糸井 |
学校では、どんな生徒だったんですか? |
小野田 |
まあ、暴れたりまわったりして問題を起こすとか、
そんなことは、なかったですね。
でも、どうしても先生から見たら、
わがままだったんですよ・・・。
だいたいね、授業中に自分から手を挙げたことなんか
一回もなかったんだから。
「ほかの人がみんな
『先生、先生』と手を挙げているんだから
それをあててやればいい。
僕はわかっているんだから、別にいい」
といってた。 |
糸井 |
先生の上をいく
子どもだったんだなぁ(笑)。 |
小野田 |
手を挙げたことないから、
授業の内容がわかってないのかというと、
そうじゃない。
よくわかっていたんです(笑)。
先生から叱られたらこういい返してた。
「だって、先生、この前、
『暴れてはいけない、もっとおとなしくしろ』
といった。
だから、ぼくはおとなしくしているんだ」と。 |
糸井 |
なんて生意気な子どもなんだ(笑)。 |
小野田 |
生意気なんです!
「元気よくしていたら
『暴れん坊だ』と叱られちゃった。
『おとなしくしろ』といわれたから、
こうやって、おとなしくしているんだ」って(笑)。 |
糸井 |
それ、可笑しいです。
ルバング島にいたあのときも、
そうだったんですね。
「いろ!」といわれたから、いたんですね。 |
小野田 |
ふふふふ(笑)、
人間なんてそうそう
変わるもんじゃないですよ。 |
糸井 |
子どものまんまだったんですね(笑)。 |
小野田 |
それに、いくら戦前、戦中といっても
時代で人間は、そうは変わらない。
1,000年も1,500年も前の人間、
例えば聖徳太子と
いまの人間はどれだけ違う?
ほとんど違わないでしょう。
物理的なことや化学的なことについては
内容は濃くなったけれども・・・ |
糸井 |
枝葉の葉脈まで見えるようになっても、
木は木ですよね。 |
小野田 |
ええ、そうなんです。
人間そのものは変わってない。
あの時代の教育といまの教育とは
多少違いますけど、
やっぱり昔だって、
そういうことをやって
先生をてこずらせるガキがいるんですよ。 |
糸井 |
そうですよね。
ぼくの時代にも、いた。 |
小野田 |
みんな塾へ行ったりして
受験勉強をやってますけど
あれはいまにはじまったことじゃない。
あの時代でも、5年生になると、
中等学校へ行く人、
高等小学校に行く人、というふうに
わかれてくる。
それで、6年生の夏休み前でだいたい
小学校の授業内容は終わっちゃうんです。
それで、あとは受験勉強なんです。 |
糸井 |
予備校と学校を
一緒にしたようなかんじだったわけですね。 |
小野田 |
そうなんです。
6年生は夏休みまでで終わり。
秋からは入学試験なんです。
その受験勉強は5年生からはじまるんだけど、
ぼくは毎日家へ帰っちゃうわけ。
勉強するのが嫌だから。
そうすると、親は
「ユニークな先生だから、
何か考えがあるんだろう」
と、勝手に思っている。
とうとう、家庭訪問に先生が来たときに、
親が「うちの子は毎日帰ってきますが・・・」
といってしまった。
そしたら、先生のほうも
「小野田さんの親は
少し考えかたが変わっているから、
子供に勉強させるのは嫌だったのではないかと
勝手に考えていました」
と、いって。
両者で顔を見合わせているんです(笑)。
ぼくが勝手に、
学校で居残って勉強するのは嫌だから、
ただそれだけだったんです。
そして、こういってのけた。
「だって、先生、入学試験ぐらい、
そんなことまでしなきゃいかんようじゃ、
先は知れている」って。
僕は、実力で試験に合格しているんです。 |
糸井 |
・・・すごい子どもだな、それも。
親と先生、両方を操っていたわけですね。 |
小野田 |
そうなんです(笑)。
とにかく子どものうちから、
ああだこうだ、よそ目ばかりして、
自分の好きなことばかりして遊んできた。 |
糸井 |
「よそ目」という言葉、いいですね。 |
小野田 |
よそ目のぶん、
それだけ心の間口が
広がっていったんでしょうね。 |
糸井 |
はたがいつも視野に入ってしまうから
落ちつきがないようにも見えるでしょう、
周りから見たら。 |
小野田 |
ええ。
だけど、間口が広いということは、
それだけ応用力があるということです。 |
糸井 |
・・・ですね。
だから、生きられたんでしょうね。
子どものときのまんまの考えで。 |
(続きます。)