◆ 今回の大阪池田市での事件に、
私は愕然としました。
犯人が精神病患者だからです。
それのためか、亡くなられた子供たち
親御さんたちにはただただお気の毒です。
としか言いようがありません。
実は私の主人も最近「うつ病」である事が
わかって、普通の生活を送っていますが、
通院しながら薬を飲んでいる次第です。
「うつ病」は脳が風邪を引いたようなもの。
よくこう言われてますが、実際のところ
そんなモノじゃないと、私は思うようになりました。
病院に行くと少しの面談と薬を渡されるだけ。
ほんとうにこれだけでいいの?といつも主人のそばに
いる私は疑問を感じます。
日本には、「臭い物にはフタ」という便利な言葉が
あるけれど、ほんとうにそれでいいのでしょうか?
フタがきれいだったら、見過ごすのでしょうか?
どうして、開けてみないのでしょうか?
臭くてもかがなければいけない臭いだってあるはずです。
その臭い物の中から助けを求める手が出てたら?
その手をひっぱってあげなければ人は溺れてしまう
見過ごせないと思います。
溺れてしまう前に助けていれば、こんな事は
おこらなかったと心底思います。
「精神病患者は野放しにするな。」という声も
出てくると思いますが、そうじゃないと思います。
本人たちだって苦しんでいるんです。
苦しんでいるから人を傷つけてしまうんです。
それが一番悪い事ことなんです。
本人の苦しみ、「大人だから自分で解決すべき」では
すまされないと思います。
大人だってたくさんの人に支えられて生きてるはずです。
まるで、犯人を擁護する文章のようですが、
「責任」は本人とその人のまわりにいる人達にも
あると言いたいのです。
鳥越さんに読んでもらって、自分自身にも喝を
入れ直しです。
主人を支えられるのは私しかいないです。
がんばります。
では、お体に気をつけてお過ごしください。
◆大阪の事件は確かに言葉もでないほどの
ひどい事件ですが、マスコミのカメラもひどい!
ショックでふらふらの関係者を容赦なく写したり、
むりやり学校関係者のコメントを取ろうとしたり、
目に余るものがありました。
何人かの児童に無理やり証言させてるのも
正視できませんでした。
池田小学校の生徒の親御さんたちは、
マスコミからも我が子を守らなくれはならず、
本当に大変だろうと想像します。
マスコミ関係者が「欲しい絵」「欲しい発言」を
求めるあまり、事件のあった小学校や病院の
まわりの混乱は想像に難くありません。
今日は今日で、被害者の自宅を訪ねる校長先生を
各社追っかけたようで、腹がたちます。
もちろん凄惨な事件であり
報道しなくてはいけないのでしょうが
そこにはやはり「ルール」が必要ではないでしょうか?
私も子どもがある事件の被害者になったことがあります。
ある新聞社が事件後かなりたって報道したため、
一挙に各社が取材にきました。
証言できるほどの年齢ではなかったため
親だけが取材をうけましたが、
集中豪雨のように報道され事件は解決しないまま
忘れさられてしまいました。
地方の小さなニュースでさえそうなんですから
今回の事件の被害者に対する報道被害は
どれほどひどいものになるか想像するだけで
そら恐ろしくなります。
そのへんもぜひ考えていただきたいと思います。
◆昨日のニュース見て、胸を痛めた自分がいます。
でも、つい1分前には大笑いしていました。
そして、ほぼ日を開きダーリンの言葉を見て、
なんだか涙が出てきました。
次に「あのくさこればい」を読んで、
メール出したくなりました。
私は独身、もちろん子供もいない。
でも、こんな日はなんだか、胸が苦しくなります。
いろんな人間がいて、いろんな自分もいて・・・。
悲しいです。
◆先日 大阪でイヤな事件がありました。
あの日 私は2時頃から テレビを見始めました。
正確に言うとTBS『ジャスト』です。
現場の状況を 早く知りたいという
視聴者(やじうま)心理は
正直 私にも あるのですが 大勢の大人達が
カメラやマイクを持って 子ども達を 取り囲み
アレコレと惨事の様子を訊く という状態が
どうしても 納得行きませんでした。
また 同じ子どものインタビューシーンが
何度も何度も 繰り返し放送されることも。
その後『特別報道番組』や夜のニュースにいたっても
どの局のどの番組においても
そのシーンは使われていました。
一方で 子ども達のPTSDを心配しながら
コレは一体 どういう事なのかなぁと思います。
私自身の中では きっと イケナイ事なのだろうけれど
3日位で「遙か大阪の悲惨な事件」として
やり過ごしてしまうのでしょうけれど。
そして あの取材陣や報道陣にとっても
同じなのではないかとそんな気がしています。
でも あの現場に居合わせた子ども達は
きっと こういった大人達の想像を
遙かに超えた体験をしてしまったのだ
ということは頭に入れておかないと
いけないと思うのです。
ああいう取材の方法しか とれないものなのですか?
鳥越さんや「ほぼ日」の皆さんは どう思われますか?
◆鳥越さんに質問。
今朝のニュース番組を見ていて気になったのですが、
事件に居合わせた小学生を記者たちが取り囲んで、
事件の様子を聞いていました。
(確か日本テレビだったと思います)
確かに、現場に居合わせた同級生に
その状況を聞くのは最も正確な取材方法のひとつでしょう。
しかし、
それを放送で流す必要はどこにあったのでしょうか。
同級生は、身体の各部を示しながら、
「刺されていた」「血がでていた」などと
一生懸命話していました。
おそらく、あの子の記憶には永久に残ることでしょう。
悲しいことです。
鳥越さんもやはり、
子どもたちに話しを聞きたいでしょうね。
でも、そのインタビューを放送したいですか?
