糸井 |
「自然塾」で、
子どもには、何を教えたいのですか? |
小野田 |
そうですねぇ。
・・・まずは夢を見てほしいですね。
そして、夢をみたら希望、
希望を持ったら目的、と、
どんどん絞る力をつけてくれると、
いいなあと思っています。 |
糸井 |
夢から希望、希望から目的かぁ。 |
小野田 |
だいたい、夢というのは、
自分の頭のなかにあるから
見るんですよね。 |
糸井 |
ないものは、見ないですよね。 |
小野田 |
そして、夢は、
自分で意識したからといって
見られるものではないんです。
自分にとってはじめてのことでも
夢で見ることがあるけど、
あれは潜在的に
自分のなかにあるものなんですよ。 |
糸井 |
「こう見よう」と思っても
そういうわけにはいかない。
コントロールできないものですよね。 |
小野田 |
子どもどうしで触れ合ったり、
木や、川、雨などの
自然現象に触れて、生活していく。
そのうちに、自分が感動するものや、
興味を持つものが出てくるんです。
それがその子どもの
おおまかな本質の部分じゃないか
と思います。
何も感じないことには
興味を持たないと思う。
そういう漠然としたものでもいいから
自分の将来に、ひとつ
「夢」を見てほしいんですよ。 |
糸井 |
自分の核に触れるものを
見るということ、なんですね。 |
小野田 |
夢から具体的に「まと」を絞っていくと、
今度ははっきり「希望」になってきます。
現実性が出てくるんですよ。 |
糸井 |
自分の興味を目覚めさせて、
それから「まと」を絞るんだ。 |
小野田 |
もっともっと「まと」を絞りこんで
それが「目的」になると、
「必ず到達したい」、
または「しなければいけないもの」ぐらいに
自分が覚悟するようになる。
そういうことをしていれば、子どもたちは
「自主性がない」とか、
「創意工夫がない」とか、
「忍耐がない」とか、
そんな、枝葉末節のことを
いわれなくてすむと思うんですがねぇ。 |
糸井 |
おとなたちは、枝葉のところばかり
つっついてるわけで。 |
小野田 |
17年前、名古屋でキャンプをしたときのことです。
中学生の子どもたちに
「君たち、何になりたいんだ?」って、
訊ねてみたんです。
みんながヤーヤーヤーヤーいっているときに、
雑談みたいにして、聞いたんですけどね。
そのとき、
「ぼくはジャンボのパイロットだ」
といった子どもがいたんです。
その子が昨年、
ほんとに日航のパイロットになったんですよ。
そういうのを聞くと、
ああ、よかったなぁと思いますね。 |
糸井 |
うれしいですよねぇ。 |
小野田 |
ええ。
そう簡単になれるものではないですから。 |
糸井 |
小野田さん自身が
子どもたちと関わる、
そういう現場にいることを
とっても楽しんでいるようすですね。 |
小野田 |
そうなんです。
自分が極端に子どもっぽいからね。
悪くいうと、ただの「向こう見ず」
なんです。 |
糸井 |
ああ、ほんとはね。 |
小野田 |
何をしでかすかわからないのが
子どもというものなんです。
子どもはね、善悪なんて物差し、
持ってないですもん。
だから、お母さんが一生懸命育てた花を
ポキッと折っちゃったりするんだなぁ。
「いけないでしょ!」って叱られたら、
「だって欲しかったんだもん」
と、いい返す。
それで終わりでしょう。
洗濯物に泥をかけたりしても、
「だっておもしろかったんだもん」で
終わりですもん。
それが子どもなんですよね(笑)。 |
糸井 |
そして、ご自分は子どもであると・・・。
いまでもそうだと、おっしゃる(笑)。 |
小野田 |
そうです。 |
糸井 |
教育というものは、
何かを少しずつ矯正することだと、
一般的には思われがちでしょう?
