浅草今昔展 編

その1 浅草寺本堂の再建50周年を記念して
ほぼにちわ、ごぶさたしておりました。
「江戸が知りたい。東京ってなんだ?!」
ひさしぶりの更新です。
(過去のレポートはこちらからどうぞ)

さて、江戸が主題のコンテンツ、
長い前置きは野暮というもの、
さっそく本題にまいりましょう。
デザインもリニューアルしてお届けするのは、
「浅草」がテーマのレポートです。

江戸東京博物館で11月16日(日)まで開催中の
『浅草今昔展』にお邪魔して、担当学芸員である、
沓沢博行(くつさわひろゆき)さんに
たっぷりとお話をうかがってきました。
さらに、今回はお話を聞くだけにとどまらず、
実際に浅草の町へと繰り出して
「今」の浅草ではたらく人々への
インタビューも敢行してまいりました。
まずは、沓沢さん、
今回の展示の解説をよろしくお願いいたします!


▲こちらが学芸員の沓沢博行さんです。

── うかがったのが閉館時間ぎりぎりだったもので
いま駆け足で展示をみてきたんですが、
さっと拝見しただけでも、おもしろかったです。
沓沢 そうですか、ありがとうございます。
── なんでも、ことしは浅草寺の本堂が
再建されて50周年にあたるのだそうで。
沓沢 そうですね。
── で、浅草の観光連盟さんも創立60周年。
さらに「江戸東京博物館開館」も開館15周年。
沓沢 はい。
── おめでたい「記念」が重なって、
浅草はいますごく盛り上がっているとか。
沓沢 そうですね、観光連盟さんが主催する
『浅草大観光祭』の様子などを
テレビなどの報道でご覧になったかたも
多いのではないでしょうか。
── この『浅草今昔展』も、
やはりその『浅草大観光祭』の一環として
企画されたのですか?
沓沢 ええ、今回の『浅草今昔展』に関しては、
共催として浅草観光連盟さんという
浅草の地元の方々から
「この記念の年に浅草の展覧会をやりたい」
というお話があって進められた企画になります。
── 沓沢さんは、こうした展覧会を
よくご担当されているのでしょうか。
沓沢 いや、主で担当するのは初めてです。
── あ、そうですか! それもまたおめでたい。
沓沢 (笑)ありがとうございます。
── 失礼ですが、おいくつで?
沓沢 29です。
当館の学芸員では圧倒的に若手で。
── ご出身は?
沓沢 私、秋田です。
── あ、東北で。
沓沢 浅草とはぜんぜん関係がありません(笑)。
申し訳ないです。
── いえいえいえいえ。
沓沢 もともと私自身が浅草に詳しいかというと、
少なくとも他人様に胸を張って言えるほどでは
なかったんですけれども、
この館に入ってから常設展示のほうで
浅草に関するコレクションに関わりまして、
ええ、2年ほど。
その流れで今回、最終的に主担当を
やらせていただくことになった次第です。
── なるほど、ありがとうございます。
では、ここからはあらためて、
展示の解説をうかがっていきたいのですが‥‥。
基本的には時系列で展示が構成されてますよね。
沓沢 そうですね、テーマごとに時系列で。
まずは浅草のなりたち、歴史的なことですとか
地理的なことが中心の展示になります。
── この地図は、長禄三年というと‥‥。


▲長禄三年己卯二月 江戸図 源信照/作 館蔵
※各画像は、クリックすると大きくなります。
沓沢 1459年、室町時代ですね、
太田道灌が江戸城を築いたころです。
── 海と川ですね、ほとんど。
沓沢 このあたりは低地ですので、
浅草は水に囲まれた島として描かれています。
── ほんとですね、浅草って島だったんだ。
不忍池も、池ではなくて大きな川ですよ。
沓沢 これが正確に当時の地形を
描いているとは言いきれないのですが、
今よりもはるかに水にかこまれていたのは
間違いないかと思います。
その後、干拓や隅田川の埋め立てなどで
現在の地形に近づいていくわけです。
── こっちの地図が、江戸時代の浅草。


