糸井 |
普通に考えたら無理に思えるような
ルバング島での孤独な生活で、
「恐怖」というものはあったんですか。 |
小野田 |
恐怖心ですか?
あの時分の我々はまあ、
特攻隊が典型ですからね。
命をかけなきゃ国の前途がないと
みんな思って戦ったんだから、
死に対する恐怖心というのは
あんまりないんです。 |
糸井 |
やっぱり
精神的なものが
そんなに強いんですか。 |
小野田 |
ええ。
全体の雰囲気、というんでしょうかね。
兵隊はみんな
「映画も半額、命も半額」と
平気でいっていましたからね。
「人生わずか50年」といわれた時代ですから、
命も半額、つまり、25歳まで。
そのぶん、映画も半額で入れてくれるから(笑)。
兵隊は、映画も半額、命も半額なんです。 |
糸井 |
そういうことって、
毎日いわれて
周りがそう思っている場所にいたら、
自分もそんなふうに思えるんですか。 |
小野田 |
そう思います。
それから、
みんながそう思っているんだから、
自分はいくら嫌でも逃げられないんです。 |
糸井 |
それは大きいですね・・・。 |
小野田 |
もし逃げたすれば、
戦争が終わったときに
「あいつは逃げた」と
みんなにいわれますよね。
戦争に行っている人だって、
うれしく行っているんじゃないもん。
何といったって、
やっぱり人間は本能的に命が欲しいんですから。
死にたくない気持ちを
抱えて行っているんですから……。 |
糸井 |
前提は、そうですよね。 |
小野田 |
ええ、本心はそうなんです。
だから、やっぱり逃げたやつは
必ず何かいわれますよ。 |
糸井 |
きっと泥棒の集団であっても
そうですよね。 |
小野田 |
いわれますよ。 |
糸井 |
そうすると、
生きることに差し支えるんですね。 |
小野田 |
そうです。
後でいわれたくなかったら、
嫌でもそのとき一緒に
みんなとやる。
そこいらが
戦争時分の若い人の気持ちだと思うんです。
戦死した人がいても、
「明日は我が身」ですからね。
「ちょっと先にあいつ、いったな」ぐらいの、
そういう考えですよ。 |
糸井 |
それは、若い人がある程度
老成していくことではあるんでしょうね。 |
小野田 |
ええ。 |
糸井 |
死生観を持っている若い人なんて、
いまはそんなにいないと思うんですよ。 |
小野田 |
いないですよね。 |
糸井 |
青春真っ盛りのときに、
「死ぬ」とか考えているのって、
まあ、文学青年の一部ではそうかもしれないけれども、
あんまりないことで。
基本的には、無限に生きていくのではないかという、
何だかそんな感覚が蔓延して・・・。 |
小野田 |
そうですよね。
子どものころなんかは、
いつ死ぬか、なんて考えてない。
だから、その証拠に子どもは
「死ぬ」ということを
極端に嫌いますもん。 |
糸井 |
嫌いますね。
「聞かせないでくれ」という。 |
小野田 |
だから、お寺、嫌でしょう、
お墓、嫌でしょう。
お葬式だとか、霊柩車なんか
横に逃げますよね。 |
糸井 |
嫌いますね。 |
小野田 |
あれは本能でしょうね。
毎日毎日育っているんですから。 |
糸井 |
そういう、
「育つものが生む力」みたいなものが愉快で、
かわいらしく思えたりしますね。 |
小野田 |
だから、いじめで「死ね!」なんて
手紙に書いたりするのは、
やっぱりわかりますよ。
あれは、考えてそうしたんじゃないんですよ。 |
糸井 |
いちばんの、
痛い言葉なんですね。 |
小野田 |
自分がいちばん気にする言葉が
「死ぬ」ということなんですよね。
それからもうひとつは「バイキン」。
子どもは、親の腹から出てきて
そんなに時間が経ってないから、
空気中のいろんな菌に対して、
免疫性が少ないんです。
だから、いちばん怖いのは
バイキンなんですよ。 |
糸井 |
人間を、ほとんど生き物として
とらえていらっしゃいますね(笑)。 |