左ききは右ききに直されちゃうし、
歩きかたが悪ければ直されちゃう・・・。
つまり、さっき小野田さんがおっしゃった
「ほとんど枝葉末節のこと」
ばかりを教えるわけですよね。 |
小野田 |
そうですよ。ぼくなんか、
左ききなものですから、
右ききに直すように
ずいぶんしかられたもんです。 |
糸井 |
それ、嫌だったですか? |
小野田 |
ええ、嫌でしたねぇ。
親はこう考えるんですよ。
「社会から外れては、生きていけない。
だから、社会で生活できる最低のルールは、
身につけておく必要がある」
とね。
だけど、ぼくにしてみたら
右でも左でもどちらでもいいものを、
「みんなが右だから右にしよう」
といわれても・・・。
それはちょっと
説得力がないんだなぁ。 |
糸井 |
小野田さんの考える
「最低限の社会とつき合う約束ごと」って、
かんたんにいうと、何ですか? |
小野田 |
たとえば、ですね。
キャンプに来た子どもたちに、
ぼくは最初にこういうんです。
「お父さんか誰かが申しこんで、
しぶしぶここに来て、
こんな顔ぶれと一緒に
1週間もいたくないよ、と思ったら、
いまここで手を挙げて、帰ったらいいよ。
無理することない」って。 |
糸井 |
最初に、そう聞くんですか。 |
小野田 |
ええ。
最初に集合したときに。 |
糸井 |
それで、帰ったやつはいますか。 |
小野田 |
ひとりだけ(笑)。 |
糸井 |
わぁ、その子ども、
勇気ありますね。 |
小野田 |
勇気ありますよ。
だから
「あっ! ほかにもいないのか?
彼みたいに、勇気を出して手を挙げてみろ」
なんて、おだてましたよ(笑)。
とにかくぼくは、最初に
「嫌だったら帰れ」というんです。
自然のなかですごすのは、
常に危険と背中あわせだから。
集中して行動しないと、けがをする。
「君たちのかわりを、
デパートで買って返すことは、
できないんだから。
代わりを買えるなら、
3人や5人、死んだっていいんだよ。
返せないから困るんだ。
世界じゅうに君は、君ひとりしかいないんだから。
ぼくたちは
君たちの命まで預かっているんだから」 |
糸井 |
命がかかった、大切な決断を
せまるんですね。 |
小野田 |
それに続けて、最初の約束ごとをします。
「君たちに向かって、ぼくたちスタッフが
注意事項などをいうことあります。
そのときには、よそを向いて聞かないこと。
人が何かを言っているときには
顔を見て、話を聞いてください。
それを約束できるか?」と。 |
糸井 |
危険がいっぱいだからこそ・・・。 |
小野田 |
その次に、
「自分がされて嫌なことを
人にしないようにしてもらいたい」
と、約束するんです。
「もしも自分が殴ってほしいんだったら、
人を殴ってもかまわない。
誰かを殴った人がいたら、
“自分が殴られても構わないから
人を殴ったんだな”
と思うことにします。
だから、スタッフがみんなで
うんと殴ってやるからな」
「意地悪なんかをしたら、そいつを今度は
みんなでうーんと意地悪してやるから。
“意地悪は、決して嫌なことじゃないんだろ?”
って、そう思っちゃうからね」。
そういわれたら、誰もやりませんよね。
自分がされて嫌なことさえしなきゃ、
集団というのはだいたい保っていけるんですよ。 |
糸井 |
その自信が・・・
すごいです。 |
小野田 |
簡単で、いいでしょう(笑)。
衝動的に、バッ!と、殴りたくなったときは、
「殴られちゃ、おれ、嫌だからやめとこう」
そう思ってもらうようにする。
まあ、そういうことなんですよね。 |
糸井 |
そのふたつの約束さえ守れば
すべてが大丈夫だと
実践してわかったんですね。 |
小野田 |
ええ。
ぼくたちは、
子どもの自主性を尊びたいから、
はっきり原理原則を教えておくことが
大切なんです。
まあ、こんなふうに
「相手の顔を見てきちんと話を聞く」
「自分が嫌なことは人にもしない」
キャンプの前に、そのふたつを
子どもたちと約束するんです。 |
糸井 |
あとは、もう枝葉であると。 |
小野田 |
そうです。あとは、枝葉。
そして、子どもたちも
約束を守るだけの
知恵はあるんですよね。
誰だって
自然のなかでのケガは避けたい。
そして、
いじめられたくないし、
殴られたくないんだから。 |
(続きます。)