栗山 |
自分の映像とかを
もうひとりの自分が
見ているようなイメージがないと、
試合にならないんだ?
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高坂 |
そうですね。
おさえこまれている時に
相手の背中がどこにあるか、とか。
ヒジがどこ、ヒザはついているかどうか。
そういうのが見えないと、
試合を組み立てようがないですね。
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栗山 |
苦しみながらもイメージなんだ。
そうですよね。
自分をマネージメントしないといけないんだ。
野球とかサッカーの球技系だと、
小さい頃からすぐに
「あ、センスあるな」ってわかるじゃないですか。
格闘技って、センスなんですか?
あるとしたら、どこでわかるんですか?
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高阪 |
格闘技では、
どう考えても立ち技はセンスなんです。
寝技は努力なんです、明らかに。
自分がそのどっちのタイプなのかを、
どこでいつ気づくか、でもありますね。
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栗山 |
あぁ、それおもしろいですね!
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高阪 |
はやく気づいたら、
伸びる部分を把握できているわけで、
そこで伸ばしていけば
一本の柱ができていくので、
例えば寝技がうまいということがあれば、
そこの柱のあとに、
立ち技という枝を伸ばしてゆける。
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栗山 |
なるほど!
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高阪 |
だから、自分がなんなのかを知らないと、
伸びることはできないですね。
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栗山 |
じゃあ、センスがないけれども、
寝技だけはものすごく頑張るというヤツがいたら
そこそこ、行くんですか?
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高阪 |
いきますよ。絶対いけます。
それはもう、間違いないです。
自分の経験から考えてもそうですよ。
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栗山 |
あぁ・・・。
ちょっとうれしい言葉ですね、今のは。
高阪さんの説明がわかりやすいですし。
格闘技って、一般から見ると、
ちょっと、特別な世界じゃないですか。
限られた人というか。
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高阪 |
そう思われがちなんですけど、
実は、ぜんぜん違うんですよ。
自分なんか、柔道やっている時も
めちゃくちゃセンスあるほうじゃ
なかったんですよ。
それも、やってて気づいたんです。
例えば、吉田秀彦選手と練習していても、
「あ、あれをやられる」
って、わかっているのに投げられちゃう。
古賀先輩と練習をやっても、
自分の柔道をさせてもらえない状態でしたから。
はじかれるし、あれ、と思っていると
自分は何も持っていないけれども
古賀先輩はガッチリつかんでいるという。
・・・なんで、自分の手を指す動きを
古賀先輩は、事前にわかるんだ、とか、
しっかり守っているのに、なぜ投げられる、とか、
それはセンスのかたまりなんです。
言葉じゃ説明できないものが、
古賀先輩たちには、たくさんつまってるんです。
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森川 |
身も蓋もない結論(笑)。
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糸井 |
(笑)遺伝子の問題みたいな。
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栗山 |
それが立ち技の「センス」なんだ。
なるほど。わかっちゃうんですね。
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高阪 |
センスのかたまりの人って、どの分野でも
その人自身のやっていることを
説明していないですよね。
それでなおさら、自分に気づいたんです。
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森川 |
悪い子のほうが格闘がうまい、
とか、そういうことはないんですか?
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高阪 |
ありえないですね。
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糸井 |
それ、ものすごく気持ちがいいですね。
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栗山 |
一見、悪そうなほうが
ケンカつよそうですもんね。
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糸井 |
マンガって、正統的な考え方の
横にはみだしたポルノのようなものだと思うんです。
強さにしても、すでにあるイメージをデフォルメして、
「どっかに、そういうものがあるんだ」
と、ぼくらの弱さに訴えかけるというか。
・・・社会人になると、
マンガを読まなくなったりするじゃないですか。
仕事が忙しくなったりして。
あれって、ポルノがいらなくなるんですよ。
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栗山 |
そうですよね。
自分でもそうです。
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糸井 |
ぼくもたくさん読んでいたんですよ。
でも、わかればわかるほど、
そういうものはないな、と気づいて、
もっと「大きくなる」とか、
わかりやすいけどすごいことに惹かれる。
あしたのジョーのブラリとした姿は、
あれは梶原一騎のポルノだと思うんです。
ああいう人を好きだ、という。
最近のまじめな格闘技選手の話を書いても、
おもしろくないですもんね。
「やったぶん、当然勝つ」と。
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高阪 |
ぜったい売れないですよ。
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糸井 |
社会人になればなるほど
たのしむ物語が変わるから、
ぼくは逆に、いまの高阪くんの
「デカくなろうと思うんですよ」
という結論に、すごいなぁと思いますね。
一試合五分に二回しか隙がない、
そう知ったうえでみたら、おもしろいですよ。
でも、やるのがいちばんおもしろいんだろうけど。
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