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「ほぼ日刊イトイ新聞の本」が出るよ!

【以前のほぼ日 その12】

99年12月上旬前後の「今日のダーリン」から、
生活的なものを意識して、集めてみたものです。
速度をゆるめて読んでいただけると、うれしいです。

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1999-11-26

ある会社の名前をネットで発見して、考えた。
なんとなく記憶にあったのが、
その会社はぼくの友人のお兄さんが勤めていたってことだ。
そのお兄さんとは、2度くらいすれちがった程度の知り合い
でしかなかったけれど、
人柄がよくてインテリな弟に、
いろんな影響を与えた人らしかったから、
いまはどんなふうにいるのかなぁと、想像してみた。
カッコイイ、お洒落でシニカルな感じのお兄さんだった。
昔ものわかりのよかったお洒落な人が、
いまもまったく同じだとはかぎらない。
ものわかりがよくてお洒落なだけで、
責任ある立場を貫きとおすことは困難だろうと思う。
ドラマでも、よくあるじゃないですか、
「お前らの気持ちはわかるよ」っていう役。
なのにエンディングの時には、もういなかったりする役。
そういうことはないような気がするんだよなぁ。
かといって、なにかと
「そりゃ、気持ちはわかるけどさー」と、
経験的な判断を先に押しつけてしまう人になってたら、
いくら他人だったとしても、うれしくはないよねぇ。
いくらその企業では大事な役割を果たしていたとしてもさ。
きっと、若い人たちからしたら、
「おやじ」はみんな同じように見えて、
昔からずっと「おやじの姿」「おやじの考え」だったように
思えてしまうかもしれないけれど、
これがちがうんだよなぁ。
若者から、だんだん、いろんな「おやじ」へと、
変化し、分化していくものなんだよ。
あの「おやじ」や、この「おやじ」に、
反抗期もあったし、夢ばかり語っていたような時期も、
仕事をさぼって推理小説ばかり読みふけっていたことも、
あったんだと思うと、不思議な気分にならない?
さ、あなたは、どんな「おやじ」どんな「おばさん」に、
なるのだと思いますか?
これを書いてる「馬鹿親父」は、このごろ寝る間もなくて、
食事とともに年とることを忘れています。


1999-12-01

12月だ。すっげーなぁ。ランニングティーチャーだ。
今日は、なんの意味もないこと書きたくなって、
ちょっと思いで話です。
子供が小学校の4年生の時だったかなぁ。
学芸会があって、なんとなく肩身せまい感じで観客席。
なんだか日本の民話のなんたらだった。
それで、おかしいのは父兄であるぼくは、ほんとは、
じぶんの子供の芝居をはらはらしながら観るわけだけど、
これが、「あらかじめはらはらを禁じられた父」なのよ。
わが子の役は、「石」だったのよ。
石、が、舞台にある。その石のひとつが、
うちの子だったわけなんだよね。
むろん、石にセリフは、あるわけもない。
父兄のぼくは、がっかりしたりはしないわけ。
すげえぜ、先生と思ったのよ。
父やら母やらが「ムスメの晴れ姿」を見に来たつもりの
なんだか期待感高まって爆発寸前みたいな舞台に、
何個かの石を配置するキャスティングってのは、
民主主義の守護神のような先生としては、勇気いるよ。
しかし、やり通す。その説得力がすごいと思ったのよ。
父兄なにするものぞ、っていう気概?っつーの?
そりゃ、ぼくという父だって、はらはらは、したかった。
でも、石に納得している子供たちが、
そこに石としている以上、「がんばれ、石!」と、
はらはらしない心の声援を送るしかないわけだ。
後で子供に詳しく聞いたところによると、
「わたしは、石と、戸の鍵をあけることと、水を流すこと」
と、3つの役割があったから失敗しないように
どきどきしていたのだそうだ。
おおおお、よく成し遂げた。
ぼっくが子供だったら、どういう反応をしたろうなぁ。
「石は、作ればいいじゃないですか」とか、
逆らっただろうか。いや、
喜々として、石やってたんだろうなぁ。


1999-12-04

昨日はですね、いつもの婦人公論井戸端会議で、
風邪の博士にお会いしたんですよ。
なんてったって、風邪を専門に研究している方だけあって、
50年、風邪ひいてないっていうじゃありまっせんか。
本当なんですって。
普通の簡単な風邪の時には、サインを感じたら、
もうすぐ寝ちゃう。休んじゃう。
これで大丈夫なんですって。
この段階で無理しちゃうと3〜4日、風邪ひきさん。
そして、インフルエンザの場合は、
予防ワクチンを毎年接種していれば、罹らないそうです。
ワクチンは、型がはっきり特定できないと効かないなんて、
したり顔で解説している人もいるけれど、
可能性のあるどの型のワクチンも混合されているし、
今年はどの型が流行るという予測も、
飛躍的に進歩しているということらしい。
日本で、どうしてワクチン摂取率が減ったかといえば、
「フル(インフルエンザ)とコールド(風邪)の区別を、
きちんとしないと、ワクチンを接種していて
インフルエンザに罹ってなくても、普通の風邪をひいたら
ワクチンは効かないという統計になってしまう」
ということなのだそうです。
おかげで、いまでは製薬会社もつくる量が減ったし、
保険も使えないので、ワクチン一回4〜5000円。
高いし効かないならやめておこうと、
ぼくだって思ってましたもんね。
今年は、ぼくはワクチン接種します。
ところで、風邪博士の本名は、「加地」先生。
62くらいに見えるのに、75歳なんですってよ。
ああ、会ってないから、読者は驚かないか・・・。
めずらしく今日は、ちょっとみのもんたしてみました。


