沼澤 |
音楽を職業にしているから、
確かにそれでお金をもらっているので、
生活と切り離せなくもなるんだけど、
それだけになっていくと終わるぞ、という例を、
ぼくはほんとにたくさん観てきました。 |
糸井 |
わかる。
それと、また逆に、
ボズ・スキャッグスのように
「俺は芸能だ、客を呼ぶぜ」みたいで、
「さ〜あ、金くれ!」と言って歌った人のうたが、
どんなに純粋な魂を語る人よりも
よかったりするところも、ありますもんね。
やっぱ、居て良かったなあと
思わせるものがあるといいよねえ。
なんやかやぶつぶつ言って
世の中を不自由にしている人がいなくなって、
みんなが音楽家になれば、少しは変わりますよね。 |
沼澤 |
自分のやりたいことができたら、楽しいですから。
まあ、逆に、こういう人たちがいて、
こういう違うことをしてくれているから、
ぼくがこういうことをやれてるんだなあ、
と思う時もありますけどね。 |
糸井 |
しかも、難しいのは、
若い子がとにかく
まずは何かやりたいと思ったら、
学ぶ方法としては、
しょうがない人たちからのほうが
学びやすいんですよね。
「もっと速く」「もっと正確に」
というほうが、やるだけでいいから
言葉が簡単になるんですよ。
でも、ぼくと沼澤さんが
今しゃべっていることは、
聞いていても、わからない人には
絶対にわからない話になっているわけで、
でも、わかる人には当たり前のことを話してて。
「ともかく、いま何をしたらいいんですか?
ぼくは、どうしたらいいんですか?」
という人は、「もっと正確に!」と言われないと
困惑してしまうかもしれないじゃないですか。 |
沼澤 |
自分が他のドラマーにしていたように
誰かの目標にされることもよくわかるし、
例えば「こういうことを知りたい」と
聞かれる時もあるんだけども、その時には、
この人はほんとうにそういうことを
聞きたいのかどうかは、伝わってきますので。 |
糸井 |
うん、そうだよね。だいたい、わかるよね? |
沼澤 |
あることがその時にその人に伝わるなあ、
っていうのが分かった時にだけは、
ほんとうに思っていることを
ぼくは話しますね。
まあ、伝わらなくても、嘘は話しませんけど、
これを言ったら、この人には
とても意味があることなんじゃないかなあ、
という時があるんですよ。 |
糸井 |
そういう質問が出た時は、沼澤さんにとって、
ラッキーとも言える機会ですよね。
他の時には、
「この人は、質問をしているふりをしているけど、
結局は演説をしたいだけなんだな」
とわかるんですよね。
そういう時には、それ用のこたえをしますよね。 |
沼澤 |
はい、思いっきりしますね。
失礼にならないようには、しますけど。
でもたぶん、そういう人は、将来に
ぼくと会ったことさえ忘れていると思う。
・・・言うのが難しいけど、
ドラムはすごい技術職ではあるんですが、
精神的な面が、それ以上に・・・姿勢とか。 |
糸井 |
できることなら、ドラムセットを
前にしないで、ドラムのことを教えたいですよね。 |
沼澤 |
もう、全然そうですよね。
相手がほんとうにぼくのしていることを
吸収したいと思っているのがわかった時には、
ぼくはぼくの情報を、すごく言いますね。 |
糸井 |
嬉しい瞬間ですもんね〜。 |
沼澤 |
その時には、話すのが楽しいんです。
こいつは、分かってくれているんだ、じゃあ、
このレコードのここがさあ・・・わかる?って。
それは、ぼくが楽しいんです。 |
糸井 |
更に、自分の言葉で
自分が勉強になったりするからね。 |
沼澤 |
ぼくは外国で教えていましたから、
特にそうだったですね。 |
糸井 |
外国でも質問の種類は、
わかっているやつと演説との
ふたつに別れるものなんですか? |
沼澤 |
もう、完璧にふたつに分かれますよね。
冷やかしに来ているだけというのは、
それは彼のプレイを観ればわかるんですよ、もう。
興味があると言いながらも、
彼のパフォーマンスのクラスで演奏を観てみると、
あ、別にどっちでもいいんだな、と分かる。
ぼくは音楽を英語だけで学んで、
演奏していて喋る言葉も英語だったから、
音楽のことについて英語でしゃべるのは
そのほうがやりやすいくらいなんですけど、
でも、教える時には、習ったままではなくて、
自分の解釈というものを入れて
教え直さないと全員に対する説得力が
まったくなくなりますよね。
今日説明することは、ぼくなりには
こうわかっていて、こう説明するよ、
というのを、自分なりに
すごい用意していかなければならなくて、
それがすごい勉強になりました。 |
糸井 |
アメリカで教えはじめたのは、何歳くらいから? |
沼澤 |
23歳くらいからアメリカに行って、
24歳の時の夏期講習から教えはじめました。 |
糸井 |
すごいスピードですね。 |
沼澤 |
思えばそうかもしれないですね。
何も知らない状態で
アメリカに行ったにしては。 |
糸井 |
それは、天賦のドラムの才能があったの? |
沼澤 |
ラッキーだったのは、
23歳という年齢で行ったことかなあと思います。 |
|
理解力があって、行ったってこと? |
沼澤 |
はい。
だから、そこまでして海を渡って、
自分が貯めたお金と親が援助してくれたお金を、
ムダにしてはいかんと思って。 |
糸井 |
決意が強いんだよね、年上の留学だから。
(明日につづきます。
次回は、沼澤さんが、アメリカで
ドラムを教えていた経験についてだよ。
とてもおもしろいので、楽しみにしててね) |