福島県飯舘村で出会ったふたりカレーの恩返しで結婚しました。
そんなに大げさな話じゃないんですけど、
「カレーの恩返し」が
ふたりの縁をつないだのは事実。
2017年の3月までに
一部を除き避難指示が解除される予定の
福島県飯舘村で結婚した
若いふたりのお話をお届けします。
さかのぼっていくと、このお話は、
2012年に「ほぼ日」に掲載された
「すごいね、ラジオ体操!」という
コンテンツからはじまります‥‥。
カレーの恩返し

目次.

0.はじめに。

1.当時の企画をふりかえる。

2.恋のスパイス。

3.すごくふつうの結婚のひとつ。

4.飯舘村のみなさんのいま。

5.佑次郎さんのカレー。

0. はじめに。

以前、ほぼ日で「すごいね、ラジオ体操!」という
コンテンツを掲載したことがありました。
糸井重里と乗組員のみんなで、
『大人のラジオ体操』の著者・中村格子先生に、
ラジオ体操の正しいやりかたを教わる
というものでした。

またその後、糸井と乗組員数名が
格子先生とともに福島県飯舘村に行き、
村のみなさんといっしょに
ラジオ体操を学んだこともありました。
「すごいね、ラジオ体操! in 福島」

こちらは、飯舘村の健康福祉課に派遣された
黒田佑次郎さんから
「村民のみなさんの健康のため、
ラジオ体操のイベントをしたいんです」
とご相談いただいたことがきっかけ。
100名近くのみなさんにお集まりいただき、
格子先生から正しいラジオ体操を教わりました。

さて、そのラジオ体操のお話に、
さらに後日談がありました。
飯舘村のイベントのときに
声をかけてくれた黒田さんが、
なんとそのときの「ラジオ体操」の企画と
ほぼ日のスパイス「カレーの恩返し」がきっかけで、
当時の同僚のかたとご結婚されたとのこと。
お知らせのメールに添付されていた写真も
とても素敵で、嬉しくなりました。

糸井さま 
「ほぼ日」のみなさま

大変ご無沙汰しております。
飯舘村でのラジオ体操でお世話になった黒田佑次郎です。
その節はありがとうございました。

実は昨日、わたしと妻の結婚式を
飯舘村に昔からある綿津見神社で行いました。
ぼくも妻も県外出身のものですが、
同じ時期に飯舘村役場に支援にきて知り合いましたので、
村のみなさんにお祝いしていただく中、
誓いをたてることができました。
綿津見神社の宮司さんも、
村に残り神社をまもっておられましたので、
このような機会をとても喜んでいました。

そしてもうひとつご報告ですが、
妻と親しくなったきっかけは
「カレーの恩返し」が関わっています。
飯舘村でのラジオ体操の企画のあとに、
村の友人からカレーの恩返しを買ってくるように言われ、
それを用いたカレーパーティがきっかけでした。
このような経緯もあり、翌月予定している結婚披露宴で、
参加するみなさんへのプチギフトに
「カレーの恩返し」を配る予定です。

妻も、ラジオ体操の企画でご一緒させていただきました。
糸井さま、みなさまに
どうぞよろしくお伝えくださいとのことでした。

黒田 佑次郎

なんだか詳しく聞いてみたくなって、
結婚披露宴が終わって落ち着かれた頃、
あらためて、お話を聞かせていただきました。

ずいぶん長い記事になってしまいましたが、
嬉しい話のちいさなおすそわけとして、
また現在の飯舘村の近況報告として、
よければどうぞ、ごらんください。

1. 当時の企画をふりかえる。
ほぼ日
佑次郎さん、佐知子さん、こんにちは。
事務所まできてくださって、ありがとうございます。
今日はラジオ体操の後日談を
少し聞かせていただけたらと思っています。
佑次郎・
佐知子
よろしくおねがいします。
ほぼ日
ずいぶん前のことになるので、
あらためて「ラジオ体操 in 福島」のことを
振り返れたらと思うのですが。
佑次郎
はい、福島県飯舘村は
2011年の東日本大震災をきっかけに
全村に「避難指示」が出て、
村のみなさんは、避難生活をされてます。

