Drama

第4回 勉強すればいいだけのものって、面白い?



沼澤尚さんとdarlingの対談、
そろそろそれぞれが普段考えていることを
しゃべりあうというところに入ってきました。

おたがい、異業種のひとに通じる言葉を探して
コミュニケーションをとるのが好きなようですから、
いつも芯で考えている内容を相手にしゃべりながらも、
それが伝わるように、おたがいが、
現場ではとても落ち着いてしゃべっていたよ。

「結局、ぼくは、何をいいと思うんだろう?」
ということについて、それぞれの思っていることが、
今回、ここでしゃべられていく内容になりますの。
どうぞ、ゆったりお楽しみくださいね。


沼澤 批評家がすぐに「だめだ」と言うのは、
音楽ライターの場合には、ほめちゃったら
あの人たちの仕事にならない時も
あるから、かもしれない。
糸井 あと、そういうの書いている人は、
「書いている自分がいちばん偉い」
という前提に向かいたがるし・・・。
そもそも、音楽のかたちになって、
最終の仕上げ形ができているところに
更に何かを足すことが音楽評論ですから。
その時には、CDよりも上だと言わないと、
書いて読ませる意味がなくなるのかなあ?

早い話が、評論のように、
作り終わったものに対しての表現になると、
よっぽどクリエイティブじゃないとねえ。
しかもその場合のクリエイティブって、
たぶん「欠点を探す」ことではなくて、
「何を新しく見せられるんだろう?」だと思う。
単純に言って、悪く言うクリエイティブって
あんまりないと思っているんですよ。
批評だから、痛いところも突くよ、
というのは、とてもよくわかります。
だけど突くだけで終わりなら、意味がない。
その場合は書き手が、
「自分ならどう突かれるんだろうか・・・」
という気持ちを分かっていないと、
人を突くことはできないと思います。
批判したことに対して、
「・・・じゃあ、どうやればいいのですか?」
と、相手が素直に言ったら、
書いた人はどうやって答えるんだろう?
多くの人は、
「そんなもん、音楽家の仕事だろ」
とか言うわけでしょ?
でもそれなら、誰だって言うだけなら言えるよね。
「つまんないよ」って
言い続ければいいことになってしまう。
沼澤 理解しようとして書く人の文章を
読むのはとても好きだけど、他のもの、例えば、
「もっといい曲を書け」みたいに書いてあると、
じゃあ、書いたら?・・・書いてよ、と思う。
「売れる曲を書いたら」ってあっても、
あなたは書けるの?と、言いたくなります。

例えば、掛布に「あなたの右脇が甘い」と
バッティングフォームを直されるなら、あるいは、
音楽についてポールマッカートニーに言われるなら
わかるし、説得力がそこにはあると思います。
相撲にしても野球にしても、
例えば、相撲ファンなだけの人は、
解説をしないじゃないですか。
でも、音楽とか芸能のことは、
情報をより持っているというだけで、
何でやらなくてもよいと思われているの?
・・・そう感じます。
糸井 ぼくは、勉強して積み重ればできることって、
単純に言って、価値が低いと思うんですよね。
沼澤 それは、例えば、いくら速く弾けるか、
とかいうことに似ていますよね。
糸井 そういうのは、
基本的には反復できる奴隷の仕事なわけで、
それだったら、素人が一瞬だけ
ヘタなりに輝いたほうが、よっぽどいいです。
インターネットがおもしろいのは、それなんです。
いちばん知っている人が、
いちばん強いわけではないから。
記憶の脳みそとしては、他とつながっていて
データベースはいくらでも引き出せるんだから、
他のところが勝負なんだよ、と。
沼澤 知っていることがが武器にならない・・・
なるほどね。
糸井 おそらく沼澤さんも
アメリカで生きてきたから
こういう感じがわかると思うけど、
知っていることをひけらかして、
それでプラスアップを狙う人は
どこにでもいるけど、それだと、
わかる範囲のところまでしかいかないよね。

