるんですよ。
(痔の種類や人によって痛みなど個人差あるそうですが)

痔に限らず、
思いこみや噂だけで、
医療を不審に思って避けてしまうのは、
人生を損してるだけかも知れませんぞ。
(時と場合にもよるでしょうけど)

午後になると、お友達が見舞いにきてくれました。
素直に嬉しい。
グレープフルーツを持ってきてくれたので、
がつがついただきました。
「ビタミン取れ!病院食じゃカロリーが足らないぞ!
 病気の時こそ痩せてはダメだ!
 頬とか痩けてるじゃないか!食え!」
「おうよ!」
しかし、その後しばらくしてから体重計に乗ったところ、
体重、体脂肪率、
共にミジンコほども減ってないことが判明。

「ていうか、どうもこれ、
 増えてるんですけど・・・」


昨日の絶食は何だったんだ!
痔の神様も、乙女の祈りぐらい
聞き届けてくれてもいーじゃん!

さてさて、夜になりましたらば
お通じがなかったということで、
看護婦さんから下剤の支給。

ほほぅ。
・・・明日は出せ、と。
そうおっしゃるわけですな・・・。


下腹は張りつめて、
そこにヤツがたまっているのは分かるのだけど、
とてもじゃないけど、
意図的にいきむなんてできやしません。
本格的に「もう出るってば!」ぐらいの勢いがなければ、
とてもとても・・・。
怖ぇぇぇぇ・・・。
手術より怖ぇって。

寝る前には、父と母に電話。
「終わったよー。無事だよー」
「おー、良かったねぇ。
で、イトイさんとこには書くの?」
「うん、決心したよ。さっき原稿送ったの」
「今日書いたの?」
「そう。ベッドの上で寝ながらでもパソコンできるもん」
「よーしよーし。がんばんなさい。
 これが未来に繋がるばい
「・・・そだね」
痔から繋がる未来に、光あらんことを・・・
(遠いまなざし)。

 あしーたーは出るーさ あすは出るー
 術ー後のお尻は 腫れているー
 いつーかきっと いつーかきっと
 痛みも引くだろう

 あしーたーは出る あしーたーは出す
 あしーたーは出ーすーさー


ってな感じで、十時半頃、消灯ね。
明日のことは明日考えよう!
おやすみなさーい。

ところで昨日、一昨日と書き忘れたんですが、
手術直後の下半身はパンツがはけませんから
「T字帯」っていう、ガーゼで出来た、
ずいぶんライト感覚なふんどしをつけられてました。

なんか妙に和風で、涼しげな下半身でした。
(半日もすれば、パンツはけるようになります。
 ああ、パンツをはける、この喜び。)

2001-05-01-TUE

<痔の講習会で学ぶ>

四日目の朝。
トイレに行った。

出た。
出した。

死ぬかと思った。

男性が、手術後の初めてのお通じを
「女の出産と同じくらい痛い!」なんて表現したのを
聴いたことがあります。
そこで出産も痔の手術も、
両方経験したという隣室の女性に伺ったら
「あんなお通じ、出産に比べたらなんてことないわよ」
と、おっしゃってました。
でも、まぁ、出産には勝てないとしても、
それと比較されちゃうくらいは痛いってことですね、
お通じ。

一応、緩下剤と整腸剤を飲んでますから、
便はゆるいし、力まなくてもするっと来ます。
まぁ、それでもヤツは、
どうしたって傷口通過してやってくるわけですから、
多少しんどいのは仕方ないわけです。
精神力だわよ、あとは。気合いの問題よ。。
「いっ、がっ、は・・・っ!」
声にならない気合いで、全てを堪えて、
正々堂々闘いましたとも!
エクトプラズムかなんかが、
口とお尻から同時に出るんじゃないかと思ったなぁ。


でも、我慢できないほどではなし。
「もういやだぁぁぁっ」
って叫んで逃げ出すほど痛くはないです。
だいじょーぶ。
「決死のバトル」は二、三日続くだろうけど、
負けるもんですか。
気合い一発、頑張りましょう。レッツお通じ!

午後には、この病院で月二回開かれているという
「痔の講習会」に、同室の皆様となかよく参加。
若い女性の肛門科医・ドクター高橋が、
スライドを使いながら痔の種類や、
その治療法について詳しく解説してくださいました。
『痔核(いぼ痔)』『裂肛(切れ痔)』『痔瘻(じろう)』
一口に痔と言っても、いろんなタイプがあるんですなぁ。
(詳しくは、奥田先生のHPを参考にどうぞ)
http://www2b.biglobe.ne.jp/~dr-ok/
ちなみにサガコは、
もっともポピュラーな痔核タイプでありました。
痔そのものは「絶対手術しなきゃ!」ってほど
ひどくはなかったし、
日常生活でも痛すぎてどうしようもない、
ってほどでもなかったんです。
けれども、
放っておいたら妊娠・出産の時に
更に悪化する可能性がありますよ、
と看護婦さんに言われたのが、
手術に踏み切る一番のきっかけでした。

え?
じゃあ、近々「妊娠・出産」するような予定でも
あるのかって?

