カレー食べに行かない? 誰かにそう誘われたら、いったいどんなカレーを想像するだろうか。よっぽどのことがない限り、お互いのイメージしているカレーがピタリと一致することはないだろう。そのくらい、日本でカレーという言葉が示す食べ物は多岐にわたる。カレーとは何か? ものすごく難しい問題だ。
インドのカレーはインドカレー、タイのカレーはタイカレー。それなら日本のカレーは、ジャパニーズカレーということになる。でもそんな言葉は耳慣れないだろう。和風カレーと書けばそれは、蕎麦屋のカレー丼のような和風だしの効いた限定的なカレーを連想してしまう。もっと幅広く、日本で愛されているあの誰もが知っているカレーライスのカレーのことをなんと表現するのが妥当なのだろうか。最も一般的に使用されているのは“欧風カレー”という言葉なのかもしれない。
「じゃあ、インドカレーと欧風カレーの違いはなんですか?」
こう聞かれたら、誰か正確に答えられる人はいるだろうか。僕はよくこの質問をされるが、そのたびに返答に困っている。答えがわからないからではない。どのレベルでどの角度から答えたらいいのかが難しいからだ。インドカレーはインドのカレー、欧風カレーはヨーロッパのカレーです。こんな答えは誰も期待していない。前者はまだいいとして、後者は間違っている。欧風カレーはヨーロッパには存在しない。
インド風カレーがインドに存在しないのと同じだと思えばいいが、ヨーロッパにはヨーロッパカレーすら存在しないのだからややこしい。欧風カレーは、日本人が独自の解釈によりヨーロッパ的エッセンスを注入したカレーのことである。この言葉を初めて使ったのは、神保町「ボンディ」の創業者、故・村田紘一氏である。
美術を勉強するためにフランスに渡った村田氏は、現地のレストランで働き、料理を覚えた。そこで出合ったデミグラスソースをカレー作りに取り入れたのである。カレー専門店を立ち上げるとき、このユニークなカレーをなんと呼ぼうかと頭をひねり、欧風カレーと名付けた。誰も聞いたことのない言葉だったため、開店当初は店内に「欧風カレー」とデカデカと横断幕を掲げて営業したという。
その後、「ボンディ」は順調に人気を集め、今や東京で3本の指に入るほどの行列の絶えない名店に成長した。そればかりか、「ボンディ」出身者があちこちで同じスタイルのカレー専門店を出し、軒並み人気を集めているから、日本の外食カレーのスタンダードを作り上げるに至っている。
この活躍に呼応するように欧風カレーという言葉は一般名詞化し、似たようなカレーを出す店がこの言葉で括られるようになった。とはいえ、すべての店がデミグラスソースを使っているわけではない。それよりも特徴的なのは、小麦粉を使ってとろみをつけている点である。ただし、小麦粉の入ったカレーならほかにもある。「ボンディ」が世に出るもっとずっと前から、そもそもイギリスから伝わったブリティッシュカレーにも小麦粉は使われていた。それなのに、現在、小麦粉でとろみのついたメジャーなカレーがざっくりと欧風カレーと呼ばれるようになったのは、それほど味わいが認められている証拠である。
さきほどの質問に戻る。「インドカレーと欧風カレーの違いはなんですか?」と尋ねられたら、僕が最もシンプルな回答として準備しているのは、「小麦粉を使うか使わないかです」というものだ。ごく一部のムスリム系カレーを除けばインドカレーに小麦粉は使わない。
とはいえ、小麦粉を使ったカレーという大雑把な解釈では誰も納得してくれないだろう。日本で小麦粉を使ったカレーには、大きく4つのタイプがある。
A.ホテルのカレー
B.洋食屋のカレー
C.欧風カレー専門店のカレー
D.家庭や給食のカレー
さあ、これらの違いがわかるだろうか。提供スタイルやイメージ、値段などの違いもあるが、最も違うのは、調理テクニックである。どうやって作られているのかが違うから、当然、味わいも違うことになる。順を追って説明してみたい。
ホテルのカレーには、西洋料理(=フランス料理)の手法が取り入れられている。玉ねぎ、にんにく、しょうがなどをアメ色になるまで炒め、カレー粉と小麦粉を加えてオーブンで焼く。パラパラッとしてきたところで、長時間かけて丁寧に取ったブイヨンなどのスープで伸ばし、肉を加えて調理する。具はたいていビーフのみ、というのが定番である。手間も時間もかかるし、フレンチのコックが作るカレーだから味わいもリッチなことこの上ない。銀色に輝くグレービーボート(ソースポット)でライスと別に提供される。
