What's New?


◆イトイさん、
鳥越さんのコラムを見ていて涙がでてきました。
分かってくれている人がたくさんいる、
同じ苦しみから立ち上がろうと
努力している人もたくさんいる。
あまりにも難しい問題が数多く入り込んだ事件なので、
毎日のニュースが悲しすぎて見られなくなりました。
でも容疑者は精神障害者ではなく、
きっと人格障害なのではとみえるのですが、
あそこまで異常な殺人衝動が
30人以上の人に向けられ続く事自体、
少年犯罪で出てくる鑑定結果のような人iいや、
かなりの正気をもったひとではと。
今日の鳥越さんの取り組みも見たいのですが、
精神状態が安定できるか不安です。
でも悲しかったことは、昨日のPTA委員会で
発信元は分からないのですが、
今回の事件について、
いつも発行する参観懇談会の内容を書いた
機関誌には載せないように通達がありました。
理由は被害者の多さもあるが、
人権と容疑者が以前学校に勤務していたことが、
裏にあるようです。
しかし、教育委員会及び学校の取り組みを新聞、
テレビ発表だけで理解できるでしょうか、
懇談会では話題にしてもよいとは言っていますが、
文章として残すのは、気にしているようです。
まあ、学校側とすると、ただの主婦が
文章能力もないのにきちんと書けないだろう、
誤解される文章を書かれるより、蓋をしろ。
でしょうね。
福岡では小学生による障害事件も起きていますので、
公務員気分ではこれからはたいへんだと思います。
昔、水谷豊がやっていた「熱中先生」になれ
とはいいませんが、
委員のおばさんたちの話し合いにつきあって
残業は嫌、でも出世のための研究発表はする。
(このときは残業するが)
なんかずれてきましたけれど、
不条理なことばかりで悲しい。長々と失礼しました。

◆「今日のダーリン」・・・
とても考えさせられる問題でした。
今回の事件は、もう憤りと、悲しさで、
私も胸が苦しくなりました。
幸い夫は、麻雀で家にいなかったので、
ティッシュを思い切り使いまくって、
目尻を押さえ、鼻を思い切りかみました。

私自身、精神疾患を抱えるひとりです。
他人に危害を加えることはない躁鬱病ですが、
それでも、好奇の目にさらされたり、
誤解から嫌な思いをしてきました。
最近では、後々のトラブルや不快感を考えると、
言わないでおいたほうがいい場合がほとんどなので、
あえて人には言っていません。

例えば、糖尿病についても先天的に、
インシュリンの分泌が悪く、
患っておられる人もいます。
でも、そういったことを知らない人から見れば、
生活習慣が乱れていると言われてしまうわけです。
病んで、苦しんでいる上に、また誤解から傷つけられる。

仲のいい友人の、離婚するかしないかの
相談にのっていたときに、
「精神にトラブルがあるっていうのに、
○○(私)のほうが、
浮気してきて、
ちゃんと話もできない○○(友人の夫)より、まともだもん」
と言われたことがあり、ちょっと傷つきました。
彼女に悪気がないのはわかっています。
でも、精神科に通院=十羽一絡げに頭がおかしい
という感覚が、やはりあるんだなと思ってしまいました。
私のことをよく知っていて、
病気についてもある程度は知っている、
それでも、伝わらない壁、というか、
知りえないこと、未知なことに関して、
人間は過剰に反応し、
自分から引き離して考えるものなんだなと思いました。
精神病だけでなく、ハンセン病も、エイズも・・・。

精神障害なら許されるという判定よりも、
おしなべて罪は罪とするほうが、
偏見を生まずにすむような気がしています。
全く無自覚だからといって、
かつての冤罪のように闇から闇へ、
強引な自白または同意で、
罪が決まることだけはないように、
医療と司法が、きちんとしかるべき答えを出せるよう、
議論してほしいと思います。

長くなりましたが、どうしてもお便りしたくて、
書いてしまいました。


◆はじめまして、
そう何回もお邪魔したわけではありませんが、
「今日のダーリン」を読んで、すこしほっとしました。
私自身、現在うつ病で、投薬も通院もしています。
精神安定剤を10回分一度に飲んで錯乱状態に・・・
などと書かれると、
なんだか自分のことを言われているようで
ますます精神科にかかっていることを
隠さなくてはならないような気分に陥ってました。

それまでは自分がうつであることを
他人に知られてもそれほど気にはならなかったのですが、
今度の事で、こっちはそうじゃない、
と思っていても相手がどう思うか解らない、
と感じるようになりました。
丁度、事件のあった日と、
通院の日が同じだったので、先生にも相談しました。
先生は、自分と重ねて考えてはいけない。
彼とあなたは何の関係もない。
まして、あなたの病気と彼との間に何のつながりもない。
そう言われました。
でも世間的には先生のように
考えてくれる人ばかりではない、と思います。

実の所、自分が病気になる前は、
マスコミと同じような目で、
私達のような人を見ていたような気がします。
病気になって初めて、病名を明かせない病気なんだ、
といやいや実感させられました。

でも、このように考えてくれる人もいて、
きちんとそれを言葉にしてくれる人がいる、
その事で、少し救われました。ありがとうございました。

◆ 鳥越さん、ほぼにちわ!

「今日のダーリン」を読んで涙ぼろぼろ
「あのくさこればい」を読んで大泣きでした。

ずっとでなかった涙がやっとでました。
「スクープ21」観ます。

がんばりすぎず、お体をいたわってお仕事
してください。


◆今回の大阪の事件は鳥越さんの記事で知りました。

日本では色々な議論が交わされているようですね。
(私は現在アメリカに住んでいます)
極論では、精神障害者を
野放しにすべきでないという意見も出ている。
でも、こういう事件や精神障害者のことを聞くたびに
事件をおこした彼らの姿は他人ごとではないと思うのです。

