エ☆ミリー吉元
						マンガ原稿のある暮らし

偉大なマンガ家を父に持つ
エ☆ミリー吉元さんによるルポマンガです。
おうちにある約3万枚の
マンガ原稿を未来に遺すため、
いろんな関係者に取材をしながら、
自分なりの方法を探していきます。
家族とマンガと原画保存にまつわる
ノンフィクション・ファンタジー。
かわいい仲間たちと一緒におとどけします。

みなもと太郎の生原稿

登場キャラクター

※キャラクターを
クリックすると
詳細がみられます。

  • エ☆ミリー吉元
  • エホッシー
  • ケーネンレッカー
  • 今回のスペシャルゲスト 静香さん

おしえてエ☆ミリーさん!
					みなもと太郎先生について。

1947年、京都府京都市生まれ。
1967年、『兄貴かんぱい』でデビュー。
1970年に「週刊少年マガジン」で連載がスタートした
ハードボイルドギャグ漫画『ホモホモ7』が人気を博し、
1979年には大河歴史ロマン「風雲児たち」がスタート。
みなもと先生の綿密なリサーチと
分析力のもとに確立された、
まさに「みなもと史観」で展開される本作は、
2021年にお亡くなりになる直前まで
連載がつづけられました。

教科書でしか見たことのない、
いわゆる歴史上の人物でも、
『風雲児たち』を読むと、
「私たちと同じ人間なんだ!」と
すごく身近な存在に感じます。
そういった人たちが繋いできた
歴史の先にいまの私たちが生きてるんだなと、
歴史の中に体温を感じることのできる作品です。

みなもと先生といったら、
作り手としてだけでなく、
ジャンルを横断したマンガ評論家としても
大きな功績を残されています。
いま思うと、私がマンガ研究に興味を持ったのは、
父に取材するインタビュアーとしてのみなもと先生を
間近で見たことがキッカケかもしれません。
「作品を読み解く視点って無限大にあるんだ!」
と驚いたこと、鮮明に覚えています。

また、私がみなもと先生に
最後にお会いしたのは2020年2月、
漫画家に向けて開講された
「出版契約書」の読み方講座でのことでした。
内容からして参加者の多くを若手漫画家が占める中で、
みなもと先生は後進漫画家を守るためには
どのような契約が理想であるのか、
積極的に質問をされていたお姿が目に焼き付いています。

そうそう、ほぼ日では、
みなもと先生と糸井重里さんが2004年に対談した
連載記事「歴史は、ひとことで語れない」を
ご覧いただけます。

エ☆ミリー吉元の
						ちょっとこぼれ話。

みなもと先生はマンガ家になった理由を、
「マンガが好きで、マンガがないと生きていけない。
それならマンガ家になるしかない」
と語っていたそうです。

一方で静香さんは
「そんな覚悟、わたしは出来そうにないな」
そう思い、
マンガ家を志望するのをおやめになったとのこと。
とはいえ、
みなもと先生のアシスタントをされていた過去があり、
ご自身も描き手であること、
先生を一番近くで長年支えられてきたこと、
そういった、みなもと先生の遺された作品、
ご功績に対する理解の深さゆえ、
静香さんは遺された生原稿や資料、
それらひとつひとつと丁寧に向き合いながら
おひとりで整理を進めていらっしゃいます。

書庫を見せていただいた際、
静香さんがご自身の体より幾分も大きな移動式の棚を、
えいやっと移動されているたくましいお姿が
とても印象に残っています。

みなもと先生はご生前、生原稿を全部スキャンして、
データ化したいお考えがあったようですが、
そうしたらデータと生原稿で、
「抱えるものが2倍になってしまう!」と、
どうしても及び腰になっていたとお聞きしました。

生涯、連載作家であったみなもと先生。
激務の日々を送り、ただでさえ時間がなく、
生原稿のデータ化や整理は、
誰かがやってくれないとはじまらない。
静香さんが原稿整理に着手しようとしても、
みなもと先生やアシスタントの方々がマンガを制作する
仕事部屋の内部に踏み込んでの作業となることから、
肝心の執筆の妨げとなってしまうことがネックに。

「結局手をつけることが出来ないまま、
あの人は亡くなってしまった」

そう静香さんはおっしゃいます。
連載作家の家族にとって、
同時に原稿整理を行うことは、
とても難しいことだと思います。
みなもと先生の生原稿を今後どのように遺していくか‥‥
静香さんいわく、現状は手立てやアイデアはなく、
いまはただ目の前の「山」を整理することで
手一杯とのこと。

「生きてるうちに出来るものなら、
やっておいた方が、やっぱりよかったとは思う。
マンガ原稿を収蔵できる施設が今後増えたら、
それは希望です」

と、取材の最後に言われていたことも、
心に残っています。

ちなみに、私がリイド社に入社し、
編集者としてのキャリアをスタートしたのは、
みなもと先生がお亡くなりになった後のことです。
私が所属する「トーチ」編集部の
編集長・中川敦さんが書いた
ブログ「追悼 みなもと太郎先生(担当編集者より)」、
ぜひ読んでみてください。

私は、自分の制作、マンガの編集、父のマネジメント、
手広く仕事をしている分、
いろいろな課題に直面する日々ですが、
「こんな時、みなもと先生だったら、
どのような言葉をかけてくださるだろうか‥‥」
たびたび心の中で、先生に問いかける自分がいます。

2025-03-28-FRI

エ☆ミリー吉元の
					おしらせごと。

画俠伝カバー

筆致も劣化も生原稿の質感そのまま!
60年の画業を圧倒的なボリュームで

バロン吉元 画俠伝 
Baron Yoshimoto Artwork Archives
(バロン吉元/著・山田参助/編、リイド社刊)

バロン吉元初の画集。
マンガ家の山田参助先生と共に、
父の画業から珠玉の絵をセレクトして収録。
制作にあたり、実は個人的な裏コンセプトがありました。
それは父の生原稿が今どのような状態にあるか、
レタッチは極力行わず、発掘時の見た目そのまま、
ほとばしる筆致も、進行した劣化も、どちらも生かして、
まさに「生原稿」という字があらわすように、
原稿は生きていることを、この本を通して伝えたかった。
先行世代にとっては懐かしく、
若年層にとっては全く新しい、
バロン吉元の「技」と「美」を伝えると共に、
生原稿への思いもこめて制作した一冊です。
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