糸井 |
小野田さんはこれまで、
まずは子ども時代があって、
それから非常に規律の厳しい世界に
兵隊さんとして身をおかれて、
その後は長い間潜伏して
社会がないかのように生きている時代があって、
そして、いま
子どもたちとふれる時間をお持ちになっています。
これまでの流れのなかで、
いまの小野田さんを
最もつくったのは
どの時間だったんでしょうかね。 |
小野田 |
・・・やっぱり、子どものときでしょうね。 |
糸井 |
うわぁ、そうなんですか。
時間的にはそこがいちばん
短いですよね。 |
小野田 |
そうですね。
その後の人生のほうが
そりゃあ、長いですけど。 |
糸井 |
ぼくを含めて世のなかの人々は、
事件やニュースとして
小野田さんのことを知っています。
ひとりで社会と断絶して暮らしていた、
ルバング島でのあの時間が
小野田さんの個性だと
勝手に思いこんでいるわけです。
みんな「あれだけのことをやった人だから」とか、
いろいろいうわけですけれども。
ご自分にとって原点というのは
子どものときなんですか。
すごい。ぼく、相当驚きましたよ。 |
小野田 |
子どものとき、あまりにもいたずらがひどくて
家で、いっぱい叱られたんですよ。
だから、いまでもお箸を持ったりすると
ああ、母親にこういってしかられたな、
なんて思いますよ。 |
糸井 |
そういうことはけっこういつまでも
覚えてるもんですね。 |
小野田 |
子どものとき、母親はいつも
ふた言目にはこういっていたんです。
「他人、世間と呼ぶんじゃない。
世間様だ、人様だ、他人様だ」と。
つまり、社会の恩恵を大切に思え、
ということなんです。
僕は、よそへ出かけると、
いたずらばかりしたんです。
他人に迷惑ばかりかけるわけ。
だから、母親はそういって、
僕を叱ったんですね。
でも、その本当の意味は、
戦争を経験して、はじめてわかりました。
戦争中は、敵か味方しかいない。
周りは二、三人になっていって、そして
社会から隔絶していくんです。
社会から離れた人間個人というのは
つくづくだめだな、と
わかりましたよ。
世間様がよくわかりました。
我々は文明のなかで生まれ育っているんですから、
文明社会から切り離されたら
生きられないんですよね。
子どものときには、
「考えてみろ。おまえが毎日食べている御飯や
着ている着物は自分がつくったのか」と
叱られたものです。
我々は裸でも生きられないし、
火を燃さなきゃ食べられないし、
社会から隔絶すると、もう生きられないんですよね。
人間が持っているこの爪と牙では、
兎が木の根っこにぶつかって
転んでくれてたとしても、
どうやって食べます? |
糸井 |
・・・そうか。
できることは、全く限られていますね。 |
小野田 |
どうにかして皮をむいて、
まあ、生で食べるしかないでしょう。
やっぱりナイフぐらいなきゃ
火もおこせません。
ナイフといったって、
そう簡単につくれるものじゃないですもんね。
お店で買えば、
簡単なんでしょうけど。
子どものときに叱られたことは
戦争のときになってはじめて
納得がいくものばかりだったんです。
結局、我々は、どんなに苦しくても
社会から離れることはできないんですよ。
だから、最低のルールは
覚えなきゃいけないんですよね。 |
糸井 |
社会との関係を大事にする意味で
いちばん大切なのは、
さきほどおっしゃった、
ふたつの約束ごとなんですね。 |
小野田 |
ぼくはそのふたつだけで、
子どもたちをこれまで何とか
まとめてきたんです。
おかげで大きな事故もないし。 |
糸井 |
大人にきちんと、
そういうことをいわれたとしたら、
子どもたちもうれしいだろうな。 |
小野田 |
ええ、そうなんです。
子どもたちはみんな、
指示をいつも待っているだけだと
嘆く人が多いんですけれど。
子どもは目的を持ってないから
指示待ちになってしまうんですよ。
僕は子どものころ、親に
「どうして日曜日にかぎって、
夜が明けないうちから起きてくるんだ。
ふだん、そのぐらい早起きしてみろ」と、
よくいわれたもんです(笑)。
学校に行くのが嫌だから、
いつも寝坊しているくせに、
日曜日はちゃんと起きますもんね(笑)。
早く遊びに行きたいから。 |
糸井 |
目的がはっきりしている(笑)。 |
小野田 |
だから、子ども自身が明確に
何かをしようと思っていれば、
毎日毎日早く起きてきて
一生懸命に何かをするわけですよね。 |
糸井 |
ある意味では
大人もそうですからね(笑)。 |
小野田 |
だから、何になりたいか、
何をしたいのかを
おおまかでいいから、
早く子どもに気づかせることが大事です。
子どもが「自分は何に向いているんだ」とか、
そういうことに望みを持てるようにしてやる。
そういう環境づくりが
大人のやることだと思うんですよ。
そうじゃなくちゃ、
「勉強しろ、勉強しろ」
「なぜ勉強しなきゃいけないの?」
の、くり返しになってしまいます。 |
糸井 |
勉強といっても、
「目に見える勉強」ではない、
学科的でない勉強のことについては、
あんまり親はいわないですもんね。 |
小野田 |
そうですね。 |
糸井 |
ぼく、自分の子どもが小さいとき、
小学校に上がる前に、
「おれは勉強してもしなくてもいいとは
思うんだけど、
学校って勉強の時間が長いから、
1日のほとんどは
教室に座って勉強している時間になると思う。
あんまりできないと、
そこがぜんぶ退屈になっちゃうよ?
だから退屈にならないくらいにしておくと
意外といいかもね」
と、いったんです。
子どもは、
「うん、わかった」といったけど、
案の定どんどんできなくなっていって・・・。
でもね、学校が楽しくないかというと、
楽しいらしいんです。
じゃあ、いいやと。
勉強できなくても、楽しければいいやと。
そのまま、
いまでもボーッとした子ですけれども、
よかったと思うんですよ。 |
(続きます。)