CHILD
これでも教育の話?
どんな子供に育ってほしいかを、
ざっくばらんに。

第8回 具象と観念の往復がキモチいい!

糸井 さっきおっしゃった、
「人が嫌がることをするな」というのと
同じ意味で、
人に何かをしてあげようと思っている人には
人もしてくれるということですよね。
そのやさしさが
返ってくるうれしさは、きっと何倍もありますよね。
小野田 ええ、そうなんです。
「学校で『人にやさしく』と、
 みんな、耳にタコができるほど聞いたと思う。
 ある子が寒くて震えているのを見て
 やさしくしたいと思ったとき、
 自分がたとえ裸になったとしても
 人に服を貸してあげられる?」
って、子どもたちに問いかけるんです。
「そうはいかないでしょ。
 だから、やっぱり自分も強くならなきゃ!
 助けたくても助けられないんだよ。
 やさしくできないんだよ」って。
糸井 それ、同じことを
自分の子どもにいったことがありますよ。
小野田 だから、やさしくなきゃいけないけど、
本当にやさしくするためには
強くなきゃだめでしょう。
糸井 ・・・それ、
理解してくれますか、
子どもたちは。
小野田 理解してくれますよ、
「力をかしてあげよう」といって。
みんな、やさしいときは強い・・・。
糸井 子どもたちって、実は、
人の助けになることをするのが
大好きですよね。
意外なんだけど、
人のことをにかまうのって、大好きなんですよ。
小野田 ええ、ええ、そうです。
人間は昔から集団で生きてきた生き物ですから、
本当は本能的にそういう考えかたを
するんですよね。
糸井 小野田さんは自分のことを
「子どものまんまだ」と
おっしゃるけど、
子どもの心のまんまで、
こんなたいへんに思えるようなことを
していらっしゃるのも、
誰かのために何かやっていることが
楽しいからですよね。
小野田 ええ。
まさに、そのとおりなんですよねぇ。

だから、キャンプの間は
子どもたちといろんなことを話します。
火の起源についてもこんなふうに話しますよ。

「人間だけが火が使えるというのは
 どういうわけだ? 
 なぜお猿は火が燃せないの?」
こんなかんじでね。
糸井 そういう話されかたをすると
子どもたち、興味津々だろうなあ。
小野田 火山とか、自然発火とか、
ほとんどの生物はみんな
火に遭遇しているんです。
だけど、やけどをしたり、熱かったりで
みんな逃げちゃう。

人間だけは違ったんですよね。
「やはりものを考えられるからじゃ
 なかったのだろうか。
 ぼくはそう思うんだ。
 なぜ火が燃えるんだろう? 
 どうやったら勢いよく火が燃えるんだろう?
 人間は、そう考えたんだ」

「だから、みんなこうやって、
 ものをすり合わせてごらん。
 これは摩擦熱だよね。
 こうやって火を燃した。
 その後、蒸気機関が発明された。
 どんどん人間は発展していった。
 我々がこういう立派な文明社会をつくれたのは、
 やっぱり火のおかげだよね」って。

「だけど、火のおかげというより、
 人間にそういうことを考える、
 思考する能力があったから、でしょう。
 いくら自分で、腕力で頑張っても
 電気や、機械には負けてしまうし、
 習ったものを覚えることだって、
 コンピュータのほうが速いよね」って(笑)。
糸井 すばらしいもののもとは、
人間のなかにあるということ。
小野田 うん。
「人間に、ほかの生き物がもっていない
 ものがあるとすれば、それは結局、
 新しいことを考えることだろう」
糸井 いいなあ・・・
大人の塾も、やってほしいですね。
小野田 「『コンピュータでやったら、
 1日 1,000円でできる仕事がある。
 あんたも 1,000円でやるなら
 使ってあげますよ』といわれたら、
 生きていける?」

でも、 コンピュータは、
新しいことはできないんですよね。
だから「どの分野でもいいから
新しいものをつくっていけ」と。
ほかのところでは、
人間がつくってしまったものに
負けるから。
糸井 さっきおっしゃった、
人間がみんな同じなんだったら、
3人死んでも5人死んでも買えるけど、
君が生まれたということはふたつとないことだ、
ということを実感させられたら、
これは、聞きますよね。

同じことですよね。
代わりがないんだという話ですもんね。
小野田 そうそう。
「君たちの代わりは、いないんだよ、
 ほかに君と同じ人なんて絶対いない」って。
そういわれると、なるほどと思いますよね。
糸井 小野田さんのおっしゃっていることが
おもしろいなあと思うのは、
「愛が大切だ」とか、
「親切にしろ」だとか、
「やさしさ」だとか、
観念としての言葉で語っていることは
何ひとつなくて、
全部映像で見えることに
変換していらっしゃることなんですよね。
小野田 数学でいえば代数より幾何学。
幾何は目に見えますもんね。

代数は、
あれは目に見えないんですよね。
aだの、bだの、1、2、3という数字は
見えているかもしれないけど、実体は何も見えない。
糸井 そうか。
幾何的教育ともいえるんですね(笑)。
小野田 目に見える科目が好きだった。
化学が嫌で物理が好き、
地理が好きで歴史が嫌い。
テストの点数もバラバラだったよ。
それが、教師たちには謎でね(笑)。
糸井 小野田さんは
目に見えることを語っておられるけど、
背景に、
目に見えない世界がどーんと
広がっているように
ぼくには聞こえるんですね。
入り口は絶対目に見えるものなんだけど、
たどり着きたいのは目に見えないところだ、
というような。
小野田 まあ、
そういうことなんでしょうねぇ。
糸井 その、小野田さんのなかで起こっている
観念と具象のすごい往復運動には、
気が遠くなるような楽しさがあるんですよ。
うわあ、遠くに連れていかれるなぁ、というかんじの。
全部具体的なものだったら
それは「仕事」になっちゃうんだと思う。
小野田 やはり子どもは
目に見えないと納得してくれませんよね。
だから、理屈で押していくんですよ。
糸井 お話全体は、
工学部の教授とお話ししているような
かんじがするんです。
小野田さんの根っこにあるのは
きっと、理科系の考えかたなんでしょうかね。
小野田 まあ、そうですね。
あんまり文学的なことは好きじゃないんですよ。
だから、小説は読まない。
だけど、ノンフィクションなら読みます。

ノンフィクションは「事実」だから、
これは勉強しておいたほうがいいな
と思っちゃう。
糸井 事実だということに
楽しみを感じるわけですね。
小野田 ええ。
糸井 でも、入り口は必ず具体だったり、
理科だったりしているけど、
奥のほうでは、そうじゃないものが
まぜこぜになっている。

いやぁ、大人の「小野田塾」が欲しいなあ。
例えば30になってから、いろいろ教えていただいても
おもしろいと思いますね。
(続きます。)

2002-01-09-WED

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