カレーライスの正体
第3回
なぜカレーライスは
日本人の心と舌に
愛されてきたか
2017.2.19 更新
# 日本人なら持っている
「カレーの思い出」

 夕暮れ時、学校からの帰り道、会社からの帰り道にどこからともなくカレーの香りが漂ってくる。近所にカレー店はない。ああ、この辺りのどこかの家では今夜カレーが作られているんだなぁ。そんな郷愁を感じたことのある日本人は多い。

 「カレーかぁ、いいなぁ」なんて思いながら自宅に帰るとなんと我が家もカレーだった!という嘘のようなホントの話だって、実体験を持つ人はいるはずだ。僕には何度もそんな経験があった。もっとも水野家はカレーの登場頻度が高かったと自覚はしているが……。

 カレーとは日本人にとってノスタルジーを感じたいときに最も頼りにすべきアイテムのひとつである。格好つけた言い方をすれば、カレーは日本人のソウルフードである。

 僕が長年続けていることがある。カレーの思い出アンケートだ。「あなたのカレーの思い出を教えて下さい」。この質問をこれまで少なくとも2,000人以上の人々に問いかけてきた。「あるある」と意気揚々と答えてくれる人もいれば、「急にそんなこと聞かれても……」と戸惑う人もいる。でも「笑える話、泣ける話、怒った話、どうでもいい話、なんでもいいから」と再度たずねると「そういえば!」と誰もが遠い過去に置き忘れてきたカレーの思い出をツラツラと語り始めてくれるのだ。そこにこそ、「日本人にとってカレーがなんたるか?」の答えが眠っていると僕は思う。

 アンケートの回答は、たとえば、こんな感じである。

 小学校1年生か2年生のとき、“初めての料理”というテーマで夏休みの宿題が出され、母とカレーを作った。初めて庖丁を遣い、何かを切るたびに「ねえ、これでいい?」と母に聞いていた。母は毎回「だいたいでいいんだよ」と答えていた。今思えば母はイチイチ返事をするのが面倒だっただけだと思うが、当時の私にしてみると、「やさしいママ」と感動した。「だいたいでいいんだよ」という詩を提出し、区のコンテストに入選した。

 幼稚園のとき、月に一度のペースで行われる「カレーパーティ」のためのにんじんを、ウサギのエサだと思って5~6本あげちゃって怒られた。そして、泣いた。年中の時のことです。

 親戚一同が集まった席で祖母が自慢のカレーをふるまってくれました。みんなで楽しく談笑しながら食べていたのですが、祖母が席をはずした途中、叔母や母が「このカレー、なんか、焦げてない?」と祖母がカレーを焦がしたことを一斉に指摘し始めました。当時6歳だった私はそれを聞いてなんだか祖母がかわいそうになって、泣いてしまいました。しばらくして戻ってきた祖母は、私はカレーが辛くて泣いているのだと勘違いして、「ごめんね、ごめんね」とひたすら謝られたことがありました。

 カレーのことを思い出そうとするときまって幼少期の思い出が寄り添ってくる。なぜならカレーという料理は物心がついたころからことあるごとにふと気づくと我々の傍らに存在していたからである。その最たるものが「おふくろカレー」の存在だ。イタリア人にとってスパゲティが「マンマの味」なのと似ているのだろうか。世界中どこにもかしこにも「おふくろの味」というものは存在する。その日本代表は、おそらくカレーであるはずだ。

 たとえば、和食として有名なお寿司や天ぷら、お蕎麦がおふくろの味だという人はかなり稀である。もっと素朴な家庭料理、たとえば、肉じゃがやみそ汁なんてものもあるが、思い起こしてほしい。お母さんの作った肉じゃがの味が忘れられないという人は少ないんじゃないだろうか。

 その点、カレーはすごい。日本中が同じような即席カレールウを使いつつも各家庭ごとに食材が違い、隠し味やひと手間が違うから我が家にしかない味ができあがっている。それを習慣的に食べることによっていつしかカレーはおふくろの味になり、脳裏に焼き付くのだ。

# カレーの英才教育

 おふくろの味を抱えて小学校に通うようになると、今度は学校給食でカレーが登場する。おふくろのカレーとは一味違う。でも、毎月のように繰り返し出てくる何の変哲もないカレーをクラスの仲間と食べるのは、楽しくおいしい。これはこれで好き、となるのだ。だから、カレーは長年、学校給食の人気メニューのトップに君臨し続けてきた。6年間、我々は変わらぬ味のカレーを学校で食べ続ける。

 特別なシチュエーションでもカレーは姿を現す。キャンプや林間学校である。仲間が集まってアウトドアで作る料理の定番はカレーである。林間学校に行ってみんなでラーメンを作ったなんて話は聞いたことがない。たいていはクラスがいくつかの班に分かれ、それぞれに独自の方法でカレーを作り始める。となりの班の鍋の中を気にしながら何人かで協力して自分たちの鍋に向かうのだ。

 この共同作業がカレーを特別においしい味に仕上げてくれる。たとえ、それがまずいカレーになったとしても、思い出に深く刻まれていくことは約束されたようなものだ。こんな風に幼少期を過ごしてしまうわけだから、あとは推して知るべし。この時点で食習慣という名のカレー英才教育は完了している。

# おいしいものは、
脂肪と糖でできている?

 日本人がカレーを好きな理由をノスタルジーのおかげだけにするつもりはない。大前提として、カレーがおいしいからである。カレーライスがなぜおいしいのかを論じるのは、少し滑稽な気がする。今となってはりんごがなぜ木から落ちるのかと同じくらい自明のことだからだ。