いいかえれば、人はだれでも体を
病んでしまうように精神を病んでしまう
可能性を持っている。
精神障害者の存在は実は自分の
べつの姿のような気がしてなりません。
別の例えでいえば、人はホームレスの人々を見て
社会の落伍者だとか、働く気のないなまけものだとか
批判します。
しかし、もし、明日阪神大震災のような大災害がおこり、
財産も家も失い路頭に迷うようなことがあれば、
ホームレスになり、
希望を失いアルコールや薬物中毒になり、
または精神的に病んでいく
可能性だってありうるのだと思います。
別に誰もが苦しむ大災害や事件を経験しなくても、
その人にとって何か大きな痛手をうければ
(はたから見てしょうもないことでも)
人間は心にダメージを受け、それが精神障害につながる。
いや、そうならないように日々努力している、
と言い切る人もいるでしょうが、私にはそれは強者もしくは
エリートの頭で考えた理屈のような気がしてなりません。
私は、精神障害者の気持ちがわかるとか共有できる
とか言っているのではありません。それは不可能です。
でも、この世にあるものは全て2面性があり
(光と影のような)
人間はどちらの局面にも簡単に落ち込んでしまい、
誰でも影の部分で苦しむ可能性はあるのです。

私も以前は「ホームレスは働く気のないなまけもの」
的な考えを持っていました。
でも、アメリカでマイノリティーとして暮らし始めた
からでしょうか、
それとも音楽療法を勉強していてメンタルヘルスの
分野と大きく関係するようになってからでしょうか、
だんだん考え方
は変わりつつあります。

事件を起こした犯人はしかるべき
処分をうけるべきでしょう。
でも、世間は彼らの姿を別世界の変人ととらえてしまわず、

自分たちの影の部分だと認識する必要があると思います。

長々と読んでいただきましてありがとうございました。

◆大阪の事件について、
多くの人々が障害者の差別について「
偏見助長の懸念」など書いているのをみます。
それはそれで 怖い事ですが。
疑問がでてきたのですが?
最近の裁判とかの記事なんかを見ると
障害者(精神的な)だから、
人の命を奪ってもどうしようも無い
そんな風に書いてあるように見えるんですけど。
それは、大きな大きな差別ではないでしょうか。
命を奪われてしまった人には
仕方が無いといえるのですか?
それよりも障害を持つ人は健常者とは違うから? 
もうそこから違うんじゃないでしょうか。
障害を持つもの持たないもの同じに
扱ってほしいといろんな人が話します。
ならば何もかもを、
同じにして目線を同じにして
扱う事がホントじゃないでしょうか?
人の命を奪ったならそれなりに扱
う事が必要ではないでしょうか。
どんな人も殺されそうになれば「怖い」と思うでしょう。
健常者でも障害者でもその「こわい」と言う気持ちは
判るはずでしょう。なら同じにしないと。

そしてこのような事件が起こると必ず
弁護士なる人たちが 
精神的なところを表に立てて争いますが、
もともと人の命を奪う事はまともじゃないと
思うのですがどうおもいます。
裁判て、した事はどうなのかを問う事だと思うんですが、
違いますかね。差別無しにね。

生きているものの中で、
理由も無く同族の命を奪うのは
わたし達人間だけだそうです。
同じ人間同士すべての者は平等に
命を与えられたのですから、
差別は出てこないはずなんですがねぇ。
と言うわたしも完璧ではないですが。

◆もう既に昨日のことになりますが、小学校に乱入し、
10歳にも満たない子供達を乱殺した
男の人の話がありました。

偶然連絡をくれた知人のメールで知ったので、
インターネットでニュース速報を見てみました。
考えてみたら、ここ何年も、
私は日本で起こっている事を、
こう言う形でしか、
見ることも、知ることもできません。

                  *
阪神大震災が起こった時、まだリヨンの寮にいた私は、
入り口ホールのテレビの映像に
くぎ付けになったことを、今でも覚えています。
まだ、インターネットなど普及していないころだったので、
遠い海の向こうの自分の生まれた国で、
一体何が起こっているのかと言う漠然とした不安と共に、
当時のフランス国営テレビですら、
かなり長い時間を割いて地震直後の様子を
レポートしていたにもかかわらず、
情報の渇きにもどかしさを感じたように思います。

印象的だったのは、
そんな私の横でテレビを横目にフランス人の大学生達が、
「(阪神大震災が)サンフランシスコ地震から、
丁度、1年目の同時期に起こったらしいよ!」
と言う話をしていたことでした。
一瞬、なぜ「サンフランシスコ」と言う言葉が
出てきたのか、
理解するまでに間があったのですが、
それがわかった時、あるひとつの情報の伝わり方、
マスコミと私達の関係なんて、
きっとこんなもんだと妙に納得したものです。

                  *

今回の事件を聞き、
「ある情報を知った後にすべきこと」
について考えてみました。

ある情報、サインを、
まずは客観的な視点から受け取った者が、
それを自分の中に取り込むとき、
一番その人に印象的な部分や敏感に反応した対象が
それを消化するためのひとつの
きっかけになるのだと思います。

はじめに述べたように、私は、
この男の人について考えました。
彼の言う、
「自殺したかったが、死にきれなかったので、
死刑にしてもらおうと思ってこの事件を犯した」
と言う供述について、反応したのです。

だからと言って、何も子供を巻き添えにすることは
ないだろう・・
と批判する前に、この言葉が非常に悲痛に、
ある一人の人間のSOS信号として聞こえてきてなりません。

「生きる権利」について考える者もある。
しかし、人間は、「死ぬ権利」についてもまた、
考える動物なんだという事を、
改めて知らされたような気がします。

私は「生きる権利」について考える人間です。
表裏一体に「死」と言うものがあるから、
生きることについて考えます。
生きたくても、生きることのできなかった人たちが
いるからこそ、まだ続く自他の命についても
その存在価値を見失うことなく、
自分は今ここにいることができています。

でも、その逆は、正直今まで考えたことがなかった。

                  *

マルセイユには、道で、いろんな人が、生きています。

毎昼市場で見かける80歳くらいの女性は、
市場を行ったり着たりしながら、
出会う全ての子供や、若者に
向かってそれはひどい言葉で罵倒します。
私には「国へ帰れ!・・・オランダは植民地を云々」
と大声をあげたこともあります。
さすがに小さい子供は彼女に怯えますが、
もしその場にその子供の兄姉がいたら、
彼らはものすごい剣幕で彼女に反論します。
喧嘩買った!とばかりに罵倒し返すのです。
そんなことはお構いなしと言ったように、
彼女は次に出会う子供の前で立ち止まりまり、
また同じ事をします。老女は、歌も好きです。
大声で赤信号に向かって「ばら色の人生」を歌います。
市場が終わる頃には、彼女の仕事である、
「今日の物乞い交渉」を市場の商人に向けて始めます。

