CHILD
これでも教育の話?
どんな子供に育ってほしいかを、
ざっくばらんに。

第6回 逃げたといわれるのだけは、嫌だ

糸井 普通に考えたら無理に思えるような
ルバング島での孤独な生活で、
「恐怖」というものはあったんですか。
小野田 恐怖心ですか? 
あの時分の我々はまあ、
特攻隊が典型ですからね。
命をかけなきゃ国の前途がないと
みんな思って戦ったんだから、
死に対する恐怖心というのは
あんまりないんです。
糸井 やっぱり
精神的なものが
そんなに強いんですか。
小野田 ええ。

全体の雰囲気、というんでしょうかね。
兵隊はみんな
「映画も半額、命も半額」と
平気でいっていましたからね。
「人生わずか50年」といわれた時代ですから、
命も半額、つまり、25歳まで。
そのぶん、映画も半額で入れてくれるから(笑)。
兵隊は、映画も半額、命も半額なんです。
糸井 そういうことって、
毎日いわれて
周りがそう思っている場所にいたら、
自分もそんなふうに思えるんですか。
小野田 そう思います。
それから、
みんながそう思っているんだから、
自分はいくら嫌でも逃げられないんです。
糸井 それは大きいですね・・・。
小野田 もし逃げたすれば、
戦争が終わったときに
「あいつは逃げた」と
みんなにいわれますよね。

戦争に行っている人だって、
うれしく行っているんじゃないもん。
何といったって、
やっぱり人間は本能的に命が欲しいんですから。
死にたくない気持ちを
抱えて行っているんですから……。
糸井 前提は、そうですよね。
小野田 ええ、本心はそうなんです。
だから、やっぱり逃げたやつは
必ず何かいわれますよ。
糸井 きっと泥棒の集団であっても
そうですよね。
小野田 いわれますよ。
糸井 そうすると、
生きることに差し支えるんですね。
小野田 そうです。
後でいわれたくなかったら、
嫌でもそのとき一緒に
みんなとやる。
そこいらが
戦争時分の若い人の気持ちだと思うんです。

戦死した人がいても、
「明日は我が身」ですからね。
「ちょっと先にあいつ、いったな」ぐらいの、
そういう考えですよ。
糸井 それは、若い人がある程度
老成していくことではあるんでしょうね。
小野田 ええ。
糸井 死生観を持っている若い人なんて、
いまはそんなにいないと思うんですよ。
小野田 いないですよね。
糸井 青春真っ盛りのときに、
「死ぬ」とか考えているのって、
まあ、文学青年の一部ではそうかもしれないけれども、
あんまりないことで。
基本的には、無限に生きていくのではないかという、
何だかそんな感覚が蔓延して・・・。
小野田 そうですよね。
子どものころなんかは、
いつ死ぬか、なんて考えてない。
だから、その証拠に子どもは
「死ぬ」ということを
極端に嫌いますもん。
糸井 嫌いますね。
「聞かせないでくれ」という。
小野田 だから、お寺、嫌でしょう、
お墓、嫌でしょう。
お葬式だとか、霊柩車なんか
横に逃げますよね。
糸井 嫌いますね。
小野田 あれは本能でしょうね。
毎日毎日育っているんですから。
糸井 そういう、
「育つものが生む力」みたいなものが愉快で、
かわいらしく思えたりしますね。
小野田 だから、いじめで「死ね!」なんて
手紙に書いたりするのは、
やっぱりわかりますよ。
あれは、考えてそうしたんじゃないんですよ。
糸井 いちばんの、
痛い言葉なんですね。
小野田 自分がいちばん気にする言葉が
「死ぬ」ということなんですよね。

それからもうひとつは「バイキン」。
子どもは、親の腹から出てきて
そんなに時間が経ってないから、
空気中のいろんな菌に対して、
免疫性が少ないんです。

だから、いちばん怖いのは
バイキンなんですよ。
糸井 人間を、ほとんど生き物として
とらえていらっしゃいますね(笑)。
小野田 ちょっとでもけがをすると、
バイキンが入るからというので、
包帯を巻いたり、絆創膏を張ったりしないと
おさまらない子がいますもんね。
あれ、バイキンが怖いんですよ。
 