ご意見を聞かせてください。
何だ! 昨日のテレ朝の臨時ニュースでも、
少女の顔出しインタビューを
何度も放送すてたそうですね・・・・。
◆今日(6/9)の「今日のダーリン」についてです。
糸井さんがそれを意識してお書きになったのでは
ないとしても、あの大阪の事件のショックが
頭の片隅に張りついたようになっている私には
糸井さんの書いた数行の言葉が、すとん、と心に
落ちてきました。
昨日、ラジオで第一報を聞いてから、しばらく
TVで大混乱になっている小学校前の映像を
見ていたのですが、見ている間にも速報が流れて
どんどん子供達が亡くなっていく。
なんてひどいことなんだろう・・・そう思いながら
TVを見ている私はいつもの平和な日常の中。
>すべてすべて、すべてはおなじ時のこと。
阪神大震災の時にも同じように感じたことを
思い出しました。
でもこの事件は、阪神大震災よりもある意味で
私の心を揺さぶります。
それは私が神経科で(軽いけれど)薬を処方して
もらっている人間だからです。
鳥越さんがこの事件についてどんなふうにおっしゃるか
ちょっと怖いけれど興味があります。
私が、弱気の私を叱咤しているこの時も
‘すべてはおなじ時のこと’なんですよね。
なんだか日記みたいなメールですみません。
毎日、「ほぼ日」楽しみにしています。
◆しばらく前から、ほぼ日を読み始めました。
はじめてなのですが、
今日の”今日のダーリン”に書かれていたことは
とても大切なことだではないかと思い、
お便りさせて頂きます。
実は私はこれは自分の性格だ、と思っていたものが、
どうも鬱病なのではないかということに最近気づきました。
専門的なことは解らないので、少し理解を深めようと
本を読み始めたばかりなので、
自分が鬱病であるかということを含め、
確実なことは解りませんが、
こんな性格だから、とあきらめるよりも、
投薬、セラピーどちらも積極的手段のように思えます。
ただし、アメリカなどと違って
日本で専門的に信頼性の高い
セラピーを受けられるのかどうか、ということに加え、
そういう手段を使うことが社会的に
どんな意味をもつかと考えると、
なかなか行動に移すことができるか解りません。
"杞憂であれば”と書いておられましたが、
偏見というのは結構一般的な
反応なのではないかと思います。
その中で、今回の今日のダーリンの
センシティブな視点はさすがだと思いました。
また、今回の犯人の刑事責任を否定するつもりは
全くありませんが、
こういう種類の事件が増えている背景には、
個人主義が進み、コミュニティーの存在が
希薄になっているという
社会的背景にも原因があるように思います。
アメリカで性的異常者による
犯罪が多いのもそのせいではないかと思いますが、
コミュニティーがあった時代は今回の犯人のような人は
コミュニティーの中でマークされ、
ケアされていたでしょうし、
大きな暴力に至るまで心の問題を
自分一人で抱え込むこともなかったのではないかと
思います。
いろいろ難しいこともある時代ですが、
ほぼ日はある意味、新しいコミュニティーの形
かもしれませんね。
これからも期待しています。
それでは。
◆こんにちわ。
鳥越さん同様、私も
精神病を持った人が何の罪もない小学生を襲った
悲惨なニュースに胸が痛い思いです。
でも、どうしても、
報道が不公平というか、
上手く言えませんが
誤解が解けないままな気がして...
誰かに話したかったのでメールしました。
怖かったでしょう。
忘れたくても忘れられない深い傷になってしまうことでしょう。
殺されてしまった小学生達は
本当に気の毒だったと思います。
なぜ、自分の子供が....
運命、なんて一言で片付けてしまうには残酷な結末で、
その現実をだた受け止めるしかない
保護者の方達のやるせなさは想像を絶すると思います。
ですが、精神病患者の起した事件の報道を見る度
ちょっと待ってよ、と思うのです。
インシュリンの分泌が上手くいかないと「糖尿病」
胃酸が出過ぎると「胃酸過多」
であるのと同じで
脳内物質のバランスが悪のを「精神病」と呼ぶだけ。
他の病気と一緒なのに。
犯人を扱う時の
「異常な殺人鬼」みたいな雰囲気。
低血糖だったり
胃が痛かったりする人が
機嫌が悪いのを理解してあげるように
なぜ精神病を理解するような報道が
出来ないのでしょうか...
それは、病気が原因なのに。
亡くなったお子さま達の
かわいらしいエピソードばかりでなく
その時間をちょっと割いてもらって
日本ではまだまだ偏見と差別が残っている
「精神病」というものに
意識的に光を当てるべきだと思うのです。
犯人は自分から精神病院にも入院していたそうですね。
でも、彼のSOSを誰も受け止めてあげられなかった。
きっと、防げた事件、だった。
彼の異常な言動を挙げるのではなくて
その「防げなかった体制」に、
厳しい目を向けるべきだと思うのです。
精神を病んでいた。
薬を飲んでいた。
前科もあった。
近所の人や、犯人の親までも
「あいつはちょっとおかしかった」と話していた。
犯人の孤独ってどんなものだったのでしょう。
犯人だって人間ですよね....
病気で、一人っきりで、理解されなくて、
普通に生活していられないほど辛かった....
なんか、ナミダが出ちゃう程辛かったと思うんです。
必ず、悲しい原因があって悲しい結果がある。
悲しい差別が、また新たな悲しい事件を起さないように
そのことを広く報道して欲しいなと思うのでありました。
◆今回の大阪の事件は、
ここニュージーランドのニュースでもトップ扱いです。
地下鉄サリン事件の次に悲惨な事件・・・と
私が見慣れた日本の町角から、
アメリカ人のリポーターが事件について
コメントしていました。
最初ネットでこのニュースを知った時には、
あまりにショックで涙が出てしまいました。
「日本は夜道を歩いても、
現金を持ち歩いても安全なのに、
どうしてそういう恐ろしく悲惨な事件が
学校で起ってしまうの?」
ニュージーランド人の夫が私に言った言葉です。
犯人は精神的に問題があるそうですが、
責任能力が取れない等の理由で罪から
開放されてしまうのでしょうか。。。
そういった事例が沢山ありますが、
私には納得が出来ません。
夫に聞いた所、ニュージーランドにはそういった
犯罪者のための刑務所があるらしいです。
日本で心理的・精神的に疲れている人や
病んでしまっている人が多くなっていると感じます。
そう考えると、今後こういった事件が増える
可能性も有り得ると思うのです。
どうにか対策を!と切に願います。
そして、奪われた8つの小さな命に、
心からご冥福をお祈りしたいと思います。
P.S. 取り止めの無い事を書いてしまい、すいません。
でも、海外で日本の悲しい
ニュースを聞くのは辛いです。。。
◆今日はどうしても誰か
マスコミの方の考えを聞きたくて
メールさせていただきました
返事が頂きたいと言う事ではありませんので
ただ私の考え方が普通と違うのかしらと
思ったものですから大阪の小学校の事件は
あまりにも悲惨で理不尽で悲しい事件です
誰もが一日も早く子供達が元気になってくれることを
望んでいると思っています。
それなのに 今日の夕方のニュースの映像で
子供達にインタビューしている映像が流れました
なぜ どうして そんなこと出来るの?
相手は小学生 それもショックを受けてる子供達に
何か悲しくなって目を逸らしてしまいました
そこまでしなくてもと思うのは私だけでしょうか
子供達へのこの事件に対しての質問などは
専門家がするべきで他の人達は
そっと見守っているべきではないのでしょうか?
