大後 |
ひとりひとりの能力を見たら、
やっていることは間違ってないんです。
ただ、チームとしてまとまっていく何かが、
いまは、足りてないんですよ。
それが何なのかということを、
常に模索していて・・・。
それは、たぶん、
「人材」なんじゃないかと思うんです。 |
糸井 |
実力のある人ではなく? |
大後 |
ええ、そうです。
いろいろ意見を言う選手はいるけど、それを
「よし! こういう形でいこうじゃないか」
と、最終的にまとめて出る人間が欲しいんです。 |
糸井 |
そういう人材ですね。
・・・よく、甲子園なんかで、
背番号が2けたのキャプテンって
いるじゃないですか。
ああいう人、欲しいですよね。 |
大後 |
ああ、まさにそうです。
ぼくはどちらかというと
主役を育てるよりは
名脇役を育てていきたいという、
強い気持ちがあるんですよ。
自分がそういうところでやってきましたから。 |
糸井 |
チーム全体が
背番号2けたのキャプテンに
従う理由は何なのかというと、
あれって・・・昔の言葉でいうと
「徳がある」んですよね、やっぱり。 |
大後 |
そうなんですよ。
オーラが出ているんですよ。 |
糸井 |
ねえ?
で、機能としては
選手になれないやつなんです。 |
大後 |
ええ。はい。そうなんですよ。 |
糸井 |
そういう子がいっぱいふえるのが
全体をいちばん活性化させますよね。
選手としてもだめだし、
勉強もできないヤツかもしれない。
でも、何かの力がある。 |
大後 |
そういう星の下に生まれて、
何かを持っているんですよね。
よく、名門のチームを率いた指導者が
後を引き継いでもらう人材を探すときに、
「努力だけでは決してつくることのできない、
オーラがあるヤツを引っ張ってこないと
どうにもならん」と言いますね。 |
糸井 |
でも、オーラが急に出るようになる
ケースも、あるじゃないですか。 |
大後 |
そうなんですかね? |
糸井 |
いや、というのもね、自分は、
どっちかというと、オクテだったんですよ。
さかのぼって考えると、どこかのところで、
何回も変わっているという自覚があるんです。
そのときにはわからないんだけど。
ぼくとしては、
変わってきたその都度に、
自分なりの小さなオーラを
補強してきたような気がするんです。
・・・オーラを補強するのは
きっと、「失敗の数」なんですね。
まともに失敗できたら、それは大財産ですから。 |
大後 |
いやぁ、
今日は勇気づけられます、わたし。 |
糸井 |
自分でも、ミーティングのときなんかに、
「いいよ、失敗しても。
ただ、ぶつかる寸前で横に避けたりすると、
財産にならないから。
真っ正面からぶつかって、
とのくらい痛かったか、
どのくらい迷惑がかかったか、
被害があったか、
それを、しまった! と
心から思うような失敗だったら、しろよ」
と言うんです。
失敗ってね、みんなするんだ、また(笑)。
その場しのぎでうそを言ったり、
逃げちゃった子には、
何も残らない。 |
大後 |
財産にならないんですね。
財産をいっぱい持っているやつが
背番号2ケタのキャプテンになるんだなあ。 |
糸井 |
以前、大後さんがおっしゃっていたことで、
ぼくがしょっちゅう、ことあるごとに
使わせていただいている言葉があるんです。
「神大の先生がいっていたことだけどね」
っていうふうに(笑)。
「レギュラーの選手の指導よりも、
レギュラーになれそうな選手の指導が
いちばん大事だ」って。
大後さんはいつも
「補欠のトップや2番のあたりのところを
しっかり指導すると、
レギュラーの選手たちが刺激されて
前に走るし、後ろの選手も希望がわく」
という話をなさっていますよね。
・・・あの理論は、ぼくはもう、
永遠のものだと思うんです。 |
大後 |
ありがとうございます。
それはわたしが、選手上がりではなくて、
マネジャーあがりの
指導者だからだと思いますね。
わたしは最近、やっぱりそこが
自分のオリジナリティーかなあと、
やっと思うようになったんです。
ですから、自分の生きる道は、
いい選手を育てることと同時に、
いい選手をサポートするマネジメントを
しっかりできる人間を大学で育てること、
かもしれないと、考えはじめています。
マネジメント人材育成のための
システムづくりを、いま、
大学でやっているぐらいですから。 |
糸井 |
大後さんの、
「2軍選手を大切にする精神」というのは、
どういうところで
つちかわれたものなんですか? |
大後 |
学生時代です。 |
糸井 |
え、学生時代? |
大後 |
ええ。
わたしは、日本体育大学出身なんですよ。
当時、日体大の駅伝チームには、
メンバーが130人いました。
とにかく、全国の高校から
よりすぐりの連中が集まるチームですから、
そうそうレギュラーのランクにはなれない。
ぼくはチームのいちばん下のほうにいて。
