「ほぼ日」9周年を迎えてのごあいさつ   もうひとつ指を折ると10年目

「ほぼ日刊イトイ新聞」が、
とうとう9回目の誕生日を迎えました。
うれしいことです。

吉本隆明さんが、『悪人正機』という本のなかで、
「どんなことでも、
 毎日10年やり続けられたら、
 一丁前になれる」
と、言ってくれました。
このことばは、ぼくも何度も引用したので、
いつのまにか、ずいぶん広まっているようです。
真剣にやろうがやるまいが、とにかく、
ぼーっとしててもいいから
毎日やり続けることが大事だと、
そんなふうにも言いました。

才能だの素質だのが問題になるのは、
一丁前になってからのことなんだそうです。
そんなことも言ってました。
そして、吉本さん自身も、小林秀雄も、三島由紀夫も、
才能があったのかといえば、そんなことはなく。
いいものを書く、つくる、というのは、
才能とはちがったところで決まるもので、
時には、才能が邪魔になるということもある‥‥と。
そんな話も聞きました。

一丁前になる。
一丁前になれる。

一丁前になる日がくる。
だれでも、一丁前になれる。

とにかく一丁前になることが、大事なんです。
一丁前になれたらいいなぁ、と、ぼくは思いました。
こういうとナマイキに聞えるかもしれないけれど、
個人としてプレイしてきて、
たぶんぼくは一丁前になっていたと思うんです。
10年というサイクルを3周以上もくりかえしましたからね。
でも、「ほぼ日」でのチームとしてプレイは、
1998年の6月6日からのスタートですから、
ずいぶん若いんです。

チームとして、団体競技で一丁前になりたい。
ぼくは、そう思うようになっていました。

尊敬する吉本さんが、
「どんなことでも、
 毎日10年やり続けられたら、
 一丁前になれる」
と言ってたということは、
ぼくのようなものに、覚悟と勇気をくれました。

「ほぼ日」をはじめてから、何回、
ぼくは自分が編集したこの『悪人正機』という本の、
この部分を読んだことかと思います。
そして、クリスマスや誕生日を待ちわびる子どものように、
10年まで、あとどれくらいかと思いながら、
遠くを見たものでした。

そうして、毎年一年ずつ過ぎて、9年が経ちました。

9周年になると、もう数えるために折る指も、
たった一本しか残っていません。
ぼくらは、きっと
「一丁前に似たもの」になっているのでしょう。
遙か彼方に思えた10年後が、たしかに迎えられそうだ、
という自信のようなものがつきました。
その自信は「ほんとの一丁前」のものに似ていて、
ひょっとすると、自分たちも
「もう一丁前」なんだと錯覚してしまうかもしれないです。
‥‥だけど、ちがうんですよね。
まだ、なんです。
でも、近いんです。
で、たぶん、確実に
10年目のその日を迎えられると思うんですよね。
一日一日、毎日を、とにかく休まずにやる。
そういうことは、得意になっていますから。

そういう9周年の日です。

10周年になって一丁前だと言えるようになるまでに、
この先の一年間で、
やっておきたいことがいくつかあります。
それについては、この「ごあいさつ」の続きを、
また、そのうち、ここで書いてみようと思っています。

また今日から一年、
たのしんで「ほぼ日」をやっていきます。
どうぞ、「ほぼ日」をたのしんでください。
今日まで、ありがとうございました。
今日からも、ありがとうございます。






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