糸井 |
これまでいろんなところで
人間をつくっていくコーチをしてきた
内田さんとしては、
運の要素って、才能の何割ぐらいあると思いますか。 |
内田 |
運は8割(笑)。
そのときの状況によって、スポットが当たるものと
当たらないものがあるんです。
例えば、監督がスピード野球をやると決めたとしたら、
いくらホームランを打つバッターでも、
足が遅かったら使わないですよ。
リーダーの考えに合わない選手というのは、
結局は試合に出られない。
選手のレベルは、じつはそんなに変わらないですよ。
キャッチャーなんか、
試合に出れば出るほどうまくなりますからね。 |
糸井 |
キャッチャーは、ほんとにそうですね。 |
内田 |
キャッチャーは、
使わないとつぶれますね。
そういうこともあって、極端ではあるけども、
「8割は運」といってるんですがね。
まあ、学校の運営は
運にまかせられませんけど。 |
糸井 |
でも、影響はあるでしょう?
ある法律が遠くで影響しているとか、
その法律が知らないうちになくなっていたりすることが、
じつは山ほどあるでしょう。 |
内田 |
そういうことは大きく影響しますね。
でも、今のわたしには運が向いていると思うんです。
まず行政が「内田のいうことを全部聞いてやろう」と
いう姿勢でいてくれている。
それに、保護者をはじめ、地域の人々がものすごく
バックアップしてくれています。
先生方が
「自分では変わろうと思っていても、
仲間意識があってなかなか変われない」
という場合でも、
地域からのプレッシャーや行政からの支援で、
実行できるということもあります。
行政からの圧力に負けてやってみたことでも
「これはいいことかもしれない」と思う先生もいる。
そんなふうに転がり出したら、
たとえスピードのない動きでも、
改革へ向かいます。
これは周りから見れば、運です。
だから、この1、2年で
できることをやらないといけないんです。
3年かかっちゃうとだめだなと思うから。 |
糸井 |
速度が大事ですね。
やっぱりスピードがないと、
消えていくものがすごく増えますよね。 |
内田 |
そうですね。
運が向いているうちにやってしまわないと
いけませんから。 |
糸井 |
時代によって、子どもも、そして、教育も
少しずつ変わってきたと思います。
1個ずつのものが大事にされなくなるのと
人間が大事にされていかなくなるのとが
非常にシンクロしていると思うんですよ。
この対談のシリーズで、
神奈川大学の駅伝の大後監督と
お話をさせてもらったんです。
神大は、例えば宿舎もぼろで
飯の用意もちゃんとできなかったし、
布団の上げ下げも全部選手自身でしていた。
そのときのほうが、選手が何かを
持っているふうだった。
施設が立派になったら
だめになっていったらしいんです。 |
内田 |
それはいえますね。
わたしはのほほんと
生活してきたように見えるらしいけど、
母子家庭なんですよ。
経済的、家庭的に苦労した。というより
「我慢をして忘れるために
野球にドップリとつかりきった」
といえるかも・・・。
今でも車を運転したりすると、
「あれ? おれ、今、車を持っているんだよな」
という思いに駆られる。
苦しかったときのことを考えながら
頑張ったことを子どもたちに伝えようと思っても、
なかなか・・・。 |
糸井 |
難しいですね。 |
内田 |
逆境を生きてきたことは、
その人が持っているひとつの財産です。
力になることは確かですね。 |
糸井 |
これからは、おそらく、
逆境を買うという時代に
なっていくんじゃないでしょうか。 |
内田 |
逆境を買う、というと・・・? |
糸井 |
例えばジェットコースターです。
あれは、怖さを味わいに行くわけですよね。
キャンプもそう。
不自由さの中にわざわざ身を入れる。
そういうことで
人間が本来持っている生命力みたいなものを
開花させるようなものが
システム化されていくんだろうな。
スポーツをやる子たちに
教育する側がある程度接しやすいというのは、
「限定された環境の中で不自由だ」
という経験を積んでいるからですよね。
勝ち負けがあるし。
運動会でも、最近では競争がなくて、
「みんな仲よくゴールしましょうね」
という風潮があります。
あれをやっている限りは・・・。 |
内田 |
あれはやめてもらいたいね(笑)。
わたしは、親御さんたちに
話をしたことがあるんです。
「最初から意識して競争意欲を燃やさんとだめですよ。
学校にいるときは
平等でいいかもしれませんけれども、
彼らもいずれは社会へ出る。
社会へ出たら荒波にのまれちゃいます。
一生懸命競争することによって
