糸井 |
大後さんは神奈川大学で駅伝の監督になられて、
優勝を2回経験なさいました。
そのときの画期的な指導法は
ええと、特許は取れないものですから、
ほかの大学にも真似されて、
広く常識化していきましたよね? |
大後 |
ええ。
駅伝は、各大学の力が
かなり拮抗しているんですよ。
そのうえに、指導法もまだまだ模索中です。
ひとつの学校がいいことをすれば、
当然、あたらしい常識になるんですね。 |
糸井 |
監督になった最初のころは、いまと違って、
有名校ではなかったじゃないですか。
つまり、素人同然の学生が、選手でしたよね。
監督としては
「おまえらも、できるんだ!」
という心意気を、常にお持ちだったのですか? |
大後 |
そうなんです。
だから、楽しかった。
どんどん、成績が上がっていくわけですからね。
「ああ、こいつらがついに、ここまで来たか」
ぼくは、そんなことを毎日思ってました。
最終的には優勝までしちゃったし。 |
糸井 |
楽しそうだなぁ。
考えてみれば、そうしょうね。
成長していくよろこびって、
かえがたいもんがありますよ・・・。 |
大後 |
試合に行くたび行くたび、楽しいんです。 |
糸井 |
ふふふ。
その考えがあるから
ぼくは、大後さんを尊敬しているんです。
はじめにお会いして話をした時って、
あれは実は、ぼくにとっては、
すごく画期的なできごとでしたから。 |
大後 |
え、そうなんですか? |
糸井 |
そうですよー。
大後さんは、その時、ぼくに、
「何でもない人なんかいない」
って、そう言ったんです。
「何でもない人でも、
ぜんぶの力を出したときにはすごいぞ」
というようなことを聞いて、
ああ、そうだよなぁ、と思いました。
・・・その大後さんの考えかたは
時間もコストもかかるけど、みんなが
生き生きするんだろうなぁと感じたから。
それまで、ぼくは、チームとして、
「7人の侍」を作りたかったんですよ。 |
大後 |
前に、おっしゃってましたね。 |
糸井 |
うん。
「ある部分はだめだけど、ここは優秀」
というヤツが、7人いてほしかったんですね。
でも、すごいヤツらが7人いるだけでは、
きっと、酒飲んだりして終わっちゃうんですよ。
事件や問題がなければ、ぜんぜん働かない。
大後さんの話を聞いて、
「7人の侍であり続けることのほうが重要だ」
と、つくづく思うようになりました。
問題を絶えず提起している人がいなければ、
7人の侍は7人の侍でありつづけられない。
・・・だったら、ということで、
さっきまで農民だったやつのなかから、
適当にピックアップして、7人集めてきて、
最終的に最強の侍たちを作ってみせたほうが、
かっこいいんじゃないかなあと思いまして。
ま、もちろん、やってみるとむずかしいけど。
たとえば、最強になったあとの
侍の扱いも含めて、ね。 |
大後 |
・・・そうなんですよ。
うちのチームは、優勝した。
だけど、優勝すると、構えてしまいます。
そうなると、いろいろなことが、
変わっていきますよ。
わたしが監督としてやっている
サポートは、ほとんど変わらないか、
むしろよくなっているとは思うのですが、
心の部分で、ひっぱっていくのに、
むずかしさを、感じました。 |
糸井 |
なるほどなぁ。
・・・優勝したことのほかに、
学生たちのタイプそのものが
変わってきているということは
ありませんか? |
大後 |
ええ。
最近、特に感じるのは、
選手がスマートになったことです。
考えかたがタンパク、というんでしょうか?
「強烈なリーダーシップ」を取る学生が
極めて少なくなってきているな、と感じます。 |
糸井 |
リーダーシップのための教育って、
受ける機会が、ないですよねぇ。 |
大後 |
はい。
しかも、中学校や高等学校の先生に聞くと、
「それは、大学生だけじゃないよ」
という話をされる・・・番長のような、
ガキ大将のような存在がいなくなったことは、
もうどこでも大変な問題らしいんですよ。
結局、憎まれ口をたたく者がいないんです。
「ことなかれ主義」といいますかね。 |
糸井 |
よくわかる。
「アイツの言っていることも、一理ある」
と、みんなが言いあってしまってる状態。
|
大後 |
そう。
お互いで譲りあって、
「終わり」なんですね。 |
糸井 |
わかるわぁ。
ぼくもこれまで、いろんなチームで
仕事をしてきたけど、
つらいことって、やっぱり、
「まったく新しいことをはじめるときに、
リーダーシップが存在しないこと」ですよ。
たとえば、
ひとつのテレビゲームをつくる時には、
あたらしいチームがつくられますよね?
「これから、どういう仕事のしかたをするか」
みたいなことも含めて、チームの雰囲気を、
みんなでつくらなければならないんですよ。
でも、そこでもし、
リーダーシップの持ちかたがわからなければ、
あいさつもできないままになりますよね。
お互いの問題を指摘しないままにも、なります。
漠然とほめあうだけの、関係。
そうなると、
ただ単に、機能が寄り集まっただけのもので、
チームの仕事が、終わってしまうんですよ。
そうして、いろいろなことが
「なあなあ」になってしまうというか。 |
大後 |
あぁ・・・よくわかります。 |
糸井 |
逆に、ちょっと古い体質のところだと、
「リーダーシップとはこういうもんだ」
という形式のなかに入りこんじゃうから、
リーダーシップが空まわりしちゃう。 |
大後 |
ええ。どっちも違うんですよね。 |
糸井 |
ぼくは、いまのチームの
ミーティングなんかでも、実は
「リーダーシップをなぜとるべきか」
ということについての話しあいに、
結構長い時間をとったりするんですよ。 |
大後 |
さかのぼりますね、基本まで。 |
糸井 |
はい。
年をとると、
「さかのぼるべきポイントって、
実は、ずっと基本のところなんだな」
と、気づくことが多いですね。
ことわざなんかを持ち出しちゃったりして(笑)。 |
大後 |
人間って、本当は
あんまり変わってないのかも。 |
糸井 |
昔の人が一生懸命にケリをつけていた問題を、
「そこはもうすんだ」
と思ってたら大間違いなんですよ、きっと。
ローマ帝国の時代だとか、
古墳の時代だとか、
大きなリーダーシップが存在していた時に
できていた「集団生活の知恵」みたいなものを
ぼくら、一回も教わってないじゃないですか。 |
大後 |
そうなんですよねぇ。
駅伝も、そういう基本のところに
ぶつかっていると思います。
|
(つづき)