CHILD
これでも教育の話?
どんな子供に育ってほしいかを、
ざっくばらんに。

第4回 生きてるうちに、天にのぼる気持ちを。

糸井 ぼくは、この仕事を引き受けるのに、
実はちょっと逡巡したんです。
「週刊文春紙面で月に1度、
 ベネッセの記事広告として教育問題を語る」
というのが、ぼくに向いているのかどうか・・・。

と言いますのも、
いわゆるテレビとか雑誌に出てくる
「教育問題を語る人」というのが、
どうも、自分からは遠く見えるんですよ。
福武 ぼくもそうです。
糸井 そうですか。
だけど、ベネッセが
教育産業としてやっていることに
つきあっていますと、
「教育」という言葉では
表現しにくいようなところに
教育のおもしろさがあるなと思ったんです。

だったらそれを
そのままストレートに出しちゃって、
何人かの人と驚き合うようなことができたら
おもしろいなと思って、あくまでも
「ベネッセ」という言葉の意味に近いような形で
教育の話ができたらいいなあと考えました。
もう「教育」という言葉は使わなくてもいいから、
やれたらいいなと思って、
1日考えて、お引き受けしたんです。
福武 ありがとうございます、本当に。
糸井 これはどう実現するかわからないんですけど、
ぼくは、塾がやりたいと思っているんです。
それは、さきほど福武さんがおっしゃったように、
「本屋より人間の方が大事でしょう」という、
その言い方にとっても近い考えからなんですけど、
つまり、人がいれば何でもできると思ってたんです。
「人」って、ポテンシャルなんですね。

さっき、ちょうどその言葉が出たので
おもしろいなと思ったんですけど、
ポテンシャルがどう作れるかというのが、
自分にとっての課題だったんです。

これからどういう設計図を描くかよりも、
何だかしらないけれども、何かをできそうな場とか
集いだとか、そういうものがあったらいいなあ、
と、ぼくは考えていました。

その中に材料を放りこみさえすれば、
いくらでもおもしろいものができるなあ、と。
ぼくは「よく生きる」というよりは
「おもしろく生きる」みたいな発想で
今まで来たつもりだったんですけど、
「おもしろく生きる」にしても、きっと、
生きる技術みたいなものが
あったほうがおもしろく生きられるだろうし、
よく生きることもできるわけで・・・。

そんなようなことを軸にして、
「教育」に関した話を、
あまりイヤがられないようなかたちで
できるかもしれないなあ、と思ったんです。
福武 教育論を大上段にふりかぶるようなものは、
私もイヤなんです。
もっともっと普通に、肩の力を抜いて。
「ベネッセ」という名前にしたのも、そこに
「ああしちゃだめだ」「こうしちゃだめだ」
というチェックがないわけです。
たった7文字があるだけでしょう。
「あなた、考えてよ」と・・・。

そういうことをしたいと思ってました。
だから糸井さんにも
「みんないい子だよ」というコピーを書いていただいた。
仲畑貴志さんには、「きょうも驚くほど生きる」と、
そういうコピーを作っていただいたわけです。

自分としては、そういうものがベースにあるから
直島で好きなことを・・・つまり、空を飛んだり、
そんなことが、許されるんでしょうね。
普通ならきっと
「危険だからやめてくれ」と言うところですが、
社員は、みんな、あきらめてますよ。
ふわふわふわふわ、軽飛行機で。
糸井 自分でもちろん操縦なさるんですね?
福武 うん。ちゃんと資格取って。死にたくないから。
糸井 へえー。楽しいそうだなあ!
福武 楽しい。
生きているうちに、
「天にも上る気持ち」を味わいたいと思って。(笑)
糸井 旅客機に乗って窓の外を見ているのとは
意味が変わりますね。
福武 全然違う。全く違いますよね。
糸井 一度だけ操縦桿を
握らせてもらったことがあるんですけど、
責任を感じて怖かったですよー(笑)。
福武 ふたり乗りの軽飛行機ですけど、
自分一人で乗る場合は、海の上を飛びますからね。
糸井 すごいわ。
(つづきます)

2001-11-28-WED

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