・・・・無い。

無いけどさ、女の子としては、
万全の身体で子供産みたいじゃないですか。
それが見果てぬ未来の話であったとしても。ね。

ちなみに、講習に参加してた皆さんはほとんどが
手術を終えられた方たち。
男性が八割、女性が二割といったところ。
働き盛りの三十代、四十代ぐらいの方が中心。
ご年配の方も多かったです。

 ・・・20代前半の娘は、
私一人のようでしたけども。。。


やっぱり、お酒の飲み過ぎ、刺激物の摂りすぎ、
お風呂とかに入らず日々清潔にしない、
トイレでの長時間のいきみなんかは
お尻に、とーっても良くないんですって。
トイレで新聞読んだり、
本読んだりして長い時間を過ごすのは禁物ですな。
あ、モバイル持ち込んで
「ほぼ日」読みふけるのもダメです。
トイレはさっと済ませて、
お尻に余計な負担をかけないようにしましょうね。

さて、今日のところはひとまずこれにて。
励ましメール待ってます。よろしくお願いします!
どうも、傷が腫れてきて、痛いんだなぁ。いててて・・・。
おとなしくしてよっと。

2001-05-01-TUE

<まじめなおしり"以外"のはなし>

さて、入院も五日目。手術からは三日が経過。
多少の痛み、腫れ、出血はあるものの、
傷の治りは至極順調。
お通じも、お薬を加減したところ、
ずいぶん状況が落ち着いてきました。
たった一日、二日でここまで痛くなくなるとは
思ってなかったので、かなり驚き。
売店でアイスクリーム買って、
大きく窓を開けて新宿のビル群眺めながら
ゆっくり食べました。
最後の方がとろとろに溶けてしまうぐらい、のんびりと。
なーんにも考えずに、ただ食べてただけ。
あー、人生のお休みって感じだぁ。

お通じ後は少しひりひりしちゃうけど、
それ以外の時は全然普通に行動可。
お尻の負担にならぬよう、ごろんとベッドに寝そべって、
原稿書いたり、担当ホームページを更新したり、
雑誌の占いチャートを必死で辿ってみたり。
ご飯食べてごろごろ、お風呂入ってごろごろ、
またご飯食べてごろごろ。
その繰り返し。
テレビはリースがあったけど、敢えて借りずにおきました。

普段読まないようなミステリの厚めの本も二冊読んだし、
待合室の本棚にあった、
昭和四十五年に初版の純文学も一冊読みました。

本当は、書きかけのシナリオを完成させるぞ、とか、
詩をたくさん書きためるぞ、とか思ってたんです。
普段めんどくさがってたことを全部やろう、
と強く強く思っていたはずが、
いざとなると「ぼっへぇ〜」としちゃって、
何も考えられません。
ごろごろして、窓の外を見て、
どうでもいいようなことをぽやーっと思っては、
すぐに忘れていく。
すごく、時間の無駄遣い。
だけど、全然退屈じゃないから不思議。

大学時代、国内すらどこへも旅行しなかったし、
未だにパスポートだって持ってない私。
何だか初めて「のんびりする」ということを
いろんな焦りに圧迫されずに、
実践できてるような気がします。
「病人なんだから、安静にしてなさい」
という病院の縛りが、
逆に心地よく私を解放してくれているようです。

そして、ゆるやかな時間に導いてくれている強い要素が
一つ、思い当たります。
それは入院している病棟が「産婦人科」である、
ということ。
(女性という面から、病院側の配慮で)

周りにはもう今日明日にも出産という妊婦さんはもちろん、
赤ちゃんを産んだばかりのお母さん達が
たくさん入院してらっしゃいます。
指定の時間になると、
新生児室からお母さんのベッドのところへ
赤ちゃんがやってくるのですが、
その光景のしあわせそうな空気ったら、すごくいい!
絶対幸福とでも言わんばかりのその空気。
お母さんのやさしい顔、あやす声。
なんとも羨ましいったらありません。

あと、おじいちゃんやおばあちゃんらご家族が、
新生児室のガラス越しに子供の顔を覗く、
そのまなざしや表情も素晴らしい。
「鼻の形がそっくりだね」なんてありきたりな台詞が、
本当にあったかく響くんです。
私も一緒になって新生児室を覗いてたら
「アレがうちの孫なんです。昨日の朝に産まれたんです」
とかご機嫌で話しかけられて、一緒に気分はぽっかぽか。
むにょむにょ動いてあくびする赤ちゃんのかわいらしさは、
極悪なほど!

妊娠して出産に至るまで大変だったこれまでの日々と、
実際に子育てで大変になるこれからの人生の、
ちょうど隙間。
煩わしいことはとりあえず全部後回しにしましょ、
とでもいうような
家族の幸せの頂点とも言えるほんの僅かな瞬間を、
濃密に詰め込んだ「新生児室」周辺の空気。
人生の大事な大事な一ページにあたる時間を
垣間見させていただいて、
私は自分の心が、ほあっとマッサージされてるような、
そんな気分になるのでした。

次にもしまた病院にお世話になることがあるとしたら、
その時は是非、幸せな妊娠とかでありますように!
間違っても、痔の再発だけは避けるんだからっ。
(「いや、ホントですよ、サガコさん」:先生談)

今日はとりあえず、こんな感じでいかがでしょう。
ずっと「痛い、痛くない」の報告だけじゃ
日記もつまんないもんね。
私のお尻よりは圧倒的にかわいい赤ちゃんのお話でした。
また明日。

2001-05-03-THU

<日曜日の病院>

入院六日目。日曜日。
朝、目が覚めると、
向かいのベッドの妊婦さんがいらっしゃらない。
ハテナ?と思っていたら、なんと今朝、
2490グラムの男のお子さんを出産なさったとのこと!
うひょーっ!おめでとうございます〜。
何だかこっちまでハッピーな気分になっちゃいました。
新生児室に行ってみたら、まだ肌がよれよれの、
生まれたての赤ちゃんが眠ってました。
お腹からこちらの世界まで、長旅、お疲れさん。
これからがまた長旅ですけど、
痔にいたらない、素敵な人生送ってくださいね〜、なんて
祝福の祈りをささげてみたりなんかして。
(いい迷惑?)