1999-12-05

「ワーカホリック」というなつかしいことばが、
知人のメールに登場してしまった。あっちゃーっ。
このところのぼくのガツガツした忙しぶりに、
その死語を思い出してしまったらしい。
読者の皆さんからも、ミーちゃんからも・・・
「からだを大事に」と言われるのが日常になってしまった。
弱ったなぁ、どう説明すればいいかなぁ。
えーと、ぼくも、いまの状態がいいとは思ってないんです。
釣りにも行きたいし、休日は仕事を忘れてのんびりしたい。
そういう時間の大切さは、誰にもまして知っているつもり。
脳が身体を奴隷のようにこき使うということが、
いいことであるはずもありません。
たださ、どんななまけものだって、
試験の前夜には勉強するじゃありませんか。
ぼくの認識では、いまって敗戦直後の日本なんですよ。
高度成長からバブルの時代に身に付いた価値観は、
かなりみんなの身体に染みついているけれど、
改良的な経済政策や運のおかげで、
再びあの水準の景気が戻るなんて・・・
あるはずがないじゃないっすか。
旧いもののよいところと、新しいもののよいところを、
いまあらためて考え直すこと、試すことを、
必死でやらないとなんにも見えてこないからなんです。
最近、ぼくの会った外国人が言いましたっけ。
「日本人は働きアリだって聞いてきたけれど、
ほんとにあきれるほど仕事しないねぇ」って。
一日一日、たくさん時間を仕事場で過ごすからって、
働いているというわけじゃないし。
わざわざ、効率の悪いシステムをそのままにして
忙しぶってても、クリエイティブは育たない。
いま、ぼくが忙しすぎるのは、
新しく学んだり試したりすることが多すぎるという、
時代の入れ替わり期であるからなんです。
ま、近いうち、まとめて休んでやりますぜ。
ずっと、インドアな毎日が続きすぎているもんなぁ。


1999-12-08

毎日、インドアライフを送っていると、
空気が薄くなってるような気がしますよね。
空気といえば、ですけれど、
いい空気を胸いっぱい吸って、と言うときには、
「酸素」を吸うことばっかり意識してしまう。
でも、思いっきり吸い込んだ大気の約80%は、窒素だぜ。
そういうものだ。
そういうものだ、で思いだしたが、
題名は忘れちゃったけれど、
カート・ボネガット・Jrの小説に、酸素のことについて
しつこく書いてあったっけなぁ。
ものの滅びは「酸素と結びついていく課程だ」ってな話。
登場人物の誰かが語っていたんだと思ったけど、
読んでいておもしろかったなぁ。
酸素って、「いいもん」だとばっかり思ってたけど、
考えようによっちゃ「わるもん」じゃん!と、
子供のような感想を抱いてしまったよ。
抱く、で思い出したんだけど、
「青年よ大志をいだけ」っていうクラーク先生の言葉。
「大志」と訳したのは、
「野望」とか「野心」とかじゃ、
日本人の謙譲の美徳思想に抵触してしまうからだろう。
一昨日の「今日のダーリン」で、いまの矢野顕子を
『野望に満ちたティーンエイジャー』のようだと書いた
ぼくの表現を、編集者の人がほめてくれた。
「野望」って、いまは使える表現なんだよなぁ。
いまは、謙譲の美徳と野望は、両立するよね。
両立、で思い出したんだけど・・・
ああ、もうきりがないからやめときます。
ひょっとしたら、明日に続・・かないだろうな。


1999-12-11

この二日間ばかり、張りつめていたものが抜けたというか、
だれていたというか、虚脱感がありました。
2日連続寝坊したもんなぁ。
でも、考えてみれば、こういうことも必要なんだよなぁ。
何をしているのか、名前のつけられないような時間。
「テレビを見ている」とか「散歩してる」とか、
いちおうは名前がついているけれど、
ほんとうは、なんでもない時間というものがある。
うたた寝したりマンガや雑誌をぱらぱらやってる時間も、
ほんとうは「名付けようのない時間」なのだろう。
そういう時間を、ぼくは、いや人間は(おっと大きくでた)
生活のなかに必要としているのだろう。
それが足りないと、なんとなくイライラしたり、
暗くなったり愚痴っぽくなってくるものなのだ。
ワインだって、ウイスキーだって、
人間が特別な手を加えないで、
じっと熟成を待っている時間というものがある。
この時間を大人はわからないとだめなんだよなぁ。
高阪剛選手の言っていた
「からだに憶えさせるための休息」も、そういうことだね。
朝にならなきゃ太陽は昇ってこないし、
苗木は一日で大樹になりはしない。
「速度」について意識することは、
「時間」ぜんぶについて考えることと
セットになっていないと、いけないんだよなぁ。
今日は、土曜日。イッセイ尾形さんの公演に行って、
夜は大好きな寿司屋に行って、
それ以外は「ほぼ日」の仕事だけすることにします。


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(明日に、つづきます)

2001-04-19-THU

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