糸井 |
ところで、さきほどのお話で、
雪かきのための電話連絡をした
補欠の彼は、いま、どうしていますか? |
大後 |
いま、県立高校で教員やってます。
そして、みごとに
全国大会に行くような、
駅伝チームをつくっています。 |
糸井 |
へえ!
うれしいなあ、なんか。 |
大後 |
やっぱり学生時代に、
あれだけのハートを持っていたんですもん。
指導する側になっても、
必ずいい選手を育てますよ。 |
糸井 |
何かがそういう彼を
つくったんでしょうね。 |
大後 |
そうだと思います。
これまで経験したことのすべてがね。
みんな、
「あいつだったら
そういうチームをつくるんじゃないか」と
学生時代からわかっていたんです。 |
糸井 |
なんだか、ぼく、思うんですけれども、
人間は「社会とちゃんと摩擦する場所」に
いなきゃだめですね。 |
大後 |
そうですね。 |
糸井 |
そういえば、ぼく、
ちょっと小さく、いまの話に
そっくりのうれしいことがあったんです。
ぼくの卒業した高校は、受験校だったんで、
野球部にメンバーが9人集まらない
学校なんですよ。
で、あたりまえなんだけど、
野球部はめっぽう弱い。
「もちろん受験もするんだけど、
野球でもやるか」
と思ってる、いわばちょっと変わり者の
集まりなんです。
ぼくが大人になって仕事をしはじめてから、
ある年急に、その母校が甲子園に出たんですよ。 |
大後 |
それは、びっくりしたでしょう? |
糸井 |
「どうしたんだろう」と思った(笑)。
そしたら、ピッチャーの優秀なやつがいて、
そいつがいるからだった。
そうなると、まわりもおもしろがって、
「勝てるぞ」となる。 |
大後 |
そうですね。
部員だって、増える。 |
糸井 |
想像でしかないんだけど、
選手は13人ぐらいだったんじゃないですか。
甲子園に出ちゃって、大笑いなんだけど、
初戦で京都の学校※とぶつかって、
何と、完全試合やっちゃったんです。
そのピッチャーの投げる球は
遅いんですよ。
やっぱりぼくとしては
とてもうれしかった。 |
大後 |
はい。
伝わってきます。 |
糸井 |
次の試合ではちゃんと負けたんですけど、
そのピッチャーは
有名になっちゃったんです。
受験校で「ギリギリ9人そろえました」
みたいなチームで、
甲子園で完全試合やったやつ。
それで、そういえば最近あいつ
どうしているのかなぁと思ってたら、
結局、野球部の監督になって学校に戻って、
何と、今年の春、
甲子園に出られそうなんです。 |
大後 |
ほおー。
今度はその子が監督で。 |
糸井 |
すごいですよ、
選手だったやつが監督になって
チーム連れて、また甲子園に行く。
その間、15年ぐらいあるんじゃないですか。 |
大後 |
はいはい、
そうですよねぇ。 |
糸井 |
長いレンジで見たときの、
その楽しみって、いいですよ。 |
大後 |
つながる楽しみですね。 |
糸井 |
また何かあるでしょう、きっと。
そいつが育てたやつが・・・。 |
大後 |
そうなんですよ。 |
糸井 |
雪かきの人も、いいなあ。
その生徒がまた、
何かやるんですよねえ。 |
大後 |
雪かきの連絡係が教えた生徒を
またわたしがいま、
預かっているんですよ。 |
糸井 |
えぇっ、そうなんですか。 |
大後 |
たぶん、次の箱根を走ると
思いますけれどもね。 |
糸井 |
わぁ。
何ていう選手なんですか? |
大後 |
島田という選手なんですけど。
そいつの教え子のなかで、いちばんはじめに
箱根を走ることになるんです。
そういうふうにつながってますから。 |
糸井 |
うれしいですよねえ(笑)。 |
大後 |
楽しみは増えていきますね。 |
糸井 |
大後さんは、
ぼくと年の差が20年近くありますけど、
この20年の借金が、また多いんですよ。
いろいろあるよ、これから。 |
大後 |
あ、そうなんですか(笑)? |
糸井 |
いままでなんかより、もっとですよ。
神様は、
「背負えない荷物は背負わせない」というけど、
背負える分量のぎりぎりまで背負わせますね。 |
大後 |
・・・あ、なんか、こわいなぁ。
いまは、たまたま駅伝をやっていて、
たまたま2回勝って、
少し名前を覚えていただいたかたが増えただけ。
たいしたことないんです、自分では。
ほんとうにたいへんなのは、
これからじゃないかなぁという気がする。
40代、50代をどう行くかと。
やっとそういうものが
見えはじめてきたんです、ここ1〜2年で。 |
糸井 |
実は、楽しいですよ。これからが。 |
大後 |
楽しみにしていて、
いいんですかねぇ?(笑) |