今日は残念ながら入浴お休みの日。
単調な入院生活の中で一番の「お楽しみイベント」が
無いのは、いささか淋しいものです。

お風呂場では、心おきなく「座浴」ができるんですよ。
これは、大きめの洗面器にお湯を張って、
そこにお尻をつける、いわば"おしりのミニ風呂"。
体育座りみたいにしてやるんですけど、
お尻の血行が良くなって、
すっごく気持ちがいい。
傷も清潔に出来るし、いいことずくめ。
はー、だけど、今日はそれもちょっと無理そう。
トイレのウォシュレットで、清潔を心がけようっと。
(これだけで清潔度がずいぶん違うんですって。
やっぱりお通じの後は洗った方がいいんですって)

お通じもかなり楽になったけど、まだまだ油断は禁物。
なるべく安静に、安静に。
この原稿も、ベッドに寝そべって書いてます。
おかげで、傷はかなり落ち着いてきたようです。

そんなこんなしてたら、携帯電話にメールが。
うわ!イトイさんからだ!

「ほぼにちわ。イトイです。
 苦心の原稿ありがとう。
 何と励ましていいかよく分からんが、
 健闘を祈ります」

糸井重里さんから痔の手術の励ましメールなんてもらったの、
世界広しといえども私ぐらいじゃなかろうか・・・。
ありがとうございます。
この原稿が、ゴールデンウィークの「ほぼ日」閑散期を
少しでも華やかに彩ることが出来たなら!
わたくし、これ以上の喜びはございましぇん。

ところで、今日はお友達にとんでもないことを依頼しました。
自宅の鍵を渡して、一言。

「あのさ・・・頼みにくいんだけどさ・・・
・・・うちのトイレの型番とサイズ調べてきてくんない?」

・・・あのですね。
退院日にあわせてウォシュレット取り付けることにしたんです。
ちゃんと温風で、お尻を乾かせるヤツ。
痔の傷が癒えない間はもちろん、
今後の生活にも「あった方がいい」のは確実だから、
この際、無理してでも買おうと思って。
座浴もいいけど、ウォシュレットのが便利ですしね。
で、出来れば退院してすぐに使えた方が、
傷の手入れにも便利なわけで。

しかし、だからって友達に
「自分ちのトイレの型番とサイズを調べさせる」ってのは
なかなかに最低ですわ・・・とほほほ。
つき合わされる友達も可哀想すぎ。

しかし、彼女はとても素敵で、嫌な顔一つせずに
「いいですよー、まかせてください。
あ、私メジャー持ってますから」
と、メジャー持参でうちのトイレと病院とを
往復してくれたのでありました。
嗚呼。
いいお友達に恵まれて、
私は何て幸せなんでしょう。
おかげでどうにか、
退院日にウォシュレットがつけられそうです。
ありがとう、友よ!

退院したら、絶対食べ放題行こうね!
おごるからね!
お酒はダメだよ、お尻腫れるから。。。

2001-05-04-FRI

<軟膏でお医者の個性を知った日>

入院七日目。
毎日、朝十時に回診があって傷を見てもらうんですけど、
今日はたまたま別の先生に当たりました。

そしたら、その方が「赤ひげ」みたいな先生
だったんですね。
(後で判明したんですが、大堀先生とおっしゃるらしい)
体つきがっしり、ヒゲもワイルドならば、口調もワイルド。
傷口見ながら、でっかい声でいきなり
「おう、どうよ!?」
どうよ、て!
景気良すぎまんがな、せんせ。

「・・・あ、悪くないです。
 昨日いただいた軟膏が効いてるみたいです」
と、ベッドに横たわりお尻を出したまま、
おどおど返事をすると、
「効いてるんだな。よし、じゃあ、
 それ塗っといてやろう!」

言うが早いか、軟膏を手にした先生は
いきなりケツを割ってきて、
ガッ!と軟膏チューブを患部に挿入!
「おはっ!?」

私は流行語大賞みたいな声をあげて、
一瞬の出来事に硬直しました。

この軟膏は、小さな細いチューブ式。
そのままガーゼに取って外側の傷口に塗るも良し、
先端を軽くさしこんで、中へお薬を挿入するもよしという
内側外側の傷に対応できる優れものなんです。

「とりあえず中に入れるのは怖いでしょうから、
 外側に塗っておいたらいいですよ」
とおっしゃってた先日の奥田先生の
アドバイスをものともしないで、
赤ヒゲ先生は腫れてる患部に、ヤツの入り口を挿入なさる。
目にも留まらぬ早技で、入れる軟膏ストライク。

「い、入れちゃったんですか?」
「入れないと気持ちよくないだろう。効かないぞ」

なんか、ここだけ切り取ると
もんのすごい官能小説みたいですけど、
あーた、本人は必死よ。
むに〜っと軟膏が絞り出されて、ひえ〜?冷たいよぉぉ。
「よし!」と先生は満足げに一声。
「あ、ありがとうございました・・・」
私はたった一分足らずの診療にへとへとになりながら、
病室へ戻ったのでありました。