バス停のベンチで垂れ流ししながら寝ている
アル中男がいます。

昼間からハシシを片手に、
麻薬哲学を語る若者がいます。

ばったもの電気製品を売るカンボジア人がいます。
自慢げに盗品を売る者がいます。
スーツケースに時計を詰めて、
笑顔で話し掛ける中央アフリカの流れの商人が、
自国で待つ家族のために歩きつづけます。

私の住む、パラダイス通りには、夜の「パラダイス」を売る女達がいます。

もっともっと、色んな「個」が存在することのできる
「道」がある。
それをここに居る者として理解しています。
そんな街にいる私は、
今日、こんなことを考えているわけです。

この男の人に暴力を爆発させたきっかけが、単純な様で、
決して簡単な理由ではないと思うが故に、
そんな叫びを抱えた人がまだたくさんいるのだろうと
想像するが故に、日本を想います。
彼らが生きることのできる
「道」のある街がありますようにと願います。

そしてやはり生きるべきだった若い命のために、
私は「生きること」について考えます。


◆6月10日のサイシンを読んで感じたことがあったので
 メールを書きました。

 本当に心臓が冷たくなる事件でした。
 わたしも8歳を頭に4人の子供がいるので
 とても人ごととは思えません。

 本当に怖いです。
 学校にいっている間は、わたしにはどうする事も
 出来ないし、こんな世の中でどうやって子供を
 守っていったら良いのでしょう。
 ただ単に「運が悪かった」で片付けてはいけない
 でも、どうしたら良いのかわからない。
 やりきれなさだけが残ります。

 それと、「精神を病んでいる」人達への
 偏見のことを書かれていましたが、
 わたしが許せないことは、鳥越さんが書かれていたように
 精神を病んでいる、というだけで
 人を殺しても無罪になったりすることなんです。

 なんだか人権、人権ってよくわかんないことで
 人殺しを守ろうとする事が許せないのです。

 人を殺した人間にそもそも「人権」なんてあるの?
 いろいろな事情があるので一概には言えないけど
 わたしは個人的には人殺しはみんな死刑になればいいと
 思っています。

 だた、わたしは「虚弱児施設」で働いている時に
 「精神分裂症」の16歳の女のこに
 首を締められて殺されそうになったことがあります。

 長くなるので細かい背景ははぶかせていただきますが
 無表情で、いや、すこしニタリと笑いながら
 わたしの首を締めていた、彼女の表情は
 一生忘れることはできないでしょう。

 「死にたくない」
 そう思ったら、自分でも信じられない力が出て
 なんとか助かる事が出来ました。

 でも、彼女も精神分裂症の治療を
 適切に受けてはいなかったのです。
 そもそも、虚弱児施設にいてはいけない子供でした。
 しかるべき施設に移さなければいけないのに
 施設を維持する為に、人数合わせていたのです。

 わたしは、怖かったけど
 首を締めた彼女のことは、別に憎いとか思っていません。
 わたしなりに、いろいろ勉強した事や
 彼女とのその後の生活を通して
 彼女自身が悪いのではないことが、理解できたからです。
 いいかげんな施設には、腹が立ちましたけど。
 ただ、こういうことが言えるのも
 今こうして、生きているからだとも言えるのですが。。。

 なんか、まとまりが無い文章になりましたが
 どうか、この事件の犯人が、適切な裁判を経て
 「死刑」になりますように

 今、考えていることはそれだけです。

◆このような事件がおこる度に感じることですが、
見落とされている重要な
問題は刃物(包丁を含む)の入手が
容易であることにつきると思います。

アメリカでよく聞く
「犯罪を犯すのは銃ではなく人である。」
という言い訳を我々は否定しているにもかかわらず。
浅草の事件、福岡のバスジャック今回と、
数えればきりがないほど私たちの
社会は「包丁」をはじめとする
家庭用の刃物に脅かされています。

精神異常者を取り締まる刑法の改正よりむしろ
包丁から果物ナイフに至るまで、
銃刀法の規制を受けない刃物の入手を
登録申請制によって
規制すべきと考えますがいかがでしょうか。

◆すみません。
鳥越さんへ、というか・・・。

6月9日の『あのくさ、こればい』と
10日の『今日のダーリン』を読んで
これはもうどうしても
書かなくちゃいけないと思ったもので。

『通院歴がある』どころではなく、
わたくし、現役の『精神科の患者』です。

その私が、今回の事件とその報道で
なんともやりきれないと感じたところは、
精神障害者の犯罪の報道のされ方がどうとか
その報道が偏見を煽るのでは、
という懸念とかもそうですが、
容疑者が取り調べで述べたという言葉でした。

「もう何もかもいやになった。しんどい」

NHKのアナウンサー氏の口から出た
「しんどい」という言葉です。
(多分)似たような『しんどさ』
を抱えている現役患者としては
自分の傷口が痛む思いでした。

そして、さらに辛かったのは
翌日の地方紙のコラムに載った
「『甘えるな』と言いたい」という言葉です。

これはごく常識的な発想だと思います。
しかし、精神的に健康な人にしか言えない言葉です。
ココロの弱っている身としては
自分に言われたわけではないけれど
とてもつらいものがあります。

『バリアフリー』ということが今さかんに言われていますが
『身体的障害』や『知能的障害』とは違い
『精神的障害』はバリアフリーの対象ではないようです。
(確かに、障害が一生回復不可能というわけではなく
一過性の場合もあるわけですから、
違うといえば違って当然かもしれません。
『精神的障害』というくくりが
そもそもおかしいのかもしれないとも思います。)

『障害』をもっているから
人を殺してもしょうがない、ということはありません。

精神的障害者による犯罪について
法律を見直す動きもあるようですが、
一方で、障害とか病気についてもう少し
理解するとか歩み寄るとかいった方向に
関心が向けられないものかと思うのです。
でなければ差別や偏見は強まる一方でしょう。

とは言ってもやっぱり、自分としても
こんな病気になって精神科通いをしていなければ
ここまで考えることもなかったろうな、と思うのです。
病気になったことに関して
貴重な経験ができて良かったなという気もしています。

********

抑うつ状態なもので。
文章を書くのは決して苦手な方ではないのですが
考えをまとめるのもしんどい有り様です。
特に後半は文脈がぐちゃぐちゃで・・。
もっと精神状態がマシになれば
また違った意見も書けると思うのですが、
『今』書かなくちゃしょうがないという気がしたもので、
ぐちゃぐちゃのままで申しわけないのですが、お送りします。

読んでいただいてどうもありがとうございました。

◆初めまして.
10日の「あのくさ こればい」拝見させていただきました.

