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たしかに、
明晰な頭脳をもって
たくさんの言葉を聞き入れたとしても、
ただひとつの風にふれることや
病気で寝込んだりする経験には
かんたんに負けてしまうような気がしますね。
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覚 |
この記事、おもしろいですね。
私たちは、からだをとおして
現実と向かいあっている。
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谷川 |
人間は、ものを感じたり考えたりして、
そこからいくらでも
抽象的なところにいけるわけでしょ?
そして、難解な哲学やなんかを
いろいろとやるんだけども。
若いころは、それが頭だけでできてるって、
僕は思いがちだったんです。
「知性というのは頭だけである」と。
だけどやっぱり、からだがないと、
この自分が生きている世界を
感じることができないと思うんです。
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覚 |
関われないんですよね。
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谷川 |
そうそう、関われないね。
「すべてのものに
からだが
関わってるんだ」
ということは、
意外に見落とされてるような気がするんです。
「朝目覚めたときに青空があると、すごくいい」
という、ある心の状態を、
たとえば詩に書くときも、
青空が見えなきゃ書けないわけだよね?
それから、まわりの物音も
聞こえなきゃなんないだろうし。
コンピュータには感覚器官がないから、
「世界とのつながり」を感じることは無理だ、
ということだと思うんです。
僕は近ごろ感じるんだけど、詩を書くときは、
普段意識してる頭のなかからじゃなくて、
自分のもっと下のほうから、
足かなんかを伝わって
言葉が出てくるような気がするよ。
意識下、ということに、
からだが関わっているんだろうね。
ところで、覚さんの書いた詩に、
「いつも何度でも」という歌があるけど。
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覚 |
はい。
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映画「千と千尋の神隠し」の
主題歌になった歌ですね。
「呼んでいる 胸のどこか奥で」
という言葉ではじまる‥‥。
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谷川 |
うん。あの詩でいちばん気になるのが
「ゼロになるからだ」
という言葉なんです。
僕はあの「ゼロになるからだ」という
言い方そのものが、
なんだかわけわかんない。
だけど、すごく気になるんだよ。
覚さんはあの言葉の前後を泣きながら書いたって?
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覚 |
泣きながらというよりは、勝手に涙が出てきて、
自分でも「これは普通じゃないぞ」と
思いながら書きましたね。
あの詩の「さよならのときの‥‥」の部分に
さしかかったら、
出てきたんですよ、ダラダラと涙が。
感情とか、そのとき考えてることとは
まったく無関係に。
俊太郎さんには、そういうこと、あります?
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谷川 |
あります。
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覚 |
勝手にからだが反応することが?
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谷川 |
うーん、僕の場合にはすこし違って、
単にからだが反応するのではなくて、
自分の言葉に自分で感動して、
というようなところがあるのかもしれないなあ。
「ゼロになるからだ」は、
前から持ってた言葉なの?
それとも、書いてるときに湧き出た言葉なの?
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覚 |
湧き出たといえば湧き出たんですけれども、
これまで自分が
からだとつきあってきた期間のなかで
フレーズとして蓄積されていたんだと思います。
詩を書いているあいだの感覚が
ニュートラルになったときですね 。
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谷川 |
そういう解釈だと、わりとわかるんだけど、
それだけじゃないような気がするんですよ。
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覚 |
うーん。
さっきの「意識下にからだが関わっている」
という話ともつながると思うんですが、
「さよならのときの‥‥」の部分で
涙が止まらなくなったのは、今思うと、
「すごく大きなもの」とつながったことの
あらわれだったような気がするんです。
つまり、そういう意識状態になったときに
手にした言葉が
「ゼロになるからだ」だったのかな、と
いう気がするんです。
アイデアとかひらめきみたいなものというのは、
大きなものとのつながりのなかで
生まれてくるんだというふうに
私は思っています。 |
谷川 |
大きなものとのつながりというのは、
理性ではできないんですよね。
「意識下」のものでないと、
つながれないんだと思う。
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覚 |
うん。
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谷川 |
すべてを秩序づけて整理して、
切り離して理解して、という
今の時代とぜんぜん逆の方向ですよね、きっと。
たぶん、詩っていうのは
そういうはたらきを持ってるんだね、
散文とは違って。
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覚 |
芸能は神様のことと近いので、
詩をつくるということも、
歌うことも、おなじ分野です。
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覚さんの出されたCD「青空1号」で
とても貴重だと思ったのは、
覚さんの「いつも何度でも」の歌と朗読が
収録されていたことです。
あの曲を何度聴いても歌詞を読んでも
つかめそうでつかめなかった何かが、
よりいっそうつかめなく、すばらしくなりました。
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谷川 |
うん。論理じゃなく、まさしく「からだ」でね。
だいたい詩っていうのは、もともと
占いとか口寄せとか、
そういうものと同質なんだよ。
古代から、狩や採集に行けなくても、
そういう職業の人たちが生きていけたのは、
特別な能力があるから、仲間がちょっと尊敬して
食べものを持ってきてくれたからだよね。
詩人も、ほんとはそれでいいんですよ。
実社会では、役立たずでいいんだって思います。
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覚 |
私もそう思います。
だけど、そこに
「開き直る」っていう公式ができてしまうと
違っちゃうんですけどね 。
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谷川 |
開き直るのはまずいね(笑)。
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