が、それが良かったのかなんなのか、
今日は痛みが全く無くなって、快調快調。
お通じの時の痛みもほとんど無かったし、
だんだんとノーマルな身体へ近づいているようです。
いやぁ、勢いっていうのも時には大事なんですなぁ。
怖かったけど。

お医者さんって個性があるからおもしろいんですよね。
人間性がそのまま治療のスタイルに出てくる。
奥田先生はホームページにもある通り、
「石橋を叩いて渡る」感じの先生。
何事も丁寧に、細かく教えてくださいますから、
私のように自分の病気について詳しく知りつつ
安心して治したい、
という人とは相性がいいと思います。
逆に、
「病気については怖いから必要以上は知りたくないっ、
 とっととやっちまっておくれよ!」った人には
勢い型の先生なんかが、相性いいのかもしれませんね。

双方の快適な治療のためにも、
患者がホームページで病院・医者を選べる、
治療について事前の情報収集ができるっていうサービスは、
これからもどんどん波及していって欲しいなぁ、
と思います。
そしたら医者・患者、両方の「不機嫌」が減るものね。
病院そのものが、ホームページの展開にチカラ入れて、
奥田先生のような個人でのHP作りの頑張りを
サポートする姿勢などを見せていって欲しいものです。

さて、あと二日で退院だー。

2001-05-05-SAT

<何故、サガコには手術が必要だったのか>

入院8日目。退院は明日。
びっくりするぐらい痛くなくなりました。
ホントに、多少痛いかな〜ってぐらいです。
お通じの痛みも、気にならなくなりました。
微妙な出血があるぐらいで、お通じ後十分ぐらい
ひりひりするけど、
顔をしかめるほどじゃありません。
人間の身体ってよくできてるなぁ、と感心しきり。

とりあえず一ヶ月程度、
傷が完全に治るまでは禁酒、禁刺激物。
お酒のみには辛いですが、うーん、しばらくは我慢ですわ。
嗚呼、日本酒飲みたーい!
(治ったら、適度に飲んでも良からしかですばい)

痛みもそれほど無くなって、
動き回れるようになった昼間はなかなかに暇で、
私は同室のお仲間さん達と、
長々話し込んでおりました。
(痔の種類も、入院スケジュールも全く同じの三人組)

話題はやはり、今日までの自分たちの「痔歴」について。
それから今回の手術について、あれこれ。
一週間の入院、それなりの痛み、
それなりの出費、そして世間体…。
会社の人に言えなかったとか、
彼氏に告白するのに勇気が要った、とか。
そして
「果たして、ここまでして
 痔の手術をする必要があっただろうか?」

という自問自答。
痛みも出血も、我慢して生きていこうと思えば、
出来ないことはなかったはず。
でも、みんなの結論は結局、
「良性の病気である以上、
 後は自分がどうしたいか、っていう
 それだけのことなんだよねー」

という意見にまとまったのでありました。


痔卒業のサガコから、痔現役の方々へ。
不安ならば、恥ずかしがってないで、
怖がってないで、まず病院に行ってみることです。
全てはそこから始まります。
独自の悪あがきは、ただストレスを溜めてしまうだけ。
それよりも痔に関する正しい知識を身につけて、
自分の納得できる治療をすればいいんです。
痛み、出血、それから恥ずかしさなど、
「一体、『痔』の何が自分にとってストレスなのか。
 その解消のためには何ができるのか」
一つ一つゆっくり考えて、
それからお医者さんと相談すれば、
自ずと答は見えてくると思います。
ストレスさえなければ、痔があろうがなかろうが
ある意味関係ないわけですよ。
それぐらい、痔そのものは
悪い病気じゃないってことですね。

そして、手術が必須な病気ではない、
というのもポイント。
例えばお通じの時にちらっと出血したとか、
「痔かな?」と怪しく思ったぐらいの段階で病院に行けば、
適切なお薬であっさり症状が治まることも多いんですって。

つまりは、
必ずしも「痔」に手術が必要なんじゃないんです。
今回の場合は、「私」に痔の手術が必要だったのです。
ストレスのない軽やかな人生を送るために、
納得の出来る治療がたまたま手術だったという、
それだけのことだったんですね。

とにかく、恥ずかしがってちゃダメ!
ちゃんと自分の身体の一部なんですよ。
汚いだの、くさいだの、そんなとこ触りたくもないだの
言ってる場合じゃなーい!
かわいいかわいいアイドルにだって、
アナタの素敵な彼氏にだって、
世界中の人間にお尻はあるの!
どうぞ、しっかりいたわってあげてくださいな。
毎日毎日働いてくれている、大事な器官なんですからね。

さて。明日にゃなんとか退院できるわけなんですけれど、
まだまだ完治までは二週間ちょっとかかるし、
まだまだおもしろ話が残っていたりします。
もう少しだけ、サガコの恥ずかしいお話に
おつき合いいただければ幸いです。

私の今回のこの連載が、
誰かのストレスをやわらげてくれていることを祈ります。
楽しみながら、笑いながら、
有益でもあって欲しいと思うのは、
願いすぎでしょうか。

2001-05-06-SUN

<退院〜痔宅改造計画>

入院から九日目。手術からは一週間。
遂に退院だーーーーーっ!!

