── |
うかがったのが閉館時間ぎりぎりだったもので
いま駆け足で展示をみてきたんですが、
さっと拝見しただけでも、おもしろかったです。 |
沓沢 |
そうですか、ありがとうございます。 |
── |
なんでも、ことしは浅草寺の本堂が
再建されて50周年にあたるのだそうで。 |
沓沢 |
そうですね。 |
── |
で、浅草の観光連盟さんも創立60周年。
さらに「江戸東京博物館開館」も開館15周年。 |
沓沢 |
はい。 |
── |
おめでたい「記念」が重なって、
浅草はいますごく盛り上がっているとか。 |
沓沢 |
そうですね、観光連盟さんが主催する
『浅草大観光祭』の様子などを
テレビなどの報道でご覧になったかたも
多いのではないでしょうか。 |
── |
この『浅草今昔展』も、
やはりその『浅草大観光祭』の一環として
企画されたのですか? |
沓沢 |
ええ、今回の『浅草今昔展』に関しては、
共催として浅草観光連盟さんという
浅草の地元の方々から
「この記念の年に浅草の展覧会をやりたい」
というお話があって進められた企画になります。 |
── |
沓沢さんは、こうした展覧会を
よくご担当されているのでしょうか。 |
沓沢 |
いや、主で担当するのは初めてです。 |
── |
あ、そうですか! それもまたおめでたい。 |
沓沢 |
(笑)ありがとうございます。 |
── |
失礼ですが、おいくつで? |
沓沢 |
29です。
当館の学芸員では圧倒的に若手で。 |
── |
ご出身は? |
沓沢 |
私、秋田です。 |
── |
あ、東北で。 |
沓沢 |
浅草とはぜんぜん関係がありません(笑)。
申し訳ないです。 |
── |
いえいえいえいえ。 |
沓沢 |
もともと私自身が浅草に詳しいかというと、
少なくとも他人様に胸を張って言えるほどでは
なかったんですけれども、
この館に入ってから常設展示のほうで
浅草に関するコレクションに関わりまして、
ええ、2年ほど。
その流れで今回、最終的に主担当を
やらせていただくことになった次第です。 |
── |
なるほど、ありがとうございます。
では、ここからはあらためて、
展示の解説をうかがっていきたいのですが‥‥。
基本的には時系列で展示が構成されてますよね。 |
沓沢 |
そうですね、テーマごとに時系列で。
まずは浅草のなりたち、歴史的なことですとか
地理的なことが中心の展示になります。 |
── |
この地図は、長禄三年というと‥‥。
▲長禄三年己卯二月 江戸図 源信照/作 館蔵
※各画像は、クリックすると大きくなります。 |
沓沢 |
1459年、室町時代ですね、
太田道灌が江戸城を築いたころです。 |
── |
海と川ですね、ほとんど。 |
沓沢 |
このあたりは低地ですので、
浅草は水に囲まれた島として描かれています。 |
── |
ほんとですね、浅草って島だったんだ。
不忍池も、池ではなくて大きな川ですよ。 |
沓沢 |
これが正確に当時の地形を
描いているとは言いきれないのですが、
今よりもはるかに水にかこまれていたのは
間違いないかと思います。
その後、干拓や隅田川の埋め立てなどで
現在の地形に近づいていくわけです。 |
── |
こっちの地図が、江戸時代の浅草。
▲東都浅草絵図(尾張屋版江戸切絵図)
尾張屋清七/板 館蔵 |
沓沢 |
江戸後期の浅草です。
東側‥‥ええと、この地図ですと下のほうに
かんざしのような形の地域があるでしょう。 |
── |
はい‥‥「浅草御蔵」と書いてあります。 |
沓沢 |
お米蔵なんです。
やっぱり江戸時代は米が中心じゃないですか。
全国の幕府の直轄地からすべての米が
ここに集められてくるんですね。
50万石くらい収納できたという話です。 |
── |
50万石! |
沓沢 |
ここから江戸市中に、お米が供給されていくと。
ですからかなりの重要施設だったんです。
こちらは1760年のものですが、
細かく蔵の様子が描かれています。
▲浅草御蔵絵図 笹生/作 館蔵 |
── |
はあ〜。 |
沓沢 |
で、そのお米をもらうのは実際、
幕府直轄の旗本とか御家人たちなんですけど、
もらうための手続きがめんどうなので、
代行してくれる商人にお願いしてたんですね。 |
── |
ほお。 |
沓沢 |
その商人たちがだんだん、
代行してもらうはずのお米っていうのを
担保にしてお金を貸すようになるんですよ。
その人たちはすごいお金持ちになるんですね。
それが「札差(ふださし)」と呼ばれる
商人なんです。 |
── |
あ、ふださし!
テレビの時代劇でよく耳にします。 |
沓沢 |
だいたい悪徳商人な感じで出てきますよね。 |
── |
正義の人に殺されちゃう役で(笑)。 |
沓沢 |
ただ、まあ、そういう人たちの中から
通人(つうじん)などとも呼ばれる、
通な人もあらわれて、
毎日のように吉原あたりで豪遊しながらも、
三社祭の復興などには
ぽんとお金を出したりしていたんですよ。 |
── |
武士から吸い上げたお金を町人たちのために。 |
沓沢 |
そうです。 |
── |
それが、札差でしたか‥‥。
いや、もう、のっけからおもしろいです。 |
沓沢 |
ありがとうございます。
展示のほうは浅草寺の歴史になってきまして。 |
── |
この絵はみたことがあります。
▲宮戸川三社の由来
歌川国貞(三代豊国)/画 館蔵 |
沓沢 |
浅草寺のご本尊は、漁をしているときに
網にかかって見つかったとされていまして、
その様子を再現した図ですね。 |
── |
大きな板が展示されてましたが、あれは‥‥。
▲絵馬「陣幕土俵入り」
歌川国輝(二代)/画 浅草寺所蔵 |
沓沢 |
絵馬ですね。
浅草寺さんに保存されていて
普段はみることができないもので、
今回の目玉ともいえる展示物です。 |
── |
絵馬?! だってこれ、馬も描いてないですし、
すごく大きいですよ? 1メートル超えてます。 |
沓沢 |
現在の絵馬の感覚とはずいぶん違いますよね。
運ぶのに、えらい苦労しました(笑)。 |
── |
そうでしょうねえ(笑)。
慶応3年、幕末のものですね。 |
沓沢 |
陣幕という名前の、いまの数え方だと
第12代の横綱になる人なんですけれど、
この人が横綱を認められたときに
奉納した絵馬です。
当時、力士の最高位は大関で、
あくまで横綱は名誉の称号だったんです。
しかし彼は横綱が地位として
認められることを望んでいたようで、
この絵馬には「我こそがほんものの横綱である」
という誇示があったのかもしれません。 |
── |
なるほど、誇示しながら奉納するから
こんなに大きかったのかもしれない、と。
いやあ、おもしろいです。
ああ、広重もありますねえ。
▲名所江戸百景 浅草金龍山
歌川広重/画 館蔵 |
沓沢 |
展示のほうは、このあたりから
「江戸浅草のにぎわい」になってきます。 |
── |
はい、ここからがとくにたのしみです! |
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(つづきます) |