ただ、避難先での生活って、
元の村での生活とまったく違うんです。
仮設住宅、借り上げ住宅、アパートなどに暮らし、
畑もいじらないので、みなさん運動不足になる。
もともと畑で野菜を作っていたかたも多く、
「スーパーで買う野菜は高いし、おいしくない」
といった理由で、食生活も変わってしまっている。

そうした状況があって、運動の機会を作れたらと
ときどき運動教室などをしていました。
ただ、習慣にならないと、やってもあまり意味がない。
そのあたりに限界を感じていました。

そのとき、ほぼ日でタイミング良く
「すごいね、ラジオ体操!」の企画を見つけて
「これはいい!」と思ったんです。

さらに、糸井さんと僕にたまたま共通の知人がいて、
紹介してもらえることになりました。
ほぼ日
ええ、ええ。そうでしたね。
佑次郎
それで飯舘村でラジオ体操のイベントを
することになり、格子先生と一緒に
糸井さんやほぼ日のみなさんにも
来ていただけることになりました。
それで、飯舘村の仮設中学校の体育館を借りて、
村のみなさんに来てもらって、
ラジオ体操を教わって‥‥ということをしました。
ほぼ日
ほぼ日では当日の様子の
テキスト中継もさせてもらって。
佐知子
みなさん避難先がバラバラで、
仮設住宅も9箇所くらいあったので、
当日はバスで巡回してもらいました。
そうしたら、100人近く来てくださいました。
やる前は「わざわざラジオ体操なんて‥‥」
といった声もありましたけど、
やったらやったで楽しそうで(笑)。
佑次郎
なんだかみなさん、
とても楽しそうにしていました。
震災後、みんなで集まる企画も減って、
「誰々さん、どこで何してるんだろう?」が
わからなくなっていたので、ラジオ体操をきっかけに
集まれたのも、よかったと思うんです。
佐知子
あれ以来、自発的に
ラジオ体操をやってる仮設住宅がありますね。
毎朝6時からとか、
昼3時くらいに広場で、とか。
ほぼ日
しっかり習慣になったところもあるんですね。
すばらしい。
佑次郎
あと、ラジオ体操って見守りの役にも立つんです。
「今日は誰々さん来てないなぁ」とか。
そんな、いろいろな効果があって、
させてもらってよかったなあ、と感じています。
2. 恋のスパイス。
ほぼ日
そこから、おふたりの結婚に
どのように話がつながるんでしょう?
佑次郎
これはもう個人的な話なのですが、
職場にラジオ体操の企画にも関わっていた
アイコさんという共通の友人がいるんです。
ぼくは当時、東京と福島をよく往復していたのですが、
あるときアイコさんから
「『カレーの恩返し』というものを食べてみたいから
買ってこい」と言われまして。
ほぼ日
食べてみたいから買ってこい(笑)。
佑次郎
はい(笑)。
佐知子
そして当時、わたしとアイコさんの間では
「アイコさんの家でわたしが料理を作ると、
わたしはごはんがタダで食べられる」
という習慣になっていたんです。
それである日、アイコさんから
「今日はカレーにしてほしい」と
「カレーの恩返し」を渡されたんです。
そのとき「わざわざ東京から買ってきてくれたし、
黒田さんにも来てもらおうか」と呼ぶことになって。
そのとき初めて、わたしの料理を
食べてもらったというか。
佑次郎
そうだ。あなたの料理を
初めて食べたのはあのときだったね。
佐知子
そう。だから本当に、その共通の友人が
「カレーの恩返し」を食べてみたかった。
それでわたしに作らせて、せっかくだから
買ってきてくれた人も呼んだという
それだけの話なんです(笑)。
佑次郎
アイコさんは、ラジオ体操のイベントのあと、
ほぼ日を見るようになったらしいんです。
そして『カレーの恩返し』を見つけて、
「これは!」と思ったらしい。
佐知子
「食べたい! だけど、福島じゃ売ってない」
みたいな(笑)。