と、思ったら。
どうも朝から傷の具合がよろしくない。
ずきずきずきずき、脈打つような鈍い痛みが
お尻を包み込んでいるではないですか。
しかし、退院直前の最後の回診でも、
女医さんは
「傷きれいですー。退院おめでとうございまーす」
さらーりおっしゃる。
じゃあ、まぁいいのか、と思って
荷物をまとめて、タクシーに乗りこみ、
病院にありがとうさようなら。
友達のFちゃんに荷物持ちを手伝ってもらいながら、
一路自宅へ。

が、どうもダメだったのですよ。
どうダメだったのか。
以下、Fちゃんの日記をご覧ください!
(ご本人の了承を得て、転載します)


今日はサガコ退院の日。めでたい!
で、私は図々しくも病院まで訪ねに行った。
荷物持ち、という名目で。
しかし目的は重要なイベントを一目見ようという、
野次馬根性。
重要なイベント、それは・・・

「ウォシュレット購入及び設置」

見たい。設置するとこ、ものすごく見たい。
退院手続きを済ませ、とりあえずサガコ宅へ荷物を置きに。
そしていよいよウォシュレット目指し、
二人で電器屋へ出発。
…のはずだった。
予定では。
病院にいるときからおかしいとは感じていたけれども。
サガコってば、ものすご顔色悪い。
ものすごしんどそう。
え、え、え!?
こんなに具合悪そうなのに
本当に退院してきちゃっていいのっ!?
どう見ても入院してた時の方が元気そうだった。
無理だ。絶対に無理だ。
こんなにぐったりしてるのに
外に出るだなんて死ににいくようなもんだ。
布団の中で彼女の力尽きている姿を見ながら言った。
「…あの、買ってきましょうか?ウォシュレット?」
「ご、ごめんなさい・・・頼んます・・」
「かしこまり!」

そんなわけで、
重たい重たいウォシュレットを担いで、
何度目かの「よっこいしょ」を言いながら、
病人宅へ帰ってきた私。

「戻りましたー。重かったです!」
「え、歩いて帰ってきたの!?
 タクシー拾えば良かったのに!?」
「…………あ。(思い浮かびもしなかった)」


あ、そっか…。
タクシーがあったか。←馬鹿
と、と、とにかく無事(?)、ウォシュレット入手!
ここまでくればあとはもちろん。
設置だ!
「組み立てますよ〜〜(喜)」
嬉々として箱開封。もう、何もかもが嬉しい。楽しい。
お薬が効いて少しは回復した(?)サガコが
ちゃきちゃきとトイレ内で作業開始。
後ろから説明書片手に部品を渡す私。
数十分後。
一気にメカニックなトイレになった。
おかしくて仕方がない。
ひたすら爆笑。
やー、良かった良かった。

これにて本日の作業、終了。
いくらかは元気になったサガコに見送られ、
私は友だちとの待ち合わせ場所へGO!

貴重な体験、ありがとうございました。


え〜、以上のように・・・
他人様に「ウォシュレット」を買いに行かせ、
他人様が楽しみにしてらした設置は
自分でやったワタクシ。

最低じゃないですか!
しかも、飲み会に遅刻させてまで
取り付け手伝わせて・・・。
心苦しいったらない。

でもね、
「取り付け手順を失敗したら、最悪の場合、水浸しに」
とかっていう噂を聞いてたんですもの。
例えば水道管からプシーッ!!っと
水が噴き出したりなんかして、
トイレ仕様の水をFちゃんに引っかけてごらんなさいな。
・・・絶交されるって。
合わす顔なくなるって。

うちのトイレの水ぐらい、
主の(有る痔のぉ!)私がかぶります。


というわけで、
便器にチューするんじゃないかってぐらいかぶりつきで
ちゃきちゃきと21世紀便座を設置いたしました。
二人の息のあった動きの結果、
取り付け工事は三十分で終了。
水漏れなんぞのトラブルは
まったくございませんでした。

そして、奮発して選びに選んだウォシュレット、
TOTOの『アプリコット』はやはり素晴らしかった!
スマートでありながらサイバーなその形状。
操作しやすいリモコン。
微妙な温度調節に、極めつけは「やわらか洗浄」。
これ素敵すぎ!おしりに親切!再発防止!
こーれーでー、今後の快適おしりライフは
約束されたも同然だぜ。
ビバ、ウォシュレット!!

私、次にお金が貯まったら、実家のシャワートイレを
このアプリコットへと買い換えてあげることに決めました。
そしたら、佐賀に帰省した時も気持ちいいもんねー。
働くぜー?
ウォシュレットのために働くぜー?

それにしても、何故か病院に居たときよりも痛むおしり。
先生にメールで相談したら、やはり退院に際しての
荷物を持ったり、たくさん歩いたりっていう
「活発な動作」が傷によろしくなかったそうです。
はぁ〜、完治への道のりは長いなぁ。
とりあえず、ゴールデンウィークを目一杯活用して、
座浴の日々を送ろうと、
決意も新た。
ケツも新た・・・。
ケツも洗った・・・。
・・・。


<つづく>

2001-05-07-MON

<お笑いと、アダルトと、恋の話。>

自宅療養に入って、二日目。
痛みと腫れは、まだまだ健在。しぶといなぁ。

退院後の一人暮らしは、
病院生活とは比べものにならないほど、
行動せねばなりません。
そして今、動くたびに私は感動しています。

「こんな些細な動きにも、
 お尻の筋肉は頑張ってたんだ!」
と。

あのね、例えば笑っても痛いのよ。
痛みのピーク時は
泣いて、鼻が詰まって、それをすすっても痛いのよ。
お尻と感情に伴う行動は、
密接に繋がっていたのですよ・・・!
これが感動せずにいられましょうか。

