「ほぼ日刊イトイ新聞の本」が出るよ! |
【以前のほぼ日 その8】 情報の交易と、意味無意味について。 ちょうど2年前のいまに掲載していた文章です。 「今日のダーリン」の質量も、 たっぷりとしてきている変化が、わかりますか? (みっつめのコラムは、かなりオススメです) -------------------------------------- 1999-04-15 「モバイル」についての取材を受けていた。 こうして取材にきてもらうと、 何かについて答えているうちに、 逆にこちらから取材をしていることにもなる。 おかげで、いま大宣伝中の携帯電話の新機種について、 本気で考えたいと思うようになった。 仕事でもおなじで、 頼まれ事のお多い人ほど、頼み事の機会も増えるようだ。 情報の交易は、やっぱり情報の繁華街ほど盛んである。 こういう典型が「黒幕」とか「フィクサー」 という人たちのケースなんだろう。 ひとつひとつの情報は、仲間になる情報や、 コンビを組むべき情報を求めているわけだ。 よく「叱りやすいヤツは見どころがあるんだ」と、 ぼくはよく言ってたんだけど、 これもまったく同じことだと思うね。 叱られてうれしいヤツはいないと思うけれど、 「叱ること」のなかに含まれた情報は その時に確実に伝達されているわけだ。 自慢じゃないけれど、ぼくは小さい頃から、 「叱られる」「説教される」「やり玉にあげられる」 「インネンをつけられる」「見つかる」などについては、 名人の域にあった。 その時には身の不運をなげいたものだが、 いまになってみるとなかなかの財産だったと思う。 1999-04-20 おいおい、もう梅雨かよ、と言いたくなる今日この頃。 お元気でおすごしでしょうか。 毎日、ここの文章を書いていますが、 頭が痛い、腰が痛い、ケツがかゆい、などなどの理由で、 いつか急に休んでやれと、何度も考えたのですが、 今日も書いているんだなぁ、これが。 先週の大忙しの余波で、まだ視線が遠いアタクシです。 先週のどたばたのひとつに、 「週刊プレイボーイ」での インタビューの仕事がありました。 されるほうじゃなくって、するほう、ね。 この役目、ぼくにとっては、20代の終わりにやった、 矢沢永吉『成りあがり』以来だったんですよ。 つまり、二十年ぶりの「聞き書き・構成」って仕事。 去年の秋から準備していた企画だったんですけどね。 「ほぼ日」の「まかないめし」でおなじみの 吉本隆明さんにちょっと変わった人生相談をしようという、 一見ミスマッチな連載なんです。 昔だったら先輩や先生やらをまじえて、 つばを飛ばしながら語り合ったような青臭いテーマを、 思想界の巨人であり気のいいおじさんでもある吉本さんに、 あえていまこそ聞いてみよう、というものです。 やりがいあるけど、なかなか大変な仕事でしたねー。 なれてくれば、もう少し上手になると思うんですけどね。 第1回は、4月26日発売の号に掲載されますが、 これ、なんとかがんばって毎週続けるつもりです。 1999-04-25 今日は長々しく読みにくく書こうっと。 ・・・人間が生きていくことのほとんどは、 意味を追いかけていない時間である。 うちの同居している女性は、テレビを観ているときに、 よく「この人、すっごい福耳」と言う。 テレビの画面のなかに 「すごい福耳」の持ち主が登場することは、 意外にけっこうあるもので、 ぼくはこのセリフを何度耳にしたかわからない。 あ、そのぼくの耳は、福耳ではありませんよ。 巨人の松井選手の感動のインタビューに、 胸を高鳴らせているぼくには、 同居人のその緊急発言が不思議に思えたりしたものだ。 しかし、やっとこの頃だ。やっとわかったのだ。 意味なんかないのだ。 単に福耳をみたゾ、ということなのだ。 戦争の悲惨さや、憂うべき社会状況や、 愛と悲しみの恋愛劇や、不振から脱出した喜びや、 「すごい福耳」の持ち主が テレビの画面から語りかけるコトバはさまざまだが、 人は、その内容を聞いているとはかぎらないのである。 彼女の目には「すごい福耳」が映ったのである。 そこに不思議はない。 コトバの内容を聞いて 意味を追いかけている時間というものは、 人間の人生のなかでは、ほんの少々なのかもしれない。 コトバを職業に選んだ人間は、 よく、このへんのことを誤解してしまうものだ。 みんなが、いつも、コトバを全部聞いていて、 それについていちいち意味を考えている、と。 そんなことはあるわけはないのだ。 このことがコワイので、この頃のテレビは、 発言をテロップにして、 「ここを見て!」とお願いするのだろう。 はい。今日のテーマは「福耳は、けっこう多い」でした。 ---------------------------------------- 明日に、つづきます。 |
2001-04-15-SUN
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