例えば、
固有名詞で名前を呼ばれている人たちは、
たぶんみんな、そういう、
わかる範囲だけで説明できるところには、
留まっていないと思うんですよね・・・。
ぜんぶのドラマーの真似をできるからって、
商売にはならないわけでしょう?
沼澤 はい。
糸井 何がやりたいかという時に、
最近ぼくは、魂という言葉をわざと使うんだけど、
俺にしかない魂がそこにはある、というものは、
これはたぶん秀才には無理だと思います。
沼澤 そこはちょうど、ぼくたちが、
悩む人は悩むことですよね。
技術だけならいかに価値がないかは、
いつも思っていることですから。
糸井 それを言いたいから叩いているというか。
沼澤 まさにそうで、
練習したからできるものでもないぞ、
という気持ちは自分の中にも常にあります。
だからこそ、余計に、
「誰でもできることなんだよ」
とも、言いたいわけです。
糸井 うん。
沼澤 例えば今ここにいる数人の中で、
絶対に誰でも5分でできるようになることでも、
でもそれでもぼくがやると他の人とは違うし、
あなたがやるとまた他とは違うことが、
ドラムでは表現できるものだとぼくは考えるから、
だから今のようなことをやっていると思うんです。

だけど、それに対して、
ビジネスになっていて生活がかかっていると、
ああ、残念だなってことになってしまうことを、
まわりで観ることも多いです。
糸井 楽しみではじめたはずなのに、
勉強になってしまっている人は、
きっと、山ほどいるでしょうね。
沼澤 ものすごくいる。
「ぼくより100億万倍技術があるのに」
って、残念に思います。
「いかに速く、いかに正確に」
ということだけでも、
音楽を演奏する大義名分にはなりえますが、
やっぱり、それだけだと・・・。

「今回は、そういう目的で呼ばれたんだな」
とぼくも1年に1回くらい感じますけど、
そうなると、ありがたいから
お金はいただきますけれども、でも、
精神的には、ものすごい不健康なことになります。
糸井 おそらく、その気持ちを取り返すのに
ギャラ以上のコストがかかるんですよね。

最近思うんだけど、たぶん
自分だけの楽しみになっているものは、
あまり面白くないんじゃないかなあ。
これは言うとキザに聞こえるんだけど、
でも、ほんとだよね。

どんなにドラムが目立っても
あんまり面白くないというか・・・。
バンドの面白さって、素人どうしで
遊びでバンドの真似事をした時に、
ハモってニヤっと笑うじゃないですか。
あれってもう、セックスですよね?

ほとんど、ツバがかかっているようなところで
マイクを挟んで・・・バンドを組む時って
ああいうようなことをしたかったんですよね。
これは、いくら言葉でしゃべっていても、
似たような気持ちよさを味わわないと
わからないことかもしれないけど。
その気持ちよさがわからない人には、
「バンドやって、値段はいくらになるの?」
って言われちゃうだけだし・・・。

こういうことは、ようやく、言葉に出しても、
「年寄りだからそういうこと言ってもいいか」
と言われる年になったからしゃべれるけども、
若い時には、ほんとうにそう思っていたとしても、
これは恥ずかしくて言えないですよね。

でも音楽をやってると苦労が耐えないし、
きっと、はじめの根っこは、
やってみたら楽しかっただとか、
そういうことに過ぎないと思うんですよ。
音楽って、そこのところが露骨じゃない?
楽しくない音楽って、する必要ないもん。

日本における音楽教室って、
エレクトーン教室で語られるものに
なりすぎているんだと思います。
『ゴッドファーザー』のテーマ曲を
弾けるようになるのが目的・・・?
そもそも「弾けるようになる」という
意義がわかんないですよ。
英会話と音楽とは違うのだから、
弾けたとしても、楽しくなかったら、
何の時間を過ごしたかが、わからないよね。
他に楽しいこともできる時間が、
そこでムダに使われているような気がする。


(このままのペースで、明日につづきます。
 楽しみに待っていてくれると、うれしいな)


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2000-12-07-THU
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