▲東都浅草絵図(尾張屋版江戸切絵図)
 尾張屋清七/板 館蔵
沓沢 江戸後期の浅草です。
東側‥‥ええと、この地図ですと下のほうに
かんざしのような形の地域があるでしょう。
── はい‥‥「浅草御蔵」と書いてあります。
沓沢 お米蔵なんです。
やっぱり江戸時代は米が中心じゃないですか。
全国の幕府の直轄地からすべての米が
ここに集められてくるんですね。
50万石くらい収納できたという話です。
── 50万石!
沓沢 ここから江戸市中に、お米が供給されていくと。
ですからかなりの重要施設だったんです。
こちらは1760年のものですが、
細かく蔵の様子が描かれています。


▲浅草御蔵絵図 笹生/作 館蔵
── はあ〜。
沓沢 で、そのお米をもらうのは実際、
幕府直轄の旗本とか御家人たちなんですけど、
もらうための手続きがめんどうなので、
代行してくれる商人にお願いしてたんですね。
── ほお。
沓沢 その商人たちがだんだん、
代行してもらうはずのお米っていうのを
担保にしてお金を貸すようになるんですよ。
その人たちはすごいお金持ちになるんですね。
それが「札差(ふださし)」と呼ばれる
商人なんです。
── あ、ふださし!
テレビの時代劇でよく耳にします。
沓沢 だいたい悪徳商人な感じで出てきますよね。
── 正義の人に殺されちゃう役で(笑)。
沓沢 ただ、まあ、そういう人たちの中から
通人(つうじん)などとも呼ばれる、
通な人もあらわれて、
毎日のように吉原あたりで豪遊しながらも、
三社祭の復興などには
ぽんとお金を出したりしていたんですよ。
── 武士から吸い上げたお金を町人たちのために。
沓沢 そうです。
── それが、札差でしたか‥‥。
いや、もう、のっけからおもしろいです。
沓沢 ありがとうございます。
展示のほうは浅草寺の歴史になってきまして。
── この絵はみたことがあります。


▲宮戸川三社の由来
 歌川国貞(三代豊国)/画 館蔵
沓沢 浅草寺のご本尊は、漁をしているときに
網にかかって見つかったとされていまして、
その様子を再現した図ですね。
── 大きな板が展示されてましたが、あれは‥‥。


▲絵馬「陣幕土俵入り」
 歌川国輝(二代)/画 浅草寺所蔵
沓沢 絵馬ですね。
浅草寺さんに保存されていて
普段はみることができないもので、
今回の目玉ともいえる展示物です。
── 絵馬?! だってこれ、馬も描いてないですし、
すごく大きいですよ? 1メートル超えてます。
沓沢 現在の絵馬の感覚とはずいぶん違いますよね。
運ぶのに、えらい苦労しました(笑)。
── そうでしょうねえ(笑)。
慶応3年、幕末のものですね。
沓沢 陣幕という名前の、いまの数え方だと
第12代の横綱になる人なんですけれど、
この人が横綱を認められたときに
奉納した絵馬です。
当時、力士の最高位は大関で、
あくまで横綱は名誉の称号だったんです。
しかし彼は横綱が地位として
認められることを望んでいたようで、
この絵馬には「我こそがほんものの横綱である」
という誇示があったのかもしれません。
── なるほど、誇示しながら奉納するから
こんなに大きかったのかもしれない、と。
いやあ、おもしろいです。
ああ、広重もありますねえ。


▲名所江戸百景 浅草金龍山
 歌川広重/画 館蔵
沓沢 展示のほうは、このあたりから
「江戸浅草のにぎわい」になってきます。
── はい、ここからがとくにたのしみです!
(つづきます)
2008-10-27-MON

   

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