マスコミは正しい報道を多くの人に知らせることが
大切だとは思いますが 他に方法がないのでしょうか
子供達にはかかわって欲しくない
そう考えてるのは私だけでしょうか
こんな事考えてる者もいることをお知らせしたくて
お忙しい中申し訳ありません
お身体にだけは充分にお気を付けられて
頑張って下さいそれでは失礼いたします。
◆こんばんは
大阪の事件・・・本当に言葉になりません。
一番安全であるべき学校で
このような事件が起きるとは・・・
日本もアメリカで起きる事件と
変わらなくなっている事に恐ろしさを感じます。
いろいろな報道を見て気になった事があります。
こんな事思っているのは私だけかもしれませんが。。。
報道の方々が、被害に遭った子供達に取り囲んで
インタビューしている場面が流されていた事です。
状況を知りたいというのは解かりますが、
ほんの数時間前に怖い・恐ろしい場面に遭遇したばかりで、
心の整理が出来ていないと思うのです。
身体には幸い傷がついていないと思いますが、
心には大きな・大きな傷がついているのに
寄って集ってという印象が私には感じました。
これから子供達の“心のケア”を
考えなくてはいけない時に、
大人達が取り囲んでインタビューするのは
必要な事なのでしょうか?
ちょっと疑問に思ったので、メールさせて頂きました。
こんなにも精神病暦のある人物の犯罪が多く、
一度何かの事件を起こしている場合も少なくない、
一般の専門病院ではなく、
本当の専門病院をつくるべきだと思います。
事件を起こしても“不起訴”になったら、野放し状態です。
“病気だから”ではあまりにも被害に遭った方々に
“理解しろ”と言っても理不尽です。
二度とこのような事件が起きない事を願っています。
◆ほぼ日は。いつも、楽しみに「あのくさこればい」、
拝見しています。
そして、今日・・・例の事件・・・
大阪教育大学附属 池田小学校での、事件について、
鳥越さんがどんな事を おっしゃるのか、
気になって見ると・・・
この事件に対する、鳥越さんの素直な思いが・・・
そこにありました。
実は、私は、大阪教育大学の学生です。
被害にあった子供達は、私達、大阪教育大学の学生が、
教育実習に行く小学校なんです。
そして、何より、同じ「大阪教育大学」の名を共有する、
子供達。
被害にあった子供達は、私の所属している
クラブの先輩が「教育実習生」として、
忘れられない日々を 共に過ごした子たちでした。
『どうして?』
『あの子たちが、何をしたっていうの?』
・・・犯人に、こう問い掛ける事は・・・
無駄かもしれない。
でも、他に 言葉が見つかりません。
「いってきます」って、元気に家を出たはずなんです。
家に帰ったら、誰と遊ぼうか、何をしようか。
宿題は少なかったらいいのにな・・・
とか。
私は今、20歳。
結婚もしたい。子供も欲しい。
でも、私は、自分の子供に『人を信用するな』
『危ないから、外では遊ぶな』
『たとえ、学校の中でも、決して、安全だと思うな』・・・
と・・・言わなければい
けないのでしょうか。
とても悲しいです。
◆大阪の事件、実にショックで心が揺れます。
1日たったのですが、自分でもおかしなくらい
ショックを受けています。
ひとつは事件のあった学校で
15年近く前に教育実習生として
1年西組でお世話になったということ。
そして自分が青春時代を送った
池田の街で起こったということ。
そして、今春入学したうれしそうな
1年生である我が家の息子と同じような年齢の子供が
犠牲になったことが1番大きいです。
特に今日の新聞で亡くなった男の子が
「ひとり息子」であるということも自分の環境、
状況と重なるものがあり
心がゆれて仕方が無いのかもしれません。
本当にショックな事件なのですがこの事件で私は
「報道」というものに疑問と憤りを感じずには
いられませんでした。
それはテレビで流された、
その場にいた子供たちへのインタビューでした。
「包丁の大きさ」「進入の時の様子」・・・
事件の生々しい様子・・
何本ものマイクを向け、大きな男達が小さな子供を囲み、
それも今さっき恐ろしい体験をした子供に
「それで、どんな人だった?」
と聞く記者だかなんだか、
とにかく「報道」に関わる人達。
事件から1日がたち、「子供たちの心の傷」が
話題になっています。
インタビューを受けた子供たちは、
それによって将来さらに傷を
深くすることがないといえるでしょうか?
2回目の恐怖を味わった子供はいなかったのでしょうか?
「報道」してくれるのはありがたいことです。
しかし、とにかく「何でも伝えたらいい。」
「知っている人の生々しい話だったらいい。」
ということで子供たちにインタビューするのであれば
間違っていると思います。
少なくとも阪神大震災などで「PTSD」を取り上げ、
「報道」してきた人であればいえ、
少なくとも良識ある大人であれば
「事件直後の子供へのインタビュー」など
できないと思います。
「報道」に関わる鳥越さんはどう感じ、
考えられたのだろう、そう思ってメールを打ちました。
読んでいただけたかな?
もし、読んでいただけたなら、
お忙しいところ読んで頂きありがとうございました。
◆私は学生(18)です。私もあの事件を見て、
いろいろと思うことがありました。
まず、突然子供を失った親の行き場のない
悲しみについて考えました。
それから、その場に居合わせた子供たちの
一生残る心の傷についても考えました。
もう一つ、運良く(運悪く)生き残ることが出来た
子供たちの親は、自分の子供が無事なことを知ると、
きっとこう言うのだろう
「うちの子でなくてよかった」と。
あたりまえにそう思ってしまう自分がいたことが、
何だか無性に悲しかったのでした。
(特に感想にも何もなっていませんでしたね・・・
ごめんなさい。聞き流してくれて結構です。)
◆大阪の事件、どうしようもなく
やりきれない事件ですね。
テレビで校長先生が謝っているのを見て、
泣きたくなりました。
「あなたが謝ることなど何もないのに」と言いたかった。
でも、それこそ何一つ罪もなく殺されたり
傷つけられたりした子供や先生よりは、
まだ多少の責任があるのでしょうね……。
いろいろ、想像すると胃袋が限りなく重くなります。
鳥越さんの絶句と「不条理」のひとことが、
本当に実感です。
まったく無関係な人間なのですが、
腹が立ってどうしようもない。
起こってしまったことは取り返しがつかないのですから、
せめてこのことから何かひとつでも
灯りとなるようなものが産まれてくれることを望みます。
いつも言われることですけど、
第2の悲劇を生まないように。
(より本音を言ってしまうと、
今までだってさんざん問題視されていたはずだ、
と思ってしまうのですけれども……)
梅雨ですね。今日の関東地方は晴れましたが、
あちこちで風邪が流行っているようです。
どうぞお体お大事に。
◆「自分に優しく、他人に優しく」が
今の私の好きな言葉です。
(受け売りですけど・・)
大阪で悲惨な事件が起きたのと同じ頃、
父の部下がうつ病で自殺をしたそうです。
父は、「うつ病は周りにたくさんいるんだよ」
と真顔で言っていました。怖い病気ですね。
ナイフを他人に向けるか、
自分に向けるかの違いだったわけで・・。
部下のお葬式と親戚の結婚式が重なってしまい、
父は結婚式に行きました。
◆こんにちは。'あのくさこればい'、
毎日読ませてもらっています。