力を伸ばしていくこともある。
競争心をあおるのが
親の役目でもあるのではないでしょうか」
こう話したんだけど、みなさん黙っていましたね。 |
糸井 |
競争して勝ったほう、それだけの力があった人間が
獲物を他のものに分け与えるということをはじめれば、
競争は循環すると思うんです。でも、
勝ちは勝ちっぱなしというふうに見えちゃうから、
競争がつまんなくなる。
例えば日本での寄附行為は、
税金を払ったあげくの利益を
寄附しなきゃならないでしょう。
アメリカが全部いいわけじゃないけど、
アメリカでは、寄付は税金控除の対象ですよね。
カーネギーホールのこともそうだし、
ビル・ゲイツがこの間、
たくさん寄附したこともそうです。
それは、「あるから分ける」ということについて
思いがはせられているんです。
法律が変わるだけで
すべてのことに影響を与えるような気がするんですよ。
勝った者はどうするか、という教育も大切なんです。
そして、負けた人間はそのハンディキャップを
どういうふうにはねのけて立ち上がるかで、
力をつけていく。
だから勝負はおもしろいんです。
そこのおもしろさを与えないで、
「みんな、結局、同じよ」といわれたら
前進のしようがなくなるじゃないですか(笑)。 |
内田 |
だから、わたしはスポーツをするんです。
勝敗がはっきりしているから。
そのせいか、わたしは必ず目標を達成しないと
気がすまないんですよ。
結果はファジーにしない。
それに、せっかちで(笑)。
そういうことをスポーツで
自然に身につけることがいいと思って、
うちの学校も文武両道で
部活を一生懸命やらせています。
日立に勤めていた時代のことなんですが、
わたしは中国へ三十数回行っているんです。
実に怖いんですよ、中国は。
日本に追いつけ追い越せの精神か、
知識を得るために、みんな必死なんですよ。
例えば技術的な打ち合わせをすると、
朝の8時から夕方の6時までで、
話し合いはいったん終わるんです。それから、
「内田さん、夜、行っていいですか」
という人がいた。
一緒に飯でも食おうと誘っているのかな、と思ったら、
ノートを持って10人ぐらいで
わたしの部屋へ入ってくるんですよ。
そこから夜の11時まで、
延々とわたしの知識と技術を盗み取ろうとするんです。 |
糸井 |
怖いけど、うれしいでしょう。 |
内田 |
うれしいです。
日本人の青年たちとは全く違うから、
逆に寂しくなる(笑)。
我々や上の世代の人もそうでしょうけど、
「アメリカを追い越せ」とか、
ひとつの目標を持っていました。
最近は目標がなくなってしまって、
ちょっと右往左往しているところが多い。
中国は、昔の日本と同じじゃないかな?
ひとりひとりがある目標を持っています。
ですから「これは末恐ろしいな」と感じますね。
あの環境を今の日本の若い子たちに
ドーンと押しつければいいんでしょうけれども、
そういうチャンスもなかなかない。
学校でそういう状況を
説明してやるしかできない。 |
糸井 |
評価がテストの総合点だけでは、
競争の張り合いがない。
ダンスでもスポーツでも芸術でも何でもいい。
何が楽しいか、何が向いているのか、
いろんなことをやってみて
勝ったり負けたりのおもしろさや
勝っておごらず、負けてへこまず、
みたいな経験を積んでいくことを
させてあげたいなと思いますね。 |
内田 |
そういうきっかけが
じつはいっぱいあるんですが、
今の子は反応を示すのが遅い。
鈍いですよ(笑)。 |
糸井 |
ぬるいから、ですかね? |
内田 |
ぬるいですね、ほんとうに。
3年生になって、わたしと面談をして、
それからやっと考えはじめる。
1、2年生のうちに
考えるチャンスがないものですから、
前倒しして考えさせるようにしたいと、
先生方にもいってはいるんですが。 |
糸井 |
テレビゲームなんかのときには
点数を上げるために意地になるのに(笑)。
ああいう本能的な
何かをガーッとつかもうという気持ちが
人間から失われるはずはないと思うんですけどね。 |
内田 |
ええ。 |
糸井 |
ただ、自分も
若いときにそんなにわかっていたかというと
そうじゃない。
いろんなところでよくいってるんですけど、
ぼくは、45歳から
一生懸命働くようになったんですよ。
それまでは、まあ、
だいたいこんなものだろうと(笑)。
それを考えるとあんまり偉そうなことは
いえないんです。
若いときにそういうことを知っていたら、
おもしろかったろうなと
今になって思うんです。 |
内田 |
糸井さんは、若いとき、
蓄積なさっていたんですよ(笑)。 |
糸井 |
そうですかねえ。
晩熟といえばひどい晩熟で・・・。 |