私は現在精神科に通っている者です.
病名としては摂食障害に始まり、鬱状態、パニック障害、
解離性障害、複雑性PTSDと
いろいろ症状を持ち合わせています.
(というか、いろいろ病名をつけられています)
かといって、私が「精神障害者」と呼ばれるのかは
わかりません.
通院歴は4つの病院、足かけ7年ほどになります.
今回の事件を知って、正直言って他人事じゃないな.
と思いました.
…というのも、先日このような事があったからです.


金曜日.
鬱状態がひどくなったため、今まで処方された事のない
薬が処方されました(ここではRとします)
後から聞いた話では、その薬、Rは
人によって合う・合わないの差が激しい薬で
合わないとせん妄を見たり、
知らないうちに不可思議な行動をとりやすい
との事でしたが、
そうとは知らずに土曜の夜から3日間、服用しました.

そして、4日目(火曜日).
Rは寝る前に睡眠薬として飲むようにとの事だったので
夜、服用して布団に入ったはずでした.

しかし、そこから記憶は飛び、
はっきり「いつ、なにをした」というのが
明確になるのは
金曜日の昼頃、通っている精神科の
午前中のデイケア・プログラムの終わりにその部屋に入り、
デイケア・プログラムの終了を待ち、
担当カウンセラーに「薬たくさん飲んだけど、
死ねなかった」
と告げた事.

そうです.意識が飛んでいる中で、
家中にある薬という薬を
全部飲んでしまったのです.
もちろん、その原因となっているRも、残っていた3日分を
一気に飲んでしまい、他の抗不安剤も同様に.
なので、「知らないうちに不可思議な行動をとる」
作用も倍増しているわけです.

そこまでの記憶が飛び飛びにしか思い出せないのです.
そして、その記憶は「いつ」
「どういう順序で」行われたのかは
わからないのです.

飛び飛びの記憶の中の一つに、
近くの駅での出来事があります.

お金を持たずに外出してしまったのですが、
(それがわかるのは帰宅して家にあるのを見てから.
ずっとどこかで失くした・落としたと思いこみ
立ち寄った図書館や交番にまで紛失届を出していました.)

精神科の病院に行きたかったらしく、電車に乗りたい.
駅員にそれを訴えていました.

思い出せるのは途中からなので、
初めにどのように声をかけたのかわからないのですが、
思い出されるのは
「おまえが出してるのはキーだろ!切符出せよ、切符!」
と怒鳴る駅員.
「さっきここに置いた!隠したんでしょ!」
と怒鳴り返す私.
2人の間には、確かに家の鍵がおいてある.
そのような情景からです.

おそらく、
私自身としては切符を買ったが自動改札が通れない.
という主旨で駅員のいる改札に行き、切符を見せて
その旨訴えていたのでしょう.
(実際はお金は家に置いてあるので、
切符は買っていなかったわけですが)
どのような経緯で、駅員に鍵を差し出したのか、
そのあたりは思い出せないので、
話がつかみにくくて申し訳ないのですが.


駅員:「切符買って来いよ!買ってここ持って来いよ!」
私 :「買った!さっきここに置いたでしょ!」
駅員:「置いてねーよ!買ったんだったら探して来いよ!」

そう言われて、買った(と思いこんでいる)切符を探しに
販売機の周りを探し、
財布が入ったバックを持っていない事に気がついた私.

どのような言い方をしたのかは思い出せないのですが
販売機の所で、
バックを失くしたようだとその駅員に告げると

駅員:「改札の中は駅のモンだけど、
    改札から外は知らねぇんだよ」

切符販売機の所なんだから、駅の管轄だろう.
と言う私に向かってなおも、
「改札から外は関係ない」と言い続ける駅員.

挙げ句の果てには
「金持ってないんだったら、
おまえなんか歩いてでも行きゃぁいいだろ!」
「金無いんだったら、金輪際**線使うな!」
と怒鳴られました.

その間、一度、年輩の駅員さんが
「お客さん、ここ外だから」
と言いに来た事は覚えているのですが、
駅員室等に入った記憶はなく、
どのようにしてその場を離れたのかも
覚えてないのですが、
その対応した駅員に怒鳴られまくった事は
全てではないでしょうが覚えています.
その駅員も、後日、駅を利用した際にいるのを見て
「あ、この人だ」とわかりました.

途中、その対応(言い方)の悪さに口でも
「サービス業なのに客に対して"おまえ"なんて言うのか」
というような事を言いましたが
(それに対しての返事は
「えぇ、ワタクシが悪ぅございましたよ!」でした)
身体でも反応して、ひっぱたこうとした記憶があります.
もし、凶器となるモノがあったら
振り回すなりなんなりしていたかもしれません.


この時、おかしい事を言っている、
それが本人にはわかっていないらしいと判断して、
警察なり医療関係(救急でしょうか?)
に連絡をするなど方法はなかったのでしょうか.
おそらく、この駅員は
「頭のオカシイ奴だから何を言ってもいい」
という程度の認識で対応していたのではないかと思います.

今回の大阪の事件の犯人も、
犯行前に大量の精神安定剤を服用していたと新聞で読み、
薬が原因になっている部分もあるのではと思いました.
(だからといって、
罪にならないと言いたい訳ではありません.)
周りの人間が、何か対応できた
部分があったのではないかと思うのです.

何故、安定剤を大量に持つ事ができたのか、
このこと一つとっても、
病院をはしごして手に入れたのか、
一つの病院で大量に処方したのか.
(闇雲に.と思われるくらい一度に何種類も、
何週間分も処方する病院も実際ありましたから)

もし犯人が家族などと同居していたのなら、
普段と違う事に気がつかなかったのか.
(私は一人暮らしなので、
誰も気づいてくれる人はいませんでしたが)

もし家から学校に直行ではなく、
どこかに立ち寄ったのなら
その時に、周りの人が何か気づく事はなかったのか.

