大後 |
わたしは、マネージャー出身ですから、
選手よりもマネジャーに厳しいですよ(笑)。 |
糸井 |
そうなんだ? |
大後 |
もう、マネージャーについては
徹底して教育しますから。
人間のプラスアルファを引き出すための組織を
どうつくっていったらいいか、
ということにおいては、
キャプテンよりもマネジャーに厳しいです。 |
糸井 |
ほー。
もともと、
そういう考えを持つようになったのは
さっき聞いたみたいに、大後さんご自身の
ケガからはじまったことなんですねぇ。
ツキがないぶんだけ、運があったというか・・・。
大雪になったのも、そうだし。 |
大後 |
そうですね。
自分の人生を、よく呪いましたもの。
何でこんなに指導者に恵まれねぇのかなと思って。
それは、高校のときからなんですよ。 |
糸井 |
運、悪いですねぇ(笑)。 |
大後 |
高校のときも、先生の胃が悪くなっちゃって
顧問が3年間いなくて(笑)。 |
糸井 |
わははは。 |
大後 |
わたし、キャプテンだったから。
そこからがまた、不運だったんです。 |
糸井 |
今度は、何でしょう? |
大後 |
いまから考えてのことなんですけれどもね。
結局、顧問のいなかった高校の3年間で、
練習をやりすぎてしまったんですよ。
練習を休むことを誰からも指示されなかったので
ずうっとやり続けて。
そして、揚げ句の果てにヘルニアに。 |
糸井 |
うわぁ。 |
大後 |
気がつかないわけです。
しびれているのに、バンバン。
大学へ上がっても、まだ痛みが続いている。
検査してみたら、これは完全なヘルニアだと。
しょうがないので、
ずうっとリハビリです。
そして、大学でも、
入学式のときに握手しようと思って
駅伝の監督をさがしたら
これが、いないんですよ(笑)。
それで4年間、
また、マネジャーとして
チーム全体を見ることになって・・・。
そういう星の下に生まれたのかなぁ。
でも、かえってそれがよかったかなぁ、
と思います。 |
糸井 |
ああ。だから、独自の経験で
やるしかなかったんだ。 |
大後 |
そうなんです。
固定観念がないんですよね。
感化された指導者がいないんで。 |
糸井 |
環境に依存したくても、
依存できなかったですよねぇ? |
大後 |
そうそうそう。
自分で考えるしかなかったんですよ。
いつだって、自分の居場所を、
自分で見つけなきゃいけなかった。
自分の居場所が見つからなきゃ
やめるしかないんです。 |
糸井 |
そういう訓練を
ずぅっと続けてきたんだ。 |
大後 |
だからいつも、
嫌だなんていっていられないですよ。
まあ、厳しい環境だったんでしょうけど、
自分にとっては
非常に自分自身を鍛えてくれた環境だったなぁ。 |
糸井 |
これまでのことを聞くと、
ここにこうやって
大後さんがいらっしゃる理由が
よくわかりますね。 |
大後 |
そして、できれば学生に、
そういう場を与えてやりたいんですよ。
いま、教育界って、
できれば安全に安全に柵を囲ってやるような
しくみですよね。
運動会でも、マスゲームはなくなる、
棒倒しはなくなる・・・。
すべて危険因子を排除していく
考えかたでしょう?