小野田 |
ちょっとでもけがをすると、
バイキンが入るからというので、
包帯を巻いたり、絆創膏を張ったりしないと
おさまらない子がいますもんね。
あれ、バイキンが怖いんですよ。
糸井
ああ・・・。
その子どものお母さんもきっと、
気持ちが娘のままで、
ストップしているんでしょうね。
おっかさんになっちゃうと、
なめておけばいい、で終わり(笑)。
つまり、そういうことを
前にやったことがある人は
平気でそういえますよね。 |
小野田 |
そうです。 |
糸井 |
その意味では、
小野田さんの自然塾のような
そういう場所がないと、
自分が生き物であることを忘れてしまう。 |
小野田 |
ええ。だから、
子どもたちには
「自然の木でも生きているんだよ」
と教えています。
大きい木に聴診器を当てて聞くと、
水の音がするんです。
場所によって違うんですけども。
子どもたちはみんな、
「ズーズーッといっている」とか、
「スゥーッと流れるような音がする」とか、
いいます。
そのときぼくは子どもたちにこういうんです。
「植物なんてね、
こんなとこにジーッと立っているだけだから、
ぼくたち人間よりずうっと下等だと
思うかもしれない。
けど、木は上からぼくらを見おろして、
『何だ、おまえたち、
せいぜい100年も生きないじゃないか』
と、思っているかもしれないよね」と。
相手は何百年と生きているんですから。
キャンプファイヤーをした夜に、
「君たちに切られてたくて、
キャンプファイヤーにしてもらおうと思って
木は大きくなったんじゃなかったんだよね。
人間が勝手に切ってきたんだよね」と。 |
糸井 |
僕もよく冗談で、
マグロなんかがうまいときに、
「このマグロ、
自分がうまいと思って泳いでなかったよなぁ」
って、いうんですけど(笑)。 |
小野田 |
ハハハ、そうですよね。
「木を燃やして明かりをつけて、
人間は洞窟を掘ったり
安全を守ってきた。
このキャンプファイヤーの
楽しい時間をすごせたのも、
木のおかげ。
友達が顔が見えるから楽しかったよね。
真っ暗ななかではしようがなかったよね。
そのためにこれだけの木が灰になってしまったろ?
この木は決して燃されたくて
育っていたんじゃなかったんだよね、
山へ行ってわかったでしょう?」
と話すんです。
そういうことをして
何でもいいからやったことへ関連づけて、
自然と人間、あるいは人間どうし、
いろいろ基本的なことを
教えていくんですけどね。 |
糸井 |
それが子どもたちの心に
通じているという実感は
きっとおありになるんでしょうね。 |
小野田 |
ええ。 |
糸井 |
おとなたちは
「子どもには、言葉が届かない」
「いうことを聞かない」と
どこかで決めてしまっていますよね。 |
小野田 |
そう。 |
糸井 |
小野田さんと子どもたちとの年齢の差は
ものすごいわけです。
ついこの間まで子どもだった先生までが、
「子どもはわかってくれない」と嘆いているところを、
こんなに離れているように見える小野田さんが
飛び越えている・・・。 |
小野田 |
子どもたちは、わかってくれるのに、
おとながわかるようにしてないんですよね。
わかるようにすればいいんです。 |
糸井 |
おとなは子どもに
わかり切れない分量のものをドサッと渡して、
「全部持てなかった」といって
怒っているのかもしれないですね。 |
小野田 |
そうですね。
消化不良になるに決まっていますよ。 |
糸井 |
小野田さんは、さっきから
ふたつしか覚えなくていいと
いっているわけだから。 |
小野田 |
そう。やっぱりこちらもちゃんと相手を見ないと。
おとなの胃袋に入るだけのものを
子どもに「さあ、食え」といったって、
食べられるわけはないんですからね。
おとなの考えを基準にするからいけないんですよね。
自分も「子どものとき」があったことを
よくよく考えないといけないんです。 |
(続きます。)