もちろん、それが過敏になりすぎる事は
「精神障害者への偏見」につながるのかもしれません.
その辺が難しいところではありますが…

私の場合も、駅員から受けた対応に対しての怒りを
別の場で事件となるような形で
表してしまう事も考えられましたし
そこまでいかなくても、
どこかで事故に遭っていたかもしれません.
駅員が「何かおかしい」と気づいて
相応の対応をとっていてくれれば
自分から「薬を大量に飲んだ」と
言ったかもしれませんし
それで救急に連絡すれば、
早い時点で治療を受ける事ができ、
薬の成分を抜く事もできたかもしれません.
(2週間ほど経つ今でも身体症状が治まりません)

「オカシイ」側の甘えと思われるかもしれません.
しかし、「オカシイ」と自認していない場合もあるのです.
今時点の自分の行動もわからない場合もあるのです.

周りが気づいていれば、
気にかけていれば防げていたのかもしれない.
そんな思いがぬぐえません.



今、17時のニュースで続報を見たのですが、
父親の話を聞いて、怒りとともに悲しくなりました.

「普通じゃないとわかっていた」
それならどうして温かい目で気を配っていなかったのか.
それでも家族なのか.肉親なのか.

「17,8年前に精神病院に連れて行ったが、
 強制入院させられないと言われた.
 あの時入れてたら、こんなことは起こらなかった」
では通院はさせていなかったのか.
通院から本人の承諾を得て入院という事もできただろうし
通院させていたのなら、入院という話が出ないのなら
出ないなりに、専門医の診断・判断があったからだと思います.
専門医と家族の連携はとれていなかったのか.
これも大きな問題だと思います.


一旦、お送りします.
スクープ21、拝見しようと思います.
拝見して、また思う事がありましたら
メールさせていただきたいと思います.

長い文章、それも私事を読んでいただきましてありがとうございました.


◆今日のダーリンを読んで

>「通院歴のある」人たちは、たくさんいます。
>本人にはどうすることもできない病気として、
>病んでいるから病院に行く。
>そのことが、もともと大きな偏見に囲まれているでしょうし
>そのために自分の生活に制限もかけられているでしょう。
>どうにかしたい、と思っている人たちが、
>(いままでの例を見ていると)一気に、
>もっと大きな偏見にさらされるとしたら、
>あまりにも悲しいことです。

こんにちは。

最近はストレスからくる症状なんかは、
女性誌や生活情報誌でとりあげることも多いですね。
そして、病院に行くことや、
カウンセリングを受けることも勧めてますし。

もちろん、何も知らない人は
偏見が大きくなることも考えられますけど。

私はそんなに心配してないんです。
楽観的すぎるかもしれませんけどね。

(通院歴のある)女性

◆あまりにも悲惨な
大阪小学生殺人事件に言葉を失いました。
被害に遭われた方とご遺族にはお慰めする
言葉もありません。
加害者の男性には裁判で厳正なる処置を望みます。

私は精神障害者の母親です。
障害者と家族は今回の事件とマスコミの報道により、
すさまじいバッシングに襲われています。
病気の方のHPには嫌がらせの
書き込みが殺到しています。
「きちがいは隔離せよ」「まとめて殺せ」など、
ナチス時代の
再来かと思われるような書き込みが続いています。
地域の精神障害者施設の建設はこれでまた
数年遅れることでしょう。
建設反対派にかっこうの口実を与えてしまいました。
圧倒的大部分の精神障害者はご存じのように
犯罪とは縁もゆかりもありません。
それらの人達が身をひそめるように生きています。
何も悪いことをしてはいないのに。
ただでさえ、困難な病にかかり、
日々精一杯生きているのに、
一人の凶悪犯のためにどうして、
ここまで迫害されねばならないのでしょうか。
理不尽です。

私は精神障害者の問題を
マスコミに取り上げるのはやぶさかではありません。
しかし、こういう重大凶悪犯罪の時しか
マスコミは取り上げないから、
精神障害者=危険な人達という見方ができて、
結果、いつまでも差別や
偏見がなくならないのだと思います。
今回のように、障害者問題を取り上げるなら、
この病気に対して正しい知識を啓発した上で
ものを言って頂きたいと思います。
精神障害といっても、
いろいろな幅広い概念を含んでいます。
分裂病と人格障害は違うし、薬物中毒ともちがいます。
今回の犯人は一体何だったのでしょうか。
分裂なら、治療に載せればほとんど症状は落ちつくし、
改善されます。
薬も新薬が今年になってからも、
続々と発売されています。
きちんと治療すれば、治る病気です。
私の家族もそうです。大学に復学して、
普通に現在は暮らしています。
私は悔しいのです。こうした事件が起きる度に
99%以上の犯罪に無縁で、困難な病を抱えて、
少しでも前を向いて歩こうと
日々努力している病気の方に更に追い打ちを
書けるような過酷な視線が加えられていくことが、
そんな理不尽があって良いのでしょうか。
そういう病気への正しい知識はマスコミは
言ってないですよね。
みんな犯罪と結びつけてしか報道していません。
先日ハンセン病差別については反省してますと
マスコミも表明したばかりだというのに。マ
スコミは障害者について、
そして病気の基本的な知識についてもっと勉強してから、
ものを言ってほしいと思っています。

鳥越さん、あなたの報道姿勢に注目しています。


◆大阪で起きてしまったあまりに悲惨な事件への
鳥越さんのコメント、
とても共感しました、
私もほぼ同じ方向で思考をめぐらせています。

私には高校受験をきっかけに精神が病んでしまい、
それから15年以上、偏頭痛と精神安定剤と
切っても切れないとてもしんどい生活をしている
幼稚園からの女友だちがいます。
少し調子のいい時は電話をくれたり、
ごくごく調子がいい時はひょこっと顔を見せに来たり、
でもほとんどを通院と自宅で過ごす毎日です。

”なんとかしたい”という思いでやっとの思いで通院して、
様々な治療にトライしては挫折して、悩んでもがいて、
でもまた同じ場所に戻ってしまう。
堂々巡りの日々の中でどんどん増える時間は
自分を卑下するために費やす時間ばかり。
・・そんな印象を受けます。
でも彼女は決して人を恨んだりはしません。
あくまで「自分の内面との戦い」です。

