糸井 |
ご自分でおっしゃるように
我の強い子どもだったんでしょうけれども、
生きる長さについてのレンジが長いというか、
失敗も含めて、
「意外に長く生きるものだから」
と考えておられるような気がするんですよ。
生き急いでいるかんじがちっともないんです。
小野田さんには、気の長い一面が
ひょっとしたらあるのかなあと思う。 |
小野田 |
いや、負けん気が強いから、
それだけだろうね。 |
糸井 |
どういうことしょう? |
小野田 |
負けたくなきゃ
頑張るしかないですもん。 |
糸井 |
(笑)・・・ああ、そうしたら、
9回の裏でゲームは終わりといわれても、
10回でも12回でもして、
こっちが点数をたくさん入れるまでは
終わりにしないということ? |
小野田 |
そうそう(笑)。 |
糸井 |
すごく負けん気が強くて、
気なんか長くないからこそ
終わりにしないわけですね。
粘るんだ! |
小野田 |
そうですね。
粘ります。 |
糸井 |
これはいいなあ。
ああいう形で「ニュースの人」になったけれども、
いま思うと、
何かで必ず「ニュースになるような人」だった
ということですね、これは。 |
小野田 |
そう。やっぱり人間、
どんなにしたって、運命からは
逃げられない。
まぁ、時代のことも、あってね。
だいたい、
あの時代の日本に生まれてきたのがもう
運の尽きなんですよ、悪くいえば(笑)。
そうでしょう?
実は、「おれ、戦争、嫌だから」といって
逃げたら逃げられたんですよ。
中国にいたんだから。
中国語も話せるし、
取引先の支店は
重慶でもどこでも敵地にあったから。
「おまえ、兵隊なんかになるな。
支店があるんだからそっちへ行って、
戦争が終わったらまた帰ってくればいい」
と、何度も人から勧められた。
だけど、逃げたら、
今度は一生いわれますものね。
そんなの・・・生きていて意味がないよ、ねぇ。 |
糸井 |
悔いのない、
意味のある生きかたをしたいということですね。 |
小野田 |
そうですよ。
人にばかにされてまで生きていきたくない。
誰だってそうだと思います。
「ばかにされてもいいけど、お金が儲かったらいい」
と、そういう人はいますけど、
お金も儲かりもしないのに、
ばかにされてばかりでうれしい人は
いないと思うんですけどね。 |
糸井 |
だれでもそうですよね。
この間、友達と雑談していて、
こんな話が出たんです。
日本という国は、
戦争で負けたときにいったん
マイナスになって、
そこからスタートしたので、
考えるべきいろんなことを、
「いまはそれどころじゃない」といって
保留にしたまま発展してきた。
運もよかったから、
実はよその戦争に便乗して
景気がよくなったりもしたんだけど。
それを
「なりふり構わずにやってきたらうまくいった」
というふうに、勝手にみんな誤解している。
実は、いくらなりふり構わずにやったって、
朝鮮戦争がなければ特需はなかったわけだし、
そういう情勢のなかで
運よくうまく発展してきたことを、
「なりふり構わずにやってきたからだ」
というふうに誤解しているから、
たて直すチャンスがない。
こんなに豊かになったのに、
まだ「それどころじゃない」
といっている人たちが多い。
これは、失敗していると思うんですが。 |
小野田 |
そうですね。
戦後の日本は追い風の記録だっただけ。
向かい風になったら、
そんなにスピード出るはずはないんですけど、
やっぱり全部「力」で走ったと
思いこんだところに
間違いがありますよね。 |
糸井 |
思いこんだんですよ、それがみごとに。
たんなる追い風記録を。 |
小野田 |
発展は時代のせいなんです。
一代でいっぱい儲けた人がいたとしたら、
それは、その人の性質とその時代が
うまくマッチしたということなんですよ。 |
糸井 |
そうですね。
さきほど、
「3回やってうまくいったらはじめて成功」
といういいかたをなさっていました。
1回で大儲けしちゃった人は、
「おれのやりかたがうまかったんだ」
といっているけど、
実はビジネス書になっている話のうちの80%は
うまくいった「運」のある人の話ですよね。 |
小野田 |
そうです。
だから、そのまま続けていって、おしまいです。
ソフトの時代ですもんね。 |
糸井 |
ダイエーの中内さんをはじめ、
自分がどうやって成功したかという本を
たくさんの人が書きました。
それがいまごろ、中内さん、
簿記を勉強しているというじゃないですか。
それはそれで、おもしろいと思うんですよ。
これまで簿記なしでもやれる商売を
していたということですから。 |
小野田 |
捜索隊がときどき、
新聞を置いていってくれたから、
そういう記事を
一生懸命見たものですよ(笑)。 |
糸井 |
ああ・・・
それ、楽しみだったでしょうね、やっぱり。 |
小野田 |
ええ。そのうちに、こんな記事もありまして。
ある財界の大物が
「おれをいま、20歳ぐらいの若さに返してくれたら、
いまおれの持っている金を全部
あるものの研究に費やす」と。
60歳の人が
「おれを20歳に戻してくれ」といっている。
日本じゅうで偉そうに持ち上げている人だけど、
この人、たいしたことないなあって。
だいたい、そんなに会社を大きくできるというのは、
やっぱり追い風のおかげなんです。
だから、こういう問題ある企業は
「やらずぶったくり」のようなことをして
通ってきたと思うんです。
それは時代が戦後だったから
「やらずぶったくり」で通ったんですよ。 |
糸井 |
そんなことを
フィリピンの島で考えていたんですか。 |
小野田 |
へへ・・・(笑)。
「そんなバカなことを考えるから
問題を起こすんだ。
当たり前だよ、そんなことじゃ」
なんて、思ってました。 |
糸井 |
何だか、ある意味では、
いちばんつらい場所にいる小野田さんが、
その財界の大物のことを
「かわいそうになぁ」と思って
見ていたわけでしょう。
・・・はぁ。 |
小野田 |
確かに肉体的にも苦しかったし、
精神的にも張り詰めていましたけど、
その財界人は
一緒の時代の人たちですから。 |
糸井 |
そこは、
僕らが想像するのも失礼なぐらいの
執念ですね。 |
小野田 |
勝つか負けるかだから。
僕は負けないで頑張っていたんだから、
また、それもおもしろいでしょう(笑)。 |
糸井 |
そうですよね、
負けないで、やっていた。 |
小野田 |
そうだよ、横井さんみたいに
ジーッと隠れていたわけじゃないから。
日本兵ここにあり、でね。
島じゅうを顔を出して歩いていて、
しかも、向こうの討伐に
つかまらないんだから。 |
(続きます。)