谷川 |
覚さんは、お茶好きでしょ? |
覚 |
好きですよ。 |
谷川 |
どういうお茶が好きですか? |
覚 |
「有機栽培の」(笑)。 |
谷川 |
僕も、有機や無農薬などについて
真剣に思うようになったのは、
からだを意識するようになってからですね。
それまでは、自分だけ死なないというのも
おかしいじゃないかって思ってた。
もし死ぬんなら、みんな一緒に死ぬんだから
農薬食ったっていいだろう
という考え方だったんです。
でもからだを大事にしだすと、
やっぱりちょっとでもいいほうがいいかな、
みたいなことになります。 |
覚 |
自分のからだを
大事にしてるということは、
自分のからだ「だけ」を
大事にしてる感覚じゃなくなってくるんですよね。
俊太郎さんは、そういうことはないですか? |
谷川 |
それはすごくある。 |
覚 |
身近な人だけじゃなくて、
身近な人の向こうに、さらに見えない人たちとも
つながっていってる、と言えばいいのかなあ。
自分を大事にするってことは 「いのちの存在全部を
大事にする」
みたいな感覚とつながると思うんです。 |
谷川 |
我々の世代は、自己愛とかナルシズムは
ダメと言われてきたから、自分に関して、
わりと無造作に扱ってたところがあるんです。 |
── |
というと? |
谷川 |
ナルシズムというのは、ものを書くうえでも、
人を甘ったるくさせるし、よくないって
言われつづけてきたんですよ。
それから、頭でっかちな人間は、
「人間というのは精神が大事なんである」
などと言うんです。
ですから、肉体はむしろ
無造作に扱っていいんだ、
というような考え方を、
僕も若い頃はしていました。
だけど、からだに対して
少しずつ目覚めはじめると、
自分を大事にして、自分を愛してないと、
人に対しても優しくなれないし、
人も愛せないんだというふうに変わってくる。
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── |
それは実感なさってるわけですよね。 |
谷川 |
うん。実感ですね。 |
覚 |
自分のことも他人のことも
大事にできるという感覚は、
どちらが先なんでしょう?
自分かな、それとも他人? |
谷川 |
僕はむしろ、他人を
大事にしていくことから
自分を大事にするようになった。 |
覚 |
そうですよね。そうだと思うな。 |
谷川 |
僕はわりと若い頃から
読者が必要だと思っていましたし、
そうしないと食えないってことも
意識していました。
だからずっと自分のなかに
他者を自覚してきました。
言葉というのは
自分の私有物にはできなくて、 常に他者と
共有のものです。
その言葉を通じて
他者とすごく結びついてるということを
頭レベルで考えていました。
今はからだを通じても他者と結びついていて、
他者のことを大事にすれば
それがもう自分を大事にすることに
循環してつながってるというふうに
思えるようになったんです。 |
覚 |
つまり、相手が自分だというような
一体感ですね。
でも、私ね、俊太郎さんが、
「自分のことを愛せないと
他人にも優しくできない」
っておっしゃるのが
ちょっと引っ掛かることがあるんですよね。 |
谷川 |
たぶん、女の人のほうが
最初から一体感があるんじゃないかな?
男ってやっぱり「切り離す」ことで
生きてきてるところがあるんですよ。
いっぺん切り離したものを
元に戻そうという意識がすごく強いね。 |
覚 |
既にひとつであるところに
何の抵抗もないのが女性なんですよ。 |
谷川 |
うんうん、そうだね。 |
覚 |
一体感をリアルに日常の場面場面で
実感してるというのではなくて、
もっと意識下ですでに知っている、というような
感覚があるんです。
俊太郎さんは、
「まず自分」というようなことを
わりとよくおっしゃいますよね。 |
谷川 |
自分の中から理由もなく涌いてくる
一種の自発性みたいなものが
いちばんの元だというふうに
僕は思ってるんだよね。
その自発性というものは、
外からの働きかけなしで
涌いてくることもあるし、
外からの働きかけに応える形で
涌いてくることもあるわけです。
いろいろあるんだけれども、
やっぱり今の社会に生きてる以上は
自分というものがある程度自立していて、
そこから自然に涌いてくる、
というかんじがあるね。
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