洋食屋のカレーは、元来、もっと簡素な作り方で作られる。鍋にバターを溶かし、小麦粉とカレー粉を加えて炒め、カレールウを作る。ベースとして玉ねぎを炒めることはしない。そこへスープを加えて伸ばし、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、肉などを加えて煮込んでいく。ソースやケチャップを隠し味に使うこともある。小麦粉のとろみが効いたカレーをライスと共に1皿で盛りつける。
簡単に作ろうと思えばいくらでも簡単になる。だから、このスタイルは、カレールウが生まれる前の全国の家庭でも採用されていた。ただし、そこにはプロとアマチュアの違いがある。カレー粉と小麦粉だけでおいしさを生むのは至難の業。うまいスープを作る技術も時間もない家庭では、黄色く味気ないカレーができあがり、物足りないからソースや醬油をドボドボかけて食べるスタイルが生まれたりもした。洋食屋のカレーが簡素だとはいえ、そこにはプロのコックの技が光っている。
ホテルのカレーと洋食屋のカレーは、ベースの玉ねぎを炒めるか炒めないかに大きな差があるが、かつては、築地精養軒などの老舗の西洋料理店で修業をして洋食屋をはじめたり、ホテルのコックになったりするケースもあるし、ホテルニューグランドなどの老舗ホテルで修業をして町場の洋食屋さんのコックになった人もいたから、両者の手法はシャッフルされていて今となっては厳密に差別化することは難しい。
さらには、明治期に日本にイギリスからやってきたブリティッシュカレーのレシピには、玉ねぎを炒めてベースにするタイプと小麦粉とカレー粉を炒めてルウを作るタイプの両方が存在したから、ルーツについても限定はできない。当時の参考書として名高い『西洋料理通』と『西洋料理指南』に掲載されたカレーのレシピでは共に長ねぎをはじめに炒めるプロセスがある。ところが少し後になって登場する『海軍割烹術参考書』のカレーは、牛脂で小麦粉とカレー粉を炒めるスタイルだ。
前者が洋食のメニューとしてイギリスから伝わったブリティッシュカレー、後者がイギリス海軍が日本の旧帝国海軍に伝えたとされる海軍カレー。ということは、ホテルはブリティッシュカレーをベースに、洋食屋はイギリス海軍カレーをベースにしたということなのだろうか。ちなみに『西洋料理通』には2種のカレーが紹介されていて、そのうち片方はねぎを炒めていない。まあ、そんな単純に解釈できることではないだろう。
イギリスから日本にカレーが伝わったルートとしては、「文明開化の波に乗って洋食メニューのひとつとして」というものと、「イギリス海軍が伝えた海軍カレーとして」というものとふたつの説がある。どちらのルートも確かに存在した。誰にどう伝えたかを限定するのは難しい。いずれにせよ、大事なのは、ホテルのカレーも洋食屋のカレーも欧風カレーが世に出るはるか昔に誕生しているということだ。
欧風カレー専門店のカレーというジャンルは比較的新しい。調理上の特徴は、隠し味を多用する点にある。ホテルや洋食屋のカレーは、チャツネやソースを少し入れることはあってもそれほど隠し味に頼った作り方はしない。ところが、後発で生まれた欧風カレーは、「ボンディ」がデミグラスソースをベースにしたことからはじまって、すでにカレーの世界でさまざまなトライアルがされてきた時代に生まれているから、隠し味として加えるアイテムや調理方法が複雑化している。
ホテルのカレーや洋食屋のカレーが手法はシンプルだが手間をかけたり熟練の技を駆使したりすることでおいしさを実現させたのに対し、隠し味としてあれやこれやを加えることで奥深い味わいを作ろうとしているのが欧風カレー専門店の特徴なのである。
4つ目の家庭や給食のカレーは、カレールウを使って作られる。家庭のカレーは一般販売用、給食のカレーは業務用のルウだ。手軽においしいカレーを作ることができるカレールウにはうま味の素がどっさりと入り、小麦粉も加わって固形化されている。
小麦粉を使った4種類のカレーを細かく説明してきたが、できあがるカレーの味わいは、同じ方向のものであることは想像がつくのではないだろうか。コクやうま味がしっかりとあって、適度にとろみがついてのど越しが重たい。ご飯にかけるとしみていくのではなく、存在感のある茶色いソースはしっかりとご飯の上に乗っかって、そのままスプーンですくって口に運べば、「ああ、日本のカレーだなぁ」という味わいが待っている。
これが最もオーソドックスなジャパニーズカレーの姿である。