糸井 |
福武さん、
あれはおやりになったことありますか、
スカイダイビングは。 |
福武 |
あんまり好きじゃない。
「上から下」って好きじゃないんですよ。
「下から上」じゃないと(笑)。 |
糸井 |
ぼくは2度やったんですけど、おもしろいです。
上下にスピード出したことって、
ふつうの生活では、ないんです。
ですから、パラシュートが開いてからは
もう天国なんですけれども、
その前の「地獄」がおもしろいんです。
「何だ、これは」というおもしろさがあります。
「『何だ、これは』が芸術なんだ」という
岡本太郎の、すごい言葉がありますけど。
スカイダイビングを最初にやる時には、
もちろんタンデムですから、
先生がやってくれたわけですが、
それだけじゃつまらないし、
自分で引いてみたかったから、
もう一回やったんですけど・・・。
あれはどういえばいいんでしょう?
完全に脳の遊びですよね。
肉体は拒否しているわけですから。
たぶん、飛行機も、肉体が拒否しているのを、
脳が無理矢理連れていくものなんだと思うんです。
その意味では、
えげつない変態の遊びだと思うんだけど(笑)。 |
福武 |
そうですね、マニアックな遊びですよね、あれも。 |
糸井 |
(笑)ですよね?
飛行機に乗ることは、自然に
野原を駆けめぐるのとはぜんぜん違いますもの。
そこでまた「両極端」が出てくるんだけど、
福武さんがおっしゃっていることの中には、
両極端なものまで解放してあげるというか、
「あぶないことまで含めて遊びだ」みたいな、
そんな発想があるんじゃないかと思うんです。 |
福武 |
ええ。
ぼくから空と船を取りあげると、
たぶん、ストレスがいっぱいたまる。
・・・ゴルフも悪いことはないんだけど、
やっていたんだけど、やっぱり、
地べたをはいつくばるような
穴入れゲームは、どうも合わないです。 |
糸井 |
じゃあ、根っこがそういう
あぶなっかしい人なんですね。 |
福武 |
かもしれませんね。 |
糸井 |
最初、頭で考えて島を買って、
島にいたら、どんどんまた体がなじんできて、
脳のほうもそれに合わせて・・・。
そんな風だったんじゃないかと、
福武さんの島の話を聞いていると、思いました。 |
福武 |
そうそう。
人間ってそんなものがあるんじゃないですか。
いっぱい可能性があるんだから。
無限の可能性。
その無限の可能性をどう引き出すかみたいなものは、
いろんな経験をしたり、いろんな関わりがあったり、
相互作用とよくいいますけれども。
子供たちの場合だったら母子相互作用とか。
いろいろな人との体験とか体感とか、
まさに空からおりるなんて体感ですよね。
だからそういうものがベースにないと、
教育なんて成立しづらいと思っているんです。
教科を教えるばかりではダメ、というのは
そういうものだと思ってますから。 |
糸井 |
ぼくは子どもを
ひとりしか育てた覚えはないんですけど、
その時にいちばん悩んだのが、
「どう失敗させるか」だったんです。
自然に放っておけば失敗するはずなのに、
やっぱり先に知っている人間というのは、
「失敗しない方法」ばかりを教えたがっちゃうんです。
それはイヤだから、と思ったまではいいんですが、
ぼくの場合は、失敗するところで失敗させて、
しかし命に別状ないようにという、
加減みたいなものを考えていっちゃうわけですよ。
そうすると、そのことの不自然さを
自分で感じちゃって。
「さあ失敗しろ」と心で思っていながら
子どもを遊ばせているということの不自然さを
自分で自分に感じられて、
「俺は、ひょっとしたら超教育パパなのか?」
と悩んだりしました。
「失敗しないようにとやっていればやるほど
ちゃんと失敗するはずなのに、
『失敗しろ』と言いながら見ている自分というのは、
脳だけで動いている人間だなあ」と思って。
ま、そうこうしているうちに
子どもが大きくなっちゃって、
そんなことを追い抜いて勝手に生きていますから
悩み抜かないで済んだんですけれども、
小さい時には、このまま行くと俺は
最悪の教育オヤジになるなと思って、
ちょっと考えちゃったことが、ありますね。 |
福武 |
だけど、それはやっぱり
子どもさんに対する愛情からなんでしょうね。
ぼくが小さい時のことを言うと、
昭和29年にうちのおやじの会社が倒産しました。
その時9歳ですから、小学校3年、4年ですね。 |
糸井 |
すごい体験ですね。 |
福武 |
ええ。身ぐるみ全部とられた。
オヤジもおふくろも商売をする前は教師でした。
おふくろがピアノで生計を立ててましたから、
ピアノだけは取られないように、とか、
そんなことがあったりしまして・・・。
会社が倒産して、
いろいろなものが差し押さえになる前に
ピアノを隠して、時にはピアノをひっぱりだしながら
ピアノを弾いたりしていました。
オヤジもおふくろも
生きるのに必死だったでしょうけれども、
本を読ませてくれた、ということを
いま、思い出しましたねぇ。
ま、それがもとになって、いまのベネッセの
「ベネデュケーション」につながるのですが。
(※ベネデュケーション:よく生きるための学び。
ベネッセ内のプロジェクトです)
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(つづきます)