YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson169 想いのこもった言葉――読者との往復書簡


こんにちは、ズーニーです。

今日は、先週、読者の方からいただいた1通のメールと、
それに対する私からの返信を、
ほぼ、そのままのせたいと想います。

ちょっと、私がセンチメンタルになっており、
恥かしいな、とおもうし。
また、自分を褒めたり励ましてくれる人の言葉を
自分のコラムにそのまま載せるのは、
人から観れば、つくられたコマーシャルのように、
そらぞらしい感じがし、引いてしまう、
ということも、編集をながくやってきた私なので、
充分わかっています。
ですから、このメールをこのまま載せることに
ためらいがありました。

また、わたし自身が、「泣き書き」しています。
こういう泥臭いやりとりは、いまどき流行らない、
当人同士はよくとも、
第三者から見れば、はいっていきにくいものだ、
とも想いました。

しかし、それでも、
今週いちばん、私が心を動かされた文章だったので、
素直に、原文のまま、
ここに紹介しようと、想いきりました。
引く人は引く。それでよい、と。

それ以上に、
「想いのこもった言葉」は伝わるんだ、ということを、
お伝えしたかったからです。

自分の想いを、どこまでも正直に言葉にし、
なげかけたとき、距離も背景もこえて、
人の心を打つのだと。

あなた自身が、だれかに想いを伝える、
何か、ヒントや勇気につながったら、うれしいです。

では、まず、先週分のコラムに、
読者の方からいただいたメールを紹介します。

……………………………………………………………………
読者のGuriさんから山田へのメール

「ほぼ日」にメールを出すのは、初めてです。
はじめして、「ほぼ日」のみなさん、
いつも楽しく読ませていただいています。

ズーニーさん。
単行本の誕生、本当におめでとうございます。

『おとなの小論文教室。』は、ほぼ毎週、読んでいます。
バックナンバーでなら、ぜんぶ読ませていただきました。
実のところ、「ほぼ日」のコンテンツの中で、
もっともバックナンバーをふりかえって読んでいるのが、
ズーニーさんの『おとなの小論文教室。』です。

不思議な教室です。
人と人との関係性の儚さや、
そして時にしてその関係性が強くなるさまが、
痛みのままに綴られているような気がします。

僕は2年前に、大阪から東京に出てきました。
東京に行くぞ!と決心したあの瞬間も、
最後に背中を押してくれたのは、
ズーニーさんの『おとなの小論文教室。』でした。
嘘みたい、と思うかもしれないですが、
本当の話です。
のたうちまわって、
何かを伝えようとしている、
ズーニーさんの姿や文章になんだかすごく感化され、
「俺も大都会・東京に行って、いろんな人と繋がりたい」
そう思ったのです。
今ふりかえると、20代後半の、
いちかばちかの賭けのようなものだったと思います。

そうして東京に来て2年、
いくつかの新しい繋がりを
つくることができたと思います。
小さくささやかな繋がりですが、
とても大切な繋がりです。
けれどもそれ以上に、僕はたくさんの人を、
いとも簡単に、傷つけてきたようにも思います。

実際、今年の初夏に行なわれた
「ほぼ日」の会社説明会では、
「ほぼ日」スタッフの、たぶん西本さんに、
とても酷いことを言ってしまいました。
西本さん、本当にごめんなさい。
いや、「ほぼ日」のみなさん、本当にごめんなさい。

あれからずっと考えています。
なぜ、あの30秒の出会いを、
大切にできなかったのだろうか。
なぜ、自分の中のナイフを、あの場でバカみたいに
ひらひらと振りかざしてしまったのか。

東京に来てから、そんなことばかりです。
うまく自分が繋がっていけない、
鉛をのどに詰まらせたみたいに、
うまく言葉が出てこないのです。
大阪にいた頃は、
「大阪で生きてきた」という歴史が、
人と繋がるときに、無条件に機能していました。
大阪は都市だけど、大きな村社会。
「大阪の人間」であることが、
もうそれだけで強くてあたたかい結びつきを
お互いに生んでいたのだと思います。

けれども東京に来て、
自分の歴史がうまく機能しなくなったとき、
丸裸の自分は、
びっくりするぐらいメディア力のない人間でした。
簡単に人を傷つけているくせに、
なかなか人とは繋がれない。
気持ちだけがいつもひとり歩きし、
気づくと真心は、僕の後ろを歩いている。
そんな感じです。