予備校から帰宅後に知った、
大阪の小学校での事件には本当に驚きました。
言葉にならない、怒りにも悲しみにも感じられる思いが、
胸いっぱいに詰まりました。
未来のある、かわいい盛りの子供達の命が、
動機すらハッキリしない中で一人の男によって
奪われるなんて本当にやり切れない。
そして、悪質な人間が形成された背景・環境に、
現代社会の短所が深く関与しているなら、
自分が生きている時代すら恐ろしく感じます。
鳥越さん、この事件を等身大で伝えて、
危険な原因をつきとめて下さい。
◆この度の、大阪児童殺傷事件
(どのように命名されたのかわからないので、
こう呼ばせていただきました)について、
感じたことを書きたいと思います。
精神疾患を持つ人間だから、子供を殺すかというと、
そういうことではないと思います。
今までだって精神疾患を持つ人間はいくらでもいました。
そもそも、いくら心神喪失状態だったといっても、
包丁が刃物で、刃物で人をさせば体が傷つき、
死に至るという程度の知識はあったわけです。
となれば、それと同じレベルで、
「子供を殺してはいけない」という常識を
植えつける事だって可能なのではないでしょうか。
現に、今までの精神病患者は、
事件を起こしたとしても、
学校の授業中に堂々と乗り込んで
子供を殺しまくるなどということはやってきませんでした。
誰が言っていたのかは忘れましたが、
人の精神というのは、
本能?→?→知識、知恵→意思(意志?)の順で、
形作られていると聞いた事があります。
つまり、知識、知恵の部分で、
学校で児童を殺すなどという行為が
最低の行いだということを、「畏れ」によって
植えつけられていれば、
その先、「学校に乗りこんで児童を無差別に殺す」
という意思まで到達しなかったのではないでしょうか。
この場合の「畏れ」というのは、
具体的に「周囲から見捨てられる」という
具体的な畏れとともに、自分が「存在として正しくない」
という、アイデンティティーの問題に関わる畏れの
2種類(本当はもっとあるのかもしれませんが)
があるのだと思います。
日本人のように一神教を持たない文化では、
周囲の「人」や、
それが形作る「世間」などによる力以外には、
この「畏れ」を植えつける代替手段は
今のところありません。
しかし、今は個人主義の名の元に、
一部では「同調圧力」とも言われるような
「畏れ」の源を解体しようという動きが進んでいます。
秩序を生み出す「畏れ」を創り出すための
代替手段が無いままに、
日本の伝統や常識を解体した「つけ」が
出てきているのではないでしょうか。
また、
「ライオンの檻に子猫を入れたらどうなるか」
というたとえがあります。
この場合、ライオンは子猫を殺すのかと思いきや、
面倒をみたりすることがあるそうです
(常にそうなのかはわかりません。
エサが豊富だった場合に限るのかもしれませんが・・・)。
つまり、「圧倒的な力の差」があれば、
虐待するということはないという
部分もあるのではないでしょうか。
犯人は、蚊を殺しても
ストレス解消にはならないでしょうが、
子供を殺せばストレス解消にはなるのでしょう。
もし、大人と子供の間に
「圧倒的な力の差」が常識として存在していると
教えこまれた
(つまり、父親が子供に媚びるなどということは
絶対にあり得ない)、
世の中であれば、子供を殺しても
蚊を殺すむなしさと同じように、
ストレス解消にはならないのかもしれません。
幼児性愛者が増えているということも、
同じような理由によるものかもしれませんね。
ここで、「健全なタテの関係」を
再構築する必要があるのかもしれませんが、
今の平等主義社会では、
それもままならないのかもしれませんね。
◆糸井さんは、
昨日の惨劇について
どう感じたんだろう?
と思って、
きょうのダーリンを読んでみました。
べつに、糸井さんが
昨日の惨劇について書いたかどうかは
わからないけれど、
すこしくらいは影響しているんだろうと
勝手におもいながら読みました。
そして、
糸井さんの今日のダーリンを読んだおかげで、
自分の思っていることを文字にすることができました。
どうもです。
いきなりお礼をいわれてもブルーかもしれないですけど。
書いてから思ったんだけど、
なんとなく、
今日のダーリンにたいしての
返歌みたいな感じになりました。
いや、まったくちがうかもしれません。
たんなるぼくのなかでの印象のはなしです。
-------------------------
ぼくはああいった出来事にぶつかると、
すぐにいろいろなことがわからなくなって、
かんたんに混乱しだしてしまう。
べつに、混乱なんかしたいとも、
したくないとも思わないけれど、
とにかくいろんなことがわからなくなってしまう。
ぼくは“世の中の行為の繋がりが知りたい”なんて
ふだんは思っているけど、
それはもしかしたら、
ぼくになんかはできないことなのかもしれない。
不条理なことを受けとめるチカラなんて、
ぼくにはこれっぽちもないのだ。
外はとてもよい天気。
ぼくはそんなふうに、
ボーッと混乱したりしている。
--------------------------
繰り替えになるけれど、
糸井さんの今日のダーリンのおかげで
感じたことを素直にことばになおせたのです。
どうもでした。
3周年おめでとうございます。
ちなみにきょうは
ドナルドダックの誕生日なんですね。
では、さようなら。
これからも頑張ってください。
◆本当に、本当に、
本当に情けない話です。
「学校の問題じゃないよねえ。
後者の問題でしょう。」
本当に、そうだと、わかりきってるのに。
こんな、
にんげんのなかまにいれるの
じたいにもんだいのあるようなひとを、
精神病患者だなんて、
本当に精神の病と闘っている多くの人々に対して、
失礼な、まことに失礼な話です。
◆初めまして。
今日のニュースのことでどうしても聞きたくて
初めてお便りします。
私はつけっ放しのテレビから、
あまりにも唐突に流れた大阪の事件に目の中が熱く、
喉が痛くなってしまいました。
それはその犯人のことを思う前です。
テレビからニュースキャスターに囲まれて
質問に答える子供を見たとき、
「どいてください!どいてください!」と叫びながら、
救急車から病院に入る人たちを見たとき、
涙で何も言葉にならない人に向けられている
マイクを見たとき。
これはマスコミでは当たり前すぎて、
誰も何も思わないんですか?
その映像がないと、やっぱりだめなんですか?
そういう映像を撮らないような人は
マスコミの世界にはいられないんですか?
しょうがないのかな。
それにやっぱり、視聴者が求めているんですか?
今回の事件の後、マスコミの言うことは
想像した通りでした。
やっぱりそういうこと言うんだろうなー、
と思った通りでした。
「どこに責任があるのか」
「早急な対処を」
こうゆうことを書く人で、
実際に自分の出来る行動に移す、と言う人は
いったいどれくらいいるもんなんでしょう?
「どこに責任があるのか」
それは今の時代を生きている全員だ、
というのはあまりにも簡単ですか?
新聞で、亡くなった子供達のプロフィールみたいなのを
載せていたけど、そんなの1個も読めませんでした。
今は新聞なんて読みたくない。
テレビのニュースも見たくない。
いつも字を書いていると、言葉をいっぱい使っていると、
大事にしなく
なっちゃうんですか?マスコミはそうゆう場所なんですか?
