横尾 |
いきなりだけど、
糸井さんのお父さんって、
いつごろ亡くなったの? |
糸井 |
えっ、なんでそんなことを聞くんですか?
・・・ぼくが33くらいのときかな。 |
横尾 |
実は最近、ぼくの父親というべき存在の
アーティストが亡くなったんですよ。
それで、自分のおやじが死んだときのことを
思い出してたんだけど。
ぼく、おやじが死んだときにね、
いちばん恐れてたことなんだけども、
なんだか「解放」されたんだよね。 |
糸井 |
解放された。何から? |
横尾 |
おやじが死んで、
「これで自立できる」みたいな気になってね。
まだ自分が海のものとも山のものとも
ついてない年ごろだったから、
何について自立するんだか
よくわからなかったんだけど。
だけれども、とにかく解放された。 |
糸井 |
そういう解放感があるのは、
やっぱり父親が亡くなったとき、ですか。
母親というよりも。 |
横尾 |
父親だね。 |
糸井 |
ぼくは父親が亡くなったときは
まず、何も考えられなかったです。 |
横尾 |
糸井さんは、そのときには
もう自立してたんだね。 |
糸井 |
自立してましたね。
親は、いつもぼくを自立させるために
野放しにするよう心がけていたくらいだから。
ただ、父親が死んだときに
ぼくが自立した大人だったといっても、
そのあとも、実は自分は
もっともっと大人になっていくからね。
だんだん年を取るにつれ、
「ああ、この年のころ、
おやじはこういうことしてたんだな」
というふうに、父親に自分の年のモノサシを
あてるようになったんですよ。
すると「意外と偉いなあ、あの人は」って、
思うようになりました。 |
横尾 |
ぼくなんか、
父親が亡くなったのは
24ぐらいのときだった。 |
糸井 |
そうか・・・。
それは、もうすごく
いろいろな思いがあったでしょうね。 |
横尾 |
うーん。特にぼくはね。
24歳とはいっても、
周りにいる同年代の人たちに比べると
かなりオクテだったから。 |
糸井 |
晩熟ですよね、
横尾さんは基本的に。 |
横尾 |
晩熟って、ぼくはまだ熟してないけどね、
ハハハハ。 |
糸井 |
ずうっと「熟」を
拒否しているようなところがありますよね。 |
横尾 |
いや、「熟」を目指してるんだけど(笑)、
全然だめだったんですよ。
自分の中のあるものは
成長したかもしれないけど、
あることに関しては、努力にもかかわらず
全然成長していない。 |
糸井 |
自分が父親になったときも
「父親だ」という意識は
なかったんですか。 |
横尾 |
なかった。
うちのカミさんは
「ちょっとおなかの調子が悪いから」って
入院したわけ。
それから4、5日、
ぼくも全然連絡なんて入れなかった。
そしたら、ある日突然、
病院から電話がかかってきて、
産まれちゃった。
「何が?」みたいなかんじで。
子どもが生まれた瞬間に、
すぐに父親にはなれないよ。 |
糸井 |
みんな、父親になるためにいろいろ
練習するんじゃないかな。 |
横尾 |
ぼくは練習しないまま
終わっちゃったね。 |
糸井 |
ぼくね、今でも覚えてるんだけど、
20歳ぐらいのとき、お銭湯で・・・ |
横尾 |
オセントウって何? |
糸井 |
あ、すみません、
銭湯、銭湯です。 |
横尾 |
・・・糸井さん、
銭湯に「お」つけるの? |
糸井 |
たまたまついちゃったんですよ(笑)。 |
横尾 |
お線香というのはあるけどさぁ。 |
糸井 |
お風呂屋さんのことを
言いたかったんですよ。 |
横尾 |
お風呂屋さんには
「お」をつけるけれどもさ、
銭湯に「お」はつけないんじゃないの?
おかしいですよ。 |
糸井 |
自然に言っちゃったな、
「お銭湯」って。
まあ、許してくださいよ(笑)。 |
横尾 |
ぼく最近、銭湯のポスターを
つくったばっかりなんだよ。
だからちょっと「銭湯」という言葉に
厳しくって(笑)。 |
糸井 |
ハハハ。
では、ちゃんと銭湯と言いましょう。
昔、銭湯で髪を洗ってたら
向こうのほうで若いやつが
「産まれちゃうんだよ」
という話をしてる。
若いやつなんですよ、20歳そこそこの。
「しっかりしなきゃなぁ」とか
体洗いながら友達と言い合ってるんです。
おれはそのとき思ったんです。
「親になるってああいうことか」って。
「うれしいか?」
「そりゃ、うれしいよ」
とか、そいつらは話してるわけ。
それを見て、世間ではみんな親になるときに
こういうふうに練習していくのかと思ってね。
自分が親になるときに
ああいう気分にならないかもしれないなって、
ちょっと心配したりしてたんですよ。 |
横尾 |
というよりも、さぁ。
どうして銭湯行ったの? |
糸井 |
下宿だったから。 |
横尾 |
あ、そんな昔の話ね。 |
糸井 |
うん。ぼくがまだ20歳ぐらいの話。 |
横尾 |
で、いまだに子どもはいないわけでしょう? |
糸井 |
・・・子ども、いますよ。 |
横尾 |
いたんだっけ? |
糸井 |
いますよ。
もう20歳ですよ。 |
横尾 |
そうだっけ? |
糸井 |
はい。ぼくは、横尾さんと同じで、
よく「子どもがいない」と
思われがちなんですよ。 |
横尾 |
あ、そう。・・・あ、そう。 |
糸井 |
横尾さんと会ったことさえありますよ。
この前、多摩美でいっしょに審査員やったとき、
うちの子どもがあいさつに
審査員席まで来たじゃないですか。 |
横尾 |
あ、そうだ。 |
糸井 |
あれですよ。 |
横尾 |
あ、なんだか思い出した。
あのね、僕はいままでずっと思ってたんだけど、
糸井さんの親子って理想的だよね。 |
糸井 |
さっき、ぼくの子どもの存在さえ忘れてたのに(笑)。 |
横尾 |
(笑)まあ、いいじゃない。
ほんとにいい関係だよね。 |
糸井 |
どういうところが? |
横尾 |
なぜかっていうと、
兄弟みたいなつきあいしてる。 |
糸井 |
あ、そうかもしれません。 |
横尾 |
親子でも夫婦でも、
「兄弟の関係」でつき合うのが
ぼくはいちばん理想的だと思う。
べたべたしないし。 |
糸井 |
兄弟の関係。 |
横尾 |
親子の関係だと、べたべたするじゃない?
妙なエゴが働いて、
子どもに対する所有欲が生まれてくる。 |
糸井 |
うーん。ぼくと娘には
あんまりそういうのはないかもね。 |
横尾 |
見ててわかるよ。ないよ。
だから、大丈夫なんじゃないかな。 |
糸井 |
エゴが働きそうになったらきっと、
気をつけなきゃ、と思うでしょうね。 |
横尾 |
うん。子どものほうもそう思ってる。
お互いの「思った結果」が
ああいう関係になったんだね。
すごくいい関係だと思ったよ。 |
(つづく)