糸井 |
小野田さんは、
ご自分が「子ども」だから、
子どものことがよくわかると
おっしゃっています。 |
小野田 |
ええ。
子どものときのまま、たいして
変わっていないから(笑)。
おとなは、子どもが何かやったりするのをヒントに
「あっ、自分も子どものころは
こういう考えかたをしたんじゃないかな」
と、いっぺん振り返ってみれば、
子どものやることがもっともっと
理解できると思うんです。
それに、子どものいたずらには、
確かに迷惑をこうむることもありますけど、
だったら、おとなは大きないたずら、するよ。
僕は口が悪いから、こういっちゃうけれども
原爆なんか、どういうわけ? |
糸井 |
でかいいたずらですね(笑)。
あれでおどかすんですもんね。 |
小野田 |
だけど、いたずらじゃないらしい。
より進歩しようと思って実験して
ああいうものをつくったというんです。
子どもも、
「こうしたらどうだろう」
「ああやったらどうだろう」と思うから
いろんなものをいじる。
それをおとながいたずらと呼ぶ。
自分たちが害をこうむったから
いたずらだといっているにすぎないんです。
でもそれは、子どもの進歩のための
「実験」だったんだ。
原爆だって、
それだけの新しいエネルギーを得たんだから
立派なことなんだけど、だけど、
広島に落っこったのは、
やっぱり大人のいたずらといわれてもしようがない。
だから、一概に
いたずら、いたずらというのではなし、
子どもは伸びるための実験をやったんだと思えば、
少しは許してやってもいいんじゃないか、
と、ぼくは思うんですけどね。 |
糸井 |
実験というのは、
結果が悪く出たっていいんですものね。
成功してばかりいる必要は
ないんですもんね。 |
小野田 |
ええ。 |
糸井 |
実験と試験を混同していますね。
「受かる」「受からない」みたいな
意識がいつもあるから、
実験のことを試験だと思っちゃっているんですね。 |
小野田 |
そうですね。 |
糸井 |
・・・なるほどなあ。
同じ「験」という字の上に
「実」と「試」が乗っかる。 |
小野田 |
試す験なのか、どうか
ですね。 |
糸井 |
どうも、
常に誰か採点者がいるというのが
いまの世のなかの教育だと
思いこんでますねぇ・・・。
でも、
小野田さんのキャンプを経験した子どもたちは、
そりゃあ顔が変わって帰るでしょうね。 |
小野田 |
ほんとに、イキイキしていますよ。
「我が意を得たり」というかんじで。
だから、家へ帰って
お父さんやお母さんに
それはもう、叱られることだと思うんです(笑)。 |
糸井 |
ふふふ。
そうか、そうか。 |
小野田 |
「わんぱくになって、
とんでもないものを覚えてきた!」と、
お家のかたは、驚くかもしれませんね。
だけど、まあ、それはその子どもの
「ナチュラル」な部分なんですよね。
その本質をうまく使わないと・・・。
体のことはすぐにわかるんですよ。
ああ、この子は投てきに向くとか、
長距離に向くだろうな、
こいつはジャンプだな、なんかは、ね。
頭のなかは、
何に向くか、ちょっとわかりづらいですよね。 |
糸井 |
見えにくいから。 |
小野田 |
だから、
いっぺんその人間を野放して、
その子が見たこと、やったことから
割り出すしかないですよね。 |
糸井 |
放たれた子どもたちを見ている側は
子どもたちの人数分の
心の動かしかたをしなければならないから、
相当タフでないと、できない仕事ですね。 |
小野田 |
ええ。 |
糸井 |
「こっち、目が行きませんでした」では
終われないですもんね。 |
小野田 |
まあ、まず第一に
我々は子どもがけがをするのが怖いから、
それに気をつけているんです。
ひとりひとりついているわけじゃないですから、
それだけ自由があるんだし、
子どもたちは自分でどんどん動いていきますよ。
ご飯を炊かなきゃ食べていけないし。
家族から離れて、子どもだけのグループで
共同に何かをしなきゃ、
とにかくどうにもならないんですからね。
だから、それなりに
大きい子は小さい子をちょっと面倒見たり、
「じゃあ、まき割りは僕がやる!」などといって、
それぞれ自分のできそうなことへ
取っついていきますよね。
ああ、そういえば、
この間もちょっと問題が出たんだけどね。
女の子と男の子の班を別にしないと、
女の子はジャガイモをむくほうに
みんなまわっちゃって、
火を燃すのは男の子ばかりがやってしまう。
全体としては体験が不十分になるのではないか、
というスタッフの意見が出まして。
じゃ、来年は、男女別の班にしてみようと、
まあ、そんなことも考えているんですけど。 |
糸井 |
それは実験としてやってみて、
次のことを決めているわけですね。
こんなに長いこと、自然塾をやっていて、
何回もそういうことに気づく時期があっても、
見逃したりして。
やってみたら違うことがわかるかもしれないし、
楽しいですね。 |
小野田 |
だから、
勉強することは必要なんですよ。
自分が何か思いつくまでには、
相当時間がかかるから。 |
糸井 |
時間を短縮することが
勉強か・・・。 |
小野田 |
何でも最初はまず、偶然にできるんです。
偶然にできたことは、
自分もそれだけ利益を得たんだから、
「ああよかった、よかった」となる。
だけど、これは偶然かもしれない。
だから、2回目に今度はそれを
自分でやってみる。
偶然じゃなしに、自分で積極的にやってみて、
それができてはじめて、
「なるほど、これはこうすれば必ずできるんだ」
という自信がつく。
そしたら、
3回目にはじめて
自信を持ってそれができるんですよね。
もしはじめから誰かに聞いていれば、
自分で1回実験して、そして
2回目からすぐに、
自信をもってできるんですよね。
だから、やはり時間があれば
大勢の人からいろんなことを聞いたり、
勉強したりすることは、必要です。 |
糸井 |
ちょうど断崖絶壁の前で縄ばしごをつくってやった、
みたいなものですよね。
まず上ってみようと思えるのは、
上れるからですもんね。 |
小野田 |
そうですよ。 |
(続きます。)