YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson178 あたえ文、くれ文

後輩のS君は、心も外見も美しい人なので、
モテモテなのだそうだ。
しかもきれいな女性ばかりという。

「いいなー! モテモテってどんな感じ?」
と私が聞くと、
S君は、ほんとうに浮かない顔でこう言った。

「なんか、みんな、
 僕に、“与えてくれ”みたいな感じで。」

あの浮かない顔は、ポーズではなかった。
瞬間、私は、きれいな女の子に囲まれ、四方八方から、
「くれ!」「くれ!」と言われているS君をイメージした。

女の子たちが次々にS君に言う。
「私の方を向いてくれ!」「私をわかってくれ!」
「優しくしてくれ!」

「くれ!」「くれ!」「くれ!」……、

むしりとられていくS君。
モテるのも、タフでないとできないのか。

これは、文章にもあるな、と思った。

相手に「くれ、くれ」と要求する「くれ文」と、
相手に与えようとする、「あたえ文」と。

例えば、たった1通のメールにも、
朝から、意気をむしりとられるような文章と、
限りなく力を与えられるような文章がある。

この差は、何だろう?

「くれ文」は、文字通り、さまざまな要求をしてくる文章、
「ああしてくれ」「こうしてくれ」。
相手の時間や手間、優しさや、智恵や力を、
「ちょうだい」と言う文章だ。

ところが、もっとやっかいなのは、
何も要求など書いてない、書いた人にも自覚がないのに、
妙に読み手のパワーを吸い取る「くれ文」があることだ。

もらった方は、読んで、いやなひっかかりが残る。
負担を感じる。わずらわしい。

一方、「あたえ文」は、
文字通り、相手に、自分の経験知や、優しさ、
手がかりや視点、勇気など、さまざまなものを与える文章だ。

もらった方は、読んで、力がわき、はればれと自由な感じがし、
社会に向かってはばたきたくなる。

「あたえ文」と「くれ文」の境は微妙だ。

はっきりした「くれ文」、つまり、
要求をされたり、頼みごとをされているのに、
逆に、読んで嬉しい、こちらが力を与えられてしまう
「あたえ文」になっていることもある。

知識や情報を提供しようとして書いているつもり、
つまり、「あたえ文」を書いているつもりが、
やりようによっては、
「私の言うことを聞いてくれ」「わかってくれ」の
「くれ文」になっているときもある。

先日、ある人が書いたものに、
感想のメールを書こうとしていたとき、私は思った。

私は、相手に、少しでも何かを与え、
相手を自由にするような
「あたえ文」を書いているだろうか?

相手は、私より、知識も経験もある人だ。

メールを書きはじめたものの、
どうしても「くれ文」になってしまうことに気づいた。
どうも、「こっちを向いてくれ」とか、
「わたしの気持ちを聞いてくれ」
というような根性が顔を出す。

書いているうちに、自分はいま、寂しいんだなと思った。

人の優しさ、に餓えていたり、
自信を失っているときに、筆をとると、
「あたえ文」を書いても、「くれ文」を書いても、
結局、「くれ文」になってしまう。

また、相手の方が、
はるかに知識や経験がまさっているときに、
「あたえ文」など書けないのだろうか?

相手との関係性、自分の内面を築くことが、
遠回りなようでも
「あたえ文」への近道なのだ、と思い直し、
いま、何を書いても「くれ文」になるからと、
メールを書くのを、いったん諦めた。

まったく別のことをしていると、ふっと、
「アイデア」が浮かんだ。
最近、高校生の文章指導をしていて得た情報で、
これなら、私独自の経験知だから、博学な人でも知らない。
しかも、相手が、テーマをまったく違う角度から見るのに
役立ちそうな情報だった。

さっそく、それを感想メールに書いておくったら、
非常に、新鮮に感じ、面白がってくださった。

自分に充分な知識や経験がなかったり、
自分が満たされていなくても、視点を工夫したり、
情報の関係を発見したり、つまり、「考えること」で、
ささやかな、「あたえ文」は、書けるのだなと思った。

「創意と工夫」。

これからも、生きていく上で様々な「くれ文」を
書かねばならない私だが、

今日は、聖夜。

キリスト教の人々の、与える精神にあやかって、
せめて、今日は、
ギブ&テイクでない、
ギブ&ギブ、もっとギブ! を、文章で実践してみたい。




『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
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2003-12-24-WED

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