「ほぼ日刊イトイ新聞の本」が出るよ! |
【以前のほぼ日 その11】 仕事をテーマに4つ(99年10月より)。 以前のほぼ日「今日のダーリン」から、 これは、と思うものを集めてお送りするシリーズ。 今回は、『仕事』をテーマに4篇集めてみました。 いずれも、1999年10月のものになります。 -------------------------------------- 1999-10-02 プロセスを見せながら調理する場所を、 オープンキッチンというのだけれど、 この頃は、どんどんオープンキッチンが増えている。 もともと、少人数の客を相手にする店、 例えば寿司屋とかラーメン屋などは、オープンキッチンだ。 その逆に、ホテルのパーティーなどで出てくる食事は、 見えない場所から、大人数分が運ばれてくる。 世の流れとしては、 あらゆる場面でのオープンキッチン化が、進むと思う。 一カ所に大きな店舗はつくれないかもしれないけれど、 小さな店をたくさんリンクさせていけば、 結果的には、大きな市場ができる。 思えば「ほぼ日」も、かなりオープンキッチン型だ。 政党のリーダーや、実業家は、 自分の病気を隠さないと、 そこに連なる人や組織が不安になり力を失うので、 人前に出るときはいつも「元気」である。 考えてみれば、ぼくなんかは、しょっちゅう、 元気でない姿を、ここで表現しているから、 リーダーシップの才能がないのだろうな。や、どーも。 元気のなさを表すのは、相手に失礼だとは思っているので、 ほんとに不調なときには、それを隠すという方法をとる。 あ、そうしたら、やっぱりオープンじゃないなぁ。 オープンとクローズの最適なバランスというのも、 この転換期のいま、それぞれが考えていくべき問題だね。 恋人や、夫婦や、親子や、同僚や、仲間というような、 「内部的」な集団でも、そういう調整はしているんだろう。 オープン(開く)と、クローズ(閉じる)との問題は、 これからの時代、あらゆる場面で とらえなおし考えなおしていくことが必要だよなぁ。 なんでも閉じすぎていた時代が続いていたから、 やたらに開くことが求められているけれど、 そんなに単純な、開けばいいってことでもなさそうだ。 インターネットの世界は、どうなっていくのかなぁ。 -------------------------------------- 1999-10-05 ぼく自身の興味が「武蔵」のラーメンに、 ぐいぐいひきこまれているせいで、 なんだか「ほぼ日」がラーメンのHPみたいになっている。 言い訳を言わせていただくと、 これは、ラーメンの話であってラーメンの話ではないのだ。 後先になってしまったが、 いまごろ「武蔵」のご主人のインタビューを読んだ。 「月刊・食堂」の取材記事を、 「東京のラーメン屋さん」というサイトに転載したものを、 いままたこうして、ぼくが「ほぼ日」で紹介するのも、 なんだかリンクを感じさせておもしろい。 興奮して、いますぐ書きたくて、 許可をもらっている時間がじれったいので、 あえて直接リンクを張ってませんが、 興味のある方はじぶんの足(検索)で行ってみてください。 このインタビュー記事を読んでみて、 ぼくの想像を超えて新しく知ったことは、 店主の山田さんという方が、 1.他のラーメン屋で修業したことがない。 2.ラーメン屋さんの食べ歩きもしていなかった。 という事実だった。 「のれんわけ」という、師匠と弟子の関係で、 盗まなければならない味があるという神話からして、 このご主人は、疑ってかかっていたのだ。 さらに、レシピは秘密ではないけれど、 おなじ手間をかけることはできないだろうという発言。 「ただ、自分の舌でおいしいと思えるものを、 自分にとって正しいと思える方法で、 つくりあげただけです。 ですから、手の抜きかたを知らないのですよ」 もう、ぼくは、泣きそうになっちゃうのだ。 どうぞ、想像力という無料の武器を持った 「ほぼ日」読者の皆さま、 いくつかのラーメンにまつわる単語を、 じぶんの領域のことばに置き換えて読んでください。 