悲しくって、くやしくて、お便りしてしまいました。
読んでくれてありがとうございます。
◆今日のダーリンを読んで
どんなニュースのコメントよりも
どんなワイドショウの映像よりもズンときました。
私事ですが、
私の母親は8年前からうつ病にかかっています。
もちろん自殺未遂も起こしましたし
今でも暗く気分が落ち込んだりすることがあります。
そんなとき、励ましたり、
娘である自分の存在をアピールしたり
いろいろな努力をしたりしました。
けれども、それはすべて虚しい結果に終わりました。
家族であっても個人の中には踏み入れることのできない
場所があるのだということを知りました。
これから、
国の政策として精神病患者へのケアが進むということも
新聞の記事などで目にしたりします。
幸い母親は、眼鏡がない人が眼鏡がないと困るように
薬を飲んで毎日元気に生活していますが
マスコミの力は恐怖です。
そして、世間の目も恐怖です。
そんなことを考えた今日でした。
◆その日は本当に忙しくて
テレビも見るひまなかったんです。
で、夜主人が帰って来るまで
事件の事を知らなかったんです。恥ずかしながら。
私の子供も1年生と2年生です。
ホントに可愛いんです。
>ほかに書くつもりでしたが、
>もはや書く気力がないんです。
鳥越さんにそんな事言わせるなんて!
「気を取られる」って言葉がありますが
私は、このショッキングな事件に「気を取られて」しまって
(ちょっと使い方が違うかもしれませんが)
息苦しく、吐き気さえしました。
新聞に取り上げられた親子の悲しい場面や
表情が胸に刺さります。
今日は楽しい日のはずだったのですが
本格的に楽しめない1日でした。
でも、負けてはいられない。
◆今日のダーリンコラム
ただただ切なくって。
8日の晴れた空が
やたら広く感じました。
◆大阪の事件は本当に言葉を失いました。
私はあの池田市のとなりの豊中市で育ち
5年前まで生活していました。
あの辺りは環境が良く、
のどかで落ち着いた住みやすい街だっただけに
ヘリコプターからの映像に見覚えのある
懐かしい景色が写り、
本当に気持ちのやり場に困る事件でした。
私がどうしても言いたいのは、
・学校は悪くない、先生はあくまで先生、
何でも屋ではない
・防犯、警備は専門家がやるべき
(ついでに経営、運営も・・・)
・カウンセリングも専門家がやるべき
・犯人はしかるべき処遇が与えられるべき
(マニュアルは適応しないで)
ただし、「罪を憎んで人を憎まず」とも言います。
もちろん犯人に対しては
「死にたければ確実に死ねる方法もあるやろ!!」
と言いたい気持ちもありますが、
犯人のご家族も本当に気の毒だと思います。
誰も、病みたくて精神を病む人なんていないです。
精神の病んだ子に育てようと思って育てる
親もいないと思います。
いくつも職を変わっているようですが、
それは犯人がちゃんと社会に出ようと
思っての結果だと思います。
いくつかの職場でトラブルを犯したからと
「解雇」されているようですが、
恐らく犯人が勤めた職場や他の環境で、
どこにも親身になって、接してもらえる、
信頼できる人と
出会うことがなかったのではないでしょうか。
もう手の打ちようがなかったのかも分からないですが、
他人と接するのが苦手な人にだって
できる仕事ってないでしょうか、
バスの運転手の時に犯したトラブルの経歴があって、
どうしてタクシーの運転手が出きたのでしょうか?
タクシーの運転手ってそんな風に
採用されているのだと思うと、
タクシーに乗るのも怖いです。
採用したタクシー会社の人事も経営としては
問題ありではないでしょうか。
人材の使い方を間違っていると思います。
精神の病は、最後は精神でしか治療できないと
私は思います。
犯人も心と心の繋がりが薄くなった時代の被害者でとも
言えるのではないでしょうか。
今の時代だからと言うのではないかもわかりません、
いつの時代も多少こういう人は
いると思います、誰しもいつ心を病むかは分かりません。
日本の社会の中にそう言う人達がいる社会の体制、
受け入れる体制が出来るべきだと思います。
とても難しい問題です、でもだから、
臭いものには蓋をして、
後延ばしにしてきたのではないでしょうか。
公共事業の民営化がうたわれていますが、
民間では出来ないこう言った難しい問題、
個人や民間の利益が見えにくい問題こそ、
国のエリートの皆さんが知恵を出し合って、
論議をして「国益を損ねない日本の社会」を
創っていただきたいと思います。
永田町で誰が何を言った言わないと、
子どもの痴話げんかみたいな論議をしている間に
「大切な幼い命」を亡くしました。
いろんな怒りで取りとめのない文章になってしまいました。
最後に亡くなった8人の子ども達のご冥福を祈ります、
そして犯人は取り返しのつかないことをしてしまいました。
精神が病んでいると
言うことは「何をするか分からない」と言うこと、
適切な処遇がされること、
二度と「何をしたか分からない」人による
被害が起こらないように祈ります。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
◆保母経験もあり、
かって家族に精神病を患った人間もいた私は、
こういった事件がお
きる度「どうすればいいのだろう・・」
と考え続けています。
子供に刃を向けるなんて絶対許されません。
ただ、「誰でも通り魔的犯行に出会う可能性がある」
という側面ばかりが大きくて、
「誰でも精神の病にかかる可能性がある」
ことがあまりにも抜け落ちている気がするのです。
さいわいにも、うちの家族のものは女性でしたので、
その攻撃性が外に向かうことはありませんでした。
今は完治して、以前より生き易くなったと
笑って話せる彼女です
が、分裂がひどかった頃は頭の中に
次々指令が入りそれから逃れる為に
派手な自傷行為をし入院。夜間の徘徊がひどかったので、
私も付き添いとして3日程
精神病棟に泊り込みました。
一人だけ病のない人間として泊まる私は
(看護士の逆差別も受けながら)
様々な方達と出会いました。
皆、病を長期に抱えながら、
なんとか病気と折り合いをつけていこうとしていました。
ほんとに真面目なタイプの方達が多いのです。
うちの彼女でも、ずっとおとなしくていい子で、
国立大を出て結婚し、
そんな病気になるなんて考えられなかったんです。
今回の犯人は、病がわかってから、周
囲の人々がどんな関わり方をしてきたのか・・
・家庭内暴力もあったそうですから、
ご家族の方の苦労も想像されますが、
一人暮らしの中でどんどん
妄想を強めてしまったのではないか、
と考えると通院・服薬のチェックを
周りでしてあげられる体制が必要だと思います。
家族が彼を扱い切れなくなった時、
しっかり家族をサポートし
病気の理解を促すカウンセラーの
存在はなかったのでしょうか?