そんなとき、『おとなの小論文教室。』を読みます。
東京に来てから、くりかえし何度も読んでいます。
好きな小説って、物語が自分の身に沁みこむまで、
何度も何度も読んでしまうでしょ?
あんな感じで、何度も読みます。
ズーニーさん、がんばれ!って思います。
俺もがんばれ!って思います。
そうして気づくと
何だかよくわからないあったかいものを、
ずっしりと両手に抱えています。

今日の『教室』で、ズーニーさんは、
「この3年半に見る風景が、どんどん変わってきている」
と書かれていましたが、
僕は、まだまだ風景すら
よく見えていないような気がします。
本当にまだまだです。2年間、ずっと薄暮の途です。
でも、こんな風にズーニーさん宛に、「ほぼ日」宛に、
メールを書けるようになったのだから、
僕もじわじわと、前に進んでいるのかもしれません。
この前、智慧の実を食べたとき、
どなただったかが(吉本さんだったような?)、
「10年間、同じことをやり続けれれば、
必ずそれで食っていけるようになる」と
おっしゃっていました。
今は、その言葉を頼りに、
そして僕の前を傷だらけになって
歩いているズーニーさんを見て、
これからやってくる風景の移ろいを
楽しみにしたいと思っています。

ズーニーさん、これからも書きつづけて下さい。
いやいや、こちらこそ、
ズーニーさんに「ありがとう」です!
こんな出来のわるい生徒ですが、
『おとなの小論文教室。』、好きです。

これからも読みつづけます。

僕は、どちらかと言えば、
ボロボロになって、
搾り出すように書いているズーニーさんの方が
好きだったりします。
いい文章か、悪い文章か、というのではなく、
好きなんです、不思議と。

『あなたの話はなぜ「通じない」のか』、
楽しみにしています。
10月20日は、僕の誕生日でもあるんですよ。

では、長くなりました。
乱筆乱文にて失礼いたします。

(Guri)


……………………………………………………………………
山田からGuriさんへの返信メール


初めてメールをくださってありがとうございます。
ズーニーです。

メールを読み進むうち、言葉が身体に入ってきて、

私が、32歳で、家族を離れ、
それでも、自分の意志に忠実に生きたいと、
腰まであった髪を切って、東京に出てきた日のことや。

会社をやめて、孤独で、
その中で、自分がなんなのかもわからなかった
もがき、苦しい日々が、
頭をよぎりました。

そして、ここにきたとき、

> そんなとき、『おとなの小論文教室。』を読みます。
> 東京に来てから、くりかえし何度も読んでいます。
> 好きな小説って、物語が自分の身に沁みこむまで、
> 何度も何度も読んでしまうでしょ?
> あんな感じで、何度も読みます。
> ズーニーさん、がんばれ!って思います。
> 俺もがんばれ!って思います。
> そうして気づくと
> 何だかよくわからないあったかいものを、
> ずっしりと両手に抱えています。

うっ、と涙がでてきました。
なんか、ぐっときました。

ありがとう。

ほんとうにありがとう。
こんなに、深い孤独に触ってくれた、
強く、優しい言葉は、このところ
なかったもので、
いっきに、なんか、でてきてしまって。

ありがとう。

がんばります。
地方にいた時、会社にいたとき、
常に私は、一人ではありませんでした。
いつも、たくさんの素敵な人に囲まれていました。

でも、1人ではじめた、オフィス・ズーニーの
1周年記念も、
最初の本が来た日も、
2周年も、3周年も、
そして、2冊目の本が来た日も、
いつも、一人で。

10周年は、きっと素敵な仲間と迎えられるぞ!
とその日を楽しみにがんばっていましたが、

間違いでした。

すでに、一人ではなかった。
読者が、たくさんの素敵な読者が、すでに
ともに歩いていたのだということを
いま、気づかされました。

1周年記念も、
最初の本が来た日も、
2周年も、3周年も、
そして、2冊目の本が来た日も、
一人ではなかった。

読者がいた、と。

10月20日のお誕生日、
この水色の本と同じ誕生の日ですね。

おめでとう。生まれてきてくれてありがとう!

はばたけ強く! もっともっと
生きるほうへ、生かす方へ!


山田ズーニー




『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円



『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2003-10-22-WED

YAMADA
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