糸井 
ああ・・・。
その子どものお母さんもきっと、
気持ちが娘のままで、
ストップしているんでしょうね。

おっかさんになっちゃうと、
なめておけばいい、で終わり(笑)。
つまり、そういうことを
前にやったことがある人は
平気でそういえますよね。
小野田 そうです。
糸井 その意味では、
小野田さんの自然塾のような
そういう場所がないと、
自分が生き物であることを忘れてしまう。
小野田 ええ。だから、
子どもたちには
「自然の木でも生きているんだよ」
と教えています。

大きい木に聴診器を当てて聞くと、
水の音がするんです。
場所によって違うんですけども。

子どもたちはみんな、
「ズーズーッといっている」とか、
「スゥーッと流れるような音がする」とか、
いいます。
そのときぼくは子どもたちにこういうんです。
「植物なんてね、
 こんなとこにジーッと立っているだけだから、
 ぼくたち人間よりずうっと下等だと
 思うかもしれない。
 けど、木は上からぼくらを見おろして、
 『何だ、おまえたち、
 せいぜい100年も生きないじゃないか』
 と、思っているかもしれないよね」と。
相手は何百年と生きているんですから。

キャンプファイヤーをした夜に、
「君たちに切られてたくて、
 キャンプファイヤーにしてもらおうと思って
 木は大きくなったんじゃなかったんだよね。
 人間が勝手に切ってきたんだよね」と。
糸井 僕もよく冗談で、
マグロなんかがうまいときに、
「このマグロ、
 自分がうまいと思って泳いでなかったよなぁ」
って、いうんですけど(笑)。
小野田 ハハハ、そうですよね。

「木を燃やして明かりをつけて、
 人間は洞窟を掘ったり
 安全を守ってきた。
 このキャンプファイヤーの
 楽しい時間をすごせたのも、
 木のおかげ。
 友達が顔が見えるから楽しかったよね。
 真っ暗ななかではしようがなかったよね。
 そのためにこれだけの木が灰になってしまったろ? 
 この木は決して燃されたくて
 育っていたんじゃなかったんだよね、
 山へ行ってわかったでしょう?」
と話すんです。

そういうことをして
何でもいいからやったことへ関連づけて、
自然と人間、あるいは人間どうし、
いろいろ基本的なことを
教えていくんですけどね。
糸井 それが子どもたちの心に
通じているという実感は
きっとおありになるんでしょうね。
小野田 ええ。
糸井 おとなたちは
「子どもには、言葉が届かない」
「いうことを聞かない」と
どこかで決めてしまっていますよね。
小野田 そう。
糸井 小野田さんと子どもたちとの年齢の差は
ものすごいわけです。
ついこの間まで子どもだった先生までが、
「子どもはわかってくれない」と嘆いているところを、
こんなに離れているように見える小野田さんが
飛び越えている・・・。
小野田 子どもたちは、わかってくれるのに、
おとながわかるようにしてないんですよね。
わかるようにすればいいんです。
糸井 おとなは子どもに
わかり切れない分量のものをドサッと渡して、
「全部持てなかった」といって
怒っているのかもしれないですね。
小野田 そうですね。
消化不良になるに決まっていますよ。
糸井 小野田さんは、さっきから
ふたつしか覚えなくていいと
いっているわけだから。
小野田 そう。やっぱりこちらもちゃんと相手を見ないと。
おとなの胃袋に入るだけのものを
子どもに「さあ、食え」といったって、
食べられるわけはないんですからね。
おとなの考えを基準にするからいけないんですよね。
自分も「子どものとき」があったことを
よくよく考えないといけないんです。
(続きます。)

2001-12-30-SUN

BACK
戻る