糸井 |
今だと特に、
おとなの考えかたひとつで
貧乏なのかそうじゃないかっていうのは、
変わると思うんです。
月収500万円ぐらいの人が、
やたらと「食うに困る」という言葉を使うのが
ぼくには、かなり不愉快なんですよ。
「おまんまが」とか「食うに困る」とか・・・。
食えてるじゃねえかよ、と思うわけです。
生きるとか食うとかいう言葉を、
ずいぶん雑に使っているなあ、と。
たとえば、食うに困るという話で言うと
それこそ「羅生門」の舞台になっているような、
おにぎりの重さで人は死ぬみたいな状況って、
きっと、あったはずですから。
そういう意味では
簡単に「食う」とかいう言葉を使って
いろいろな大切なものを
「しょうがないなあ、食うためには・・・」
と捨てようとする下品さには、腹が立ちますね。
ちょうど、時期が時期ですから
ついついアメリカの話題に結びつけちゃいますが、
いまだと「さぁ大変だ」とか思っている
負のポテンシャルが、集まってきていますよね? |
福武 |
ええ。 |
糸井 |
戦争だというと、
すぐに撃ちあいだとか飯が食えなくなるとか、
全員が不自由なことになるみたいな発想で
捉えちゃう人がいるけれども、
実際に「食うに困る」状態に至るまでには、
ずいぶんグラデーションがあるはずだと、
ぼくは思うんです。
「困る困る」と言っているだけで
「どれくらい困る」だとか、
その逆に「どれぐらいうれしいんだ」みたいな
メモリを作れないことに関しては、
「豊かさって何?」みたいなことについて、
今まで学んでこなかったツケが
出ているんじゃないだろうかと考えています。
「いちばんうれしかった」から
「いちばん悲しかった」までの
触れ幅みたいなものがないままで、
「悲しい」なら「悲しい」で
一色になっちゃう傾向を感じますね。 |
福武 |
うん。
体感とか体験というのが
ないままだからかもしれない。
実感がない。
よく社内でも討議をしているんですけど、
終身雇用と年功序列で固められた
大企業に入るための
「しあわせの特急券」みたいなものを
手に入れようとして、
いままでの教育体制があったわけでしょう?
それがバラバラバラッと崩れているという中で、
「どうしよう、どうしよう」
と言っているのが、今の状態なのでしょう。
きっと、基準を、自分ではなくて
別のところに置いてしまっているんでしょうね。 |
糸井 |
いわゆる「依存」というやつですよね。
ぼくはアメリカのディズニーの研修に行った時に、
「自己依存」という言葉が英語で話されたのを聞いて
依存について改めて考えたんですけど、
「自己依存」という言葉って、おもしろいですよね。
依存がなくて生きていけるはずがないので、
「我を頼む」というか。 |
福武 |
わかります。
主体的に生きるということに
似たことなんでしょうね。
自分で考えて、自分で判断して、
自分で行動をするみたいなものが、
いままでの「教育」には、なかったかもしれない。 |
糸井 |
先生が必ず答えを知っているという前提での
教育が、ぼくは怪しいなと思ってて。 |
福武 |
それはそうでしょうね。 |
糸井 |
大学は違うといっても、大学でも
先生がいちばんいい解を知っているという状態で、
そこに近づいた者が偉いんですね。
そうすると、先生の出す質問というのを超えられずに
22歳まで過ごしてしまう・・・。
誰も超えたことがないという状態で
22歳まで育ってしまったら、そのあと
「超えてしまうこと」への恐怖を感じるんじゃないか。
「超える」ことをこわがらない生き方って、
アートとスポーツぐらいなんじゃないかなあ、と
前々から、思っていたことがあるんです。
スポーツマンは、先生よりも速いんですね。
どんなに怒られても、走ってみれば
おまえよりも速いよ、というところがありますよね。
アートでも、「先生よりも俺のほうがいいぜ」と
自信を持って言えるように仕向けるのが、
教育だったりするわけですよね。
たぶん、ヒントはそこにあるような気がします。 |
福武 |
アートとスポーツね。
それは、おもしろいなぁ。 |
糸井 |
「先生に言われないことを
やってしまったら、失敗した」
「言われないことを
やってしまったら、案外うまくいった」
と運動選手とゆっくりしゃべると、
ものすごくおもしろいんです。
しかも、コーチのほうも偉くて、
「選手の補佐」の役割をすると決めていますよね。
知識や知恵はたくさんあるのに、
「俺が主役じゃない」と思っている先生と出会える。
そのすばらしさというのは、ぼくも40歳を過ぎてから、
スポーツのコーチ連中とたくさん会うようになって、
「これが教育だよなあ」と感じるようになったんです。 |
福武 |
すごくわかる。
「ティーチャーからコーチャーへ」
という言葉があるでしょう。
コーチというのは、
子どもであれば子どもの主体性を
ベースにしながら、ずっと見守る存在ですよね。
だけど決して放任ではない。
好きなことを何でもやっていいわけじゃない。
きちんと方向に沿うように
ずっと見守る存在なんでしょうね。 |
糸井 |
今までの勉強といわれた勉強と
コーチと選手の関係とは、余りにも逆じゃないですか。
「カッコの中に答えを入れろ」
というスタイルが、いわゆる勉強の典型ですよね。
それじゃ、ベルトコンベアの仕事にそっくりで。
それだけで訓練されちゃうと、永遠に楽しくない。
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(つづきます)