谷川 |
からだときちんと向き合っていると
たとえば、夕焼けや木々の見え方も
少しずつ変わってきます。
「からだが整っていくと」って
言っていいのかな。
もちろんそういうものに飢えてるということは
前提としてあるんだろうけど、
きれいさ加減が違うというか。
前よりかずっと
きれいに見える。
でも、それも、もしかしたら
年とったせいかもしれないけどね。
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覚 |
私も、昔より今のほうが
きれいだと思うんですよ。
夕焼け見ても、ちぎれ雲見ても。
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谷川 |
「ああ、きれい」というのが
「しみじみきれい」に
変わってくるんだよね。
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── |
からだを味わうことにはまだまだ未熟ですが、
覚さんのCDを聴いたり
谷川さんの詩を読んだりすると
心のひろがりのスイッチを
押されるようなかんじがします。
そのあとの3時間くらいは
かなり涙もろくなります。
谷川さんは、涙もろいほうですか?
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谷川 |
どうなんだろう。
どの程度を涙もろいっていうのかな。
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覚 |
自分で涙もろいと思うかどうか。
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谷川 |
今はもう涙もろくはないと思う。今は。
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覚 |
昔のほうが涙もろかったんですか?
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谷川 |
もろかった、若いころのほうが。
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覚 |
だいたいふつうは、
年をとったら涙もろくなると
いわれていますが。
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谷川 |
うん、そうだよね。
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覚 |
私、30の失恋体験を乗りこえて、
心もからだもちょっとほどかれたときに、
ものすごく涙もろくなりましたよ。
「あ、やっぱり涙って、からだの反応なのか」
って思いました。
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谷川 |
うんうんうん。
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覚 |
だから、若いころに泣けなかったこととか、
もうほんとにささやかなことで、
泣けちゃうんです。
野良犬がそのへんを歩いてるだけでも。
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谷川 |
あ、僕は、若いころはそうだった。
10代の終わりぐらいはそうだったよ、
ほんとに。
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覚 |
涙もろくなくなったのは
なぜだと思います?
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谷川 |
現実認識が
タフになったんでしょうね。
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覚 |
じゃあ、今泣くとしたら、
よっぽどのことなんですね。
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谷川 |
いや、そうでもないんですよ。
くだらない、メロドラマで泣くんですよ。
「寅さん」観てても、
ウーンってなったりするわけ。
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覚 |
「寅さん」ですよねー。
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谷川 |
若いころは「人情」みたいなものでは
泣けなかったんですよ。
だけど、青空を見ると泣けるとか、
子犬見るとそれだけで泣けるとかは
あったわけ。
今はそういうのはなくなって、
むしろ「人情」で泣くようになってる。
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── |
ふつうは、なんだか、逆っぽいですけど。
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谷川 |
そう。だから、人間世界に戻ってきた、
みたいなかんじかな。
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覚 |
ははは。
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谷川 |
前は、クラシックの音楽を聴いたりしては
しょっちゅう泣いてたけど、
今はほんとに泣かなくなりました。
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── |
うーん、詩人‥‥。 |
谷川 |
どうしたの?
涙もろくなきゃ詩人じゃないというの?
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── |
いや、そんなことないです。
なんかこう、
現実世界に戻られたというところが。
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覚 |
詩人て地に足がついてないイメージを
持たれがちだからね。
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── |
ヒダがあったり、いろんな心の、
なんというかゴニョゴニョ。
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谷川 |
ありますよ、ありますよ心のヒダ!
なに言ってるんですか(笑)。
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── |
すいません。
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覚 |
ははははは。
このお喋りのチャチャ入れ役の、
「ほぼ日」さんも
涙もろいほうでしょう?
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── |
はい、涙のラインが人より低くて
防御できないタイプです。
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谷川 |
むむ! じゃあ「泣きました」って言われても、
こっちはあんまりよろこんじゃいけない
ということだな。
誰にでも泣いてんだ、みたいに
思わないといけない。
そうか! 悔しいな。
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覚 |
(笑)。
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── |
からみますねえ!
『家族の肖像』では
ほんとに泣いたので許してください。
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覚 |
でも、泣き顔を見られるのって恥ずかしいよね。
もうさ、もう、気が変になるくらい
恥ずかしいんだよね。
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── |
恥ずかしいですよ。
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覚 |
今でも、青空見て泣けと言われれば、
すぐ涙が出そう。
もう、このへんまで来てるもん、涙が。
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谷川 |
すごい。詩人だなぁ。
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覚 |
からかわないでください。
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谷川 |
ふふふ。
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覚 |
私が最初に、俊太郎さんに惚れたきっかけは、
13歳のときに聴いた
俊太郎さんご自身による詩の朗読なんですよ。
「谷川俊太郎の詩」は、それまでに
教科書で読んではいたんだけども、
やっぱり、ご本人が
読んでいるのを見て、ガーン!ときた。
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谷川 |
「声の力」というのは、あるね。
マリアン・アンダスンという、
黒人のアルト歌手がいるんだけど、
ぼくが高校生のときに、来日したんです。
ぼくは、その人の歌う
アヴェ・マリアを聴いたときに、
その、アヴェ・マリアのね、
「リ」から「ア」にいく、
その、ごく短いところに、
すごい感動したんですよ。
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覚 |
ふうううん!
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── |
ああ、わかりにくいけど、
いまならとてもよくわかります。
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谷川 |
声の出しかたっていうのかな、
発音のしかたっていうのかな?
それをどうにかしてエッセイに書こうと
何度も思ったんだけど、
ついに書けなかったね。
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── |
確かに、その人のおっしゃってる内容ではなく、
そのときの、その人の発音で
感動したりすることが、わりにあります。
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覚 |
そうなんですよね。
意味じゃなくて。
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谷川 |
うん。言葉が並んでいるだけのことじゃ、
わかんないものがあるんだよね。
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覚 |
この空気感を伝えたい、みたいなこと。
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── |
からだから出た言葉って、
聴いてる人のスイッチを
ガーン!と押しますよ。
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覚 |
力を持ってるんだよね。
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── |
ものすごく広がるっていうか、
何かが「出る」気がします。
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谷川 |
うん、そうだよ。
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── |
だからみなさんも、詩は本だけで読まず‥‥。
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覚 |
声に出して読んでみましょうね。 |
谷川 |
ははははは。
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── |
これは、からだがあって生きてないと
感じられないことですね。
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谷川 |
ふっふっふ。
逆に言えば、からだが死んでなくなったときに、
何が残るかっていうのは、
すごくおもしろいね。
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── |
なななな、なにが残るんでしょう?
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谷川 |
ねぇ? やっぱり魂は残るはずなんだけど。
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覚 |
たしか、魂のグラム数があるんですよ。
死ぬ前と死んだ後で体重が
わずかにちがうんだって。
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── |
それ、乾燥しただけじゃないんですかね。
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谷川 |
ブッ(笑)。
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覚 |
ハハハ、
水分飛んじゃってね。
ええっと、たしか、
20グラムぐらいだったかなあ。
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谷川 |
そういう題名の何かがあったよね、
本だったかしら?
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覚 |
映画です。
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谷川 |
そうだ、映画だ。
(「ほぼ日」註: 「21グラム」という
タイトルの映画でした)
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── |
20グラム。意外と重いですね。
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谷川 |
感覚器官がなくなるんだから、
こんどは視覚、聴覚、嗅覚なんかじゃなくて
外とつながるんですよね。
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── |
それは、たのしみですね。
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谷川 |
たのしみにされてもなぁ(笑)。
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