CHILD
これでも教育の話?
どんな子供に育ってほしいかを、
ざっくばらんに。

第7回 育てて次につながる楽しみ

糸井 ところで、さきほどのお話で、
雪かきのための電話連絡をした
補欠の彼は、いま、どうしていますか?
大後 いま、県立高校で教員やってます。
そして、みごとに
全国大会に行くような、
駅伝チームをつくっています。
糸井 へえ!
うれしいなあ、なんか。
大後 やっぱり学生時代に、
あれだけのハートを持っていたんですもん。
指導する側になっても、
必ずいい選手を育てますよ。
糸井 何かがそういう彼を
つくったんでしょうね。
大後 そうだと思います。
これまで経験したことのすべてがね。

みんな、
「あいつだったら
 そういうチームをつくるんじゃないか」と
学生時代からわかっていたんです。
糸井 なんだか、ぼく、思うんですけれども、
人間は「社会とちゃんと摩擦する場所」に
いなきゃだめですね。
大後 そうですね。
糸井 そういえば、ぼく、
ちょっと小さく、いまの話に
そっくりのうれしいことがあったんです。

ぼくの卒業した高校は、受験校だったんで、
野球部にメンバーが9人集まらない
学校なんですよ。
で、あたりまえなんだけど、
野球部はめっぽう弱い。
「もちろん受験もするんだけど、
 野球でもやるか」
と思ってる、いわばちょっと変わり者の
集まりなんです。

ぼくが大人になって仕事をしはじめてから、
ある年急に、その母校が甲子園に出たんですよ。
大後 それは、びっくりしたでしょう?
糸井 「どうしたんだろう」と思った(笑)。
そしたら、ピッチャーの優秀なやつがいて、
そいつがいるからだった。
そうなると、まわりもおもしろがって、
「勝てるぞ」となる。
大後 そうですね。
部員だって、増える。
糸井 想像でしかないんだけど、
選手は13人ぐらいだったんじゃないですか。
甲子園に出ちゃって、大笑いなんだけど、
初戦で京都の学校とぶつかって、
何と、完全試合やっちゃったんです。

そのピッチャーの投げる球は
遅いんですよ。
やっぱりぼくとしては
とてもうれしかった。
大後 はい。
伝わってきます。
糸井 次の試合ではちゃんと負けたんですけど、
そのピッチャーは
有名になっちゃったんです。
受験校で「ギリギリ9人そろえました」
みたいなチームで、
甲子園で完全試合やったやつ。

それで、そういえば最近あいつ
どうしているのかなぁと思ってたら、
結局、野球部の監督になって学校に戻って、
何と、今年の春、
甲子園に出られそうなんです。
大後 ほおー。
今度はその子が監督で。
糸井 すごいですよ、
選手だったやつが監督になって
チーム連れて、また甲子園に行く。
その間、15年ぐらいあるんじゃないですか。
大後 はいはい、
そうですよねぇ。
糸井 長いレンジで見たときの、
その楽しみって、いいですよ。
大後 つながる楽しみですね。
糸井 また何かあるでしょう、きっと。
そいつが育てたやつが・・・。
大後 そうなんですよ。
糸井 雪かきの人も、いいなあ。
その生徒がまた、
何かやるんですよねえ。
大後 雪かきの連絡係が教えた生徒を
またわたしがいま、
預かっているんですよ。
糸井 えぇっ、そうなんですか。
大後 たぶん、次の箱根を走ると
思いますけれどもね。
糸井 わぁ。
何ていう選手なんですか?
大後 島田という選手なんですけど。
そいつの教え子のなかで、いちばんはじめに
箱根を走ることになるんです。

そういうふうにつながってますから。
糸井 うれしいですよねえ(笑)。
大後 楽しみは増えていきますね。
糸井 大後さんは、
ぼくと年の差が20年近くありますけど、
この20年の借金が、また多いんですよ。
いろいろあるよ、これから。
大後 あ、そうなんですか(笑)?
糸井 いままでなんかより、もっとですよ。
神様は、
「背負えない荷物は背負わせない」というけど、
背負える分量のぎりぎりまで背負わせますね。
大後 ・・・あ、なんか、こわいなぁ。
いまは、たまたま駅伝をやっていて、
たまたま2回勝って、
少し名前を覚えていただいたかたが増えただけ。
たいしたことないんです、自分では。
ほんとうにたいへんなのは、
これからじゃないかなぁという気がする。

40代、50代をどう行くかと。
やっとそういうものが
見えはじめてきたんです、ここ1〜2年で。
糸井 実は、楽しいですよ。これからが。
大後 楽しみにしていて、
いいんですかねぇ?(笑)

※これはdalirgの記憶違いで、ほんとは、
第50回(昭和53年)大会にて、前橋高校の松本稔投手が、
春夏の甲子園史上、はじめて完全試合を達成した
比叡山高校との対戦のことを語っています。


(おわります)

2002-02-07-THU

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