でも所詮、自分のことを自分だけで考えても
正しい答えなんか出るわけありません。
どんなにしんどくても、やっぱり生きてる以上、
他者との関係なくしては自分を客観視できないもの、
自分一人の力で、あるいは強制的な力では
変わることなんて無理なのではないか、
というのが私の考えです。
彼女に何かしらのきっかけを、と思っても
悲しいかな、会話では言葉を慎重に選び、
手紙でも通り一遍の表現しかできないのが現状です。
まさに「腫れ物に触れる」ようなそんな感じでしか。
これでは彼女もラックリするわけがないですよね。
どこか構えている相手には警戒心があるに決まっています。

生きてる以上、普通に生活できる私たちにだって
感情の浮き沈みは絶対あるものです。
その振れ幅が大きいか小さいか、
自分でコントロールできるかできないか、
人生経験がちょっとだけあるかないか、
助けてくれる存在がいるかいないか、
このくらいしか病んでる人との境界線なんてないのでは。

もちろん、
37歳の男性がやったことは絶対に許されないことです。
でも「とんでもない異常者、危ない人ががやったこと」
という単純な括りの中に押し込めても
何の解決にもならないことでは。
いったいどうしたら
具体的に良くなっていくんでしょう・・。

どうかマスコミの偏った報道がありませんように。
今晩の放送、見ますよ。

◆私はこの事件の詳細をTVで見る度に涙がでそうになって
震えてしまうのですが、
それは被害者の子供達、その家族に対してだけでなく、
加害者、そしてその家族達に対してでもあるのです。

彼のやったことは決して許されることではない、
その時の精神状態がどうであっても、
なんらかの形で自分の行ったことに対する
責任をとらなければならない、と
彼がやったことに対する憤りは大きくあります。
が、そんなことをするに至った彼の今までの生活、
またその家族の生活を
勝手ながら想像してしまい、涙が出てしまうのです。

おそらく、私自身、程度は違えど、
仕事上のストレスその他から
自分の感情、行動をコントロールできず、
人間がこわれた、と感じた「昔」を
思い出しているのでしょう。
決して犯罪をおかしたわけではありませんが。
その当時、世の中すべてのものに怒りを感じ、
もちろん自殺も考えました。
その後、いろいろ私なりに思考を巡らした結果、
自殺しなくても、死ぬ時は死ぬ、
自殺しに行く時に交通事故で死ぬかもしれない、
通り魔に刺されちゃって死ぬかもしれない、
いつでも死は待ち構えているんだから、
いつ死んでもいいように、やりたいことやって、
迷いのない突然の死を選ぼう、と
「ひねくれた」考えに至りました。
その気持ちで過ごして数年、
「充実」とまではいかないものの、
結構気楽に生きられてます。
しかし、それも、そんな昔の自分があったから、
だと思ってます。
気楽に生きてる今でも、
その当時の気持ちを思い出す事象に触れると、
人知れず震える思いでいるのです。

そして、今回の事件の詳細を知るにつけ、
彼がどんな状態にあったのか、
それは本人しか知り得ないことでしょうが、
その本人にしか分かり得ない苦しみにあったのではないか、
と想像し、震えてしまうのです。
その苦しみに対する責任が彼自身にあったとしても。

被害者に対して涙してしまう自分もいます。
今まで大事には至らなかったものの、
1つ間違えると..
といった危険を何度か味わったこともありました。
それこそ、その事象を思い出す同様のニュース、
TV番組等に少しでも触れてしまった場合、
それを忘れるのに数日時間を要します。
殺人であろうと傷害暴行であろうとなんであろうと、
加害者達にはこの忘れられない恐怖感、
繰り返しやってくる恐怖感の存在を思い知らせたい。
そうしないと許せない。

今回、残念ながら命を落としてしまった子供達に対しては
御冥福をお祈りするばかりですが、
幸い助かった子供達に対する今後の気持ちのケアは
十分に対応していってほしい、と願うばかりです。
まだまだあの子達には未来の時間が長すぎる。
未知の経験の時間もたくさんある。
それをあの恐怖感をもちながら過ごさせたくない。

以上、雑文で失礼しました。
こんな気持ちを身近でない第3者にお話するとは、
自分のなかで涙になっていた気持ちを
誰かにお伝えしたかっただけでしょう。

◆今日の「ほぼ日」のダーリン、読みました。

私もごく身近に精神科に入院した人がいて、
     もういませんが・・・
こういった事件があると、
「ん〜〜〜〜〜」です。
「気狂い」なんて言葉を聞くと
いたたまれなくなるのも事実です。

今回のような事件が多いのは感じますが、
それはまた違うと思うんですよね。
どこかの怠慢であるとか、考えてないとか・・・
ちょっと前、とっている新聞で精神病院に関する
ことが何週間かにわたって取り上げられていましたが、
それを読んでも病院のあり方、
どこもがそうとは思いたくありませんが、
いったいどうなってるんだ、と思うこと沢山ありました。
分かりやすく書けませんが、
深く胸につきささりますね。

今回のような事件の被害者の方は
本当にお気の毒だと思います。
ですが、伝え方は違うような気がします。
病気というよりも性格の問題のような気がするのですが・・・

◆秋田県に住む41歳自営業です。
小学4年生と5歳園児の父です。
妻は精神科の病院で看護婦をしています。

あの事件の日は家にいて刻一刻、死者が増えていく
ニュースを聞いて凍りつく思いをしていました。

あの日、事件のニュースを聞いてすぐ思いついた
対策は
出入り口をひとつに限定する。
警備会社に委託して、警備員を常駐させる。

この二つです。1学年120名の学校なら6学年で
720名生徒一人につき毎月300円集金すると
月216、000円になります。
警備員1名をなんとか雇えるお金ではないでしょうか。

(大阪教育大学付属の学校・園で9日から警備員が
配置されたそうです。)

小泉首相は刑法改正で精神障害者を予防拘禁する方針を
とるようです。これは境界例の患者さんへの人権問題です。

精神科の病院で看護婦をしている妻が言うには
「いま事件を起こしているのは、精神分裂病患者
ではなく人格障害の人が多い。こういう人が
警察や親の依頼で入院した場合、投薬する都合上
「精神分裂病」という病名をつける場合がある。
本当の精神分裂病の患者さん全体に偏見を
もたれてしまう恐れがある。