体が病気になるのと同じように、脳も病気になるのです。
入院中にうちの彼女は、宇宙の誕生のビジョンを見た、
と言い、樹木が放つオーラを感じていました。
霊の存在を、「今ほらそこにいるよ」と細かく描写し、
私を眠れなくさせました。
何だか、彼女の見ている世界の方が本物で、
私達はわざわざ脳にフィルターをかけて
そういうものを見えなくさせているだけじゃないかと
感じたものです。
マスコミにいらっしゃる鳥越さんには是非、
精神的病への偏見を助長されないような
報道をお願いしたいのです。
生まれつき犯罪気質を持っている人間というのは
残念ながら存在するようですが、
精神病はまったく別です。
日本の報道では全てが「分裂
的」と一緒になってしまっています。
気質と病気の違いに対する理解がもう少しあれば、病
気を抱える人達も
生き易くなるのではないでしょうか・・・。
月曜から金曜まで毎日毎日・・
朝から晩まで真面目に働き続けることを
全ての人に要求する日本の社会では
息がつまる人々が出てきて当然だと思います。
日本で病気を抱えてしまった人が、
もしジャマイカあたりにでも
生まれてたらどうだったかな?と時々考えます。
◆鳥越さん
おっしゃるとおり、これは学校の問題ではないと思います。
20数年前にこの学校を卒業しましたが
こんな形で母校と対面することになるとは夢にも
おもいませんでした。
場合によっては校舎の建て替えもあるとか・・・
思い出のつまった校舎の建て替えは
何だか悲しいものがあります。
せめてこの犯人がちゃんとした裁きを
受けるようにと願うばかりです。
精神に異常をきたしているからと
そのまま釈放されることがないことを祈ります。
その後の報道もお願いします。
◆「今日のダーリン」を読んで、
嬉しくてメールを書いています。
私はカナダで犯罪学を勉強しているのですが、
故郷、大阪で起きたあまりに悲しい事件に、
くやしさと怒りを感じています。
事件以来、いろいろなことを考えたのですが、
その中でも通院歴のある人たちのことは
気になっていました。
通院歴のある人たちの中には、ただでさえ
コントロールできない自分を必要以上に恐ろしく感じ、
苦しんでいる人もいるでしょう。
今回の事件に動揺している人もいるかも知れません。
そして、病気のせいで他人を傷つける人は
ごく限られているのに、
そうでなくて傷つける人の方がうんと多いのに、
今回のようなことがあると、
無知で無責任な偏見が向けられます。
関係法の改正も検討されるようですね。
もちろん、こんなことが二度と起こってはならないし、
措置入院の制度も以前から指摘されているように、
改善が必要かも知れません。
でも、本当なら、苦しみながらも日々の生活を営み、
あるいは社会復帰できるはずの人たちが、
自由を奪われ、屈辱にまみれることのないよう、
心から祈ります。
事件の裏側で、別の痛みに耐えている人たちを
ちゃんとみてたダーリンの暖かさに触れられたこと、
とても嬉しかったです。
これからもほぼ日、楽しみにしています。
◆大阪の事件には私も本当に衝撃を受けています。
現在大阪に住んでいるのですが・・・
精神を病んでいる人、
先天的な障害と疑われる人による犯罪には
敏感になってしまい
ます。
というのも、私の兄が自閉症の
パニック症状で犯罪を犯したという
経緯があるからです。
人さまを傷つけることはなかったにせよ
(もちろん身体的に、という意味ですが)、
最も身近な家族が犯罪を犯したというのは、
しかもその事件が起こるまで障害である
ことが分からなかったものですから、ずいぶん複雑でした。
当時(恐らく現在も)自閉症に対する正しい理解がなく、
特に母親の公務員という職業柄、
ずいぶん嫌がらせを受けたものです。
余談ですが、知らないということは罪である、
という言葉がその時本当に納得できまして・・。
その他にもいろんなことがありまして、
それまでの犯罪に対する自分の見方が大きく
変わりましたね。
「犯人を殺してやりたい」という
被害者の方々のお気持ちは痛いほどよく分かります。
そんな方々に掛けられる言葉など見つけられません。
しかし加害者の帰責性というものを考えると・・・
でも被害者の怒りや悲しみはどこへ向かえば良いのか・・・
一度加害者の立場にたったことのある者としても、
本当に心が苦しみます。
悲しくて悲しくてしかたがありません。
深い悲しみと衝撃を受けておられる方々に
こんな事を言うのは不謹慎かもしれません
し冷淡だと言われるかもしれませんが、関係者の方々、
特にメディアが感情的になら
ず冷静に対処してくれる事を願っています。
◆「今日のダーリン」、感動しました。
こういうことをはっきり言ってくれる
家族に精神障害者のいない人って
ほとんど見かけないんです。
たいていの掲示板では
「野放しにするな」みたいなことをその辺の
オバちゃん達が言っています。
精神障害者やその家族が見る掲示板では
「この先どうしてたらええんかな?」とびびっています。
今回の犯人については
実名だけの報道
(前歴や、元市職員であること、
精神科への通院歴は要らないでしょ!)で
責任能力ある、ということ前提で
マスコミは対応して欲しいですね。
某市市民かつ学校関係者(といっても
高校の流しの非常勤講師ですが)かつ
精神障害者
(しかも、犯人がそうだ,と言われている精神分裂病)の
家族としての正直な気持ちです。
◆おとといあった池田小学校の事件について
「今日のダーリン」で糸井さんが
「精神病者いじめがあってはならない」
といったようなことを書かれていました。
私はうつ病という
こころの病気に苦しめられていて服薬をしています。
抗うつ剤です。
もともとノイローゼからきていて、
精神安定剤にもお世話になったことがあります。
そこで、私は一般の人たちに、
「精神安定剤は、正しい使い方をすれば
ひとを助ける良いお薬なのである」
ということをすごく認識してほしいと思いました。
このメールは、「postman@1101.comから。」
などのページで公開してくださっても構いません。
私は今年で19歳になる、まだ18歳の少女ですが、
これから人生という大海原に
羽根を広げていく準備をしています。
治療をしています。
疲れたら休まなければなりません。
私と似た病気をもつひとたちが、
一日でも早く治りますように。
◆こんにちは。
今日のダーリン拝見しました。
きっと、こういう立場を取られるだろうなと
予想してました。
もう、昼食中にニュースで4人死亡を聞いたときは、
食事がのどを通らなくなり、
死者が8人に増えたときには、
可愛い可愛い小学生、幼稚園の甥姪を持つ身としては、
悲しみと怒りをどこに持って行けば良いのか…。
ほぼ日にも多くのメールが続々詰め寄せているんだろうなぁと
思いましたが、
鳥越さん宛てくらいならいいかもしれないけど、