 少し前に「おいしいものは、脂肪と糖でできている」というコピーが世の中に出回ったことがあった。トクホ(特定保健用食品)のお茶を宣伝するための売り文句である。

 テレビCMでは、たとえば、登場モデルが沖縄のソーキそばを食べるとすると、どんぶりになみなみと注がれたスープやそこにドンと浮かんだ肉、ズルズルとすする麺の映像の上に「糖」と「脂」という文字がペタペタと張り付けられている。危機感を煽るだけ煽って、最後にお茶のペットボトルが登場する。ある意味、日本らしくないスタイルのコマーシャルで、内容もセンセーショナルだった。

 あれを見て、「ホントだ! 確かにその通りだ!」と膝を打った人と「企業が商品を売るための詭弁だ!」と憤慨した人と意見が分かれた。人間がものを食べておいしいと思う重要な要素のひとつに脂肪と糖は確かに存在する。それを認めたうえで解釈は分かれるところだ。

 じゃあ、日本のカレーはどうだろうか? 「おいしいジャパニーズカレーは、脂肪と糖でできている」と言われたら、「何言ってんだよ、それだけじゃないよ!」と猛反対したくなる。

# 日本のカレーには
「うま味」が詰まっている

 カレーはどこがおいしいのだろうか? もちろん動物性の脂肪分は否めない。肉を煮込んで抽出されるエキスは脂肪をたっぷり含んでいてうまい。糖だって活躍している。たいていのジャパニーズカレーは何かしらの甘味を隠し味として使っている。玉ねぎを炒めて甘味を引き出す手法だって、“糖分の抽出”である。小麦粉でとろみをつけているケースが一般的だが、小麦粉も糖質の代表選手だ。

 こうしてできあがったカレーを糖質たっぷりのご飯で食べる。そりゃ、うまいに決まっている。でも、それがメインではない。カレーのおいしさの根幹を握っているのは、“だしのうま味”である。

 だしというと、昆布やカツオから取るいわゆる和風だしの印象が強いが、そば屋のカレー丼の話をしているわけではない。ここでいうだしは、主にブイヨンのことである。シンプルに作るのなら鶏ガラや香味野菜を長時間煮込んで取るスープ。もっと手間をかけるなら、コンソメやフォンドボーなどのうま味が日本のカレーを支配している。多くの日本人が翻弄されているのは、このだしのうま味部分である。

 とある有名料理雑誌の編集長(当時)がその昔、初めてインドへカレーの取材に行った。帰国した彼に「インドのカレーはどうでしたか?」と尋ねると、彼は苦笑いしながらこう言ったのだ。「正直言って、日本のカレーのほうがおいしいと思いましたね」。

 これはおいしさをどこに求めているかをわかりやすく説明するコメントだ。インド料理では、基本的にだしを取るというプロセスが存在しない。インドのカレーに求められるおいしさは、だしのうま味ではなく、油とスパイス、塩によって引き立てられる素材自体の味わいである。だからどうしても我々日本人が求めているうま味に欠けるのだ。

# 「コク」を生み出す
秘密のテクニック

 もうひとつ、カレーに求めているおいしさがある。それは、いわゆる隠し味と呼ばれる謎のアイテム(笑)による、コクと複雑さである。

 隠し味にはありとあらゆるものが使われる。しょう油やソース、フルーツ、チャツネはかわいいもので、コーヒー、焼き肉のたれ、マヨネーズなどいくらでも上がる。

 その昔、とあるカレー店の店主は、隠し味について取材した際、「これは内緒だから書かないでほしいんだけど……」と前置きしたうえで、「うなぎのたれを入れてるんですよ」とこっそり明かしてくれたことがある。何か秘密の取引でもするかのような面持ちだったのをいまでも思い出す。彼の名誉のためにもここでは店名を伏せておこう。

 ともかく100人に聞けば100通りの隠し味が登場しても不思議ではないくらいバラエティが豊かだ。僕の知人は、カレーの隠し味にチョコレートを入れるのだが、どうしても「森永のダースじゃなければ絶対にダメだ」と言い張っている。チョコレートひとつとっても議論が白熱するのがカレーライスの世界である。

 隠し味はそれぞれ加える狙いがあるのだが、ひと言で表現するならコクを増すために使われる。前出のアイテムを思い浮かべてほしい。どれもコクをイメージできるのではないだろうか。

 そして、これらを複数投入するのがカレーを作る者の楽しみである。すなわちそれによって複雑さが生まれる。食べた時になんとなく奥深い味わいだと感じるのは、このコクと複雑さによるものだ。

 ちなみに、つい引き合いに出してしまいたくなるが、インドカレーに隠し味は存在しない。日本では、インドのマンゴーチャツネも隠し味の代表格のように扱われているが、インドカレーでマンゴーチャツネを煮込みに加えるレシピを僕はひとつも知らない。

# カレーライスのおいしさを作る
2つのもの

 整理しよう。カレーライスのおいしさの根幹を握っているのは、「脂肪と糖」ではない。「うま味とコク」なのである。

 そして、もちろん、決して忘れてはならないのが、カレーをカレーたらしめている張本人、スパイスの存在である。そもそもこれがなければカレーを作ることはできない。スパイスの持つ香りがカレーという料理全体のおいしさを引き立てレベルアップしてくれる。そして、この香りは、食欲を掻き立てるだけでなく、クセにもなる。一度ハマってしまうと簡単にはやめられなくなるのだ。

 うま味とコクと香り。これらを存分に詰め込んだカレーという名のソースをご飯にドバドバとかけて食べる。おいしいに決まってるじゃないか。

 これほどまでにすばらしき料理を我々日本人は携えて日常生活を送っているのだ。このカレーライスという料理はいったい、どこからやって来てどう育ってきたのだろうか。

……つづく。
2017-02-19-SUN