患者さんは入院してきちんと薬を飲んでいる間は
問題行動は起こさない。起こさないから退院させると
自己管理出来ないから、薬を飲まなくなり、
問題行動を起こす。
精神医療の最近の流れとしては早めに社会復帰
させる方向になっているから、この患者さんは
まだ心配だと思っても退院させないわけには行かない。
また早めに退院させたほうが病院の評価が上がるという
理由もある。

秋田みたいな田舎だと親や親戚などが警察や病院に
相談して、危険な状態にいる人を病院に連れてくる。
(親戚一同が暴れる患者さんを
ふとんでぐるぐる巻きにして
運び込んできたこともあった)
都会の一人暮らしでは、異常に気が付く親や親戚も
いない。都会では親や、親戚によるブレーキが無い
から惨事が起きてしまう。」

自分が患者になったとしたら、いまのこういう病院の
対応のほうがまだしもありがたいです。

じゃあ、市民の人権は、安全はどうなるのかと
反論されたらわたしは、こう答えたいです。
「世の中には、人に危害を及ぼす人がいる。
そういう前提で暮らしていこうと思う。

そんな人から身を守るためにコストがかかるのは
当然のことだ。
だが、人に危害を及ぼしそうな人を
事前拘禁することはしない。
あくまで襲われそうになったら時に、
自分の身を守るために実力行使する。」

なんだか憲法第9条みたいになってしまいました。

日本は変わりました。みんな気心が知れた人ばかり
という世の中ではないことを認めなくてはいけないと
思います。
半月ほど東京に出張していた間に2回ほど、目線があった
だけの若い男から暴力をふるわれそうになりました。

世の中には危ない人がいる。都会には特に。
その人がそうなってしまった原因を探している間に
子供たちの命が失われていきます。

目の前にある危機をくいとめることが
先ではないかと思います。
「学校と地域と警察の連携」なんて対策はお題目です。
京都の小学生殺害事件の後にこんなことが
おきてしまったではありませんか。
共同体の力が弱い都会では、いま物理的な危険から
目の前の子供を守らなくてはならない。

人を雇って自衛する。予防拘禁はしない。

映画「七人の侍」の農民のように自分の安全は
コストをかけて、自分で守りたいと思いました。

いま国には精神疾患の人への対策を強化する動きが
ありますがこれは交通事故への対応の仕方と同じです。

スピードを出す人間が悪いというお題目ばかりで
事故がおきたときいかに早く搬送するか、救命するか
衝突しても安全な車をつくるかというところに意識と
お金をかけない。ちっとも具体性が無い。
目の前におきていることから目をそむけている。

自動車と言う何トンもの鉄の塊は人間を殺傷できる
慣性重量を必ず備えている。自動車が走る限り
人を殺す可能性を撒き散らしながら走っていると
いう真実に目をそむけている。

すみません。熱くなってしまいました。

精神疾患の人を片っ端から
閉じ込めておくことなんか出来ないのだし
なくなってしまった共同体を懐かしがっても
いま危険な目にあっている人々を救うことには
ならない。はやく本当に具体的な問題に
目が向けられればいいと思います。

長くなりました。乱筆ご容赦。

◆イトイさま

私の妹も精神病院に通院しています。
14歳のときからだから、もう15年になります。
こういう事件が起こるたびに、
不安になって、少し不安定になります。

> こういう事件があった後で、きっと、
> もうひとつ別の痛みにさらされる人々がいるということを、
> こころの隅に入れておきたいと思うのです。
> 「ほぼ日」にも、たくさんのメールをいただきましたが、
> 「通院歴のある」人たちは、たくさんいます。

通院している多くの人たちは、
きちんと通院して、
家族や周りで支えてくれる人たちと
一緒に生きていこうとしていて、
なんで通院しているかといえば、
許容できるストレスの量が少ないから、
パニックになりやすいからで、
気の弱い、優しい人が多いのに。

一部の人たちのために、
同じように見られてしまうのは
とても恐ろしいことです。
通院していなくて、
事件を起こす人たちだってたくさんいるのに・・・
っと、いつもいつも思っています。

今回の事件は、とても許せることではないですが、
彼とともに生きている人がいなかったことに
とても深い悲しみをおぼえました。
近くで見ている人がいれば、
あんな事件は起こさずにすんだかもしれないと
思うのです。

◆鳥越様
あれだけ凄惨な事件でなかなか
自分の考えもまとまらないのですが、
とりあえず思ったことを書いてみようと思います。
実は私の大学時代の先輩が某新聞社の
カメラマンをしていまして、
あの日は空港詰めだった事もあり空撮で現場を
撮って来たそうです。
本人曰く
「撮影中はどう撮るか?
しか考える余裕がなく感情が湧かない」
という彼も言葉を失い、
これだけの凄惨さをストレートに伝えていいものなのか、
葛藤しながらの取材だったようです。
そして空港に帰ってからも
涙が止まらなかったといってました。

私自身一昨年いわゆる精神病(うつ病)と診断され
職を失っています。
今は社会復帰もし、鳥越さんと同じ?
マスコミ関係の仕事(雑誌編集)をしています。
私たちの雑誌とは趣旨が異なるので
取り上げることはないかもしれませんが、
もし私が伝えるならどう伝えるべきなのか?
どうしても考えがまとまりません。
と言いますのも、被害者があまりにも幼く、
幸いにも命を落とすことのなかった
子供たちへの配慮も必要ですし、
何よりも日本人的な考え方だと
「だから精神病者を社会に出してはいけないんだ!」
などという世論が出てこないとも
限らないと考えてしまうからです。
私自身の時は、
はたから見れば正常な時は極普通の人間で、
とても仕事ができない、
と言うようには映らなかったようです。
しかし体調の悪いときは起き上がることすら
できませんでした。
そして一見正常に見える時でも、
無意識のうちに駅のホームから
入ってくる電車に向かって
歩き出していたこともありました。
たまたま通りがかった方に止められ助かったのですが
その方も「考え事をいながら歩くと危ないですよ」
と声をかけられ、
「精神病者」には見えなかったようです。
現在の社会では、
重度の精神病の方に対する配慮も十分とは思えませんが、
私のようなうつ病も急増している、
などと報道される割に社会としてそういう人を
受け入れることもできないことが
問題なのではないでしょうか?
私の場合も、身体的な異常もないのに
1年以上も仕事に就かないことで周囲からは
「グータラしている」と随分言われたことを思い出します。
今回の犯人がどういった病状だったのか
はっきりは分かりませんが、
「急増している」精神病患者を社会が
どのように受け入れるべきなのか真剣に
考える機会だと思っています。
そのためにもしっかりした裁判で真相を明らかにし、
報道する側もその結果を真摯に
受け止める必要があると思います。
誤解のないように書き加えますが、私は容疑者を
「私と同じ精神病患者だから」と言う理由で
擁護する気はありませんし、
罪は罪として償う義務があると考えています。
その上で同じような病気をもつ方々に対する社会のケア、
そして何よりも被害にあわれた
こどもたちのケアを考えるのが「同じ社会」にいる
我々の義務だと思っていま
す。

