<乗組員という考え方>
矢野顕子さんの「さとがえるコンサート」に行った。
年に一度の、この帰国コンサートは毎年観ているが、
今年は、思わずイッたね〜。
「脱線web革命」で、矢沢永吉さんに聞いたことを、
ちょっと書いたけれど、その視点でコンサートに行ったから だったのかもしれない。
バンドというものの在りように、特に注意しながら、
ぼくは観客席に座っていた。
沖縄民謡の3曲メドレーのあたりから、
音楽っていいなぁというような気分が醸成されはじめてきて 「ニットキャップマン」という曲では、
すっかり普段の自分が解体されていた。
この「ニットキャップマン」は、ぼくが作詞して、
ムーンライダーズのアルバムにおさめられている曲だが、
できたときからアッコちゃんが気に入っていたようで、
短い日本滞在の時間を調整して、
オリジナルのバックコーラスにも参加してくれている。
(こういうことって、
このあたりのミュージシャンの間では、たまにあることで、 アッコちゃんの「自転車でおいで」のレコーディングには、 佐野元春さんが参加して、やっぱりバックコーラスで
加わってくれている)
ま、それでも、自分の関係した曲では、
どっぷりと浸かりきることはできにくい。
その後の、「素晴らしい日々」でしたよ、問題は。
感情が、風の強い日のタコにのせられたように、
糸を鳴らしながらぎゅんぎゅんと高く上っていくのです。
歌詞に手を引かれながら、メロディーに後押しされながら、 「彼ら=矢野顕子のバンド」にさらわれて、
どこまでも上に上に上っていって、
帰ってこられない感じになってしまうのです。
『君は僕を 忘れるから すべてを捨てて 僕は生きてる』 というマジックワードを、何度も何度もリピートして、
アッコちゃんは、歌っている自分自身をも、
高く高く上らせていきました。
矢野顕子の最高の世界です。
この感じまでは、ぼくもすでに経験済みでしたが、
ここで、ぼくは、バンドのメンバーを見てしまったのです。 NYとLAから、矢野顕子とともに来日した、
ひとりのベーシスト、ひとりのパーカッショニスト、
ひとりのドラマー。それぞれが、日本人ではありません。
この3人が、舞台の上で、3人おなじ目をして、
ピアノを弾きながらボーカルをとっているアッコちゃんを、 見つめているのです。
どう言ったらいいんだろう?
親族がお見舞いに来たときのようでもある。
親が子供の運動会を見ているようにも見える。
逆に、子供がおかぁさんを見つめているようにも。
永年飼っている犬が、飼い主を見ているようでもあるし、
飼い主が犬を見ているようでもある。
ぜんぶ、入った目だったんだ。
自分と他人とを分けられないような感覚で、
バンドのメンバーが矢野顕子を見ていたのです。
それぞれのリズムをしっかりとキープしながら。
この、愛なんだか、信頼なんだか、が、
観客席のぼくに瞬時に伝染してしまって、
泣けてきたわけです。
あの、バンドの、あの時間の「信じあってる感じ」が、
今年の「さとがえるコンサート」での、
ぼくのあらためての発見でした。
チームとか、バンドとか、プロジェクトとか、
呼び名はいろいろだけど、
「おなじ船に乗っている=クルー(乗組員)」という、
運命を共にする人たちがつかんだ信頼感というものは、
ひとりでなんでもやろうとしていたり、
自己拡張だけを望んでいたりしてたら、
きっとわからないままになってしまうんだろうな。
それは、船という「沈んだらおしまい」という
緊張感のある場面を共に生きた人々だからこそ、
シェアしあえる「信頼」というごちそうなんでしょう。
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