しかも、そのなかにいて、
とうとう、ケガをしちゃったんです。
「どうしようか、これじゃ
体育大学にいる意味もないなあ」
と、思いはじめたんです。
もともと教員になりたかったんですけども、
もう、ケガによって、自分の存在価値が
どこにあるのかわからなくなって。
その時に、
「スタッフに回ってみないか」
と声をかけられました。1年生の冬です。 |
糸井 |
それで、マネージャーをやることに
なったわけですね。 |
大後 |
そうなんです。
当時、実は、日本体育大学って、
監督がいなかったんですよ。
上級生がいろんなことを
全部取り仕切っていたんです。
ヘッドマネジャーも、すごいたいへんで、
いま、ぼくがやっている監督のような仕事を、
学生の身でありながらやっていたわけですよ。
外部との交渉から、お金集めから全部。 |
糸井 |
それは、鍛えられますね。 |
大後 |
ええ。
自分も3、4年生になると、
そういう任務を負うようになる。
いまの自分がしていることは、
あのときやっていたことがベースになっていて。
監督として、いまやってることは、
当時とたいして変わっていない。
同じことをして、
いまは給料がもらえるわけで。
「こんないい仕事はないな」
って、思っているんですけど(笑)。
ぼくが4年になったときも、
まだ監督がいなかったから、
自分たちで何でもしなきゃいけなかった。
それで、箱根駅伝に出場して、
最終的には2位になったんです。 |
糸井 |
学生だけのチカラで
2位をとったわけですね。 |
大後 |
ええ。
箱根駅伝というのは行きと帰りがありますけど、
行きは優勝したんですよ(笑)。
そのときの、チームの力を押し上げた
「秘密」があるんですよ。 |
糸井 |
わぁ、何なんですか? |
大後 |
日体大は、12月も10日ぐらいになると、
冬休みとして、
レギュラーメンバー以外、全員家に帰すんです。
10人か15人ぐらい残して、
120人ぐらいを帰します。
それで、箱根駅伝に向けて
レギュラーだけ、集中させて練習するんです。
ところがね、その年の12月25日ぐらいに、
大雪が降ったんです。
ものすごい雪が。
それで、グラウンドは
使いものにならなくなってしまった。
ふだんだったら、部員が130人いますから、
雪かきなんか、すぐできるんです。
でも、そのときはレギュラーの十何人しかいませんから、
1日かかっても、グラウンド全部の雪かきはできない。 |
糸井 |
非常事態が起こったんですね。
練習が、できないんだ。 |
大後 |
ええ。
ところが、家に帰っていたひとりの補欠の4年生が、
関東近辺に住んでいる連中に
かたっぱしから電話して、
「レギュラーで残って練習しているやつら、
たぶん、雪かきで困ってるから、
全員集まるように」
と、集合をかけてくれて。
25人ぐらいだったかなぁ・・・集めてくれたんです。
日体大ってすごく封建的な大学で、
4年生がグラウンド整備するなんて
絶対あり得ないことなんですよ。 |
糸井 |
あり得ないことをしたわけだ、
その4年生が。 |
大後 |
もう、爪に土を入れながら
雪かきをしてくれたんです。
それをレギュラーの下級生が見ているわけです。
涙流しているわけです。
「上級生がこんなことまでしてくれている」って。
それが、引き出したんですね。
チームの力を。ビャーッと。 |
糸井 |
ああ、すごいな、それは。 |
大後 |
学生のとき、そういう経験をわたしはしました。
涙が流れるような感動を与えられたら、
選手は自分の力に、
絶対にブレーキをかけられないんです。
だから、補欠の気持ちをわかっている選手は
必ず強くなるんです。
「あの先輩のために自分は走らなきゃいけない」
「何かのために自分は頑張らなきゃいけない」
という気持ちになれたときに、能力は
発揮されるんじゃないかと思うんです。
学生のときに経験できたことが、
わたしの財産ですし、
そういうことをみんなに教えたいですね。 |
糸井 |
雪のおかげですね。 |
大後 |
ええ、雪のおかげ(笑)。
だから「補欠の哲学」といいますか、
いつもいつも二番煎じで
甘んじている連中の哲学というのを
大事にしたいです。
それは必ず違う世界で、
成功をおさめる要因になるはずです。 |
糸井 |
いいねぇ、
その話、とってもいいですねぇ。 |
大後 |
ふふふふ。
箱根駅伝に出場している
15校のなかで、マネジャー出身の監督は
わたしだけなんです。
あとはみんな、一流の選手が監督に座っていますから。
だから、ひとつのモデルとして、
頑張らなきゃいけないなと思います。 |
糸井 |
すごいねぇ。
はじめて聞いたよ、いまの。
はあぁー。
具体的に、そういうことがあったんだ。 |
大後 |
うん。
あの経験がすべてです、わたし。
学生時代4年間の経験が、すべてです。 |
糸井 |
そうなんだぁ。
|
(つづき)