ほぼ日宛には、ちょっと違うような気がしてやめました。
だから、昨日のダーリンも、そうだと思いましたし、
今日のダーリンにも頷けました。
事件はあまりに残酷非道で悲しすぎるものですが、
ふと、エイズ感染可能性を知りながらという報道が
正しければ、
血友病患者に対する非加熱製剤投与は、
医者という立場を悪用した立派な殺人行為だし、
一方でこの事件を機に精神病患者に対する偏見が増えれば、
50年以上存在さえも否定され封印されてしまっていた
ハンセン病患者の二の舞になってしまう危険もあるのでは…。
と、こんな暗い気分の中で
ガンジーさんの愚痴=おのろけは
と〜っても良かったです。
気持ちがほっとなごみました。
愚痴だなんて、嘘々。
父と同世代のガンジーさんが、
可愛くさえ見えましたよー。
◆「今日のダーリン」を読みました。
やっと、やっと何週間か出なかった涙がでました。
おおまとめって感じなのでなかなかとまらなくて
ちょっと大変だけど。
ありがとうございました。
◆今日のダーリンに書いていたことに関連して
メールを書きたくなりました。
私が初めて事件を知ったのは金曜の夜、
駅の売店の新聞の見出しでした。
昨日は大阪府池田市の事件についてのテレビの
特集(スーパーウォッチャ)を見ました。
8人もの未来ある尊い命が
奪われてしまったことは
本当に残念でなりません。
ただ、やはり気掛かりなのは
加害者が精神疾患を持っていたということです。
このことについてどう対処していったらいいか
きちんと向き合っていかないといけないと思います。
精神的な病を抱えている人はたくさんいらっしゃる
だろうし、
今健康であっても罹る可能性がないとも
言えないでしょう。
いろんな偏見を生まないためにも多くの人に
知識を持ってほしいと思いますし、
このような事件が起こらないように
自分自身の安全を守るためにも
どう対処していったらいいか、自分の問題として
ひとりひとりが考えていくべきだと思います。
そしてそういう意見を行政なりに上げていくように
する必要があると思います。
私自身10年ほど前に大学の心理学科を卒業しましたが
臨床心理についてはあまり理解なく日々を過ごして
しまいました。
いつどこでも似たような事件が
起こってもおかしくないと思います。
しかし、そのような悲劇を少しでも
くい止めるため多くの人の協力が
必要なのではないでしょうか。
自分でも何ができるか考えていきたいです。
ほぼ日でこの件についておおっぴらに何かをするのは
難しいかもしれませんがただ書きたくてメールしました。
◆鳥越俊太郎さんへ
はじめまして。
第493回のコラムを読んで、
私もドキリとしていました。
「問題は精神病歴のある犯人のほうだ」けれども、
「ショックが大きくてそれ以上かく気にならない」と
ありましたので、
今後、また「引きこもり」だとか
「失業者」だとか、
今社会的に弱者ななりつつある者への、
メデイアの煽りが、
まさしく押し迫ってくるのを感じたからです。
かく言う私も、
実はとある生活習慣や共同生活者と
うまくいかなかったことから鬱病、
それを今だにひきずったまま数年を過ごしてきました。
自分の立場で言わせていただくと、
ただでさえすれ違うひと達にいろいろ気を使ったりして、
どこにも逃げ場がなく、
果ては彼のように「追い詰められて」人殺しに走る!って、
くくられたらこの上もない侮辱なのです。
心が弱いのは本人の責任かもしれないけれど、
それだけで片付けて欲しくない、
受け入れたくなくてもその場をしのぐためにそうせざるをなかった状況、時代の過酷
さ、なんていうとおおげさすぎますが。
付けこまれるのも本人に元凶があるかもしれないけれど、
背負って行くのはいつまでも本人、
あくまでそういう意味で、
心の病気を持ってる人は健康な人と違う路線の
「孤独」を負っていると思います。
でも、こうは行っても今回の犯人を
擁護しているわけではむろんないです。
だって、その人のことをよく知らないし、
無差別殺人を犯したという事実は消えないのですから。
ただ、ここ1、2年未青年による凶悪犯罪や、
バスハイジャック事件なんかが報道される中、
今回の事件が起こり、
報道されたわけですから、
メデイアはどのように扱って行くつもりなのか、
そして、その余波は?ということが大変気がかりなので、
書かせていただくことにしました。
小さなメデイアであるからこそできる、
きめ細かで慎重な「ほぼ日」さんの中の、
鳥越さんの今後のご意見、期待しています。
◆はじめてメールを送らせていただきます。
お二人が、あの大阪の事件について書かれているのを見て、
私も書いてみたくなりました。
あの手の事件で、問題になるのは
精神障害者であるということ。
ごく普通の人々にとって、法律の中での
精神障害者はある意味、特権階級化している
と感じられてしまうのです。
罪もない8人の子供を殺しても
罪を逃れることが出来る……。
これは、ごく普通の人々にしたら恐怖です。
その気持ちが、
精神障害の方々への差別にも繋がるのだと思います。
勿論、あの事件はあの個人だからこそ
起こした事件なのですが、
犯人は個人として裁かれず、
まず精神障害者という大枠に入れてから審議が行われます。
これでは、人々が精神障害者に対して差別、
というより恐怖を感じるのも当たり前。
何より大事なのは、たとえ精神を病んでいる人であっても、
ちゃんと、
一個人として裁かれる権利を法律の中で作るべきです。
法律が、人々の差別を生んでいると、
私は思います。
また報道等で、学校を閉じられた
空間にしようとする傾向があるようですがそれも
気になります。
閉じられた空間で息が詰まり、
精神的に負担にならなければいいのですが……。
問題は、学校ではなく、事件を起こした
個人にあることを再認識していただきたいと感じました。
こういう事件に限らず、世の中は、
真面目に生きている人がばかを見て、
ずるい人が得をする事が多いようです。
ちゃんと生きれば、その分ちゃんと報われる世の中なら、
精神を病んでしまう人も
減るのではないでしょうか?
ずっと偉そうなことを、書いてしまいましたが、
私も糸井さんが書いたようにそういった関連の
活動に携わるつもりもなく、
心に余った不条理感を愚痴のように
ほぼ日さんにメールする程度です。
ですが、それでも何も言わないよりいいのではないかと
最近、思うようになりました。
このような意見を聞いて、代わりに動いてもらうために、
私達は税金を払って、
政治家を選んでいるのですから。
ただ、みんな政治家は何もしてくれないと諦めて、
声さえ出さなくなってしまっていませんか?
(わたしはそうでした)
とりあえず声だけでも、出してみたらどうでしょう?
それが沢山集まれば、
なにかが動かせるのではないでしょうか?
これは楽観的な希望でしょうか?