自宅とは言え、ただ寝そべってるのは暇だなぁって思って、
ビデオラックから
『ごっつえぇ感じ』のビデオ引っ張り出してきて
見てみたんですけど、どーしたって見られなかったです。
どうにもおもしろすぎて。
笑うと、治りかけのケツの穴が明らかに動くんだもん。
ひきつるんだもん。
幸せと不幸が同時に襲ってくるみたいになってしまって、
嬉しいんだか哀しいんだか・・・。

で、結局、ビデオ鑑賞は挫折。
徹底的に笑おうとか、徹底的に泣こうとかって、
何かの感情をバーッと表現しようと思ったら
心と体が「パーフェクト」じゃなくちゃダメなんだって、
今更のように実感してしまって、思わず溜息つきました。


しかし実際問題、
おしりと痔はどうも「恋愛」という、
人間の究極奇妙な感情にも密接に繋がってるみたい。


先輩で病院嫌いの、
おそらく私よりもひどい「いぼ痔持ち」
女性がいるんです。
互いに痔主であることは
とうの昔に告白しあっているのですが、
彼女の方は頑なに病院に行こうとしません。

聴けば四六時中、毛細血管の塊である「痔核」
肛門の外にぽこっと飛び出しているそうなのですが、
(これを「脱肛」といいます。
 いぼ痔の程度としては結構いっちゃってるもので、
 手術適応であると診断されることが多いです)

彼女は痛みも出血もないから、困ってないもん、
と言いきります。
まぁ、そこは個人の自由ですから、
私は別に彼女に通院を強制する気も無いのですけれど。

ただ私が手術を決めた頃、彼女と深夜まで話し込んだ時、
彼女が私に打ち明けてくれたことがありました。
「サガコ・・・私はこいつ(痔)で、
 一個だけ困ってるわ」

酒の勢いもあったのでしょう。
やや涙目の彼女は、小さな声で言ったのです。

「私、エッチの時、どうしても
 彼に背中は見せられないのっ」


私は、突然のその大胆発言にどう答えたらいいのか分からず
「そ・・・それは深刻ですね」
とか言っちゃいました。
この悩みを話せる人間が他にいない、
というのもあったんでしょう。
うながしたつもりもないのに
彼女はべらべら喋り出しちゃって、
彼氏の顔も存じている私は、めくるめく大人トークに
ただただ唖然で、顔真っ赤っか。

「彼がね、すっごい後ろから
 やさしく抱きしめてくれるのにねっ、
 私はそれに応じることが出来ないのぉぉぉっ。

 だって、四つん這いで
 おしり見えちゃったらばれるもん!
 後ろからなんて、
 ばれちゃうんだものぉぉっ」


えーと・・・。
つまり、
動物のようなワイルドなエッチが出来ない、と。

それはあなた、
立派に「困ってる」
じゃないですか。。。


「あー、電気消せば見えないんじゃないっすか?」
「明るい方が燃えるって言うんだもん」
「・・・(絶句)。
 ・・・じゃあ、じゃあさっ、背中向けられそうになったら
『あたし、ぎゅっと抱きしめててもらわないと怖い…』とか
 かわいらしく言ってみるとかどうでしょう!」
「そんなっ、私はずっとじゃあ、
 正常位の女なのぉ!」

居酒屋のカウンターに響き渡った、驚異の日本語。
  『正常位の女』
恥ずかしいを通り越して、私は青ざめながら、一言。
「・・・・・・手術しなさいよ、
 あんたこそ」



三十過ぎても、どれほどキャリアウーマンでも、
綺麗なピンクのヒールを履きこなしていても、
女の子だからね・・・。
守るべきものがあると、大変だよね・・・。

ウブで捨て身で考え無しのサガコには
程遠い世界のお話なのでありました。

男の人にとって、女の人の「痔」とは
どの程度のショックなんでしょうね。
好きな人にとってパーフェクトでありたい。
欠点は隠したい。
そうやって恥じらう気持ちは大切だし、
すごく素敵だとも思う。
でも、例えばそれを告白したからって、
簡単に気持ちが失せるような恋は、
最初から恋にもなってなかったんだと思う。

痔持ちの人は、それで恋の深さでも測ってみる?

しかし、ホントに不思議な病気だわー。
知れば知るほど、ドラマティックな病だわー。

2001-05-08-TUE

<『ほぼ日刊イトイ新聞』と『痔』の相性>

退院してから四日が経過。
そろそろ、この連載も佳境に入って参りました。
というのも、「かなり治ってきた」からです。
走ったり跳んだり、重いものを持ったりは
まだ一週間ほど無理そうですが、
痛みと完全にさようならできる日は
そう遠くはないようです。

ところで手術で根治した「いぼ痔」は再発しないのか?
先生に尋ねたところによりますと、
術後、あらためてゼロから肛門周辺に負担をかけて
再びまた痔核が形成されるようになるには、
20年以上の月日が必要なんだそうです。
(痔瘻、切れ痔はこの限りにあらず、らしいですが)
何十年に一度のいぼ痔。
彗星とか流星群を一生のうちに何度見られるか、
みたいなもんですか。

もちろん、予防を心がければ
もっともっとこのスパンは長くなるわけですから、
普段からの心がけを忘れないのが大事。
「また手術すりゃいいや〜」っておっしゃるならば、
無茶すんのもいいですけど。

