糸井 |
さっきおっしゃった、
「人が嫌がることをするな」というのと
同じ意味で、
人に何かをしてあげようと思っている人には
人もしてくれるということですよね。
そのやさしさが
返ってくるうれしさは、きっと何倍もありますよね。 |
小野田 |
ええ、そうなんです。
「学校で『人にやさしく』と、
みんな、耳にタコができるほど聞いたと思う。
ある子が寒くて震えているのを見て
やさしくしたいと思ったとき、
自分がたとえ裸になったとしても
人に服を貸してあげられる?」
って、子どもたちに問いかけるんです。
「そうはいかないでしょ。
だから、やっぱり自分も強くならなきゃ!
助けたくても助けられないんだよ。
やさしくできないんだよ」って。 |
糸井 |
それ、同じことを
自分の子どもにいったことがありますよ。 |
小野田 |
だから、やさしくなきゃいけないけど、
本当にやさしくするためには
強くなきゃだめでしょう。 |
糸井 |
・・・それ、
理解してくれますか、
子どもたちは。 |
小野田 |
理解してくれますよ、
「力をかしてあげよう」といって。
みんな、やさしいときは強い・・・。 |
糸井 |
子どもたちって、実は、
人の助けになることをするのが
大好きですよね。
意外なんだけど、
人のことをにかまうのって、大好きなんですよ。 |
小野田 |
ええ、ええ、そうです。
人間は昔から集団で生きてきた生き物ですから、
本当は本能的にそういう考えかたを
するんですよね。 |
糸井 |
小野田さんは自分のことを
「子どものまんまだ」と
おっしゃるけど、
子どもの心のまんまで、
こんなたいへんに思えるようなことを
していらっしゃるのも、
誰かのために何かやっていることが
楽しいからですよね。 |
小野田 |
ええ。
まさに、そのとおりなんですよねぇ。
だから、キャンプの間は
子どもたちといろんなことを話します。
火の起源についてもこんなふうに話しますよ。
「人間だけが火が使えるというのは
どういうわけだ?
なぜお猿は火が燃せないの?」
こんなかんじでね。 |
糸井 |
そういう話されかたをすると
子どもたち、興味津々だろうなあ。 |
小野田 |
火山とか、自然発火とか、
ほとんどの生物はみんな
火に遭遇しているんです。
だけど、やけどをしたり、熱かったりで
みんな逃げちゃう。
人間だけは違ったんですよね。
「やはりものを考えられるからじゃ
なかったのだろうか。
ぼくはそう思うんだ。
なぜ火が燃えるんだろう?
どうやったら勢いよく火が燃えるんだろう?
人間は、そう考えたんだ」
「だから、みんなこうやって、
ものをすり合わせてごらん。
これは摩擦熱だよね。
こうやって火を燃した。
その後、蒸気機関が発明された。
どんどん人間は発展していった。
我々がこういう立派な文明社会をつくれたのは、
やっぱり火のおかげだよね」って。
「だけど、火のおかげというより、
人間にそういうことを考える、
思考する能力があったから、でしょう。
いくら自分で、腕力で頑張っても
電気や、機械には負けてしまうし、
習ったものを覚えることだって、
コンピュータのほうが速いよね」って(笑)。 |
糸井 |
すばらしいもののもとは、
人間のなかにあるということ。 |
小野田 |
うん。
「人間に、ほかの生き物がもっていない
ものがあるとすれば、それは結局、
新しいことを考えることだろう」 |
糸井 |
いいなあ・・・
大人の塾も、やってほしいですね。 |
小野田 |
「『コンピュータでやったら、
1日 1,000円でできる仕事がある。
あんたも 1,000円でやるなら
使ってあげますよ』といわれたら、
生きていける?」
でも、 コンピュータは、
新しいことはできないんですよね。
だから「どの分野でもいいから
新しいものをつくっていけ」と。
ほかのところでは、
人間がつくってしまったものに
負けるから。 |
糸井 |
さっきおっしゃった、
人間がみんな同じなんだったら、
3人死んでも5人死んでも買えるけど、
君が生まれたということはふたつとないことだ、
ということを実感させられたら、
これは、聞きますよね。
同じことですよね。
代わりがないんだという話ですもんね。 |
小野田 |
そうそう。
「君たちの代わりは、いないんだよ、
ほかに君と同じ人なんて絶対いない」って。
そういわれると、なるほどと思いますよね。 |
糸井 |
小野田さんのおっしゃっていることが
おもしろいなあと思うのは、
「愛が大切だ」とか、
「親切にしろ」だとか、
「やさしさ」だとか、
観念としての言葉で語っていることは
何ひとつなくて、
全部映像で見えることに
変換していらっしゃることなんですよね。 |
小野田 |
数学でいえば代数より幾何学。
幾何は目に見えますもんね。
代数は、
あれは目に見えないんですよね。
aだの、bだの、1、2、3という数字は
見えているかもしれないけど、実体は何も見えない。 |
糸井 |
そうか。
幾何的教育ともいえるんですね(笑)。 |
小野田 |
目に見える科目が好きだった。
化学が嫌で物理が好き、
地理が好きで歴史が嫌い。
テストの点数もバラバラだったよ。
それが、教師たちには謎でね(笑)。 |
糸井 |
小野田さんは
目に見えることを語っておられるけど、
背景に、
目に見えない世界がどーんと
広がっているように
ぼくには聞こえるんですね。
入り口は絶対目に見えるものなんだけど、
たどり着きたいのは目に見えないところだ、
というような。 |
小野田 |
まあ、
そういうことなんでしょうねぇ。 |
糸井 |
その、小野田さんのなかで起こっている
観念と具象のすごい往復運動には、
気が遠くなるような楽しさがあるんですよ。
うわあ、遠くに連れていかれるなぁ、というかんじの。
全部具体的なものだったら
それは「仕事」になっちゃうんだと思う。
|
小野田 |
やはり子どもは
目に見えないと納得してくれませんよね。
だから、理屈で押していくんですよ。 |
糸井 |
お話全体は、
工学部の教授とお話ししているような
かんじがするんです。
小野田さんの根っこにあるのは
きっと、理科系の考えかたなんでしょうかね。 |
小野田 |
まあ、そうですね。
あんまり文学的なことは好きじゃないんですよ。
だから、小説は読まない。
だけど、ノンフィクションなら読みます。
ノンフィクションは「事実」だから、
これは勉強しておいたほうがいいな
と思っちゃう。 |
糸井 |
事実だということに
楽しみを感じるわけですね。 |
小野田 |
ええ。 |
糸井 |
でも、入り口は必ず具体だったり、
理科だったりしているけど、
奥のほうでは、そうじゃないものが
まぜこぜになっている。
いやぁ、大人の「小野田塾」が欲しいなあ。
例えば30になってから、いろいろ教えていただいても
おもしろいと思いますね。 |
(続きます。)