糸井 |
ぼくは、この仕事を引き受けるのに、
実はちょっと逡巡したんです。
「週刊文春紙面で月に1度、
ベネッセの記事広告として教育問題を語る」
というのが、ぼくに向いているのかどうか・・・。
と言いますのも、
いわゆるテレビとか雑誌に出てくる
「教育問題を語る人」というのが、
どうも、自分からは遠く見えるんですよ。 |
福武 |
ぼくもそうです。 |
糸井 |
そうですか。
だけど、ベネッセが
教育産業としてやっていることに
つきあっていますと、
「教育」という言葉では
表現しにくいようなところに
教育のおもしろさがあるなと思ったんです。
だったらそれを
そのままストレートに出しちゃって、
何人かの人と驚き合うようなことができたら
おもしろいなと思って、あくまでも
「ベネッセ」という言葉の意味に近いような形で
教育の話ができたらいいなあと考えました。
もう「教育」という言葉は使わなくてもいいから、
やれたらいいなと思って、
1日考えて、お引き受けしたんです。 |
福武 |
ありがとうございます、本当に。 |
糸井 |
これはどう実現するかわからないんですけど、
ぼくは、塾がやりたいと思っているんです。
それは、さきほど福武さんがおっしゃったように、
「本屋より人間の方が大事でしょう」という、
その言い方にとっても近い考えからなんですけど、
つまり、人がいれば何でもできると思ってたんです。
「人」って、ポテンシャルなんですね。
さっき、ちょうどその言葉が出たので
おもしろいなと思ったんですけど、
ポテンシャルがどう作れるかというのが、
自分にとっての課題だったんです。
これからどういう設計図を描くかよりも、
何だかしらないけれども、何かをできそうな場とか
集いだとか、そういうものがあったらいいなあ、
と、ぼくは考えていました。
その中に材料を放りこみさえすれば、
いくらでもおもしろいものができるなあ、と。
ぼくは「よく生きる」というよりは
「おもしろく生きる」みたいな発想で
今まで来たつもりだったんですけど、
「おもしろく生きる」にしても、きっと、
生きる技術みたいなものが
あったほうがおもしろく生きられるだろうし、
よく生きることもできるわけで・・・。
そんなようなことを軸にして、
「教育」に関した話を、
あまりイヤがられないようなかたちで
できるかもしれないなあ、と思ったんです。 |
福武 |
教育論を大上段にふりかぶるようなものは、
私もイヤなんです。
もっともっと普通に、肩の力を抜いて。
「ベネッセ」という名前にしたのも、そこに
「ああしちゃだめだ」「こうしちゃだめだ」
というチェックがないわけです。
たった7文字があるだけでしょう。
「あなた、考えてよ」と・・・。
そういうことをしたいと思ってました。
だから糸井さんにも
「みんないい子だよ」というコピーを書いていただいた。
仲畑貴志さんには、「きょうも驚くほど生きる」と、
そういうコピーを作っていただいたわけです。
自分としては、そういうものがベースにあるから
直島で好きなことを・・・つまり、空を飛んだり、
そんなことが、許されるんでしょうね。
普通ならきっと
「危険だからやめてくれ」と言うところですが、
社員は、みんな、あきらめてますよ。
ふわふわふわふわ、軽飛行機で。 |
糸井 |
自分でもちろん操縦なさるんですね? |
福武 |
うん。ちゃんと資格取って。死にたくないから。 |
糸井 |
へえー。楽しいそうだなあ! |
福武 |
楽しい。
生きているうちに、
「天にも上る気持ち」を味わいたいと思って。(笑) |
糸井 |
旅客機に乗って窓の外を見ているのとは
意味が変わりますね。 |
福武 |
全然違う。全く違いますよね。 |
糸井 |
一度だけ操縦桿を
握らせてもらったことがあるんですけど、
責任を感じて怖かったですよー(笑)。 |
福武 |
ふたり乗りの軽飛行機ですけど、
自分一人で乗る場合は、海の上を飛びますからね。 |
糸井 |
すごいわ。 |
(つづきます)