さて、この連載では、
読者の方からいろんなメールをいただきました。
「私も痔を治そうと思いました!」などの
告白アーンド決意メールや、
「身内が先日手術して、大変そうでした」とか
「私も以前、手術しました」など、
経験談的なメールもたくさんたくさんいただきました。
痔が決してマイナーな病気じゃないんだなぁってことが、
数値やグラフなどではなく、
「声」として理解できたとき、
私はなんともいえない安心感に包まれたのでした。

例えば、本を買って読んでも、
テレビの特集でたくさんのデータを知らされても、
その親近感には限界があると思うんです。
なんていうか・・・
「そうは言っても対岸の火事」みたいな、ねっ。
手応えがないというか、
手を伸ばせるような気にならなかったり、
例えば実験などが行われたとしても、
それが「分かりやすい情報」でしかないということを
無意識に感じてしまって、どうも親近感が湧かない。

だけど、インターネットで、
しかも『ほぼ日』というこのメディアは、
これ自体がものすごい「ドキュメンタリー」
だったりするじゃないですか。
ただのインフォメーションには、決してならない。
手応えとか、読み応えなど、
しっかりと細胞で感じられるような
「応え」が底にあるから、
『ほぼ日』は立派なメディアになってるんだと、
私は思うんです。
だから、全てのコンテンツ・・・
たとえばそれがお知らせなどの
「情報」でしかなかったとしても、
そこには必ず「温度」があったりするでしょう?
人間味、テンション、バイオリズム・・・等。
普通のメディアでは
「もっとかっちりやってよ!」
と削除されてしまう主観の部分を、
「それもこれも、君だよね」っていう緩さで以て、
どこか許してしまってる。
その弱さこそが、実は何よりも強いと思うわけです。
だって、生き様丸出し、
人間への愛情の塊なんだもん。

今回の連載、私は、その『ほぼ日』のドキュメンタリー性に
賭けていました。
「ただ、笑われて終わるかな?」
なんとなく、決死の勝負でありました。

結果、皆様からいただいたメールは、
まるで握手してるような感覚で、心に届きました。
実際に痔で切実なんだーっ、ていう
絶対的な焦りだけでもなければ、
私には無縁のことで、ただの笑い話として読んでます、
ってだけでもない。
素直でリアルで、弱くて強い
「思いやり」が漂ってるメールばかりだったんです。
まさしく人間味っていうんでしょうか。
「やっぱり『ほぼ日』ってすごいなぁ。
 ここで書かせていただいて、ホントに良かったなぁ」
と、とても励まされたのでありました。
『ほぼ日』で公表してなかったら、
私、この病気と手術に対して、もっと凹んでたと思うから。

痔は、ホントへんてこりんな病気。
二足歩行の人間だけに、神様がくれはった、
恥ずかしい病気。
だから痔の話が、どんなメディアよりも
「人間」に向かい合ってきた
『ほぼ日』と相性バッチリだったとしても、
何ら不思議はない、と。
・・・って、こじつけすぎかぃ?

さて、次回あたりで最終回でしょーか。
次回は皆様からいただきましたメールでの質問、感想など
ご紹介しつつ、奥田先生のメッセージも交えながら
それにお答えしていく所存です。
もちろん「そこまで言うかよ、痔乙女!」な話も
炸裂させるつもりですので、よーろーしーくーっ!

2001-05-09-WED

<痔・エンド>

今、私の手元には
奥田先生に焼き増ししていただいた、
自分の肛門のスライドがあります。
手術に際して撮っていただいたわけですが
おしり全部が写ってるんだとばかり思ってたら、
しっかり、穴(*)だけでした。
患部だけ、ばっちりアップ。

(学会用だから当然なんだけどね)
かっ、かわいくねぇぇ〜。
とても公開なんかできねぇ!
私にとっても、見る人にとっても
肛門科関係者以外の生きとし生けるもの
全てにとって、この写真は罰ゲームすぎるって。


そんでこの写真、どこへ保管・封印すれば
素敵な思い出になるんでしょう。
嫁入りには持っていくのか?
棺桶には入れてもらうのか?
とりあえず捨てたくはないんだけど、
写真立てに飾るものでもないだろう?
いつか、大切な人に見せて、二人で笑うことにでもするか?
「ねぇ、見てちょうだい、私の若かりしの肛門よ!」

・・・逆・三行半。

とりあえず手術から2週間で、痛みはほぼゼロ。
その代わり、今、とってもかゆいです。
痛み:かゆみ=1:9。
人前で痛いのは「痛い!」って
素振りをしてればいいんでしょうけど、
かゆいのは、大胆にぼりぼりと掻くわけにもいかず・・・。
はぁ〜、でも痛いのよりはいいかぁ。
治れ治れ、どんどん治れよ〜。

さて、今回は皆様からの質問メールをいくつか
ご紹介しますね。

闘病生活、ご苦労様です。
戦いは終焉を迎えているようですね、お疲れ様です。
楽しく拝見させていただいていますこのコーナー。
何故、興味があるかは聞かないで欲しいのですが。
実は、私も多少怪しいのでは? と感じる事が数回。

それで迷惑なお願いかもしれませんが、
サガコさんが痔を自覚する要因は何だったのでしょうか?
・・・恥ずかしいですか?・・・
スミマセン。
(t)