それでその日、アイコさんに
「とにかく書いてあるとおりに作って」と言われて
「じゃあ」って、カレーをバーッて作って。
「ほんとに1袋入れていいのかな」と
ドキドキしながら最後に入れて(笑)。
でも、すごくおいしかった。
ピンクペッパーを初めて食べました。 
佑次郎
あれはおいしかったよ、間違いなく、うん。
あれはおいしかった。
ほぼ日
どんなカレーだったんでしょう?
佐知子
市販のルウで、すごくふつうに作ったカレー
だったんですけど‥‥。
使ったのも肉、ジャガイモ、ニンジン、
玉ネギくらいだったかな。
佑次郎
そこからアイコさんの家で、
3人でごはんを食べるようになって、
そのうちにぼくたちも仲良くなって。
それまで、ほとんど話はしたことがなくて。
佐知子
同じ職場にはいたんですけど、
わたし、彼が何してる人か知らなかったですし(笑)。
ほぼ日
じゃあ、周りの人たちには
びっくりされたりしたんじゃないですか?
佑次郎
それはもう。
「知らぬ間に恋は燃え上がった」とか
言われたり(笑)。
でもみんな、すごく喜んでくれました。
佐知子
アイコさんのカレーの件がなければ、
こんなことになってないかもしれない(笑)。
ほぼ日
しかも披露宴でも
配ってくださったんですよね。
佑次郎
はい。ゆかりのあるものがいいと思って。
ちゃんとエピソード付きで
「これがきっかけです」と言えたから、よかったです。
佐知子
みんな喜んでましたよ。
ほぼ日
うわぁ、ありがとうございます。
佑次郎
あと、糸井さんにメールで
「恋のスパイス」と言っていただいたんですが、
それを言ったら、ウケまして(笑)。
佐知子
村のみなさんが「さすが」「さすがコピーライター」
「こりゃ1本取られた」って口々に(笑)。
ほぼ日
(笑)。
3. すごくふつうの結婚のひとつ。
ほぼ日
メールで読ませていただきましたが、
式は飯舘村の神社で挙げられたんですよね?
佑次郎
はい、「綿津見(わたつみ)神社」という、
1000年以上の歴史を数える神社で、
村のみなさんの心のよりどころだと聞いています。
震災以降、そういうことの
まったく行われていなかった場所で、
すごく小さな式をしました。

そのとき、長い付き合いのあるかたに
「その場のことを撮らせてほしい」と言われて、
まったくプライベートなものですけど、
そのときの映像を撮ってもらったんですね。

いま、その映像をお世話になった村の人たちに
すこしずつ見せている状態なんですが、
ふだんあまり言葉を語らないかたが、
映像を見ながら目に涙を浮かべていて、
最後にガシッと握手されて(笑)。
「自分もここで挙式を挙げた。もう30何年前だけど」
っておっしゃって。
そういうことが、すごくうれしかったというか。
ほぼ日
ああ、それはうれしい。
佐知子
ただ‥‥別に、なんでしょう、
今回、ほかにメディアのかたからも、
綿津見神社での式のようすを取材したいとか
言われたりもしたのですが、
それは、ご遠慮させてもらって。
佑次郎
小さな、家族だけの式にさせてもらいました。
佐知子
わたしたちが飯舘村の神社で結婚式をあげたことを、
「復興のなんとか」とか言われることには
すごく違和感があるんですね。
村のためにそれをしたとか、
使命感があって挙げたとか、
そういうことではまったくないんです。

ただただ、ふたりが知り合ったきっかけが
村だったので、その場所で挙げたら、
わたしたちとしてすごく
思い出深くなるだろうな、ということだけ。
男と女が1人ずついて、夫婦になるということを
神様にご報告できれば、くらいの思いで
したことだったんです。
式は、ただただわたしたちの日常で。
この結婚も、すごくふつうの、
ありふれた結婚のひとつで。
佑次郎
うん、日常だよね。
佐知子
だから式ももう、本当に淡々としたもので(笑)。
たまたま飯舘村で出会って結婚をした
一組の男女がいたよ、というだけなんです。
ほぼ日
‥‥そのおふたりの日常である内容を
今回、ほぼ日でご紹介させていただくことっては
大丈夫でしょうか?
佐知子
実際と違うことが広がっていくとしたら
「それはちょっと‥‥」と思うんですけど、
事実が異ならなければ、大丈夫です。
佑次郎
糸井さんやほぼ日のみなさんとは縁もあるし、
そのなかで、ということであれば。
たとえばぼくらが知らない人たちに
変に感動的に伝えられたりする‥‥
といったことがあると、戸惑うと思うんですけど。
4. 飯舘村のみなさんのいま。
ほぼ日
いま、避難先で生活されているみなさんは
どのような状況なんでしょうか?
佑次郎
5年以上経って、やっぱりもう
より都会の生活に慣れた人もずいぶん出てきてますね。
特に若い人たちほど「このままでいい」と
言っている人が多い気がします。
ただ、この先まったく戻らないという人はいないと思う。
佐知子
小さな子供たちはもう、5年も過ぎれば
すっかり馴染みますし、親のほうも
「小学校に入ったら転校させたくない」
とか考えますし。
佑次郎
状況としては、2017年の3月までに
飯舘村の一部を除いて「避難指示」が
解除される予定なので、
みなさんいま、ちょうど戻るか、
新しい生活をはじめるかを
決めなければいけない状況にあるんです。

