毎年何百食ものカレーを食べ続けている僕が、過去に食べた中で最も値段の高かったカレーは、伊勢志摩観光ホテルのレストラン「ラ・メール クラシック」の伊勢海老のカレーだ。ひと皿で14,400円。ひと昔前なら、「うまい棒、4年分!」とでも例えただろうけれど、今ならどう表現したらいいのだろう?
僕は取材も含めてこれまでに何度か伊勢志摩観光ホテルへ伊勢海老のカレーを食べに行っている。東京・品川駅からホテルの最寄である賢島駅までは片道が13,940円。約14,000円である。すなわち、日帰りでこのカレーを食べに行こうとしたら、行きに14,000円、カレーに14,000円、帰りに14,000円で合計42,000円かかる計算になる。
伊勢海老のカレーは美しい。鮮やかな黄色をしたサフランライスに明るい茶色のカレーソース。カレーの中央には、まぶしいほどに赤く輝く伊勢海老の頭が覗いている。そこからピーンとそびえ立っている2本のヒゲはやたらと立派で、スペシウム光線かなんかが発射されそうだ。スプーンを手に持つ前から、異様なほどいいスパイスの香りとえびだしの風味が漂ってくる。濃厚で深みのある味わいは、食後に払うべき金額を瞬時に忘れさせてくれるほどうまい。
ひと皿のカレーソースに6尾、7尾の伊勢海老を使っているそうだ。信じられない。失礼ながら開発したシェフは頭がおかしいんじゃないかと思ってしまう。
東京・銀座の「資生堂パーラー」には1万円する伊勢海老とアワビのカレーがあるし、昔から懇意にさせていただいている本所吾妻橋の老舗洋食店「レストラン吾妻」には、5,000円の特製チキンカレーがある。
値段が高いのにはわけがある。いい食材を使い手間をかけているのだ。僕は精魂込めて作られた高級カレーが大好きである。ところが、そう声を大にしたところで、ほとんど賛同を得られないことは知っている。今の時代、ひと皿のカレーが1,000円以上したら、「なんで? たかがカレーで?」となってしまうのだ。「されど‥‥」という反論は聞き入れてくれないだろう。
カレーがB級グルメの代表選手のようになってしまったのは、いつからなんだろうか。日本で初めての外食カレーは、記録として残されている限りで言えば、1877年のことだ。フランス料理を看板に掲げた東京の「風月堂」がカレーを出した。当時もりそば1枚1銭だった時代に、カレーライスはその8倍の値段がした。仮に駅のもりそばが300円だとして、カレーひと皿が2,400円するのである。サラリーマンは給料日ですら躊躇する価格だろう。カレーは高級料理だったのだ。
その後、高級カレーの流れは続く。1928年に開店した「資生堂パーラー」のカリーライスは、町の洋食屋のカレーが10銭程度だった時代に、5倍の値段、50銭もした。その1年前の1927年に、日本に初めてインドカリーを紹介した「中村屋」は、カリーを80銭でメニュー化している。ここでも街の洋食屋の8倍の価格がする。
カレーが日本にやってきたのは、明治維新のころ。散切り頭から文明開化の音が鳴っていた時代だから、ヨーロッパからくるものには特別な憧れがあったはずだ。そう考えればカレーが高級な外食であって当然だろう。今の時代に置き換えたらどのくらいのインパクトがあるんだろうか。たとえばマニアックな話でいえば、スペインの「エル・ブリ」やデンマークの「ノーマ」が日本に出店した! くらいの衝撃か。いや、そんなレベルじゃないはず。
だって、この情報化社会ならまだしも、ネットはもちろん、テレビもなく雑誌だって今ほど流通していない時代にスパイスの香りが昇り立つ全く未知の料理がやってきたのである。ネス湖のネッシーを見れます、とか、火星人に会えます、とかいうサービスがあったらいくらでも金を出すだろう。
ただ、いつまでも高級だからとお高く留まっていたら食文化は普及しない。もちろん、当時も一方では大衆路線のカレーが出始めた。1923年の関東大震災をキッカケに大衆食堂がはじまる。その第一号といえるのが、1924年3月にOPENした東京・神田の「須田町食堂」である。大阪なら阪急百貨店である。百貨店オープン時からカレーは爆発的なヒットを飛ばした。カレーはコーヒーがついて20銭。ランチよりも10銭ほど安い値段設定だった。ちなみに1936年の年間売上げの記録によれば、1日に実に13,000食のライスカレーが出たという。
憧れの味が安価に食べられる。この猛烈なお得感が一気にカレーをメジャーに仕立て上げたのだ。1日に13,000食というのは、にわかに信じられない数だが、今、日本には、1日に25万食以上のカレーを提供している店がある。1,400軒以上を展開するココイチである。勝手な試算だが、年間およそ1億皿のカレーを出していることになる。ココイチが日本全国47都道府県すべてに出店したのは、1998年のこと。全国津々浦々までにおいしいカレーを届けるという役割を一手に担ってきたカレー専門店である。
話はそれるが、僕は海外に出張に行くと必ずスターバックスを見つけては入ってコーヒーを頼み、席に座ってこれから先の計画を練ったり、調べ物をしたり、原稿を書いたり、物思いにふけったりする。
スタバのコーヒーが特別好きなわけではない。ただ、世界中どこへ行っても同じ味わい、同じクオリティのコーヒーとサービスを楽しめるという価値は想像以上に大きい。そういう点でいえば、ココイチの提供する価値も計り知れない。全国どこでも同じ味わいのカレーを楽しめる場所は、ココイチ以外に存在しないのだから。この巨大チェーン店についてはまた改めて考えてみたいと思う。
ともかく、カレーはかつて、贅沢で高級な食べ物だった。その名残を残すカレーは、ごくわずかに存在するが、どちらかと言えば、そのステイタスを放棄することによって、大衆に受けるメジャーな料理として浸透したのである。どちらの流れにも重要な価値がある。
ただ今現在は、カレーの地位は低空飛行をしていると言っていいかもしれない。またそのうちいずれ、カレーひと皿が2,000円しても誰も文句を言わない時代がやって来てほしい。