◆>「通院歴のある」人たちは、たくさんいます。
>本人にはどうすることもできない病気として、
>病んでいるから病院に行く。

常に殆どの場合、被害者、加害者の双方の立場に
立って物を考える様にしている私ですが、、。

今回は、加害者に対して嫌悪とも言える
感情を抑え切れません。

それは、被害者が何の罪もないあどけない子供達だったと
言う事も大きな要因だったと思います。
私は自分自身の4人の子供達を産み育てました、、
その経験上あの年齢で、あんな怖い思いをして、
命を奪われた、、、
それだけで加害者に対する怒りは、、
許せるホンの隙間もありません。

主人が本職の他に保護司と言う
地域のボランテイア的仕事をしていますが
少年院を出て来たばかりの少年達を見ていると、、、
私は、あながち彼らだけを責める訳にはいかない、、、
そんな思いをしょっちゅうしています。
私の周りの殆どの人が、、、私のそう言う考えを、、、
甘い!!、、と言います。

いつもはそんな周りの意見に対して、
広角泡を飛ばす私ですが、、。
今回ほどその周りの意見を謙虚に
受け止めた事はありません。

彼らは普通の人とは違うのです、。

★普通の人とは、、、。
自分がどんなに怒って、
胸がむかつく事があったとしても、、、、
ハタ?と立ち止まって、、。

自分はむかつく人を上回る人材だろうか? 
いや、、私もみんなと同じ弱い人間なのだ、、、
じゃあ、、あいつへの怒りはこの辺で静めて、、
一つ自分を大いに反省してみよう、、、、、、
と思える人、、、。
それが普通の人だと思うのです。

事件を起こした理由が、
例え生まれ育った家庭の事情だとしても、
又、生まれつきの精神的欠陥を持っていたんだとしても、
許せない物は許せないのだ!!と、
今回つくづく思いました。

★只、ダーリン様が言われます様に、
この問題をただただ端っこだけをとらえて、
偏見と独断で騒ぎ立てるマスコミその他のあり方には、
私もとても疑問を感じております。
、、ここだけのお話ですが、、
私は一市民として、
今の世の中の歪みの一端はマスコミに起因
する事おおいに有り!と日々実感しております、、、。


>高見からものを言っているように聞こえたら、
すみません。

私も同じです、、。
加害者にも被害者にもなった事がないので、
本当の所は何も解っていないのかも知れないのです。

PS
ダーリン様
私の様な専業主婦は、こんな意見や考えを述べる機会を
なかなか見つけることが出来ないでいますので、
この場所を与えて下さった事への
感謝の念は計り知れません。

私が今まで出会った有名人と言う人達は、
私達一般人の何処か違う場所で暮らしている人達、、
と言う印象が強かったです。

ですから、、
世間に何かを訴える事の出来る機会が私達より
一歩も二歩も進んで
いるので、、正直、、ずるいや、、と
思っていました。

それが、ダーリン様の、、
『みんな同じだけもの申す権利があるのだ!!』
と言う『ほぼ日精神』とも言えるお考えに、
本当に心から感謝!感謝!なのです。

生きている時間の長さだけは誇れる私ですが、、
本当のところ何も解っていないのかも知れないです。

◆「今日のダーリン」、読みました。
今回の事件は、独身で子供もいない26歳の私でさえ、
とても悲しく、つらいものです。
姪がひとりいますが、もし姪があんなことになったら、
と想像しただけで胸が
ぐーっと痛くなるような気がします。

でも一方で、イトイさんがおっしゃるように私も、
この事件で精神病患者への
偏見が強くならないといいなぁと思っています。
誰かが事件を起こして、
「通院歴があり」と報道されただけで、
「ああ、やっぱりね」と言ってしまうような世の中。
もう半分そうなってしまっているのかもしれません。
でも、精神病だって、
体の病気と同じように誰だってかかる可能性があるし、
かかってしまった本人は体の病気以上に
心の負担になってしまっているだろうし、
また、そのことが
治りを遅くしてしまっていることもあるだろうし・・・。
そうやってつらい思いをしているヒトを
受け入れてあげられる社会にしたい。

先日、母とふとした会話の中で、
性同一性障害の話になりました。
男性であることを受け入れられず、
女性の格好をしたりする、あるいはその逆。
そういう人たちはどうして
水商売しか仕事がないんだろう、という話で。
別に戸籍上男性で、女性の格好をしていても、
普通の会社で書類を書いたり、
お茶を出したりするのには全然支障ないのにねー、
という話になりまして。
日本の社会はどうして「ちがうもの」を
排除していってしまうのかなぁ。
「ちがうもの」をどんどん受け入れる、
懐の広い社会にならないかなぁ・・・。

そんなことを考えながら、社会福祉士をめざしています。

◆今日のダーリンコラムと
昨日のダーリンコラムが
本当にそうだな・・・・と思ってメールしました。


特に今日のあの事件に関しての文章は
私がどうしても表現できないで
困っていたことを、
とても的確に書き示していました。

さすがだな と思いました。

友達には人権もなにもない、
死刑だ!という人もいる。

私は、ちょっと不安でした。

今日もあっという間に日曜が終わりました。
また明日から1週間。

なんとか楽しいことを探しながら、
仕事に出かけよう!と思います。
職場の隅に勝手に
仲間が作った花壇に、(一気に芽吹いてきました!
いちごの苗と、朝顔の苗を、植えようと
今日買いました。

ナデシコに負けないように
気をつけながら育てますっ!

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2001-06-11-MON

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