それで、年配のかたを中心に
「先祖代々の家を守りたいから村に帰る」
とか言っている人も多いんですが、
実際、生活のインフラはほぼなくなっていて、
いろんな不安があるのが現実です。
食料品も買えないし、医療のこともある。

だからぼくはいま、
そういった中でできるだけ、
みなさんがしっかり暮らしていけるための
インフラを整えるお手伝いをしています。
ただ‥‥また村を一から作り直す感じだよね、
本当に。
佐知子
そうだね。でも、まったく同じには‥‥
佑次郎
ならないね。
佐知子
ならないだろうね。
佑次郎
ならない。
佐知子
畑もこう、結構荒れてしまってね。
佑次郎
そうなんです。
5年以上経って、除染もあったので。

除染では農地の場合、
「剥ぎ取り」という作業をするんですが、
そうすると、土のいちばん
重要な部分が持っていかれるんです。
だからみなさん
「土ももう一回作りなおしだね」とは言ってて。
やっぱり畑をやってきたかたには
「先祖代々、ずっと耕してきた土地の、
一番いい部分がなくなっちゃったよ」
みたいな感じもあります。
ほぼ日
‥‥ああ。
佑次郎
あとは福島県産だと風評被害もありますから、
「村でいま野菜を作って売れるのか」
ということもあるし。

そんなふうに心配をしている人は
もちろんたくさんいます。
ですが、
「まあ、それでもやれることをやるしかないから、
実験を繰り返しながらやっていこう」
と考えている人も、何人かはいますね。
5. 佑次郎さんのカレー。
ほぼ日
‥‥今日はいろいろと聞かせていただき、
ありがとうございました。
あと、よかったら「カレーの恩返し」と
ほぼ日グッズいろいろ、
来ていただいたので、おみやげに。
佑次郎
やった。ありがとうございます。
じゃあ、カレー作るね。
佐知子
ほんと?(笑)
いや、「料理が得意」って言ってるくせに、
いつも全然作らないんですよ。
ほぼ日
あら?(笑)
佑次郎
いやいや、ちょっと聞いて。
ぼく、料理は好きなんですよ。
一人暮らしの期間が長いので、
前はよく作っていたんです。
ただ、妻の料理を見ると、すごく上手なので
つい尻込みしてしまって(笑)。
佐知子
いやいやいやいや。
佑次郎
でも、ちゃんと手の込んだものを
作らせていただきます。
チキンからこう、煮たカレーを。
佐知子
‥‥チキンから? 大丈夫?
ほぼ日
ちなみに得意料理はなんですか?
佑次郎
ぼくは煮込み系が好きで、
カレー、ビーフシチューも得意です。
佐知子
それ、いつも聞くけど、
いちども食べたことがない(笑)。
佑次郎
いやほんと、煮込み系、得意です。
カレーももちろん大好きで。
ほぼ日
あれ? 最初のカレーを作ったのは、
佐知子さん‥‥ですよね?
佐知子
はい、わたしです。
できあがった頃に来たよ。
佑次郎
いや、ちゃんといたよ。
「恩返し」を入れた瞬間、覚えてる。
佐知子
いたっけ? だけど来たときに
カレー自体はできてたよ。
仕上げのときにいただけじゃない?
「カレーの恩返し」は最後に入れるから。
佑次郎
あ、そうか。
佐知子
そうそう。そうだよ。
佑次郎
むずかしいなあ(笑)。

(黒田佑次郎さん、佐知子さん、
いろいろとお話を聞かせてくださって、
どうもありがとうございました)
2016-10-31-MON