いいんですよー。
恥ずかしいですけど、そんなもん今更だわよ。
さばっ! とお話ししてしまいますよ〜。

今を遡ること五年ほど前。
私はセーラー服のそこそこ似合う
女子高生でありました。

夏の日の朝、学校へ行く前に、
トイレで普通にお通じタイム。
いつものように「う〜ん」と頑張って、
「ふぅ〜」と腰を上げたなら、
便器が真っ赤に染まってる。
「・・・・・・生理?」
にしては、タイミングがどう考えてもおかしいし、
それにどうも出血している場所が違うっぽい。
これはまさか、これはまさか、これはまさかっ!
「・・・・・・ぢ?」
ぴんぽーん。

 はじめまして〜、痔でーす。
 ご挨拶代わりに、分かりやすい血液で
 存在をアピールしてみました〜。
 長いおつき合いになりまーす。
 よろしくね〜。


お尻の穴から、そんなメッセージが聞こえてきそうでした。
便器は真っ赤、顔は真っ青。
「ひえーっ! お父さん、お母さん、大変ばーいっ!」
と、突然の運命共同体の出現に
慌てふためいてトイレを飛び出す私。
(注:ちゃんと拭いてから)
これがおそらく、初対面だったなあ。
それまでは微塵も、気配なんてありませんでしたよ。

当時、痛みがないからって、
病院には行かなかったんですよね。
やっぱり恥ずかしかったですもん。
だけど、この段階で病院に行ってたら、
手術せずにお薬で治せていたことでしょう。
ま、今となってはだいぶ、後の祭りですけども。
とりあえず、そんな出会いでありました。
参考になる?

さて、次のメールです。

痔は、遺伝するんですか?
オヤジもおふくろも痔で、俺、怖いんす。
(匿名希望)


うーむ、これは先生にお聞きしてみましょう。
奥田先生、お願いしまーす。

「痔になりやすい体質は似るようですね。
 若くして手術になった患者さんに聞くと
 『実はオヤジも手術して・・・』
 なんて事が多いようです。」


だそうです。ふむふむ。
とりあえず痔に関しての専門的なことについては、
繰り返しになりますが
奥田先生のHPを参照なさってみてください。
(http://www2b.biglobe.ne.jp/~dr-ok/)
大概の悩みは吹っ飛ばせると思います。

こんな応援メールもいただいちゃいました。

はじめてお便り申し上げます。
私は広島県で「富久長」という日本酒を造っております。
「日本酒が飲みたい」と連載の文中にあり、
なんのお足も払わずに毎日拝読しておりましたので
恥ずかしながら私の造ったお酒をお送りしたく思いました。
日本酒好きと分かって、ものすごくうれしかったです。
サガ子さんと同様、東京の大学に入り
(私は明治大学でした)
そのまま東京で仕事をしていたのですが、仔細あって
33歳のとき実家の酒蔵を継ぐことになりました。
ついては経営者としてだけではなく自分で造って売ろう、と
酒造りをはじめ7年目の冬が終わりました。
「ほぼ日のれん会」に参加してみたり、
なんとか同世代に日本酒の魅力を伝えたいと
思っているのですが、なかなか思うようにはいきません。
努力不足ばかり感じる毎日です。
だからかもしれませんが、
日本酒が毎日最大限の力で仕事をしていらっしゃる方に
好かれているかと思うと本当にうれしいです。
それはもう、こうあって欲しいと思う理想ですから。

今後ともご活躍を楽しみにしております。

<清酒 富久長 醸造元 今田酒造本店
 製造部長 今田美穂>

このようなメールをいただきまして、
「おお、お気持ちだけでも嬉しいなぁ」と思っていたら、
金魚アキンド西本氏から
「お酒届いてるよー」の一報があって、驚き!
ひゃあ! ありがとうございます〜。
次回の「イナカモン座談会」の時にでも、
ガッと開けて、みんなでいただきます。
分けよう分けよう、一つのお酒を、みんなで飲もう。

私、お酒の「一人じゃ飲みきれない」っていう容量って
すごく好きなんです。
ワインのボトルや、日本酒のボトル、一升瓶は
なかなか一人じゃ一本全部は空けられない。
(大酒のみの人にとっては話が違うかもしれませんが)
あれって、何となく「複数のために」というのが
前提にされてる容量ですよね。
その前提が素敵だと思うわけです。
品があると思うわけです。
その酒があるだけで、人と約束することもできるんだもの。
「おいしいお酒があるんだよー」ってそれだけで、
誰かと会うことが出来るんだもの。
素敵な飲み物だと思ってます。

でも、とりあえず痔が完治してから、ね。
それまではおあずけ。傷口、腫れちゃうから。

さてさて、長々とおつき合いいただきました「入院編」も
このへんで一区切りっぽいです。
今回のネタが衝撃的であった分、
次はまた、ほよよ〜んとしたテーマでお会いできるなら、と
思います。
「痔のサガコ」とか
「痔が一番良かった」って
言われないように頑張ることも、
これからの私には必要でしょう。


まだまだ、佐賀に帰るわけにはいかないの。
全てを超えて、やるしかないの。
頑張りますぜ、いま少し。

最後に。
今回の連載には、私の主治医になってくださった
社会保険中央総合病院 肛門科医長 奥田哲也先生の
多大なるご協力がありました。
深く深く、感謝いたします。
先生、今度ゆっくり飲みましょうー。
「エッチと痔はどのように関係あるのか?」など、
どーしようもなくて、
すごい話を是非! 議論いたしましょうぞ。

では、また。
きっと、すぐに。。。
どうもありがとうございましたー。

2001-05-10-THU
TANUKI
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