YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson177 表現への動機が生まれるとき

ほぼ日と、読者の方々に出版の機会をいただいた
『あなたの話はなぜ「通じない」のか』、
先週、韓国の複数の出版社から、
翻訳出版のオファーをいただいた。

人と人が通じ合うことを願って書いた本だ。
目指す教育の分野で、海をわたるというのは、本当に嬉しい。
今日まで導いてくださったみなさん、
ほんとうにありがとうございます。

海をわたる。

まったく思いもよらなかったから、
当然、私の「目標」にも、「やりたいこと」リストにもない。
だが、向こうから言われて、
まさにそれは、「私のやりたいこと」だったと気づく。

フリーランスになってからの3年半のあゆみは、
こうした「自分でもそんなシナリオは書けない!」という
驚きに導かれている。

人生のシナリオがあるとして、

会社を辞めたときの私は、こう想った。
「異動があるのが前提の会社では、
 来年度やる自分の仕事と、
 勤務地さえ、自分で決められない。
 たった一年先の仕事と、住むところさえ
 決められないなんて、なんて不自由なんだ!
 これからは、せめて自分の人生については、
 自分が主(あるじ)になろう!」

つまり、「自分の人生のシナリオは自分で書く!」
と思って会社を出たわけだ。

ところが、どっこい!
やめたとたんに、自分の人生の主(あるじ)どころか、
会社員のときよりも、もっともっと不自由な、
一年先どころか、明日の自分さえわからない立場を
自分で選んでしまっている。

会社を出るとき、期待と不安まじりに描いたシナリオは、
ことごとく、裏切られた。

いや、それどころか、自分が描いたシナリオに向かって、
一歩踏み出そうとすると、たちまち道がふさがり、
何かに首ねっこをつかまれて、ま反対に、行かされる。
それでも、予定した道にいこうと逆らうと、
地面にねじふせられる。その繰り返し。

結局、そこに道はなかったのだ。

不本意な人生を、それでも
もてる全力と、正直の限りで生きた。

その道が、目指す教育にまっすぐ通じていた。
今回のこともそうだし、
自分自身が本を書くことも、
大学で教えることも、
すべて、まったく「思ってもみなかった」ことであり、
でもすべて、
人の持つ「考える力・書く力」を生かすという、
「ほんとうにやりたかった」ことだった。

自分でも、こんなよくできたシナリオは書けない!
いったいだれが、書いたのだろうか?

以前紹介した、読者の学生さんのメールに

>例えば子供が持つ夢と言うのは、狭い視野の中で、
>自分の限られた経験世界の中だけで空想した事だから、
>現実と大きくずれている事が多いですよね?
>それと同じような事ではないかと思うのです。
        (上野さんのメールから)


とあったが、私の場合も、本当にそうだった。
私が、会社を辞めるとき書いたシナリオは、
結局は、「会社員である私」に立脚したものだったのだ。
大きな会社にいたから、
ずいぶんと視野をひらいてもらい、
経験もたくさんさせてもらった。
だが、ものを見、
経験を積んでいるこの「私」の自我でさえ、
組織の中で形成されたものだった。

どこまでが、等身大の自分の手足のなせる技か?
どこまでが、組織力に生かされてのことか?

だから、完全に「個」になって現実に向かったとき、
シナリオどうりにいかないのも、当たり前の話で。

そして、もうひとつ、誤算があった。
人の興味は、「前に向く」ということだ。

「やりたいこと」ときかれると、多くの人は、「未来」に
目が向くんじゃないだろうか?
すでに自分が何回も、何万回もやって、
すごく得意なことよりも、
「まだ、やったこともないこと」に目が向く。
「未知」には、現実のしがらみがない。夢を託しやすい。

私もそうで、
会社をやめる時点で、小論文編集を13年やっていた。
「領域をひろげたい!」
とその時点では思っていたのだ。
「活字」でやってきたから、「映像」をやってみたいとか、
「小論文」の枠をこえた境域で、
「考える力・表現力」を引き出すことをやってみたいとか。

つまり、そのとき私が書いたシナリオは、
「まだやったことがないから、やってみたい」
「未来」の方向を向いて、書かれていた。

本人はそれは、興味関心があるだろうが、
「やったことがない」で、いきなり勝負をかけるのは、
素手でなぐりこみにいくようなものだ。

一方、
人が見ていてくださって、手を引いてくださったのは、
私の「過去」だった。
13年、高校生の「考える力・書く力」の教育を
コツコツやってきた。その経験であり、ノウハウだった。
社会では、文章力や
コミュニケーションギャップが問題になっていた。
私にとって、もう身体になじみすぎていた、
「考える方法」や「書く技術」が、
切実に求められていたのだ。

自分にとって、もうあたりまえになっているものに、
自分はなかなか評価を与えたがらない。
それどころか、気づかなかったりもする。

私も、「他者」によって、
求められたり、導かれたりしてはじめて、
十数年の文章指導経験の意味を再発見することとなった。

会社を辞めた時点で、「未知」を向いて、
まだ「組織の中の個」としての表現手法が
手離せないでいた私が、

本当にやるべきだったのは、

「個」としてできる、新しい表現方法を見つけ、鍛え、
一日も早く、「いまの自分の声」をあげることだった。

そして、「個」としてできる、新しい表現方法とは、
わたしにとってまず、「書く」ということだった。

編集者とか、プランナーという、
もっとも組織力を要する表現方法に慣れ親しんでいた
私にとって、
もっともミニマムな「書く」という表現方法を
受け入れ、使いこなしていくことは、
孤独と苦しみが伴うのはあたりまえのことだった。

だが、「書く」ことこそ、だれにでも、すぐはじめられ、
個が、個として考えを
直接伝えるのにふさわしい表現方法だ。

私にとって、いま振り返れば
「会社を辞めるか、やめないか」というのは、
つくづく、大きな問題ではなかった、と思う。

大変な思いはしたが、大きな問題ではなかった。

それよりも、「表現するか、しないか」が、
大問題だったと思う。

書くということで、自分の考えを、細々とでも、
ずっと外にむかって表現しつづけたことを、
いまは、命綱のように思う。

私が会社を辞める決断をしたのは、
13年やった小論文編集から異動になったときだった。
頭は、ものわかりよく、異動を受け入れても、
身体は、痛み・つらがっていた。
あの瞬間、自分は「生きてたな!」と思う。

思えばあのとき、のちのち表現しつづける
切実なモチベーションが、体の中に生まれたのだ。

何か、不測の事態で、
それまで一所懸命やってきた自分の経験や歴史が、
そこから繰り出される未来が、
外から、急に断たれようとするとき、
そういうときこそ、自分という存在は、
もっとも激しく生きようとして、美しい。

自分を表現しなければという切実な衝動が、
これほど確かに、
迷いなく、突き上げてくるときはないからだ。

私の頭は、
迷ったり、弱ったり、誤算があったりしたが、
身体は、その時、
そのことをちゃんと知っていてくれて、
ちゃんと悔しがって、
ちゃんと負けないでいてくれて、
のちのち書いて表現することを、
コツコツやりつづけてくれた。

何か、不測の事態で、
自分のやってきたことが外から断たれようとするとき、
悪いのは社会でも、自分でもない。
悪いのは、それで自分が弱ってしまうことだ。

そういうときこそ、表現への切実で美しい衝動が宿るとき、
胸を張って自分を表現していこう!




『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2003-12-17-WED

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