そういうの、やっぱりだめですよ。
「これが危ない」ということを
わからせるような部分を残しておかないと、
たいへんなことになっちゃいますよ。 |
糸井 |
脳だけの人間に
なっちゃいますよね。 |
大後 |
そうなんです。
まあ、親御さんからしてみれば、
かわいいお子さんが経験することからは
できるだけ危ない部分は排除してほしいと
思うんでしょうね。
だけど、世のなかって
そんなに甘いものじゃない。 |
糸井 |
くじを引かなきゃね、やっぱり。 |
大後 |
そういうこと、
おとながいちばんよく知っているわけでしょう。
甘い考えでいたら、
とてもとても生きていけるような
世界じゃありませんから。 |
糸井 |
うん、うん。 |
大後 |
だから、強いリーダーシップを持った子どもが
出てこないんです。
これから、いろんな意味で
スポーツにもいい指導者が
どんどん出てきてもらわなきゃいけないと
思っているんですけど、
そういう環境で育っていくと
ちょっと厳しいかなあと思います。 |
糸井 |
現在の状況で、
大後さんご自身の迷いが
まだいっぱいあって、
いろいろ悩んでいることがあると
おっしゃいましたね。
その状態というのは、
選手に見せていらっしゃいますか? |
大後 |
悩んでいるということは、
見せてません。
ただ、
「こういうことが自分は甘かった」
と、自分の反省点はハッキリ言います。 |
糸井 |
そういうことは、
ちゃんと言うようにしているんですね。 |
大後 |
ええ。
昨日選手たちに説教をしたなかで、
そういうふうに話をしました。 |
糸井 |
なるほど。 |
大後 |
「おまえたちに怒鳴るのが、
おれ、少なくなってたと思う。
少し優しくなっちゃったのかな?」
と言いました。 |
糸井 |
これまで、選手の自主性を
尊んできていたのが。 |
大後 |
ええ。
トレーニングも、これまでは
「体がきついから、
今日はちょっとここでやめておきます」
というような、選手の気持ちを
いつも尊重するようにしてたんですよ。
大人扱いしてたんです。
だけど、
「いや、おまえ、
いま自分に向かわないと、逃げになるぞ」
と言ってみたんです。
そしたらできるんですよ。 |
糸井 |
選手のほうも
そう言われるのを
望んでたのかもしれない。 |
大後 |
それで、その選手はほんとにいい顔して、
「先生、あのときに、
トーンと背中たたいてもらって、よかった」。 |
糸井 |
ああ、やっぱりそうなんだ。 |
大後 |
まだまだトレーニングできたにもかかわらず、
わたしがいつも甘い言葉をかけて、
本人の「くそ!」という気持ちを
引き出してやれなかったかもしれない。
やっぱり優しくなっちゃうとだめだなあ。
いや、優しくしたというより、
甘やかしていたのかもしれないですね。
甘やかすのと優しくするのとを
履き違えをしていたかもしれない。
わたしも学生たちも。
やっぱり時と場合によって、
いままで塩だけだったのを
コショウにしようかと(笑)。 |
糸井 |
指導する側が
豊かになっていかないとだめですよね。 |
大後 |
そうなんですよ、
いままでわたしは、忘れていましたね。
自分が元気で、感性が敏感でないと、
いい指導もできないです。
体調管理ということも含めて、
監督というのは、たいへんなんですよ。
指導者や、組織の上に立つ人間は、
常に感性を働かせていないと
なかなかいい指示を出せないんだろうなぁと、
ほんとに感じます。
これまでは、
選手が走ればいいんだから、
「おれは酒飲んでいても関係ねえ」
と、思ってた。
・・・ところがそうじゃないということを、
最近つくづく感じます。 |
糸井 |
選手と監督は、「一体」なんですねぇ。 |
大後 |
一体なんです。監督の心境が、
チームのカラーになっていくんです。 |
糸井 |
ぼくの知り合いに、
ビジネスのことを
いろいろ教えてくれる人がいます。
その人にぼくは、
「ある会社とつき合うか、
つき合わないかをどう判断するか」
を尋ねたことがあるんです。
そしたら、「社長がすべて」だと言うんです。
その社長がどういう場所にいて、
どういう戦いをしているとかいうことよりも、
人格で判断するというんです。
人そのものが信用できたら、
長い目で見たら、
いいことばっかりになる。
たとえ、一緒に失敗しても。 |
大後 |
そう思いますね。
これはね、
もうほんとに説明がつかないんですけどね。
タイミングもあるし、
出会いもあるし。 |
糸井 |
人との出会いは、大切ですね。 |
大後 |
いま、うちの大学は、耐震のために
いろいろ建て直しをしてまして、
昨年の11月に
トレーニングセンターをつくってもらったんです。
そこにトレーナーの人が入るようになった。
その人は、たまたまなんですけれども、
ものすごくいいトレーナーだった。
それで、わたしはその人と組むようになって、
チームのことをいろいろ、
話させてもらってるんです。
あと、実業団にいた私の教え子が、
年は10歳離れているんですけれども、
いま、コーチで来てくれているんです。
これも優秀なやつです。
みんなで集まって、
カンカンガクガク話をしているうちに、
何かやれることが見えてきた。
これもいい出会いだと
思うんです。 |
糸井 |
うーん、楽しそうですね、それは。 |
大後 |
楽しいんですよ。
これがまた昨日も朝の5時まで、
ああだ、こうだと話しているわけです。 |
糸井 |
がんばってますね、
ほんとに。 |
大後 |
はい。 |
糸井 |
やっぱりねぇ、
日本の資源って、人間しかないから、
人間がよくならないかぎり、
だめなんだろうなあ。 |
(つづき)