『前例なしの亜流なし』という山田さんの言い方を、 ぼくは、ぼくのおまじないにしている “ONLY IS NOT LONELY”につなげて考えている。 その「ひとりだけ」は、孤立しなかった、と。 -------------------------------------------- 1999-10-09 はるか昔に『同棲時代』という劇画があった。 作者は故・上村一夫さんで、 由美かおる主演で映画化もされたりして、 ほんとに一世を風靡したもんだ。 フォークの名曲『神田川』も、 この劇画の世界に触発されてできたものだったと思う。 (いまの若いコもこの歌、妙に好きだよねー) あの時代の同棲は、もっと愛とか情とか、 内面世界寄りでイメージされていたものだけれど、 ぼくの目に狂いはあるけれど(どういう表現じゃ?)、 また、「新・同棲時代」が始まっているような気がする。 おそらく、結婚が、家よりも個人のつながりになってきた ということが背景にあるのだと思うが、 戸籍や儀式にとらわれないで、 「いっしょにいたほうがいいから、いっしょにいる」 というような、ひとりとひとりが、 おなじ場所で「LIFE」をシェアする感覚で、 新しい同棲時代があちこちにあるように思うのだ。 またぞろ反論もいっぱい来そうだけれど、 ぼく自身は、それを「いいこと」だと思っている。 だいたい、考えなしのホームドラマ的な家庭像に、 みんながしばられすぎていた、と、ぼくは思う。 戸籍が入っている家の姿だって、大いに変化しているよ。 自分の家庭のことを考えたって、 このひと月以上も、オットとツマが顔を合わせるのは、 一日に30分くらいのものである。 だけど両方が、たがいに懸命に何かに取り組んでいるのは、 十分に理解できるから、 ホームを共有しているという実感はある。 これだって、見る人が見たら「崩壊家庭」だぜ、きっと。 そういえば、10月8日から、ツマのほうの懸命の素、 『かもめ』(岩松了・演出)という芝居が、 シアターコクーンで始まったので、 よろしかったら観に行ってやっておくんなさい。 ぼくは、まだ観てないです。 ----------------------------------------- 1999-10-12 ラーメンのことばかり書くのはやめようと思ったけれど、 NTV「スーパーテレビ」が、ラーメン戦争を題材にした ドキュメンタリーをやっていたので、 ついつい、また気持ちがそっちにいってしまった。 ラーメンの番組観ていながら、泣いた泣いた。 番組の内容は省略するけれど、 登場人物とラーメンという素材が、 劇画以上の「こってり味」のドラマになっていた。 番組のなかにもちょっと登場した店のことを、 ふと、書きたくなった。 この店を、ぼくは偶然知った。 食べて、うまいなぁと思ったけれど、 いままでに知らなかったタイプのうまさだったので、 おそるおそる知り合いにすすめたりしていた。 『フロム・ダスク・ティル・ドーン』という映画に、 その味を喩えて、「なんじゃそれは」と言われたりした。 気に入って何度か通っているうちに、 「店のスランプ時期」があった。 ラーメンの味にそんなに変化があるとは思えないのに、 おいしく感じない。理由はすぐにわかった。 冷たいどんぶりにスープと麺を入れるので、 出されたラーメンがぬるくなっておいしくないのだ。 二度三度と続けてぬるかった。 従業員の活気もなくなっていて、私語も多くなっていた。 「ぬるいですよ」と伝えたほうがいいのだろうか、 ぼくなりに悩んでしまったのだけれど、言えなかった。 そして、行かなくなってしまった。 しばらく間をおいて、どうなったろうとその店に行ったら、 店の活気も戻っていて、ぬるさも直っていた。 そのままずるずると落ちてしまう可能性だって、 ないことはなかったろうが、持ち直していた。 ぼくの知らないところで、どんなことがあったのだろう。 つくづく、店も「いきもの」だと思う。 ------------------------------------------- (明日に、つづきます) |
2001-04-18-WED
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