◆今日10日の文を拝見し、
ありがとうを言いたくて初めてメールお送りします。
昼過ぎにニュースで、小泉首相が精神生涯者の
犯罪について法的な対策をとりたいと
述べたと報じられていましたが、
なんでそんなに簡単にそこまで断定的に発言するのかと、
所詮彼は人気取りが第一目的の政治屋なのかと
腹立ちを感じていたところだったのです。
精神障害者を予備的に隔離することには、
さまざまの難しい問題や危険が
あることを十分知っているはずなのに、、、
言いにくいことだけれども、
弱者にも自由や権利が保証される社会には、
予測不能の、不可避的な犠牲が伴うという事を、
冷静に勇気を持って言うべき立場の人が
きっちりと発言すべきではないかと思います。
誰もが、被害者になるか加害者になるか、
またそのどちらかの家族になるかわからないのだ
ということについての理解を、
もっと広める必要があると思います。
(高校、大学生の三人の子持ち、
精神障害者を兄に持つ大阪在住の主婦より)
◆京都の大学生です。
例の事件は、ヒトゴトにもおもえず
うまく言語に変換できぬ思いが渦巻いています。
僕は、99年12月のてるくはのるの事件のとき
事件直後、数日間現場に行っていて、
お通夜のときもその場にいました。
不条理な行動がもたらす悲しみの
当事者や周囲の人たちを
メディアを通さずに生で見たやるせなさは
報道の隅っこに関わっていた自分にとって
忘れられない出来事でした。
そして、また。
どうして。
テレビの前で、何もできない自分に苛立ったり、
アルコールで、意識無くなりかけたり。
その一方で、土曜の夕方にはじめて
その事件のことを知った友人もいたりする。
だれでも意見をいえるが、正解は見つからない。
精神病の扱いの難しさ、というのもよく取り上げられます。
その患者さんたちの世話をしている人の話を
聞いたことがあるんですが
こういう事件のたびに、レッテルをはられてしまい、
治るものも治らなくなったり、
一つの例外が、すべてを否定させてしまうという悲劇。
すごく純粋で普通の子もたくさんいるのに、と。
自分と関係ないところに、
あまり深い関心を持たないという風潮がそうさせる
のかもしれない。自分も含めて。
でも、それが明らかに間違ってるともいえない気がする。
時同じくして
、電車にひかれ子供が死亡したという事件がありました。
ちょっと違うかもしれませんが、
犯人がいるってことは、憎悪や怒りの矛先があって、
それが生きるエネルギーの
一部になることもあると思います。
しかし、矛先の無い場合はどこに向かっていいのかわからず
自分に戻ってきて、不健康だとも考えられる気がします。
どちらにしろ、死 という現実は目の前にあって、
それは同じ。
でも、日本は安全な国です。
ぼくは20カ国ほど行きましたが、
盗難などの危機感なく、気を抜けるのは
日本がダントツです。
特に田舎はそうです。田んぼに囲まれた実家では、
鍵をかける事も適当だったり、
危機意識にギャップがあります。
その意識のまま海外にいくひとが多いのか、
日本人はいいカモだというレッテルが、
無条件に張り付けられています。
そんな日本でも犯罪は、存在するのです。
この事件が海外で
どれほどの関心を持たれているのか分かりませんが、
殺すのも人間で、殺されるのも人間です。
人間という生物の愚かさと儚さが目に付くばかりですが、
きっと素晴らしい部分もたくさんあると思うんです。
そんな部分がたくさん見れたらなあ、と思います。
ほぼ日はその一つだと思います。
(少なくとも僕にとっては)
とにかく、
僕にしかできないことをがんばりたいと思います。
◆こんにちは。2回目のお便りです。
今日(6月10日・第494回)の「あのくさこればい」や
今日のダーリンの内容を精神障害者の家族として
心強く思いました。
ありがとうございます。
私の弟は、16歳で心の病にかかり、
病名も原因も確定しないまま
今年で30歳になります。
たまたま友達のお姉さんも同じような心の病気で
その友達は「姉は自分がおかしいとわかるだけ、
よけい辛い。
いっそのこと何もわからないぐらい
狂ってしまっていたほうが幸せかもしれない」
と言ってたことがありました。
うまく言えませんが、
オウム信者が、どこへ行っても
受け入れられない状況と似ている気がします。
一般感情として、やはり近くで
修業されてはいい気はしませんが、
排除するだけでは何も解決しない。
あと自殺する人が多いという状況にも似ている気がします。
聞きかじりの情報ですが、日本では交通事故死よりも
自殺者のほうが多いと聞きました。
世界の中でも高い確率だとか。
昨年、知り合いが自殺し、大変ショックを受けて
みんなで色々と考えました。
何と言っていいかわかりませんが
何かがおかしくなっているような気がします。
それを放っていてはいけないと思うのです。
小さなことでも自分に何ができるだろうかと
考えています。
◆大阪の児童殺傷事件は、本当に憤りを覚えます。
小学校の2年生担任ですから、本当に震える思いです。
しかし、学校の管理問題などを問う意見に、
疑問を覚えます。
悪いのは犯人、それだけじゃないですか!
以前も電車内での暴行事件でお便りしましたが、
被害者側に責任はないと思うのです。
鍵をかけてくつろぐ一家が
惨殺されることもありましたよね。
あの時も鍵の種類がどうの・・・
と話題になっていましたが。
保護者側としては、行き場の無い憤りを、
また社会も同様、どうにか自己防衛策を
考えるのもよくわかります。
でも悪いのは、犯人だ、
ということが徹底していない社会だから、
こういうことが起こるのではないでしょうか。
世の中、良心的な人の方が多いから、
秩序が保たれていると思います。
秩序を保つには、
いけない事をいけないとはっきり報道し、
罪を犯した人間をしっかり裁き、
社会からの非難を浴びながら罪を償わなければいけません。
どんな非難をされても、それが加害者の家族に及んでも、
被害者当人、その家族のされたことに比べれば、
当然のはずではないでしょうか?
それなのに、精神状況が・・・とか、
少年法以前の子供だから・・・という理由で、
加害者が守られ、
被害者が失うものは取り返せないのはおかしい。
祖母と、バスジャック事件を見ていた時、
「こういう悪いことをする人は、
昔は市中ひき回しの刑だったがね・・・」
とつぶやいたのが、鮮烈でした。
これは極端ですが、その時も被害者の映像ばかりが
公になり、
加害者は一切表に出なかったので、
逆だ、と思いました。
似たような事件が続いているのに、
加害者の背景とか、こんな環境だから、
こういう行動に出た、とか、
「泥棒にも三分の理」みたいな報道は多いのに、
どう罪を償うか、どんなに悪いことなのか、
こういうことをすると、
こんなひどい目に会うよ、
こういう人は、社会から一生隔離されるよ
というのはない。
だから悪いこととわかってて、
でも守られている社会も見透かして、
こういう犯罪が続くのではないでしょうか?
罪に対する罰、社会的啓蒙が欠けていると思います。
身を呈して、教員が犯罪者を止めたのでしょう?
そういう報道をもっとすべきと思います。
怪我をしても、悪を取り押さえる社会であって欲しい。
それをたたえ、犯罪者を排除する社会でありたい。
ホームの暴行事件とかも、周りに沢山人はいたのでは?
みんな他人だから、ただ見ていたのでは?
それで対策は、恐い人に近づかない、鍵をかける、
では、信用できない社会です。
おかしい、と思う人を集団で
戒めることがいちばんではないでしょうか?
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